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四つ葉のクローバーに願うこと 3








「ふたりとも、はーやーくーっ」

コニーが鼻歌混じりにうしろを振り返りました。その小さな手には、優しい緑色のクローバーが握られています。

「落ち着きなさい、転ぶから」

機嫌良く跳ねまわる娘に諦め混じりの言葉をかけて、クレイグは溜息をつきました。

どうしてこう、幼児は無駄な動きが多いのか……。

体がひとつしかないのが恨めしくて仕方ありません。他に身寄りがいない以上、おちおち体調不良にもなっていられないのです。

寝不足の頭を軽く振った彼は、目元をぐりぐり揉みました。

さすがに連日いろいろと起り続けて、疲れが出始めたようです。今日は特に、コニーの体力についていける気がしません。



「――――クレイグさん、戻ったら少し横に……」

エリカが眉を八の字に下げて言いました。辛そうに溜息をついたクレイグを、見ていられなかったのです。

「……いや」

彼は心配そうに見つめられて、そっと視線を逸らしました。

「大丈夫だよ」

今さら何を強がっているんだろう、と自分でも分かっています。けれど、なんとなくエリカの前で頷くのは癪だったのです。

すると彼女が、ぐっと握りこぶしを作りました。

「こっ……コニーなら、私がみてますから」

「え?」

お腹の底から飛び出した彼女の言葉に、彼は目を瞠りました。

エリカが目を伏せました。クレイグの視線を意識したら、なんだか声が萎んでしまったのです。

「あ……私じゃ、ちょっと頼りないかも知れないけど……。

 でも今は、ええと……遠くの親戚より、近くの他人……?」

口ごもりながらも、彼女は言いました。

目の前の彼が少し前に、自分に向けてくれた言葉を思い出しながら。







クレイグが、エリカの言葉に苦笑を浮かべていた頃。

ひと足先に林を抜けたコニーは、父親とエリカが自分を追って駆けてこないことに、ほんの少しだけご立腹でした。



「むむぅ……」

普段は、午前中の有り余る元気を教会の勉強で消費しているのです。知識を吸収することが苦手なわけではありませんが、当然楽しくないこともやらされます。そうすると、教会を出る頃には自然と頭が疲れて、お腹が空いていて……。

要は、いつもと違って全然疲れないわけです。朝ごはんもたっぷり食べたので、元気はいまだに満タン状態です。

帝都の片隅にある靴屋の近所とは違って、ここには鬼ごっこをしたり木登りをしたりする友達はいません。大人たちと遊ぶのも楽しいけれど、だからといって満足しているとは限らないのです。


不完全燃焼な何かを抱えたコニーは、らしくもなく溜息をつきました。

「……みんな、どうしてるかなぁ。

 メアリにあげたいなぁ、クローバー……」

視線の先には、幸運のしるしがあります。ぎゅっと掴みすぎたのか、いつの間にかお辞儀するように頭を垂れていますが。


その時です。

彼女の目が、レンガで舗装された道を歩いて来る人影を捉えました。




コニーは、たたたっ、と小走りにその人に近づきました。

大抵の子どもは、好奇心が旺盛です。物に対しても、人に対しても。とにかく物珍しいことがあれば、興味津々で近付くものです。

そして彼女は、子どもらしい子どものど真ん中を行くような子でした。

「こんにちは!」

彼女はつまらなさそうに曇っていたはずの目をキラキラさせて、元気いっぱいにその人に声をかけました。さながら、人にすり寄る子犬のよう。


すると歩いて来た人は、コニーを一瞥して帽子を脱ぎました。

その瞬間、彼女の口から声が溢れ出ます。

「う、わぁ……まっしろ……」

彼女の目を奪ったのは、背の高いその人の髪の色でした。


ぽかん、と口を開けて固まった幼女を見つめて、その人は口を開きました。険しい表情で、眉根を寄せて。

「――――どこから紛れ込んだ?」

数年一緒に暮らしたローグじいさんよりも、ずっとずっと、お爺さんの声です。背筋は伸びていますが、顔にはたくさんしわがあります。

「うん?」

言われたことがよく分からなくて、コニーは小首を傾げました。

わたしのご挨拶、聴こえなかったのかしら……なんて、そんなことを考えながら。


ぽけーっとした子どもに向かって溜息をついたお爺さんが、靴の爪先で地面をトントン鳴らして言いました。

「どこの子どもだ。

 ここは、お前のような者が入り込んで良い場所ではないぞ」

まったく警備の兵は何をしている……なんて、そんな言葉がぶつぶつと聴こえてきて、コニーはますます小首を傾げました。

「おじいさん、ここにすんでるの?」

「……答えぬか。

 お前はどこから来た」

不機嫌そうな顔をしたお爺さんを見ても、コニーは動じたりしません。だって、ローグじいさんの顔の方が怖かった気がします。


それに、父親が言っていたのです。「お爺さんやお婆さんは耳が遠いから、何回も聞き返したら傷ついてしまうよ」と。

……そうだった。お年寄りは赤ちゃんだと思わなくちゃいけないんだった。

赤ちゃんに向かって声を荒げても意味はないのです。優しく、温かく。丁寧にゆっくり会話をするのです。

目の前に父親がいれば十中八九、訂正が入りそうなことを考えたコニーは、不機嫌そうなお爺さんを見上げて答えました。

「んーと、くつやさん。パパが、くつをつくってるのよ。

 それで、わたしはコニー。おじいさんは?」


「……そうか」

返ってきた言葉が思っていたものと違うのか、お爺さんは溜息をつきました。とりあえず、危険な存在ではなさそうです。相手をすると果てしなく疲れそうな気はしますが。

少し離れた場所に大きくて飾り気のない馬車が停まっています。御者も従者も、自分達の持ち場からコニーのいる方を見つめているようです。

お爺さんは彼らを一度振り返って何かの仕草をすると、真っ白な髪を撫でつけて口を開きました。

「質問を変える。

 お前は、どうしてここにいる?」

コニーは少し考えてから言いました。

たしか大人達がこんなことを話していた気がする……と、思い出しながら。

「パパが、おねえさんのくつをつくってるの。

 それで、エリカちゃんは、はなよめさんのベールにししゅーしてる」


するとお爺さんが、片方の眉を跳ねあげました。

けれどコニーは、そんな彼の様子には気づかずに続けます。

「あとわたしはコニーで、おねえさんに、おはなのかんむりをつくるの!

 おそうじがおわったら――――あっ」

そうだった!……と言わんばかりに手を叩いた彼女は、あとからやって来るはずの父親とエリカが現れないことに気づいて、キョロキョロしました。

心配なのは、自分がひとりでいることではありません。父親とエリカが、道に迷っているかも知れない、ということ。


お爺さんは、そわそわし始めたコニーを見つめて口を開きました。

「ここに滞在しているのか」

「……うん?」

しわの寄った声に、彼女は思わず小首を傾げました。大人と会話することに慣れているとはいえ、やっぱり知らない言葉も多いのです。

彼女は父親とエリカのことを心配しながらも、目の前の相手に注意を向け直しました。


するとお爺さんが、瞬きをくり返すコニーに尋ねました。

「マーガレットの宮殿に寝泊まりしているのか、と聞いているのだが」

「……おとまりのこと?」

なんとなく意味を掴んだコニーが確認するものの、お爺さんは無言で見下ろすばかり。

違うって言わないんだからいいんだよね……と、彼女は頷きました。




「――――マーガレットは……」

「ん?」

お爺さんの言葉に、コニーは小首を傾げました。小さすぎて、聴こえなかったのです。

「……いや、いい」

渋い顔をしたお爺さんが、小さく首を振りました。白髪だらけの頭が、ふるふる震えます。

お爺さんの表情が曇っているのに気づいて、コニーは咄嗟に手にしていたものを差し出しました。そして、「あ」と呟きました。

本当は、すぐに誰かにあげるつもりはなかったのです。押し花にして、友達のメアリにあげようと思っていました。しばらく遊べなくてゴメンね、と。


お爺さんは差し出された小さな手と、その先にある四つ葉のクローバー。それから、なんとも間抜けな顔で自分を見つめる子どもに交互に目を遣りました。

さっさと踵を返すつもりが、つい、見入ってしまったのです。その優しい緑色に。

どれくらいぶりでしょう。小さな手が、自分に向かって伸ばされるなんて。


「あのね」

我に返ったコニーが言いました。

「これ、あげる!」

ぼんやりしていたお爺さんは、押しつけるように四つ葉のクローバーを渡されてたじろぎました。本当なら受け取ってはいけないのです。

ところが、なかなかその手を開かないお爺さんに対して、コニーは強引でした。

お爺さんの手を取ったのです。


小娘、と呼ぶにも不足のある幼女を相手に、お爺さんは息を飲みました。小さな温もりに驚いて、目がまんまるになっています。


そんなお爺さんのひんやり冷たい手を無理やり開いて、コニーは茎がふにゃふにゃになったクローバーを握らせました。

「げんきだして、おじいさん。

 これもってたら、いいことあるんだよ」


手を振りほどけば子どもを傷つける。気持ちでなく、怪我をさせてしまう。

それが分かるから、お爺さんは動けませんでした。


コニーは林を振り返ると、唸っているお爺さんに言いました。クローバーを渡してしまえば、もう気持ちは次のことに向かっているようです。

「わたし、パパとエリカちゃんさがしてくる。

 ふたりとも、まいごかもしれないし。しんぱいだから」

そう言って、彼女は駆けだしました。

「いっぱいながいきしてねー!」と、にこにこ手を振りながら。




お爺さんは、どこまでもマイペースな子どもの後ろ姿を眺めながら呟きました。

「靴屋のコニー、か」








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