四つ葉のクローバーに願うこと 2
赤、黄色、白、ピンク……甘さのある色が散りばめられた絵を抱えて、コニーが林の中を跳ねるように駆けていきます。
小さな背中を目で追いながら、クレイグは声を上げました。
「遠くに行っちゃダメだよ、コニー」
「はぁ~い!」
明らかに気持ちの入っていない返事をした娘を見て、彼は溜息混じりに呟きます。
「ダメだ。絶対分かってない……」
「……ですね」
コニーの姿が巣穴から出てきたばかりの子ウサギのようで、エリカはついクスクスと笑ってしまいました。
幸いここは皇女様の住まう宮殿の敷地です。親から少し離れたところで、足を引っかけて転ぶくらいの危険しかなさそうです。
ぴょこぴょこと興味のある方へ駆けては戻り、をくり返すコニーを追って、ふたりは林の中を歩いていきます。
使用人達が忙しそうに行ったり来たりしているのを横目に、クレイグとエリカはコニーを連れて宮殿の外に出てきたのです。
ふと、コニーが跳ねまわるのを止めました。
不思議に思ったクレイグは、思わず駆け寄りました。まさか毒虫や蛇でも見つけたのかと心配になったのです。
「……どうしたんだい?」
近付いて声をかけた父親を振り返って、コニーが言いました。大事そうに持っていた絵を見せて。
「ここにする!」
剪定されてほどよく日差しが降る林には、色とりどりの花が咲き乱れています。
花を摘むコニーを見守りながら、ふたりは敷物の上に腰を下ろしました。
「花冠か……」
「コニーが飽きなくて済みますね」
なんとなく呟いたクレイグに、エリカは頷きを返しました。
すると彼が溜息混じりに口を開きます。
「それにしてもあの子は……。
いつの間に皇女様の寝室にまで入り込むようになったんだか。
いつか何かやらかさないか心配だ……」
娘の自由さ加減に開いた口が塞がらなかったのを思い出したクレイグは、ガックリと肩を落としました。他人との距離が近いとはいえ、皇女様は皇女様なのです。近所のお姉さんとは違うのです。
一方のエリカは、そんなクレイグに笑みを向けました。
彼女にとって、マーガレットは優しいお姉さん。皇女様なのは分かっていますが、近くに感じていたい存在です。
だから、エリカは笑みを浮かべて小首を傾げました。
「でもメグお姉ちゃん、すごく楽しそうだったし。
だいじょぶです。リチャードさんだって止めなかったし」
「まあ、そうだけど」
ふわりと笑うエリカを前に、クレイグは思わず頷きます。頭の中にこびりついている、半狂乱になったり泣いたりした昨夜の彼女の残像が消えていくような気がしました。
「ここにある花だけで作れるものなのかな」
集中しきった様子で花を摘むコニーを見つめて、クレイグが呟きました。
腰を下ろす前に見せてもらった、皇女様が描いてくれたという見本の絵には、もっといろんな色が散りばめられていたような気がするのです。
「ええと、宮殿のお花を換えて、余った分を自由にしていいそうです。
使用人さん達の控えの間に行けばもらえるって、リチャードさんが」
マーガレットの寝室でのやり取りを思い出しながら、エリカは言いました。
「……なるほど」
クレイグは頷きました。
彼女がリチャードから花についてのあれこれを聞いたのは、寝室の外。彼でもマーガレットの寝室には緊急時以外立ち入らないのだから、クレイグにとっては未知の領域です。
使用人達の邪魔になってはいけない、と思って急いで外に出てきましたが、エリカの話を聞いてようやく皇女様の考えていたことが分かったような気がしました。
「あの子が張り切って引き受けそうなことを用意してくれたわけか。
掃除を待つ間、コニーが飽きてしまわないように」
「メグお姉ちゃん、子どもの扱いが上手でしょう?
コニーが作った花冠は、部屋に飾るんですって。
出来具合を見てからだけど、舞踏会用にも作ってもらおう、って」
得意気に言葉を紡いだエリカを遮るように、クレイグが尋ねました。
「皇女様が?」
するとエリカは、目をぱちぱちさせてから首を振りました。
「リチャードさんです」
皇女様の身につけるものを、子どもが……街の靴屋の5歳の娘が作ってもいいものでしょうか。結婚して宮殿を出る身だとしても、舞踏会の間はまだ皇女様であるはずなのに。
クレイグは、もう何と言ったらいいか分からなくなってしまったのでした。
自分自身も含めて、皇女様との距離が近すぎて戸惑ってしまいます。
反応に困る展開にクレイグが唇をわなわなさせていると、コニーが戻ってきました。その手に、たくさんの花を持って。
「――――はい、これっ」
咄嗟に手を伸ばした父親の手に、コニーは半ば押しつけるように花を握らせました。そして、ただひと言「持ってて!」とだけ言い残して、また花の咲いている所に向かって駆けていきます。
「え、コニーっ?」
腰を浮かしかけたクレイグが娘を呼びますが、返事が返ってくるわけがなく。
彼は仕方なく、握らされた花をそのままに溜息をひとつ零したのでした。
「もう……しょうがないな」
溜息をついたクレイグを呆然と見つめていたエリカは、はたと我に返りました。手の熱が、花から生気を奪ってしまうのを思い出したのです。
「……クレイグさん、それ貸して下さい」
「ああ、うん」
クレイグの手から花を受け取ったエリカは、持ってきたバスケットの中から湿らせた布を取り出しました。そして、手際よく茎の部分に巻きつけます。
それを不思議そうに眺めていた彼が尋ねました。
「それは?」
「切ったところを湿らせておけば、すぐに萎れたりしないって……。
使用人さんが持たせてくれました」
布を巻いた花束を日陰にそっと置いて、エリカが言いました。
なるほど、とクレイグは頷きました。
それきり沈黙が訪れて、どこからか小鳥のさえずりが聴こえてきます。
ふたりはお互いに何を言うでもなく、ただ静かにコニーが花を摘むのを眺めていました。
そよ風がすぐそばの草を揺らして通り過ぎていきます。
クレイグは、そっと口を開きました。
「大丈夫かい?」
エリカが弾かれたようにクレイグの顔を見上げました。
「あ、その……」
まだ腫れの引かない瞼が、重たそうに瞳の邪魔をしています。
するとクレイグは、ほんのり口の端を持ち上げて手を伸ばしました。そして、困ったように視線を彷徨わせるエリカの頭をぽふぽふしました。
「無理して笑わなくてもいいのに」
「ちがっ、違うんです」
宥めるように言われて、エリカは思わず口を開きました。
眠いのを堪えて夜通し付き合ってくれた彼に、変に誤解されてしまうのは嫌だったのです。目の下に隠しようのないクマを作らせてしまった罪悪感もあります。
あなたのおかげで落ち着いた、ということを絶対に伝えなくては……とエリカは意気込んで、息を吸い込みました。
「たくさん泣いたら、気持ちが軽くなりました。
だから、大丈夫です」
毎度の台詞を聞いたクレイグが、眉根を寄せます。
「……本当に?」
「本当です。クレイグさんが一緒にいてくれたから……。
それで、その……子どもみたいに泣いて、ごめんなさい」
瞳を覗きこまれて、エリカは俯きました。まっすぐにクレイグの目を見る勇気はありません。迷惑をかけてしまった自覚があるのです。
すると彼は、また彼女の頭をぽふぽふ。その瞳が、嬉しそうに細められます。
「気にしないで。
ひとまず大丈夫なら良かった」
クレイグに頭をぽふぽふされたエリカは、くすぐったそうに笑みを零して目を伏せました。触れられたことが、なんとなく嬉しくて。
撫でられた猫が喉を鳴らす時のような表情を浮かべたエリカに、クレイグの顔が強張りました。びっくりした、というよりは、ドキッとしてしまったのです。心臓が大きく跳ねたのが分かります。
彼は何でもないような顔をして、彼女の頬にそっと触れました。
そして親指の腹で、その一番柔らかい部分を撫でます。上下に、左右に。ふにふにと柔らかい感触に彼は目を細めました。
もう頭の中にマーガレットの顔が浮かぶことはありません。
「……クレイグさん……?」
戸惑ったエリカが、小さな声で言いました。
驚かせたりしたら、クレイグの手が離れていってしまうような気がしたのです。そよ風の吹く木陰にいるせいか、その体温が離れてしまうのは嫌だと思ったのです。
それは、彼の腕の中で泣き疲れて眠ってしまうまで感じていたものに、よく似ている気もします。
「ん?」
クレイグは鼻から抜けるような声で、エリカに応えました。
すると彼女が、ほんの少しだけ首を振ります。唇に笑みを湛えて。
その表情を見た刹那、彼は息を吐きだしました。まるで、参ったな、とでも言わんばかりに。
その時です。
「みてみてみてーっ」
花摘みに没頭していたコニーが戻って来て、意気揚々と言いました。ほんのり甘い空気を撒き散らしていたふたりの間に、文字通り体をねじ込みながら。
「ほら」
コニーが言いました。エリカの膝の上に、ちょこんと座って。
「すごいでしょー」
小さな手が大事そうに持っているのは、四つ葉のクローバーです。
えっへん、と胸を張ったわが子に、クレイグは言いました。
「うん、よく見つけたね。
……ところで君は、パパの膝に来ないのかい?」
猪突猛進な愛娘がグリグリと体をねじ込んできた時に、エリカの鼻に小さな頭がぶつかったのを見ていたのです。
ところが、コニーは父親の言葉に顔をしかめて、ぷいっと背けてしまいました。
「やーよ。
だってエリカちゃん、やわらかくてきもちいーもん」
唐突に話題に上ったエリカは、思わず小首を傾げました。
「コニー……」
クレイグが沈痛な面持ちで呟きます。
昨日の夜、娘が自分とエリカの間に入って、しかも彼女の膝を枕にして丸まって眠っていたのを思い出したのです。娘が言うには、“右も左も温かくて、いい気持ちだった”そうで。
どう言い返していいものかと悩んだ彼は、結局口を閉じてしまいました。
たしかに柔らかくて気持ちがいいけど……なんて、心の中で呟きながら。




