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ハイヒールを脱ぎ捨てろ 8








クレイグのところで景気づけにワインをあおったハンスは、その足で舞踏会の会場にやって来ました。入り口で彼に気がついた警備隊員が、軽く会釈をしています。

そんな部下達に片手を上げて挨拶を返した彼は、管弦楽がふんわりと響く広間に足を踏み入れました。人の多さが生むこもった空気のなか、あちこちから談笑する声が聴こえてきます。

彼は、煌びやかに飾り立てた女性達の間を縫うように歩いていきました。その横顔や背中に、溜息や熱のこもった視線を受けながら。

すると、ひな壇の上の豪華な椅子に腰かけているマーガレットが、そんな彼の姿に気づいて立ち上がりました。


立ち上がった彼女の前に膝をついたハンスが、口を開きました。周囲には聴こえないように注意を払うその顔は、クレイグやエリカと食卓についた時とは別人のようです。

「遅くなりました。

 ――――リチャード、警備の方は問題なさそうか?」


マーガレットが頷くのを確認して、ハンスは彼女のうしろに控えているリチャードに尋ねました。少しの間ではありますが、警備の責任者代行をお願いしたのです。

リチャードが頷くのを待って、マーガレットは言いました。申し訳なさそうに、眉を八の字に下げて。

「助かりました、ハンスさん。

 人出を割いてもらっちゃって、申し訳ないけど」


自分が宮殿で好き勝手するのを快く思わない者もいるかも知れない……そう思った彼女は会場の警備を、近衛と警備隊の両方にお願いしたのです。

もしも近衛におかしな者が紛れ込んでいても、ハンスの率いる警備隊員たちなら対処してくれるだろう、という心づもりで。

だけどそれは、帝都の警備をする人数が少しばかり減ってしまうということでもあって。


「……街の警備は大丈夫ですか?

 明日にでも詰め所に、お詫びとお礼を届けさせて下さいね」

「いやいや、気にしないで下さいよ。街は大丈夫。

 見た目麗しいご婦人がウヨウヨ、隊員の目の保養です」

心苦しそうに言ったマーガレットに向かって、ハンスがへらっと笑ってみせます。

それを見たリチャードは、ただ苦い顔をするばかりでした。さっきから、結婚相手を見つけたい年頃の女性達が、へらへらしているハンスに熱い視線を投げていることに気づいていたから。





それまで流れるようだった音楽が、いつの間にか規則正しいリズムをくり返しています。楽団が舞踏会らしく、男女でダンスが出来るような曲を奏で始めたのです。


その時マーガレットは、憂鬱な気持ちで広間の中心を見つめていました。奏でられる音楽が変わったことに気づいても、眉のひとつも動かさず。

シャンパングラスを持って乾杯の挨拶をして、招待客がそれぞれ個別に挨拶にやって来て。その間ずっと愛想笑いを続けて、ほとほと疲れてしまったのです。

「はぁー……ほっぺた痛い……」

型押ししたような笑みを浮かべたまま彼女が呟くと、うしろに控えているリチャードが溜息混じりに囁きました。

「……マーガレット様。

 作り笑いに、虫が寄って来ましたよ」


耳がその言葉を拾ったのと同時に、彼女の目の前にひとりの青年がやって来ました。その人はひな壇の手前で膝をつくと、静かに頭を垂れます。

マーガレットは彼のつむじを見つめて、そういえば早々に挨拶に来た気がするけど誰だっけ……などと思いながら、息を吸い込みました。

「どうぞ顔を上げて。

 今夜は皆さんと友人になるための舞踏会なのですし……ね?」

すると彼は、おずおずと顔を上げました。にっこり微笑む表情が、なんだかどこかの警備隊副隊長に似ている気がします。

「では、お言葉に甘えて……踊っていただけますか?

 ――――その、友人のひとりとして」

「それは、もちろん。喜んで……?」

マーガレットは首を傾げながら答えました。青年の口元が、若干引き攣っていたから。

なんか変だ、と思いながらも、彼女に気づく気配はありません。青年を射抜くように見据えている、忠実ではない従者の視線に棘が含まれていることになんて。



マーガレットが差し出された手を取って立ち上がった瞬間、広間の中心から人の波が引いていきました。なんとなく場違いな気分を味わいながら、彼女は素直に青年に歩調を合わせます。

そうして彼女は、ぽっかり空けられた場所にエスコートされながら耳打ちしました。

「すっかり忘れていました。

 わたしが踊らないと、お客様も踊れないんだったわ……」

「ええ」

苦笑混じりになった青年が、かすかに頷きます。

「すみません、私では役不足かも知れませんが……」

腰に手を回しながら囁かれて、マーガレットはふるふると首を振りました。ダンスのために体が密着するのは構わないけれど、ダンスをしているところを注目されるのはどうにも落ち着かないのです。

だから彼女は、少し早口になって言いました。

「そんなことないわ、声をかけて下さって助かりました。

 ありがとうございます」




曲に合わせてステップを踏みながら、マーガレットは思わず愚痴を零しました。

「あー……視線が痛い……」

本当に思わず、自然に口をついて出てしまった言葉で。彼女は慌てて口を閉じましたが、青年はくすくすと笑みを漏らしました。

「そうですか?」

やっぱり聴こえてたか、と胸の中で溜息混じりに呟いたマーガレットは、こっそり耳打ちしました。その間にも、ふたりの足は揃ってステップを踏んでいます。

「こういうの苦手なの。

 自分でも思うわ。皇女様向きの性格じゃない、って」

そこまで言って、マーガレットは「あ」と声を漏らしました。青年の気安い雰囲気に、つい自分の言葉が砕けていることに気づいたのです。

彼女は申し訳なさそうに言いました。

「ごめんなさい、ちょっと馴れ馴れしいですね」

「――――まさか」

青年は苦笑を浮かべて囁きました。

「では、友人のひとりに加えていただけたと思ってもいいですか?」

「もちろん!」

友人、という言葉に嬉しくなったマーガレットは笑みを浮かべて頷きました。いつの間にかその頬からは、作り笑いの痛みが消えていたのでした。


それから順調にふたりがダンスをしていると、ふいに音が止みました。そして、周りを取り囲んでいた群衆が一斉に拍手をします。

1曲目が終わったのだと気づいたマーガレットは、その時、自分が思いのほかダンスを楽しんでいたことにも気がついたのでした。

青年が手を離し、一歩距離をとります。

彼女は、彼が何か言うよりも早く口を開きました。

「ありがとう、楽しかった。

 ええと……あなたのことは、何とお呼びしたらいいかしら?」

すると青年は少し驚いたような顔をしてから、すぐに笑みを浮かべて耳打ちしました。

「では、ウィルと呼んで下さい」

「ウィルね。わかった。

 わたしのことはメグ、と。

 また今度、ゆっくりお話出来たら嬉しいわ。

 あ、もちろん友人としてね」

そう言ったマーガレットは、とても良い気分で最初のダンスを終えたのでした。



ウィルと名乗った青年が人の波に消え、ほどなくして2曲目の演奏が始まります。それぞれパートナーを見つけた男女が最初のステップを踏み出そうとしているのを見たマーガレットは、ひな壇の上に戻ろうと踵を返しました。

すると彼女の行く手を塞ぐようにして、ひとりの青年が現れました。

「皇女様、まだ踊れますよね?

 今度は私の相手をお願いしますよ」


マーガレットは思わず首を捻りました。もちろん心の中で。それでも隠しきれない表情は、眉間にくっきり浮かんでしまっていますが。

彼女は思いました。“私の相手”とは、なんと失礼な奴なんだろうか、と。

決して、現在の自分の身分を鼻にかけているわけではないのです。ただ、こういう場に招かれる者の一般常識として。普通は、男性は女性に選ばれる立場である、と教わるはずです。それをそのまま街に持って出ると痛い目に遭うのですが、そこはそれです。

さきほどのウィルがそうしたように、恭しく手でも差し出してくれたら、まだ迷えるかも知れませんが……。


「――――ごめんなさい。1曲踊って足が痛くなってしまって。

 わたしでなくても、貴方と踊りたい女性はいらっしゃるでしょう」

彼女は出来る限り優しく、やんわり断りました。断ったと、自分では思ったのです。

ところが、その青年はマーガレットに向かって手を伸ばしました。がっしりした手が、白くてほっそりとした腕を乱暴に掴みます。

宮殿住まいだとはいえ、彼女は他の皇女様とは違ってずいぶんと健康的な肌の色をしているはずでした。けれど、青年の腕と比べると透けるような白さにすら感じられます。

なんとなく背中が寒くなったマーガレットは、咄嗟に手を振りほどこうとしました。

すると青年は、薄ら笑いを浮かべて掴んだ腕を引き寄せました。


ひっ、と喉の奥で息を飲んだ音がしました。同時に、がくん、と頭が揺れます。

抗いようのない力に引き寄せられたマーガレットは、揺れた視界を元に戻そうと、頭を軽く振って瞬きをしました。

そして、自分がかなり強引にダンスの相手をさせられていることに気づいたのでした。


「ちょっ……放して!」

慌てたマーガレットは、咄嗟に声を上げました。ただし、小声で。

だって仕方ないのです。本当は脛を思い切り蹴り上げてやりたいところですが、主催者がひと暴れして場を白けさせるだなんて、聞いたことがありません前代未聞です。

だから彼女は仕方なく、精一杯声を張り上げました。やっぱり小声で。

「放しなさいってば!」

けれど青年は、しれっと言い放ちました。

「足が痛いなんて嘘じゃないですか。

 皇女様、お人が悪いですよ」

そしてまた、脇腹を押されて強引に方向転換させられます。足を踏ん張ろうとしても、まったくもって歯が立ちません。

彼の言葉と含み笑いの中に嘲りを見つけたような気持ちになって、マーガレットはとうとう耐えられなくなりました。

思い切って、青年の足を軽く踏んづけてみたのです。


その刹那、青年の口から慌てたような声が零れました。

「ぅあっ……?!」


けれど、口の端に笑みを浮かべたマーガレットが本当にしようと思っていたのは、そんなことではありませんでした。

彼女はバランスを崩しかけた青年の足の甲をめがけて、踵を思い切り落としました。つまり、履いていた靴の細くて高さのあるヒールを。


「い゛っ――――!」


断末魔の叫びというにはお粗末な悲鳴が聴こえたかと思えば、青年が踏んづけられた方の足を引き摺ってぴょんぴょん跳ねています。

痛いのも当然です。ウィルの履いていたような、しっかりした革でしっかりした作りの靴ならまだしも、青年が履いているのは、大通りのブティックで若者向けに大量に売られているような、革の薄い、儲けを最優先に考えたものなのですから。

……まあ、誰もピンヒールで踏んづけられることを想定した靴選びをすることはないのでしょうけれど。


マーガレットは、いつの間にかダンスを止めて事の成り行きを見つめている周囲に気づきながらも、さも申し訳なさそうな顔をして小首を傾げました。

「……ごめんなさい、やっぱり足が疲れているみたいです。

 これ以上続けてもご迷惑でしょうから、わたしはこれで」


彼女がそう言って踵を返した時です。

「待てよ……!」

押し殺した声が聴こえたのと同時に、びりびりびり、と布の裂ける音がしました。そして、バラバラと何かの落ちる音も。

どよめきに混じって悲鳴が聴こえました。

どこからか口笛も聴こえてきました。


そしてマーガレットは、振り返った足元にビーズが転がっていることに気づいて首を捻りました。そのビーズは、エリカに縫いつけをお願いしたものに良く似ていたのです。それに自分の周りの人達がどよめいたことも、不思議でなりません。

けれど何が起きたのかは、すぐに察することが出来ました。

故意なのかそうでないのかは分かりませんが、ドレスの背中の部分を破かれたのでしょう。ずるり、とドレスの肩の部分がずり落ちてきましたから。


「な……」

露わになった肩を手で押さえながら、マーガレットは声を零しました。

すると青年が、ただの布に変わり果てたものを床に放り投げます。そして、不敵な笑みを浮かべて言いました。

「今夜はお互い友人になるために開いた舞踏会なんでしょ?

 そんなの、じゃじゃ馬のままでは到底無理な話ですよ皇女様。

 私が結婚して、躾け直してあげましょう。友人達のために」


必要ないほどの大きな声でのひと言に、細かい会話の内容までは分からないながらも、事の成り行きを見守っていたリチャードが動きました。

多少強引にダンスに誘うのはともかく、さすがにドレスを破くのは不敬だとかそういう話ではありません。普通、街で誰かの服を破いたら、即刻警備隊に突きだされるのです。


ところが、青年の斜め上をいく粘着質な言葉に絶句して動けなくなってしまったマーガレットを救ったのは、意外な人でした。

その人は群衆の中から、すいっと抜け出して、彼女の肩に真っ白な布を掛けました。テーブルクロスです。

そしてその人は、わけが分からず混乱するマーガレットをそのままに、青年に向かって口を開きました。思い切り息を吸い込んで、お腹から声を出します。


「躾け直されるのは貴方です!

 皇女様に狼藉を働くなんて笑止千万。

 ……何をしてるんですか警備隊。早く彼を取り押さえなさい!」



その人の言葉に、ようやくマーガレットは我に返ったのでした。

そして、青年に言い放ちました。

「貴方みたいな暴力的な人と友人だなんて、到底無理です。

 警備隊のどなたかに、ぜひ躾け直してもらって下さい」








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