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崖っぷちのシロツメクサ 2








憧れの豪奢な馬車に乗ってお姫様気分を堪能したコニーは、目の前に広がる光景に思わず足を止めました。感激しすぎて、言葉も出ないようです。


そんなコニーを、マーガレットが立ち上がって出迎えました。

「おかえりなさい、コニーちゃん。

 今日はここでお昼にしましょ」

手招きする彼女の前には、チェックの布が掛けられたテーブルがあります。その上に並ぶのは、良い匂いを漂わせる料理たち。どれもこれも美味しそうです。

「やったぁ!」

ぴょんぴょん跳ねたコニーが、手招きするマーガレットに駆け寄りました。夏に差し掛かった空には雲ひとつなく、降り注ぐ日差しを受けるパラソルの細工がキラキラと輝いています。


駆けてくるコニーの姿がなんだか微笑ましくも眩しくて、エリカは思わず目を細めました。その軽やかに弾む声が響くだけで、爽やかな風を感じられそうです。

宮殿での最後の食事になるのだから……と、マーガレットが屋外で昼食をとろうと言い出した時こそ戸惑いはしたものの、喜んでいるコニーを見ていると準備してよかったと思えます。

ところが、テーブルにぶつかる勢いで駆けこんできたコニーが、エリカの前で足を止めました。その瞳は何かを考えているらしく、右に左に揺れています。

「――――エリカちゃんは……?」


いつもなら迷う素振りも見せずに物を言う彼女が遠慮がちにしているのを見て、エリカは一瞬言葉に詰まってしまいました。後ろめたいような、なんとも表現しがたい気分になって。

「あ、うん……」

エリカは曖昧に頷きながら、慌てて笑みを浮かべました。ちょっと頬が引き攣っている気もして、なんとなく誤魔化すように椅子を引きます。

すると、ふいにマーガレットが言いました。

「みんなでいただきましょ。

 エリカもクレイグさんも、リチャードもいっしょに」

「うんっ」

彼女の言葉に、コニーの顔がぱっと明るくなります。

その様子を見たエリカは、こっそり安堵の息を零しました。そして何気なく視線を巡らせて、はっと息を飲みました。クレイグの目が、自分に向けられていることに気がついて。




食器の立てる音と鳥のさえずりが耳に心地よく響くなか、コニーは口を大きく開けてサンドイッチにかぶりつきました。その小さな口から、パン屑がぽろぽろ零れていきます。

「あらら」

「ふえ?」

笑みを浮かべて呟いたマーガレットが、コニーの口に付いたソースを拭ってやろうと手を伸ばしました。そして、その隣でカップを手に動きを止めているエリカに視線を投げます。

「……エリカ? どうかした?」


息をするのにも気を遣っていたエリカは、唐突にかけられた言葉に肩を揺らしました。カップの中身が静かに波打ちます。

「えっ、あ……ううん。

 どうもしてないよ」

カップから何も溢れていないのを確認した彼女は、そっと溜めていた息を吐き出しました。

そんな彼女を見て、マーガレットも内心で溜息をつきます。だって、エリカは昼食の席についてからずっとカップを持ったままなのです。まるで何かに緊張したように固まって。だからマーガレットは、何でもなく振る舞おうとするエリカの姿に半ば呆れてしまったのでした。

「……そう?

 それならいいんだけど……」

マーガレットが追及してこないことに気づいたエリカは、ほっとして肩から力を抜きました。掴まるようにして持っていたカップを口に付ければ、温いを通り過ぎて冷たくなってしまったお茶が喉を通っていきます。


冷めたお茶で少し冷静になったエリカは、内心で盛大な溜息を吐き出してから、テーブルの上の果物に手を伸ばしました。

本当はサンドイッチを食べたいけれど、仕方ありません。だって、サンドイッチの乗った大皿に手を伸ばす勇気はないのです。

切り分けられ、綺麗に盛りつけられた果物の中から葡萄を取ったエリカは、思い切って視線を持ち上げました。

するとその瞬間、クレイグがエリカの方を向きました。

ぱちっ、と視線がぶつかります。


慌てて視線を逸らしたエリカは、睨まれるようなことをした覚えはないんだけどなぁ……と心の中で呟きました。

一度、ふと目が合ってからずっとこの調子なのです。なんとなく顔を上げたら、リチャードに話しかけようと振り向いたら、サンドイッチを取ろうかと視線を投げたら……と、数えたらキリがありません。

そういうわけで、目が合うたびに強い視線に晒されたエリカは、どうしたらいいのか分からずにカップの中身を見つめていたのでした。

話したいことも聞きたいこともあるのに、と胸の内で零しながら。




エリカがクレイグの視線から逃げるように果物を飲み下した頃、マーガレットが言いました。

「そういえばね、今日は特別なデザートがあるの」

そのひと言に反応したのは、もちろんコニーです。彼女は飛び上がる勢いで喜んで、目をキラキラさせました。

すると、向かいに座っていたリチャードが腰を浮かします。もとより彼は、“今のところは”皇女殿下の従者なのです。マーガレットと同じ席についているなんて本来は許されません。

「では、準備を……」

ところが彼が言いかけたところで、マーガレットの声が飛んできました。

「リチャードもたまには休んでよ。

 今日だけは、ここにいる皆で食後のお茶を飲みましょ」

にっこり微笑んだ顔は見惚れてしまうほど美しいというのに、目が全然笑っていません。有無を言わさぬ、という表現がぴったりです。

主人のそんな顔を目の前にしたリチャードは何か言おうとしたものの、ぐっと喉に声を詰まらせてしまったのでした。やはり長年の上下関係は、そう簡単には打ち破れないようです。……それも、あと少しの辛抱ではありますが。


嬉しいけれど落ち着かない気分のリチャードが溜息混じりに腰を下ろした時、マーガレットが再び口を開きました。

「まあ、そういうことなので。

 準備は使用人に任せて、少し散歩に出かけましょ」

ちょっと食べすぎちゃったし、と付け加えたマーガレットが立ち上がろうとしたところで、リチャードが席を立ちました。

それを見ていたコニーが小首を傾げます。

「おさんぽ?」

「ええ、一緒に行ってくれないかしら。

 コニーちゃんに見せたい場所があるの。

 バラ園なんだけど、お花のトンネルがあってね……」

「おはなのトンネルー?!」

頷いたマーガレットの言葉は、コニーの好奇心をおおいに刺激したようです。彼女は目を輝かせて、父親とエリカに言いました。

「みんなでいこー!」


ところが、マーガレットがコニーに耳打ちします。

「でもね、コニーちゃんにだけ教えてあげたいの。

 クレイグさんとエリカはお留守番でもいいかしら」

魅力的な誘い文句と、ふたりを置いていく後ろめたさ。その両方を感じたコニーは、すぐに頷くことが出来ずに視線を彷徨わせました。

すると、クレイグがマーガレットに言いました。

「……私もご一緒します。

 コニーから目を離すのは、まだ心配ですから……」

その言葉を聞くや否や、エリカは手を振ります。

「わ、私は疲れちゃったから留守番してようかな」

けれどマーガレットは目元に意味ありげな笑みを浮かべて、エリカを一瞥しただけで。クレイグを見遣ると、小首を傾げて言いました。

「――――それならやっぱり、クレイグさんは残って下さいませんか。

 エリカの体調があまり優れないようですし。ね?」



「パパとエリカちゃん、だいじょーぶかなぁ……?

 おるすばん、さみしくないかな……」

リチャードとマーガレットに両手を繋いでもらったコニーは、少し歩いたところで呟きました。なんだか足取りも少し重たくなっているような気がします。

すると、マーガレットが溜息混じりに言いました。

「そうねぇ……。

 あのふたりは、たぶん崖っぷちに立たないと動かないのよ」

「がけっぷち?」

自分の心配とは関係のなさそうな言葉に、コニーは思わず小首を傾げました。

「……そう、崖っぷち。意地っ張りだから仕方ないのかもね。

 ぎこちなく見つめ合うくせに、思わず目を逸らしちゃったりして。

 ほんとにもう、じれったいのよねぇ」

「メグ、子どもに聞かせる話じゃないだろ」

短気で強気な皇女様がぷりぷりしながら言葉を並べるのを聞いていた従者は、苦笑混じりに窘めます。そして、そっと呟きました。

「……まあ、言いたくなる気持ちは分かるが」

大人たちの会話に、コニーはただ小首を傾げたのでした。






何人かの使用人が入れ替わり立ち替わり、テーブルの上を片付けていきます。室内ではワゴンを使っていましたが、今日ばかりは人の手で全てをまかなわなくてはならないのです。彼らは忙しそうに、でも注意深く動きまわっています。

目の前から空になったお皿が次々に消えていくのを見つめていたエリカは、静かに息を吐き出しました。溜息だと気づかれないように、そっと。

「ご……ごめんなさい。メグお姉ちゃんたら強引なんだから……」


ぽつりと零れた言葉に、クレイグは視線を戻しました。コニーが意気揚々と歩いていった方を見つめて、いろいろと心配していたのです。主に、興奮した彼女が何かやらかさないか、という心配をですが。

「いや、それは構わないんだ。

 コニーが迷惑をかけないか心配なだけだから……」

目の前で視線を彷徨わせているエリカに、クレイグは言いました。

「それより、大丈夫なのか?」


「――――え?」

唐突に尋ねられて、エリカはきょとんと小首を傾げました。一体何の話になっているんだろう、と思ったのです。

するとクレイグが、眉間にしわを寄せて言いました。

「寒気でもするのかい?

 ずっとお茶を啜っていたみたいだし……食欲もないのか?」

風邪でも引いたかと心配し始めた彼の言葉に、エリカは慌てて手を振ります。そういえば、“疲れたから休んでる”と言ったのでした。

「いえっ、大丈夫です。お腹は空いてます!」

なんだか可笑しな返答をした彼女が、その可笑しさに気づいて顔を赤くしました。お腹が空いていたら、およそ体調は悪くないように聴こえるのではないか、と。

そんな彼女の様子を見て、クレイグの表情がますます曇ります。まさか熱でもあるんじゃないか、と思ったのです。

クレイグは食器を片づけている使用人のひとりに声をかけて、毛布か何かを持ってきてくれるように頼みました。




「お待たせいたしました」

クレイグが声をかけた使用人が、すぐに毛布を持って戻ってきました。

「ああ、すまない」

表情を和らげた彼は毛布を受け取ると、立ち上がってエリカのそばに膝をつきました。そして、彼女の顔を覗き込むようにして見つめます。やっぱり少し、頬のあたりが赤いようです。


目の前で膝をついたクレイグに驚いたエリカは、思わず息を飲んでしまいました。突然のことに、下から顔を覗きこまれても、もう気まずさに目を逸らす余裕もありません。

「少し離れた所に移ろう、エリカ。

 ここじゃ人の出入りがあって騒がしいからね。歩けるかい?

 辛かったら抱き上げて運ぶけど……」

「平気ですっ」

ただ瞬きをくり返すばかりだった彼女は、その言葉に勢いよく立ち上がりました。仮病なのに、そこまでしてもらっては天罰が下りそうです。

ところが、いきなり立ち上がったものだから目の前がくらりと傾きました。

「……あ……っ」

思わず呻いたエリカの足がよろめきます。ぶつかったテーブルの上で、残されていたワイングラスが倒れて転がっています。

クレイグは、咄嗟に伸ばした手で彼女の腰を支えて思いました。やっぱり、エリカをひとりにしておくのは心配かも知れない……と。









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