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四つ葉のクローバーに願うこと 6









マーガレットの寝室から、きゃいきゃい騒ぐ声が聴こえてきます。

夕食が終わったあと、舞踏会で着るドレスの試着をするという皇女様が興味津々なコニーと腰の引けたエリカを伴って、寝室に引っ込んだのです。

年齢問わず、女性というものは一般的に着飾ることを楽しむようです。まだ5歳のコニーのはしゃぐ声が、父親とはしては耳に痛いところで。


「いくつでも、女は女か……」

溜息混じりに呟いたクレイグは、気だるげにしながらも木型に丁寧にやすりをかけます。頭の中に残る、浮かない顔をしたエリカの残像も一緒に拭い去るように。







一心不乱にやすりをかけつづけていたクレイグは、ふと人の気配を感じて手を止めました。エリカが戻って来たのかと思ったのです。

ところが、そこにいたのは皇女様の従順でもなさそうな従者のリチャードで。


何を言うでもなく静かに佇むリチャードを訝しげに見上げて、クレイグは言いました。

「何か……?」

声をかけられるまで無言を貫いていた彼が、おもむろに机の上にグラスを置きました。レモンの輪切りが沈んだ、透明な液体がちゃぷんと揺れています。

「少し休むといい」

マーガレットに飲み物を差し出す時とは、えらい違いです。

「……どうも」

それでも無愛想で鉄仮面な男の気遣いなのだと思ったクレイグは、特ににこりともせずに頷きました。コニーに対しては厳しくも優しい父親ですが、元来の彼は他人に愛想を振りまくタイプではないのです。


グラスに手をかけたクレイグは、視線を感じて顔を上げました。飲み物を置いたリチャードが、立ち去らずに佇んでいるからです。

彼が何か言いたそうにしている気がして、クレイグは訝しげにその顔を覗き込みました。

「まだ何か?」

するとリチャードは、視線を左右に振ってから口を開きました。

「……バルフォアの後継ぎのことで、少し」



頷いたクレイグが、やすりをそっと置きます。

「警備隊が動向を監視してくれる、という話ならさっき……。

 それとは、また別の話なのか?」

夕食の前に警備隊の詰め所から戻ったリチャードから聞いた言葉を思い出しながら、彼はグラスに口をつけました。マーガレットの寝室から漏れ聴こえる声が、遠くに聴こえる気がします。

「舞踏会の参加者名簿から、消すことにしたそうだ」

「そんなことが出来るのか……?」

クレイグの口から思わず言葉が零れました。

“誰が”なんて言いません。そんな決定を下せるのは、他ならぬ皇女様しかいないのです。近々開かれる舞踏会は、皇女様のお見合いを兼ねて開催されるのですから。


クレイグの独り言めいた呟きに、リチャードが頷きます。

「市場の何軒かの店から、警備隊に苦情があったらしい。

 ……身なりのいい若い男が店の前で騒いで商売にならない、と」

「何軒か……って、綿飴屋だけじゃないのか……」

散々喚いて背を向けた青年の姿を思い出して、クレイグは半ば呆然と呟きました。レモン水が酸っぱいせいか、顔をしかめたくなってしまいます。

すると無表情のばずのリチャードが、わずかに眉根を寄せました。

「“ローグの靴屋を知っているか”と聞いてまわっていたらしい。

 ……苦情を受けて聞き込みをしていた警備隊から、報告があった。

 マーガレット様は陛下にご報告した上で、参加辞退のお願いをするそうだ」


クレイグは息を飲みました。

その驚きようを見たリチャードが、溜息混じりに言います。

「お願い、という形式だが、実際には“命令”に等しい。

 お願いを無視して参加でもしたら、結果は目に見えている」

「バルフォア家の信用は地に堕ちるだろうな。

 陛下御用達のワインは行き場を失って、商売が立ち行かなくなる」

言葉を引き取って続けたクレイグに、リチャードが頷きました。

「今回のことは目を瞑ることも出来るが、代替わりすることを思えば……」

「遅かれ早かれ、ってやつか」

グラスの中に沈むレモンの輪切りを見つめながら、クレイグが呟きます。

市場で、エリカの義弟の滅茶苦茶ぶりを見ているのです。まだ年若いとはいえ、家名を背負っている自覚のない者が後を継げば、遅かれ早かれ信用を失うことになるだろう……と、彼は思ったのでした。







「――――きれー……!」

瞳をキラキラさせて、コニーが呟きました。見惚れすぎたのか、瞬きするのも忘れているようです。

そんな彼女を横目に、エリカも頷きます。

「うん、すごく似合ってる!」

夏の空のように真っ青なドレスを着たマーガレットが、鏡の中ではにかみました。でもそれは一瞬のことで、彼女はすぐに肩を竦めて言いました。

「ありがとう。

 ……そう言ってもらえると、ドレスを着た自分も好きになれそうよ」


マーガレットの外したティアラやネックレスを、使用人の1人が片付けていきます。そのそばでは、もう1人の使用人がコニーに子ども用のドレスを着せていました。

もちろんコニーは大喜びです。生まれて初めてのドレスにこわごわと触れながらも、その顔はにまにまして緩みきっています。


その様子を少し離れた場所……ベッドの上から眺めて、マーガレットは言いました。

「ねぇ、エリカ」

「なあに?」

何気ない呼びかけに、エリカも何気なく応えます。その目で、コニーのはしゃぎっぷりを追いかけながら。

するとマーガレットが、声を落として囁きました。

「あの話、考えてくれた?」

「……ええっと……」

きょとん、としたエリカは、視線を彷徨わせました。何の話のことか、さっぱり思い当たらなかったのです。

そんな彼女を見ていたマーガレットは、溜息混じりに言いました。

「だから、結婚の話よ。忘れちゃったの?

 わたしが関われば、そう簡単に取り消しには出来ないでしょ?

 皇女様が取り持ってくれた結婚を解消するなんて、前代未聞だもの。

 バルフォア家だって、あなたを連れ戻すことは出来ないわよ」


「でも私……」

エリカは口ごもりました。動悸がして、手のひらに汗が滲みます。

昨日同じ話をした時は、まったくもって現実味がなく。どちらかというと、勢いで出た冗談の類かとも思っていました。

けれど今は、なんだか嫌なのです。それが手段のひとつだと理解していても、なんだか嫌です。どういうわけか、自分でも分かりません。

そんな自分のことで困っているというのに、ソファでうたた寝をしていたクレイグの呟きが何度も何度も頭の中でくり返されて、エリカをさらに困らせます。

あの時の“レイニー”というのは一体誰なの……と、何度心の中で呟いたことでしょう。おかげで、何も知らないクレイグには訝しげにされ、その上これ以上ないくらいに心配されてしまいました。

彼を避けたり、目を逸らしたり。

そんなこと、したいわけがないのに。



言葉を切って俯いたエリカに、マーガレットが口を開きました。

「結婚したくない、ってこと?」

「……なんか、よく分からないの」

エリカは静かに呟きました。

コニーが、ピンク色のひらひらしたドレスを着て振り返りました。そして照れ半分に「かわいいー?」と首を傾げます。

そんな彼女に向かって、エリカは大きく頷きました。口元に笑みを浮かべて。


すると、エリカの横顔を見つめていたマーガレットが、こっそりと胸の中に溜めていた息を落としました。彼女の目には、コニーを見守るエリカの姿がすごく自然に映ったのです。

思えば遠い日の自分も、泣き虫で甘えん坊なエリカに寄り添っていた気がします。


マーガレットが「そっちの白いドレスも着て見せて」と声をかけると、コニーが嬉しそうに頷いて使用人と話し始めます。

それを見届けた彼女は、目を細めていたエリカに言いました。

「誰か気になる人でもいるの?」

“好きな人”よりも、“気になる人”の方がエリカには分かりやすいかも知れない。マーガレットはそう思いました。

そしてその予想は、見事に的中しました。エリカが息を飲んで、目を泳がせたのです。

口をぱくぱくさせるエリカの耳元で、マーガレットが囁きました。

「まさか、クレイグさんじゃないよね?」

「えっ、あっ……えぇっ?」

再び目を泳がせ声を上げるという分かりやすい慌て方に、彼女の口から苦笑が零れます。

逆にここまで分かりやすいと、なんだか心配になってしまいます。変な人に唆されて、貧乏くじを引いてしまうんじゃないかと。

マーガレットは乾いた笑みを口の中に押し込めて、エリカに言いました。

「あ、違うんならいいの。

 でも聞いた話だと、昨夜はクレイグさんのおかげで眠れたみたいだし」


「う……」

エリカは顔を真っ赤にして、言葉を絞り出しました。クレイグがマーガレットに話したのだと思い至って、寝ぼけて暴れたあげく子どものように泣いたことが恥ずかしくなったのです。

ようやく腫れの引いた瞼をぱちぱちさせた彼女は、静かに俯きました。

するとマーガレットが、小さく笑って手を伸ばしました。

本当は、昨夜の出来事を聞こうと思っていたのです。エリカが何に怯えて泣いていたのかを、出来れば知りたいと思っていました。

その上で、力になりたい、と。バルフォア家絡みであるなら仕返ししてやろう、とも。

けれど今目の前にいる本人が、顔を真っ赤にして俯いているのを見てしまっては、嫌なことを思い出させるのも可哀想で。

昨夜の出来事が“怖かった”よりも“恥ずかしかった”こととして記憶されているのなら、それはそれで構わない方がいいようにも思えたのです。


マーガレットの伸ばした手が、エリカの黒髪をそっと撫でます。それは昨夜のクレイグの大きな手とは違ったけれど、同じように慈愛と温もりに満ちていました。

まつげの先を震わせたエリカに、マーガレットは言いました。

「エリカには、元気で、幸せでいてほしいの。

 わたし、あなたにはずいぶん助けてもらったから……。

 母さんに死なれて孤独で寂しかった時、わたしだけを必要としてくれた。

 あなたとくっついてると、心に開いてた穴が小さくなった気がしたの」

「……メグお姉ちゃん」

助けてもらったのは、私の方なのに。

そう言いたいのに、エリカは唇を閉じるしかありませんでした。口を開けたら、言葉が震えてしまいそうだったから。

マーガレットは言いました。

「だからね、エリカ。結婚の話は真剣に考えて。

 もちろん好きな人がいるなら、全力で間を取り持つわ。

 いないのなら、あなたを大切にしてくれそうな方を見つける。

 だって……何があったのかは聞かないけど……。

 バルフォア家に戻っても、きっと幸せになれないと思う。

 それだけは、どう考えてもハッキリしてるもの……」

「分かった、真剣に考えるね」

エリカは頷きました。

マーガレットの胸の内を聞いて、それに応えたいと思ったのです。相変わらず、頭の中ではクレイグの寝言がぐるぐると回っていましたが。



ピンク色のひらひらドレス、真っ白なドレスに引き続き、今度はレモン色のドレスに身を包んだコニーが鏡の前でポーズをとっています。

その様子を遠巻きに見守りながら、エリカはなんとなく口を開きました。

「そういえばお姉ちゃんは、好きな人がいなかったの……?」

“好きな人がいないのなら、大切にしてくれそうな方を見つける”という言葉を反芻した彼女は、ふとそんなことを思ったのです。


「……それは……」

唐突な質問に、マーガレットは口ごもりました。

「でも、だから舞踏会を開くことになったんだよね?」

エリカが、小首を傾げます。なんとなく浮かない顔の彼女に違和感を感じてはいましたが、尋ねるほどのことでもないかと思っていたのです。

「え、あ……まあ、そうね」

マーガレットの視線が、左右に行ったり来たりし始めました。

そんな彼女を不思議そうに見つめていたエリカは、ひとまず口を閉じることにしました。なんとなく、これ以上聞いてはいけないことのように思えて。

だけど、彷徨わせた視線を落としたマーガレットが悲しそうで。エリカは何か声をかけようと考えを巡らせました。


その時です。

レモン色のドレスを着たコニーが、ふたりの元に駆け寄ってきました。そして、どこか沈んだ空気を肌で感じた彼女は、瞬きをくり返して言いました。

「おねえさん、どうしたの?

 ためいきついてると、しあわせがにげちゃうのよ?」


その言葉に、マーガレットは苦笑混じりに頷きました。今ある、ほんのひと握りの幸せにすら逃げられたら堪らない、と胸の内で呟いて。









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