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真夜中のカモミール 4









世話焼き皇女のマーガレットの発言が、クレイグの頭を悩ませている頃。エリカは無事にリチャードを見つけて、声をかけていました。




厨房にはドアはありません。続いていた廊下の壁があるところで、ぶつりと切れています。

そこから顔を覗かせたエリカは佇んでいる後ろ姿に向かって、こそっと声をかけました。

「リチャードさん」

ふいに響いた囁きに、パリっとした背中がわずかに揺れました。

「……マーガレット様に何か」

鉄仮面のように表情のない顔で振り返った彼に、エリカは小さく首を振りました。別に怒っているわけじゃないんだよね、とその視線を好意的に受け止めたものの、やっぱり少しぎこちなく。

「いえ、その、伝言が……」

途切れ途切れの言葉を聞いた彼は、眉根を寄せました。

「伝言……?」


エリカがマーガレットから預かってきた言葉を伝えると、リチャードは渋い顔をして頷きました。

「……なるほど」

マーガレットが言っていたことの意味が分からなかったエリカは、思わず小首を傾げました。

「アレ、だけで分かったんですか……?」

彼女が預かってきた言葉は、至極単純でした。“アレが食べたい”のひと言だったのです。

もちろんエリカには、アレが何を示すのかなんて見当もつかないわけで……。

小首を傾げて、どちらかというと尊敬の眼差しに似たものを浮かべる彼女に、リチャードが言いました。ひとつ、大きな溜息をついて。

「チョコレートだ」


「ちょこれーと……」

エリカは、呆然とくり返しました。

するとリチャードが、渋い顔で頷きます。明らかに良くない雰囲気です。

「ああ。

 まったく……」

彼はそう言いましたが、エリカには不思議でなりません。皇女様がチョコレートを食べるのは、悪いことなのでしょうか。

そう思った彼女は、難しい顔で佇む従者に尋ねてみました。

「何か問題でも……?」

「……肌が荒れる」

「え……えっとそれは……」

想像の斜め上をいく答えに、エリカは困惑するばかりです。

彼女が何も言えずにいると、リチャードが言いました。その視線を、気まずそうに逸らして。

「それだけじゃない……。

 あれを食べたがるのは、大抵心が荒れている時だ」

「心が荒れてる……。

 メグお姉ちゃんの機嫌が悪い、ってことですか?」

エリカが眉根を寄せながら呟きました。

心が荒れている、と言われてもピンとこないのです。一緒に過ごしている間の彼女は、明るく優しく元気なお姉さん、だったようにしか思えなくて。

「機嫌が悪い、か。その方がまだ良い。

 ……精神的に不安定、ということだ」

リチャードは首を振ります。

その姿はエリカの目に、困っているのではなく悲しんでいるように映りました。

厨房では夕食の仕込みが始まっているのか、働いている者達の声が飛び交っています。調理器具の立てる鋭く高い音、水の跳ねる音がやけに耳障りでした。


「何か……」

ぽつり、とエリカは零しました。

その瞬間に、リチャードの目が細められます。

彼女は人間らしい表情を見せた彼のことが、もう怖くはありませんでした。

「何か、あったんですか?

 その……私なんかが聞いても何も出来ないんですけど……」

リチャードは、エリカが目を伏せるのを見ながら口を開きます。

君は自分の状況を何とかする方が先決なんじゃないか……なんて心の中で思っていることは、おくびにも出さずに。だって彼自身もまた、なんとかしたい状況に立たされているのを自覚しているのですから。

「チョコレートは、マーガレット様にとって特別なんだ」

「とくべつ……」

エリカがそのひと言を口の中でくり返していると、リチャードが続けました。

「まだ、母君が御存命だった頃のことらしいが……。

 何か特別なことがあると、チョコレートを買ってくれたそうだ。

 誕生日、教会学校で褒められた、手伝いを頑張った……なんて理由で。

 ……それがすごく楽しみだった、と。

 だから、だろう。

 幸せな思い出が詰まっているものを食べ、心を落ち着かせる」

そこまで流れるように話していたリチャードは、急に口を噤みました。目を伏せて、溜息をひとつ零して。

「普段は甘いものを食べたがる素振りすら見せないのに……」

彼の小さな声は、目の前に立つエリカにも聞き取りづらいほどです。

けれどその顔はハッキリと見えていて。メグお姉ちゃんの肌だけを心配して曇っているわけではないみたい……と、彼女は思ったのでした。


それからリチャードは口を閉ざして、何かを考えているようでした。もちろんエリカの存在なんて忘れてしまったかのように、会話なんてものはなく……。

エリカは仕方なく、伝えるべきことは伝えたから、と自分に言い聞かせたのでした。








眉を八の字に下げたクレイグは、非日常を楽しみつくして眠りに堕ちた娘を抱きかかえたまま、今にも零れそうな溜息を堪えていました。

その背後で、リチャードが口を開きます。それはそれは、いっそ清々しいほどの鉄仮面ぶり。クレイグからは見えないことが救いかも知れません。

彼は淡々と言いました。

「部屋の物は好きに使ってもらって構わない。

 部屋の外に出る場合にも、紐を引いて使用人に断りを入れること。

 そこの紐を引けば、夜中でも控えの使用人が用を伺いに来る。

 湯を使う場合は、彼らに厨房から持って来てもらうといい。

 ……それから……。

 こうなったことは一応マーガレット様にもお伝えしておく。

 ――――では」

何の感情も窺えない声で並びたてたリチャードが、彼らの返事も待たずにドアを閉めようとしました。早く閉めてしまいたいのかと思うほど、素早く。

その瞬間に我に返ったクレイグは、声を上げました。

「ちょっ、待ってくれ」

慌てて振り返るも、そこには閉まりかけたドアと、その隙間から覗く従者の無表情な顔が。

その光景を目の当たりにしたクレイグは、絶句してしまいました。

彼はコニーが眠っていて良かった、と思いました。もし見せてしまっていたら、きっと真夜中に夜泣きで起こされることになっていただろう、とも。

クレイグが口をぱくぱくしている隙に、リチャードが口を開きます。

「俺は止めた。

 あとは自己責任だ」

彼は口早に言い放つと同時に、ドアを閉めました。動作の割に、至極控えめな音が響きます。

すると、それまで窓際に駆け寄ったきりだったエリカが、びっくりしたように勢いよくドアを振り返りました。

「お、俺……?!

 聞きましたクレイグさん?!

 リチャードさん、俺、って……!」

「君が聞いてたのは、そこだけか」

クレイグは思わず頭を抱えました。




起こさないように注意しながら、クレイグはコニーをそっとベッドに寝かせました。ワンピースの首元だけ緩めてやれば、小さな口から溜めていた寝息が溢れてきます。

眠りが深い様子に安堵した次の瞬間、彼の頭の中に湧いたのは焦りでした。

「……まったく……何を考えてるんだ……」


夕食をとりながら翌日の予定を話して、客室に案内してもらうところまでは良かったのです。恐縮するクレイグにマーガレットも、普段遊ばせている客室なんだから何日居てくれても構わない、とにこやかに言ってくれて。

ところがです。

リチャードについて廊下に出て、部屋をふたつ用意したと聞かされた途端に、エリカがクレイグの服の裾を掴んだのです。ぷるぷると首を振りながら。

そして彼女は不安そうに言いました。

私はソファでもいいから、同じ部屋に居させて下さい――――と。

初めから懇願するような口調で言われてしまっては、クレイグも無碍には出来ませんでした。彼女が不安を感じるのは当然だと思いましたし、それをどうにかしてやりたい気持ちもあったのです。

だから、やんわり遠まわしに柔らかい言葉を心がけて、彼女を傷つけないように言ったのですが……結果は推して知るべし、で。


少し前の出来事を振り返ったクレイグは、溜息混じりに呟きました。その視線の先には、使用人が飛んでくるという紐があります。

「今からでも皇女様に相談した方がいいのか……」

ひとりになるのが不安なのだとしても、頼む相手が間違っているように思えて仕方ありません。エリカなら、皇女様の部屋にでもお邪魔出来てしまうんじゃないかと思うのです。

……というよりも、すっかり母親気分の皇女様ならば、エリカと同じ空間で朝を迎えることに激怒するのではないかと思うわけで。


クレイグは飽きるほどついた溜息を、さらに増やしました。

「……今夜は寝ずの番でもするか……」

すやすや眠るコニーを恨めしそうに見つめて、彼は呟いたのでした。がっくりと、見るからに肩を落として。




ベッドルームで起きているクレイグの内心の修羅場なんて露知らず、エリカは寝床を作っていました。宣言通りに、大きくてふかふかなソファにクッションを並べて。

それが彼の頭を抱えさせることになるなんて、ひと欠片も思わずに。その手の震えを誤魔化すように、少しだけ乱暴に。









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