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蔦も根を張る意地っぱり 4








文字通り瞳を輝かせたコニーが言いました。

「すっ……ごぉぉぉいっ!」


勢いよく駆け出しそうになるコニーを、クレイグが慌てて抱き上げました。

怖いもの知らずの子どもに驚いた馬が暴れでもしたら大変です。コニーはもちろんのことですが、その馬が引いている車の中におわすであろう御方に何かあったら、只事では済まされません。

最悪な想像をしたクレイグは、興奮気味の娘を抱く腕に力を入れ直しました。



「――――間に合ったか」

いつの間にか隣に並んでいたらしいリチャードが、ぽつりと呟きました。

それに反応したのは、もちろんコニーです。

「あっ、リチャくんだぁー」

無邪気な声に笑みを零したリチャードは、伸ばされた小さな手に軽く触れてから言いました。

「コニー、気を付けた方がいい。

 馬は怖がりな動物だ。

 大きな声も急な動きも、馬の周りでは絶対に駄目だ」

穏やかに言いつつも首を振ったリチャードの目を見つめたコニーは、口を開けたまま頷きました。雰囲気に気圧されてしまったようです。


よく分からないながらもコニーが“おとなしくしてよう”と心に決めるのと同時に、クレイグはそろりと目を動かしました。

その視線の先にいるのは、今朝から顔つきが穏やかになった従者です。朝食の前に事情は聞きましたが、なんだかまだ信じられないままで。急展開もいいところです。


クレイグは、娘の子どもらしく遠慮のない手にも戸惑わなかった従者を見て口を開きました。

「……ずいぶん長いこと世話になってしまったな。

 仕事を増やしてしまって、申し訳ない」

するとリチャードが、おとなしくなったコニーから視線を剥がしてクレイグに向き直りました。そして頭を振った彼は、おもむろに言葉を紡ぎ始めました。

「いや、世話になったのはこちらの方だ。

 恩があるといってもいい」

「……恩?」

何のことだろう……と胸の内で首を捻りながら、クレイグは呟きます。

リチャードは、いまいち腑に落ちない様子のクレイグを見て口の端を持ち上げました。

「俺がメグと一緒になれるのはコニーのおかげだと思ってる。

 メグのために、陛下に願い事をしてくれたから」

自分の名前が聴こえて、コニーが無言で小首を傾げます。いつものように食いつかないのは、さっき注意されたばかりだからでしょうか。

クレイグは内心で苦笑を浮かべながら、静かにしている我が子を見遣って言いました。

「いいことをしたね、コニー」

褒められたのだと分かったらしいコニーの顔が、ぱっと輝きます。

ところが、彼女は眉を八の字にして呟きました。その視線は、馬の尻尾のように揺れています。

「もう、おねがいダメかなぁ……?

 エリカちゃんもいっしょに、おうち……」


しょんぼりと萎むように零された言葉を聞いたリチャードが、訝しげに眉根を寄せました。

「彼女は一緒じゃないのか」

午後にでも靴屋に戻る、と聞かされたのは今朝のこと。けれど、それはエリカも一緒なのだろうと思い込んでいたのです。

するとクレイグは、肩を竦めて視線を落としました。

「……どうだろうな」

ぼかした言い方をする彼に、リチャードが声を潜めます。子どもの前で話していいものか、と若干後ろめたい気持ちになりながら。

「それでいいのか……?」

質問には答えずに、クレイグはコニーを下ろしました。彼は、小さな足が地面を踏みしめたのを見届けて、そっと腕をほどきました。


コニーは少しの間、不思議そうに父親の顔を見上げていましたが、すぐに駆けだしました。馬車から皇帝陛下が降りてくるのが見えたからです。

「おじいさーん!」と高貴な御方に遠慮のない声をかけて駆け寄る娘の背中を目で追いながら、クレイグは口元を歪めました。

「……言えた立場じゃないだろ」








「――――え?」

マーガレットはその言葉を聞いた瞬間に、カップを持ち上げている格好のまま固まってしまいました。傾きかけたカップからは、淹れたてのお茶が零れてしまいそうです。

彼女はそんなことには構いもせず、目の前で俯いているエリカの顔を覗き込みました。

「クレイグさんが、そう言ったの?

 もう自由なんだから靴屋にいる必要もない、って?」

思わず語気を強めたマーガレットは、何も言わないエリカを見つめてからカップを置きました。皇女様らしからぬ所作に、動揺が滲みます。

彼女は、ただ視線を彷徨わせるエリカに痺れを切らせて質問を重ねました。

「靴屋を出て行け、ってこと?

 そう言われたの?」

エリカが弾かれたように顔を上げます。そしてすぐに苦い表情を浮かべた彼女は、小さく首を振りました。

「そんなこと言われてない」

「じゃあどうして……。

 クレイグさんとコニーちゃんと、一緒に暮らしたくはないの?」

この際だ、とマーガレットは思い切って尋ねました。今この場で遠まわしに聞き出していたら、きっとすぐに午後になってしまいます。昼食を一緒にとって荷物をまとめたら、クレイグとコニーは出て行ってしまうのです。


「それは……」

エリカの視線が彷徨って、静かに落ちていきました。この気持ちは、言いたくても言ってはいけないような気がしたのです。

「家族でもない私が一緒に暮らすなんて、図々しいもの」

結局沈んだ声で、エリカは言葉を紡ぎました。

「今なら分かるんだ。

 私、クレイグさん達に迷惑かけてるって分かってたのに甘えてた。

 ……優しくしてもらって、勘違いしてたんだと思う。

 ローグの靴屋さんは、孤児院でもなんでもないのにね」


おもむろに立ち上がったマーガレットが、エリカの隣に腰を下ろします。彼女は、エリカの手を握って思い切り息を吸い込みました。今こそ、この台詞を言うべきだと思いながら。

「他人同士が一緒に暮らすために出来ること、あるでしょ」

「――――え?」

すぐに理解出来なかったエリカは、思わず声を零しました。

するとマーガレットが、ここぞとばかりに言い募ります。

「結婚よ。他人同士が家族になる、それが結婚」

くっきりはっきり言い放たれた言葉を聞いて、エリカの目が見開かれました。驚いて声も出ないようです。


「……な、なな……なん……っ」

ようやくマーガレットの言いたいことを理解したエリカは、慌てふためきました。飛びのいて、ソファから落っこちそうです。

「あらららー……」

大いに取り乱す幼馴染を前に、マーガレットは小さく噴き出しました。真面目な話をしているのは分かっているので、なんとか堪えようと思ったけれどダメだったようです。

申し訳ないと思いつつも、彼女は笑みを深めました。笑われた恥ずかしさで口を尖らせるエリカの顔が、リンゴのようだったから。

「プロポーズしちゃえばいいのよ。エリカが。クレイグさんに」

エリカは、すらすらと、とんでもないことを口走ったマーガレットを凝視しました。開いた口が塞がらないとはこのことです。

「そんなの無理に決まってる」

彼女はあんぐり開いてしまった口をやっとの思いで閉じると、静かに首を振りました。そして、痛みを堪えるように唇を噛みしめてから、息をゆっくりと吸い込みました。

「だって……クレイグさんには、レイニーさんがいるもの」

「レイニーさん?

 誰なの、それ」

初めて聞く女性の名前に、マーガレットは訝しげに眉根を寄せました。

するとエリカが、小さな声で言います。

「私も、誰なのかは知らないの。

 でもクレイグさんが寝言で……」

「――――はぁぁ?!」

エリカのひと言は、マーガレットを絶叫させました。まったく皇女様らしからぬ素っ頓狂な声が、窓の外に響き渡ります。こだままで聴こえてきそうです。


「寝言って……あの寝言よね?

 寝てる間にむにゃむにゃ言っちゃう、あの寝言」

がっくり肩を落としたマーガレットは、自分でも思いました。皇女らしからぬ、と。リチャードがこの場にいなくて、よかったかも知れません。がっかりするかも、ではなく、お小言の雨が降るかも知れない、という意味で。

視線を落としたエリカは、幼馴染の様子がなんだか可笑しいことにも気づきませんでした。だから、自分が呆れ顔で見つめられていることになんて、全然気がつかなかったようです。


「あのねぇ、エリカ。夢なんていい加減なものよ?

 クレイグさんが昔飼ってた犬の名前かも知れないじゃない」

呆れた表情から一転、マーガレットは肩を竦めます。

転がっていた小石を蹴るような軽さの物言いに、エリカは言葉に詰まってしまいました。唸るような声が、かすかに口から零れるだけで。

「それとも家のどこかで他の女性の気配を感じたりしたわけ?

 写真があったとかアクセサリーの類が置いてあったとか。どうなの?」

マーガレットは、言葉を失ったエリカに言いました。ぽんぽんと、勢いよく。

「なっ、ないけどっ」

気圧された彼女は、ぷるぷる首を振るばかりで。ただひと言を口から押し出すので精一杯なのでした。









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