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小瓶にはタンポポを 2









相談員の手が、見惚れてしまうほどの華麗さで書類をさばいていきます。のんびりもったりした口調からは想像出来ない、嘘みたいな素早さで。

エリカは、彼女の動きを驚きをもって見つめていました。名前について全く掘り下げられずに済んだことに、胸を撫で下ろしつつ。



「えーっと……ですねー。

 バルフェルさんの条件ですと、ご紹介出来るのはこのへんですねぇ」

そう言った相談員が、ぱささ、と書類を広げていきます。

いくつか並べられた求人票のひとつを手に取ったエリカは、別のものに手を伸ばしました。そして、小さく唸りました。

「あのぉ……」

「んー……そうなんですよねー」

控えめに尋ねようとしたところで、相談員がはにかみます。困ったような笑みを乗せた唇が、ほんの少し尖りました。

「ご要望ですと、えーっと……使用人志望ってことですが……。

 どこかのお屋敷で働くには、それなりのコネが必要ですよねー」

「こね……こねこ……?」

なんのこっちゃです。

さっぱり意味が分からなくて、エリカは小首を傾げました。

ところが彼女はその意味を教えてくれるどころか、頬を引き攣らせて愛想笑いを浮かべているではありませんか。

それはそうです。彼女にしてみれば、真面目な話の最中にすっとぼけられても全然面白くありません。まだ若いのに大変そうだ、と同情してたくさん求人票を引っ張り出してきたのに。

おっとりもったりしている割に、ちょっとばかり沸点の低い相談員はエリカの態度に目をつり上げて言いました。

「コネですよ、コネ。ツテ。人脈っ。

 リッチな家の人と知り合い、って人が紹介してくれないと働けないんですっ」

分かったかこのやろう、と言わんばかりの勢いの相談員に、エリカの腰が引けてきます。こちらはこちらで、どうして相手が不機嫌なのかよく分からないのです。

「わ、分かりました……!」

慌てたエリカがこくこく頷けば、ひとまず気を落ちつけたらしい相談員が「分かればいいんですよ」と鼻息荒く頬杖をつきました。




ややあって我に返った相談員は、咳払いをして居住まいを正しました。利用者の言動にいちいち反応していては、この仕事は務まらないのを思い出したのです。

気を取り直した彼女は言いました。

「えー……っと……ですね」

エリカは無言で頷いて、その先を待っています。ここには仕事を求めてやって来たのです。だからよく知らない言葉については、靴屋に戻ってからクレイグに尋ねてみることにしました。

相手が神妙な顔をしているのを確認した相談員の手が、再び書類の束をパラパラ捲り始めました。けれど今度は、どれにも目を留めることはありませんでした。

彼女は溜息混じりに言いました。

「バルフェルさんの条件ですとー……うん。

 やっぱり、ここに提示した求人しかないですね」

これでも多い方なんですよー、と付け足されて、エリカはまじまじと求人票を覗き込みます。そこには“お昼まで寝ていられます”“綺麗な職場です”“未経験者歓迎、簡単なお仕事です”とか、そんなキャッチフレーズが書き込まれていました。

お昼まで寝ていられて、綺麗な場所で、簡単な仕事をするだなんて。にわかには信じられないようなことばかりです。

勤務地の欄には、“食事処 亀の甲羅亭”“呑み屋 おかわり”などなど、それだけ見ても何がなんだか全然さっぱり。

身近でない言葉ばかりの羅列に、エリカは内心首を捻るしかありませんでした。そして、少しの間真剣に求人票を読む振りをしてから、口を開きました。










ガラン……。


クレイグは控えめに鳴ったドアベルの音に気づいて、慌てて工房の椅子に腰を下ろしました。そして適当に、木型や縫いかけの革を机に並べます。

見遣れば、時計の針は11時半を少し回ったところです。彼女が出て行ってから、まだほんの数時間しか経っていません。

もう帰って来たのか。いや、よく無事に行って帰って来た。そんな台詞が、“本当に大丈夫か”という言葉ばかりで占められていた彼の頭の中に、浮かんでは消えていきます。

その時です。

「――――ただいま戻りました」

ドアベル同様控えめな声が響きました。

クレイグは咄嗟に、手近にあった靴の木型を握り締めました。


「クレイグさん……?」

その声が聴こえるのと同時に、黒い頭がひょっこり現れました。エリカです。

「……ああ」

おかえり、早かったね、そんな言葉が頭の片隅に浮かぶのに、クレイグは、ついぶっきらぼうな返事をしてしまいました。きつく握った木型が悲鳴を上げていますが、もはや彼の耳には届かないようです。

エリカはそんな彼の顔色を窺うようにして、口を開きました。

「お仕事の邪魔をしてすみません。

 入っても大丈夫ですか……?」

この子はまた、おかしなことを。ここを通らなければ、居間には行けないのに。

そう思ったクレイグは、無意識のうちに答えていました。

「ああ」

「お、お邪魔します」

エリカは勇気を出して、工房に足を踏み入れました。

クレイグの声が硬いのは気になりますが、紹介所でもらってきた求人について早速相談したいのが正直なところです。彼が本当は自分のことを置いておきたくないと思っていることは、彼女もなんとなく分かっています。でも、今のところ他に頼れる人がいないのです。


促されるままエリカが椅子に腰かけると、クレイグはおもむろに口を開きました。

「何か、いい仕事は見つかりそうかい?」

「……え、えと……」

話そうと思っていたことを先に言われて言葉に詰まったエリカは、コニーに借りたポシェットの中から折り畳んだ紙を取り出しました。そしてそれを作業台の上に開いて並べていきます。


すると目の前に並べられた求人票の写しに目を通したクレイグの目が、一瞬にして険しくなりました。

「――――君は、このテの仕事がしたいのか」

ものすごく低い声で威嚇するように言われて、エリカは顔を強張らせるしかありませんでした。違うんです、と言いたいのに唇が縫い付けられたように動きません。かろうじて、「ひ……っ」という情けない呼吸音が出ただけで。

そんなエリカを見て、クレイグは沈痛な面持ちになりました。

「たしかに稼ぎはいいだろうが……。

 君はもっと他に出来ることがあるだろう」

呟いた彼が、俯いてこめかみを揉んでいます。今だ、と察したエリカは、思い切り息を吸い込んで口を開きました。

「こっ、こういうのしか紹介出来ないと言われましてっ」

慌て過ぎて裏返った声、びしっと伸ばした背筋。上官に報告をする警備隊員のようです。いえ、組んだままぷるぷる震える両手は、熊に襲われて神様に祈りを捧げる村人のようでもありました。


心の中で半べそをかいたエリカは、なおも言い募ります。

「わたっ、私の条件だと仕方ないみたいでっ、その、そのっ」

おっとりもったりした相談員の彼女に告げられた通りの説明をしようとしたら、クレイグが、ガバっと顔を上げました。

驚いたエリカが思わず仰け反った瞬間に、彼の口から呟きが零れました。

「条件……って、まさか……」

「はい?」

エリカは何も考えずに、クレイグの呟きに小首を傾げます。

すると彼は、昨日から何度目になるか分からない難しい顔をしました。

「君、歳は?」

「え?

 この間19になりましたけど……」

そのひと言を聞いた途端に、クレイグが天を仰ぎました。

どうしてでしょう。働くのに幼いわけではないはずです。14歳の頃には、養父母の口から「これでお前も大人だ」と言われた記憶があるのですが。エリカは不思議に思って、さらに小首を傾げます。

すると彼は、溜息混じりに話し始めました。


「いいかい、エリカ」

口を開いたクレイグは、彼女を女性として認識するのをやめました。いろいろあって女性と関わりたくない彼でしたが、子どもは別です。時々オンナらしい言動をする愛娘だって、子どもなのですから。

だから、夜間だけ営業する飲食店の求人票を数枚もらって帰り、今もクレイグの顔を見てぽけぽけしているエリカには、言い聞かせるように言葉を選ぶことにしました。

「よく聞いて。

 君の年齢だと、まっとうな仕事を得るには親の保証が必要なことが多い」

「え」

エリカは、クレイグの言葉にぽかんと口を開けました。とても間抜けです。

だって、仕方なかったのです。

“保護者同伴の面接があった場合、対応出来ます”という項目に同意するなんて出来ません。養父母から逃げるために家を出たのですから。

それなのにまさか、養父母の助けがなければ思うような仕事を手に入れられないなんて。保護者同伴の面接が必須だなんて、まさに青天の霹靂。


「ああもう……」

そう呟いて、クレイグは溜息をつきました。つくしか、ありませんでした。

職を得るために必要な知識くらいは、家庭教師が教えているとばかり思っていたのです。自分がわざわざ、イチから教える必要はない、と。

「あのね、エリカ」

彼はさらに口調を穏やかにして続けます。

「絶対のルールではないけど、そうしてる雇い主がほとんどなんだ。

 いや、20歳を超えれば、親以外を保証人にすることも交渉出来るか。

 じゃなければ……そうだな、未成年でも元雇い主に問い合わせるのを条件に、

 保証人不要になったりもすることも……」

言葉の半分を自分に向けて呟くクレイグを見て、エリカはパチンと手を叩きました。とてもいい考えがひらめいたのです。

「私っ、このなかのどれかで20歳になるまで頑張ってみます!

 そうしたらこれ以上、クレイグさんにご迷惑かけ」

「エリカ」

冷たい声が、エリカの口から言葉を奪いました。

ぐ、と喉の奥に言葉を詰まらせ口元を歪めた彼女に、クレイグは溜息混じりに言いました。泣かれるのは苦手なのです。女性も子どもも、関係なく。

「分かった。

 そういうことなら――――――」




「え……」

エリカの乾いた唇が動き、掠れた声が零れました。

それに重なるように、正午を告げる鐘の音が辺りに鳴り響きました。









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