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小瓶にはタンポポを 5








「ちょっとまっててね!」

楽しそうに言い置いて駆けだしたコニーの後ろ姿を見送りながら、エリカはゆっくりと芝生に腰を下ろしました。柔らかい草の匂いとお日さまの温かさが一緒になって、人混みを歩いた疲れを癒してくれるようです。



コニーが、シロツメクサの花を見つけて駆け寄ります。手を伸ばした彼女は、地を這うように延びる茎の部分を長めにとって摘み取っては束ねていきます。茎の部分が萎れてしまわないように、強く握らないように気をつけながら。

彼女の近頃のお気に入りは、花冠を作ること。実は今日も友達のメアリと一緒に作ったのですが、こんなふうに1人で花を集めるのも、また違った楽しみがあります。

特に今日は、エリカに見せてあげたい気持ちでいっぱいなのです。ちょっとだけ、お姉さん気分になったからでしょうか。


エリカは、少し離れたところから聴こえてくるコニーの鼻唄に目を細めました。何の歌なのかは分かりませんが、とても生き生きしているのが分かります。

爽やかな風が、切ったばかりの黒髪と戯れていきました。もし長いままだったら、強い風の日は髪が邪魔だったかも知れません。それなら、今の姿も悪くはないかも。なんだかちょっとだけ、自分が新しくなったような気がします。

そんなことを考えながら、エリカは風が吹いていく方向に視線を投げました。そして、ふと表情をなくして呟きました。

「こんなに、家がたくさん……」

見えるのは、帝都を埋め尽くすように立ち並ぶ住宅の屋根ばかり。長年暮らした家はもう、帝都を見渡すことが出来る小高い丘の上からでも見つけることは出来ません。

エリカは、静かに溜めていた息を吐き出しました。

その時です。

「エリカちゃーん!」

ひたすらシロツメクサを摘んでいたコニーが、戻ってきました。


満面の笑みを浮かべて駆け寄る幼い彼女に、エリカは手を振って答えます。そして彼女の手に握られた無数の白い花を見て、目を丸くしました。

「すごい……。

 全部持って帰るの?」

「うん!」

エリカの言葉に得意気に頷いたコニーは、買った物を詰め込んだバスケットに、集めた白い花を大事そうにしまいます。

そして立ち上がると、ちょっとだけ胸を張って言いました。

「エリカちゃんにお花のかんむり、つくってあげるね!」

「……私に?」

てっきりパパへのお土産にするものだとばかり思っていたエリカは、きょとん、と小首を傾げてしまいました。

するとコニーは、楽しげな表情を崩すこともなく頷きます。

「そうだよ~」

「クレイグさんにあげた方が、喜ぶと思うけどなぁ……」

そう呟いたエリカは、はっとしました。せっかくコニーが作ってくれると言っているのに、気持ちを踏みにじってしまった、と。

けれど気がついたところで、すでに時遅し……コニーは盛り上がった気持ちを潰された気分で、顔をくしゃっと歪めて口を尖らせています。

そういえば昔、義弟に似たようなことで詰られた記憶が……。


どうして今になって思い出すんだろう、とエリカが胸の内で呟いていると、ぱちん、と手を叩く音が聴こえてきました。

ふと視線を上げれば、コニーが叩いた手を合わせて立ち上がるところで。エリカは思わず、彼女に声をかけました。

「あ、あの……」

「――――エリカちゃんが、あげたらいいんだ!」

てっきり怒っているか傷ついているとばかり思っていたコニーの目がキラキラしているのを見て、エリカは小首を傾げました。何がどうなっているのか、全然分かりません。

するとコニーが、ぴっと人差し指を立てました。

「パパには、エリカちゃんがなにかあげてね!」

名案だ、とばかりに鼻の穴を膨らませるコニーを見て、エリカは口をぱくぱくさせながら思いました。難しい顔ばかりしているクレイグさんが、私なんかから何かをもらったところで喜んでくれるとは思えないです……と。








「ただいま戻りました」

「――――ご苦労さま」

ドアベルの音に紛れて囁いたエリカは、絶妙のタイミングで現れたクレイグに驚いて飛び上がりました。

その様子が気に入らない彼の眉が片方、ぴくっと跳ね上がります。そんなにびくびくするなんて君はどこの小動物なんだ、と口から出かかりました。

けれど思ったことを口にする直前で、彼はあることに気づきました。彼女と一緒に出て行った娘の姿が、どこにも見当たらないのです。

急激に表情を曇らせたクレイグは、眉根を寄せて尋ねました。

「コニーは?」

「あ、はいっ」

背筋を伸ばしていたエリカが、そうだった、と口を開きます。

「店の前にお友だちがいたみたいで。少し遊んでくるそうです。

 ……えっと、暗くなる前に帰ると言ってました」

「ああ、ならいいんだけど……」

それを聞いたクレイグの表情が、ほどけるように元に戻っていきます。そして彼は、エリカの持っている荷物に目を留めました。

低い声が尋ねます。

「頼んだものは、全部買えたかい?」

エリカは、バスケットの取っ手を握る手に力を入れて答えました。

「はい、たしかに。

 ……あ。余ったお金があるので、お返ししますね」

ポシェットには、2人が遣いきらなかったお小遣いが入っています。綿飴で満足したコニーは“残ったお金はパパに返すつもり”だと話していたので、エリカはそのことをクレイグに伝えました。

「そう、じゃあとりあえず中に入ろうか」

頷いた彼は、エリカの前に手を伸ばしました。

……はて。握手でもしたいのだろうか……と小首を傾げた彼女を見て、彼は思わず口の端を持ち上げました。笑いたいのを堪えて。

「それ、貸してごらん」

「え、あの……っ」

低い声で穏やかに言いながら、クレイグは半ば強引にエリカの持っていたバスケットを取り上げてしまいました。慌てる彼女の様子を、思い切り無視して。

「……やっぱり、買い物は止めておいた方が良かったかな」

片方の手に、ずしりとした重みを感じたクレイグが呟きました。

その言葉を聞き逃さなかったエリカは、思わず俯いてしまいました。自分が“役立たず”に分類されてしまったような気がしたのです。やっぱり、摘んできたお土産は気に入ってもらえそうにありません。


ところが、クレイグが言いました。静かに、沈んだ気持ちで立ち尽くしているエリカの手を見つめながら。

「手が真っ赤になってる」

「――――あ……」

咄嗟に自分の手のひらに視線を走らせたエリカは、くっきりと赤く、バスケットの取っ手の跡が残っていることに気がつきました。そういえば籐で編まれたバスケットは、布の鞄と違って手のひらにゴツゴツと食い込むようでしたし、まだ取っ手を握っているような感覚が残っています。

思わず手のひらをにぎにぎするエリカを見て、クレイグは口を開きました。その一瞬前に、ちらりと白い花に視線を向けてから。

「コニーの手も繋いで行ったみたいだし、寄り道もしたみたいだし。

 大変だったと思うけど……ありがとう、助かったよ」

幼い子どもを連れて買い物に出る大変さは、よく分かっているつもりです。彼は眉根を下げ、エリカの赤くなった手のひらを見て言いました。

「い、いえ……っ」

お礼を言われたエリカは、慌てて首を振りました。手も、短くなった髪も一緒に、ぶんぶんと振りました。どちらかというと、お守をしてもらったのは自分なんです、とは言えないけれど。




品物を地下の食糧庫に収めたクレイグが居間に戻ると、台所に立っているエリカの後ろ姿が視界に飛び込んできました。彼女は、彼がすぐ近くで視線を注いでいることに気づいていないようです。

おそらく、使用人のつもりでそこにいるのでしょう。他人の家の用事を片付けるのが、彼らの仕事なのです。クレイグが彼女を使用人にしたくて家に置くと言ったわけではないことは、まだ納得していないのかも知れません。

彼は、そのまま黙って彼女の様子を見ていることにしました。


エリカは水を注いだ大きなボウルに、そばに置いてあったシロツメクサの茎を浸しているようです。おそらくコニーが集めんだろう……そう思ったクレイグの頬が、自然と緩みました。苦笑混じりではありましたが。

白い花の入ったボウルを端に寄せたエリカは、今度はおもむろに流しにあった小瓶を洗って、ボウルの横に置きました。たしかあれは、朝食の時に食べきったジャムの空き瓶だったはずです。

何に使うんだろう、とクレイグが内心で首を捻っていると、「あ」と小さな声を上げたエリカが振り返りました。


心臓が、激しく打ち付けています。

咄嗟に何も見ていなかった振りをしたクレイグでしたが、口から何かが飛びだしそうなくらいに動揺していました。特に邪なことを考えていたわけでもないのに、自分でも不思議です。

胸のあたりを手で押さえた熊のような男と目が合ったエリカは、一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに何かを思い出したのか、洗ったばかりの小瓶を差し出して言いました。

「あの、ちょっとお借りしてもいいですか……?」

「え、あ、もちろん」

曖昧に頷いたクレイグは、ウチに転がり込んできた家出娘相手に何を動揺する必要があるんだ、と自分を叱咤しました。

なんだかもう、エリカがやって来てから精神的に忙しくてなりません。


「ありがとうございます」

笑みを浮かべてお礼を言ったエリカは再びクレイグに背を向けて、小瓶に少しだけ水を注ぎます。そして、そこに持ち帰った黄色い花を差しました。

コニーは“何かあげて”と言っていましたが、家に置いてもらう分際でお金を遣うのは気が引けました。だから、白い花のそばに咲いていたタンポポを一輪、持ち帰ることにしたのです。

難しい顔で作業台に向かい、仕事中とたいして変わらない表情を浮かべて夕食を口に運んでいる彼が、こんなもので喜んでくれるとは思えませんでしたが。

つん、と黄色い花を指でつついたエリカは、小瓶をテーブルの真ん中に置きました。

クレイグの目が眩しそうに細められました。お日さまのような黄色い花が、部屋の中を明るく照らしているように見えて。

「……タンポポか」

もう少ししたら工房に戻ろう、そう思うのに、口が勝手に言葉を紡いでいきます。クレイグは、彼女の黒い瞳を覗き込むように見つめて言いました。

「コニーと寄り道して、摘んできたのかい?」

てっきり嫌がられるのかと思っていたエリカは、片付けなさいと言われなかったことに驚いたものの、すぐに我に返りました。そして、クレイグの前では強張ることの多かった唇が綻んで、するすると言葉が飛び出してきます。

「あ、はいっ。

 教会のある丘に、たくさん咲いてました」

「そう、楽しかった?」

「はい、遠くまで見えて、風が気持ちが良かったです」

こくこく頷いたエリカに、彼は言いました。

「あそこは、もう少ししたらクチナシの花がたくさん咲くんだ」


そこで言葉を切って、ほんの少しだけ口を閉じたクレイグは言いました。

「そうしたら今度は、クチナシの花を摘んでくるといいよ」と。

一緒に行こう、と言いそうになってしまった自分に少なからず動揺した彼は、嬉しそうに頷いたエリカの目を、まっすぐ見ることが出来ませんでした。









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