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小瓶にはタンポポを 3








正午の鐘が鳴り響き、その余韻が風に乗って消えた頃。

靴屋の工房では、とある攻防が繰り広げられていました。


「頼むから分かってくれないか」

「いやです」

鐘が鳴り響いた時から押し問答を続けているクレイグの脳裏には、寄宿学校で経験した担任教師との“個人面談”の 場面がよみがえっていました。あの時はたしか、家業を継ぐとか継がないとか、そんなことを話していた気がします。

クレイグは不毛な言い合いに若干うんざりしながらも、溜息混じりに口を開きました。いやだろうが何だろうが、こちらの要望を伝えるしかないのですから。

「だから……」

その時です。


「たっだいまー!」

ドアベルの音に混じって、とっても元気な声が工房まで響いてきました。

ぴりりと張り詰めた空気をバリバリと裂くように、コニーが小走りに駆けてきました。頭にシロツメクサの花冠をのせて。

「パパあのねっ――――あぁ……っ!」

彼女は、鼻息荒く押し問答をしていたエリカの姿を見るなり、ぱっと顔を輝かせました。そして、勢いよく体当たりをかましました。

「わぷっ」

幼子とはいえ、その衝撃はかなりのものです。咄嗟に両手を広げて受け止めたものの、目を白黒させたエリカの足が、たたらを踏みました。

「こら、コニー」

娘の感情表現に慣れがあるクレイグは、呆れ半分に声をかけます。けれどその声だけでコニーの興奮が収まるはずもなく。

「よかった、おねえさん~!」

ぎゅ、と腰のあたりにしがみついてきたコニーに、エリカの頬がつい緩みました。これだけの親愛の情を向けられたら、ネガティブな感情に晒される方が自然だった彼女にも笑みが浮かぶというものです。



しばらくして、コニーの興奮が収まるのを待っていたクレイグが言いました。

「コニー、聞いてほしいことがあるんだけど」

再会の抱擁を終えて、試着用のベンチに花冠を立てかけたコニーはうしろを振り返りました。父親が、何やら小難しい顔をしてエリカを見ています。

そこで初めて、幼い彼女は大人の2人が真剣な話をしていたらしい、ということに気づきました。2人の間に流れる空気を、肌で感じたのです。

彼女は小首を傾げつつ、返事をしました。

「ん~と……なあに?」

クレイグは少し考えてから、エリカから視線を剥がしました。そして、不思議そうにしている娘に向かって口を開きます。

「たいしたことじゃないんだけどね。

 今からエリカと一緒にお遣い、行ってきてくれるかな?」

思いもよらない言葉に、コニーはぴょんぴょん跳ねまわって喜んだのでした。







愛娘と家出娘が手を繋いで店を出るのを見送ったクレイグは、肺が潰れるんじゃないかというくらいの溜息を吐き出しました。なんだかもう、昨日からの疲労感といったらありません。これなら、2日ほど寝ずに靴を作りまくった方が精神的に楽な気がします。

「ほんとに、もう……」

突然現れたエリカと、彼女の陥っている状況に戸惑っているのも確かです。けれど今は、それと同じくらいに彼女の頑固さに音を上げてしまいそうで、つい溜息が零れてしまいます。

クレイグはコニーが帰ってくる少し手前、ちょうど正午の鐘が鳴った時にエリカに言ったのです。“もういいから、君さえよければ時期が来るまで店の手伝いと家事をしてほしい。報酬は現物支給になるだろうけど”と。

するとエリカは、みるみるうちに目を輝かせましたのです。ほっとしたのか、声を震わせてお礼を言われたりもしました。

ところが、です。

何をどう思い違えたのか、彼女は突然言い放ったのです。「それじゃあ、今日からは旦那様と呼ばせていただきますね!」と。

あの時の妙に張り切ったエリカを思い出して、クレイグは沈痛な面持ちで額を押さえました。まさかこの小さな靴屋で、“使用人がほしいわけじゃない”“でも、けじめが”という趣旨の言葉を投げ合う問答が繰り広げらるとは思いもしなかったのです。

彼は、唸るように呟きました。

「……なんかもういろいろ心配だ」





クレイグが工房の作業台で頭を抱えている頃、エリカは持たされた現金の重さに動揺して、変な汗を掻いていました。方々に視線を走らせてもいます。

銅貨は分かります。けれど、銀貨と紙幣については初めて触れたのです。一夜にして大金を手に入れた小市民の反応としては、まあまあ標準かも知れません。ただ残念なのは、今のエリカにとっての大金が世間では学生のお小遣い、という程度の金額であることでしょうか。


コニーは、たかだかお遣いにびくびくするエリカを見て小首を傾げました。

「おねえさん、そんなにキョロキョロしてたらドロボーにみつかるよ?」

「え、ええっ?!」

そのひと言に、エリカはぎょっとして肩をそびやかしました。するなと言われたそばから、あたりに視線を走らせてしまいます。

ここにクレイグがいれば、きっと「大げさな」と呆れたことでしょう。でもコニーは、繋いだ彼女の手をもう片方の手で優しく擦りました。

「もー……おちついて。

 あかるいうちは、スリにだけちゅーいすればへーきよ。

 くらくなったらこわい人もいるから、おうちに入らないといけないけど」

コニーがおばあちゃんのような口調で言い聞かせると、エリカの挙動不審が少しだけ和らいでいきます。けれどまだ不安なのか、彼女は幼く小さな手を握りしめました。

「す、スリって?」

またもや知らない単語です。コニーほどの小さな子が知っているのに、と思ったら、エリカは怖くなってしまったのでした。なんとも頼りない自称使用人です。

「んーとね……」

そんなエリカの内心を知るはずもなく、コニーは説明しようと口を開きます。いつか自分が同じように父親に尋ね、教えてもらった時のことを思い出しながら。

「ひとのおさいふ、かってにとっちゃう人のことよ。

 おさいふ、いつも見えないとこにしまってるでしょ?

 だからね、おかしなことしてると、スリに目をつけられちゃうの。

 あの人、おかねいっぱいもってるぞ!……って」

「そ、そっか」

かくんかくん、とエリカの頭が上下します。擦れ違う人も、離れた場所で目が合う人も、みんながお金を狙っているように見えてしまいます。

「おおおおお財布を抜き取っちゃう泥棒のことを、スリって言うのね。

 泥棒とか、コソ泥、とかなら聞いたことあるんだけど……。

 うん、分かった」

何もしていないのに“泥棒!”などと罵られた経験のあるエリカは、“帝都には本物が出るんだ……!”と、ちょっとばかりズレた感想を抱きつつ、何度も頷くのでした。

「気をつけなくちゃね。

 旦那様からの、初めての言いつけだし……!」


妙に力んで意味の分からないことを言い出したエリカを見て、今度はコニーの方が小首を傾げてしまいました。

「だんなさま?」

手を繋いだ2人を見て、擦れ違う人達が頬を緩めています。ほのぼの仲の良い姉妹か、それとも親子にでも見えるのでしょうか。

エリカは、はっと我に返りました。お金を守らなくては、と思うばかりで気が回らなかったようです。雇い主の娘と、こんなに親しげに話して大丈夫なのでしょうか。

「あ……っと、実は、本日からお嬢様の家に置いていただくことになりまして」

クレイグは嫌がっていたようですが、ちょっとだけ使用人らしく話してみます。

するとコニーは、不満そうに口を尖らせてしまいました。

「おねえさん、あのね!」

「はいっ」

むすっとした顔のまま呼ばれて、思わずエリカは頬を強張らせました。初日から雇い主の愛娘を怒らせてしまうなんて、と。




「エリカちゃん、これなんてかいてあるの?」

コニーは、ごそごそとポケットから取り出したメモをエリカに手渡しました。その顔は、どこか晴れやかです。

エリカは受け取ったメモに目を通して、内心でこっそり溜息をつきました。


彼女の“だんなさま”発言は、やっぱりコニーを怒らせてしまったようでした。曰く、「パパは“だんなさま”っていうのが、すごくキライなのよ。わたししってるんだから!」だそうで。

そこからは、ぷりぷり怒るコニーに気圧されて頷くしかありませんでした。気づいた時には、ニコニコと「じゃあこれからは、おねえさん、じゃなくて。エリカちゃんってよぶね! わーい!」なんて言われてしまって。


エリカは、期待に満ちた目で自分を見上げているコニーに答えました。

「豆をひと袋、ジャガイモふた袋……リンゴが5つ。

 それから、ええと、お釣りは2人で等分。お小遣いにしなさい」

“お小遣い”のひと言に、コニーが目を輝かせます。

「やたっ、おこづかい~!

おっこづっかい!」

嬉しくて仕方ないのでしょう。ぴょこぴょこ跳ねて、そのたびに繋いだ手がかくかく揺れます。お姫様のご機嫌が急上昇したのを見計らって、エリカは尋ねてみることにしました。


「どうしてクレイグさんは“だんなさま”が嫌いなの?」

「……んー?」

鼻唄混じりで軽やかにスキップしていた小さな足が、とと、と地面を叩きます。

「まえにね、へんなおきゃくさんがきたの。おじさんだったよ。

 わたしはお家にかくれてたんだけど、きこえたんだ。

 その人“だんなさまが、ふせっておいでで……”って、パパにいってた。

 そしたらパパ、ものすごくおこったの。こわかったんだから」

「そう……」

さらりと言葉を返されて戸惑ったエリカは、それだけ言って視線を遠くに投げました。そして、もしかしてこれって聞いちゃいけなかったのかも……なんて、少し後悔しました。

そんなエリカの動揺など露知らず、コニーは何かを思い出したのか、真剣な目をして言いました。ぴっ、と人差し指を立てて。

「だから、パパは“だんなさま”っていうのがキライなんだとおもうの。

 ぜっったい、パパのまえで言わないでね、エリカちゃん」

「は、はい」

まさか「すでに耳を塞がれるほど連呼してきました」なんて言えません。

幼児にお説教をされたエリカは、とにかく頷くしかありませんでした。



それからは他愛もない話をして、2人はようやく市場に辿りつきました。ものすごく大きなテントの入り口に“7番街市場”と書いてあります。

「わ……!」

市場の中に入ったエリカは、並んだ店の多さに感嘆の声を漏らしました。

数本の通りに沿って、八百屋や乾物屋が並んでいます。中にはお菓子を売っている店もあるのか、甘くていい匂いが漂ってきます。


なんて素敵な所なんだ、と感動していると、コニーがエリカの手を引っ張りました。

「ええっとね、おマメやさんはあっち。

 で……やさいとくだもののお店は、あっちだよ」

ぼんやりしていたエリカを現実に引き戻したコニーは、小さな手で指差しました。けれどエリカの視線は、どう見ても指差した方向に向いていません。

「ちょっと、エリカちゃん?

 よそ見しちゃダメ、まいごになっちゃうよ!」

エリカの背中をてしてし叩いて、コニーは繋いだ手を力いっぱい引っ張りました。








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