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小瓶にはタンポポを 4









「うわぁ……!」

「――――きゃっ」

横を歩いているはずのエリカが進行方向を転換して、手を繋いで引っ張っていたはずの幼いコニーの体が、がくんっ、と波打ちます。

これで何度目になるか分からない衝撃に、コニーはぷんすか怒りました。

「エ・リ・カ・ちゃ・んっ!」

お買い物のメモは、もう頭の中に入っています。最初に乾物屋さんに行って、豆をひと袋。それからぐるっと回って、ジャガイモとリンゴを買うのです。

あんなに言い聞かせたのに、この大人は。まったくもう。もうっ!

心の中で怒りをぶつけたコニーは、引っ張られるままエリカに話しかけます。だって、パパが言っていたのです。“怒りたい気持ちにまかせて物を言って、あんまりいいことはないかもな”と。

その時はなんとなく頷いてみたのですが、今になってちょっぴり分かる気がします。浮かれるエリカに怒りをぶつけても、意味はなさそう。

クレイグが手間も愛情もかけて育てたコニーは、賢く良い子に育っているようです。

午後の、それほど混み合う時間ではないにしても、市場を行き交う人は少なくはありません。コニーは、一生懸命に大人達にぶつからないようにエリカの後を追いました。


「これ何……?」

興味津々、といった表情で目を輝かせたエリカに、お店の人が答えました。

「お嬢さん、ああいや、お姉さん?

 ……あ、もしかしてお子さんに買ってあげるのかい?」

甘い匂いを漂わせる、ふわふわした白いものを見つめたエリカは、どうやらお店の人が売り物について教えてくれたわけじゃなさそうだ、と気が付いて顔を上げました。そして、はて、と小首を傾げます。

その時、腰のあたりから唸り声が聴こえてきました。そういえば、片方の手がものすごく不便です。思うように動きません。

「――――エリカちゃんのばかぁぁ」

エリカが咄嗟に声のした方を振り向けば、そこにはポニーテールをくしゃくしゃにしたコニーの姿がありました。眉間にしわを寄せて、今にも泣き出しそうな表情をしています。賢い良い子も、とうとう我慢の限界だったようです。

その顔を見た瞬間に、エリカは頭からつま先まで血の気が音を立てて引いていくのを感じました。そして舞い上がった自分が仕出かしてしまったことに、ようやく気付いたのでした。



甘い匂いのする店先で、エリカは迷わずしゃがみこみました。そして、仏頂面で黙りこんでしまったコニーの顔を覗き込みます。

「ご、ごめんなさい……っ!

 初めてで、楽し過ぎて、その……」

言いながら、自分の情けなさに鼻の奥がつんと痛くなってきました。言葉に詰まって、そのまま何と言ええばいいのか分からなくなって。

そうしてエリカの目が赤くなり始めた頃、コニーが溜息をつきました。父親であるクレイグそっくりの仕草です。

「あ~もぉ~……っ」

振り回されて怒っていたはずなのに、エリカの落ち込みようを見ていたら、どうでもよくなってしまいました。ぶつけようとしていた言葉も、いつの間にか萎んでいます。

だけどその代わりに、“わたしが、ちゃんとしなくちゃ!”という使命感のようなものが、コニーの心の中に沸々と湧いてきました。

「エリカちゃん、まだテイトに来たばっかりなんだからね。

 まいごになったら、ひとりでおうちに帰れないんでしょ?!

 ……ちゃんと言うこときいてよね!」

「……はい、ごめんなさい」

子どもになんてことをしたんだろう、と反省していたエリカは、しょんぼりしながら頷きます。びしびしと指を突き付けられて、小さな声で謝りました。

すると、コニーは肩の力を抜いて口を開きました。

「これじゃあもう、わたしの方がおねえさんみたいだよ~」

ぽわぽわしているエリカにはちょっぴりガッカリしたけれど、コニーはちょっと得意気になって小さな溜息をつきました。なぜなら最近、お友だちが兄・姉になることが続いていて、わたしもお姉ちゃんになりたい、とひそかに思っていたからです。

そんなことを考えたコニーは、肩を落としたままのエリカの手を取りました。

「もういいから。

 いこ、エリカちゃん」


それからのエリカは猛省したらしく、コニーを困らせることはありませんでした。物珍しさに駆けだしてしまうこともなく、お店の商品を勝手に握ったりすることもなく。




大人しくなったエリカと手を繋いでいたコニーが、ある店の前で足を止めました。

エリカは軒先に置かれた大きな麻の袋と、そこから溢れんばかりに盛られた様々な色や形をした豆を、しげしげと見つめました。屋敷で食べたことがあるのは、ひよこ豆くらいでしょうか。


「こんにちは、おばさん!」

座って何かの作業をしていたらしい女性がコニーの元気な声を耳して、ぱっと振り向きます。そして、人のよい笑みを浮かべて言いました。ちょっぴり恰幅が良いので、子ども達は影で“ソラマメさん”というあだ名で呼んでいます。

「……あらコニー!」

嬉しそうに立ち上がったソラマメさんの視線が、エリカを捉えました。でもその目はすぐに、コニーに向けられます。

「こんにちは。今日もお手伝いかい?

 お嬢さんは……お友だち、ってわけじゃなさそうねぇ。見ない顔だけど」

「んー、うん」

何か言いたそうな顔をしている女性に、コニーが頷きました。

その時です。

「――――あの」

こんもり盛られた数種類の豆から視線を上げたエリカが、思い切って口を挟みました。やめておくべきかとも思いましたが、家出をしてきたことなどを知られるのは、出来れば避けたかったのです。

ソラマメさんは俯いていたエリカと目が合って、ほんの少しだけ目元を険しくしました。

「はじめまして。エリカです。

 コニーのおうちで、お手伝いをさせていただいています」

「きのう来たばっかりなの」

嘘ではない自己紹介に、コニーが調子を合わせてくれます。

「でね、おマメください!」


「お手伝い、ねぇ……?」

ソラマメさんは首を捻って納得がいかない様子を見せながらも、自分が商売中だったことを思い出したようで。最後には、「パパによろしくね」と言って、豆を袋に詰めてくれました。



そうしてひよこ豆をひと袋、それから八百屋さんでジャガイモとリンゴを買った2人は、残ったお金を半分ずつお小遣いにすることにしました。

「トマトさんのおかげで、お金いっぱいのこったね!

 わたあめ、かっちゃおー」

にまにまと喜びを抑え切れないのか、コニーが鼻唄混じりに言いました。繋いだ手が、ぶんぶん揺すられます。

エリカは重くなったバスケットを持つ手に力を入れて、満足気なコニーに笑みを向けながらも小首を傾げました。

「……トマトさん、ってだあれ?」

「やおやさんの、おにいさん。

 かお、まっかだったでしょ?」

足取り軽くコニーが答えると、エリカが噴き出しました。そして堪え切れずに、その口からクスクスと笑みが零れました。笑ったら、荷物がちょっとだけ軽くなったような気がします。

エリカは八百屋のお兄さんの顔を思い出しました。

年の頃は、エリカよりも少し年上でしょうか。威勢がよくて、キリっと凛々しい顔つきをしていて。お日さまの下でたくさん働いているからなのか、肌が真っ赤に焼けていました。ちょっとヒリヒリしていそうなくらい。

子ども達は市場で働く人達に、いろいろなあだ名をつけて遊んでいるようです。ひとしきり笑ったエリカは、興味が湧いて尋ねてみたくなりました。

「じゃあ、私は?」

「え?

 うーん……」

その時です。

少しの間考え込んだコニーの目があるものを見つけて、ぱっと輝きました。エリカの問いに答えるのも忘れて、繋いだ手をぐいぐい引っ張ります。

そして、ある店の前で足を止めました。


そこではクレイグと同じくらいの年頃の男性が、真っ白でふわふわした、甘い匂いのするものを木の棒に巻き付けています。

「――――あ、さっきの……」

お店の人はコニーに引っ張られるままやって来たエリカの顔を見るなり、ぽかんと口を開きました。そして、口の端を持ち上げて言いました。

「なんだ、戻ってきたのか」

「さっ、さきほどはお騒がせしました。

 あの、コニー……?」

咄嗟に謝って、エリカはコニーを見遣りました。今度は自分が暴走してやって来たわけではなく、小さな彼女に連れられて来たのです。

するとコニーは、ポケットの中から銅貨を3枚出して言いました。

「あのね、おにいさん。

 わたあめ1つ、くださいな」


コニーの小さな手が銅貨3枚を、わたあめ屋の男の人に手渡します。その光景を見ていたエリカは、少し前に買った品物の値段を思い出していました。

たしか、リンゴ1つが銅貨1枚だったはずです。ジャガイモは、握りこぶしほどの大きさのものが6個くらい詰まった袋で、銅貨3枚。トマトさんがおまけしてくれたので、実際はそれよりも少ない銅貨で買い物をしたのですが。

ひよこ豆は、ソラマメおばさんの持っていた大きなカップに3杯で、銅貨4枚分でした。ちなみに乗り合い馬車に乗るために、銅貨を12枚支払った記憶があります。

そこまで思い返したエリカは、ようやく自分の髪の値段がおかしかったことに気がつきました。あの時は何も知らなくて、言われるまま差し出された小袋を受け取ってしまったのですが……。


「――――ありがとう!」

エリカが思い至った事実にショックを受けて絶句していると、その隣ではコニーが手を伸ばしてお店の男の人から何かを受け取っていました。

「それ、なに?」

甘い匂いが鼻先をくすぐった瞬間、髪の値段についてのあれこれが頭の隅に追いやられていきます。エリカは思わず、コニーがかぶりついた真っ白なふわふわを見つめて尋ねました。

口の周りをべとべとにして一心不乱に食べているコニーの代わりに、お店の男の人が苦笑混じりに口を開きました。

「綿飴だよ。

 食べたことないのかい?」

エリカはこくんと頷きました。


「……仕方ねーなぁ」

目の前の女性の顔を見た綿飴屋は、溜息混じりに言いました。

そして手を伸ばし、袋の中からスプーンに1杯だけザラメを掬います。それを下の方に小さな穴がたくさん開いている缶に入れて、火にかけました。すると、ぱち、という音が時々聴こえてきました。

綿飴屋は、足元のペダルを踏んで缶を回します。ぐるぐると、洗濯機の脱水のようだ、とエリカは思いました。

ぐるんぐるん、目で追えないくらいに缶が回って、その小さな穴から何かが飛び出してきます。それはまるで、白い糸のようでした。


「ほら。

 金はいいから、食べてみな」

ぶっきらぼうな口調と一緒に差し出された、白い糸を素早く木の棒に巻き付けたものを、エリカはこわごわ受け取ります。

「あ、ありがとうございます……」

お礼の言葉を呟きながらも、その目は綿飴に釘付けです。コニーのよりもずっと小さいものですが、同じように不思議な見てくれをしています。

「……おい、ぼけっと見てる間に溶けちまうぞ」

まじまじと綿飴を見つめるエリカに苦笑した綿飴屋は、腰に手を当てて言いました。

慌てたエリカは頷いて、口を開けました。

唇と吐息の熱で溶けかかる綿飴を、ひと口。

「おいしい……!」

音もなく口の中で溶けた甘いものに感動して、エリカは呟きました。

こんなに素敵な食べ物があったなんて、全然知らなかったのです。



一心不乱にコニーが残り少なくなった綿飴を食べています。なんだかその勢いで、木の棒まで齧ってしまいそうなくらい。

それを横目に見て微笑みながら、エリカは食べ終えた木の棒を軒先のゴミ箱に捨てて、作業をしている綿飴屋に声をかけました。

「ご馳走様でした。

 すごくおいしかったです」

「……あ、ああ」

手を止めた彼は、視線を彷徨わせて口ごもりました。けれどエリカは、そんな彼の様子を訝しく思うこともなく、言葉を続けます。

「今度は、大きいのを食べに来てもいいですか?」

「また来るのか?」

そのひと言にガバッと顔を上げた綿飴屋が、間髪入れずに言いました。

「だ、ダメですか……?

 お金はちゃんと払いますから」

若干前のめりになった彼を見て、エリカは思わず目を伏せました。なんだか、あんまり歓迎されていないような気がしたのです。

すると綿飴屋は、ぶんぶん手を振りました。

「や、その……っ」

目を伏せていたエリカが、この時の綿飴屋の赤くなった顔に気づくことはありませんでした。それから、隣のホットドッグ屋が向けていた生温かい視線にも。



綿飴の木の棒を捨てたコニーはしばらく歩いてから、こう呟きました。

「うーん、トマトさんはもういるし……。

 あ、わたあめの人はリンゴさんにしようっと!」








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