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秘密の話にはマーガレットの封蝋を 4








ジーナは綺麗に折り畳まれていた便箋を開いて、視線を走らせました。真っ白な紙の上には、歪みのない字が流れるように並んでいます。



「どういうことなの……?」

腕を組んでじっと佇んでいたクレイグに、手紙を読み終えたジーナが尋ねました。訝しげに、眉根を寄せて。

するとクレイグは、溜息混じりに口を開きます。

「――――すまない。

 舞踏会が終わって数日すれば、店に戻れるはずだ」

……何も起きなければ、と彼は心の中で付け足しました。


クレイグが預かってきた手紙は、2通ありました。

ひとつはエリカが書いたもの。そしてもうひとつは、マーガレットの封蝋が押された真っ赤な封筒です。

マーガレットからの手紙には、エリカを宮殿に拘束して申し訳ない、ということと、エリカの手紙の内容を信じて欲しい、ということが書かれていました。

肝心のエリカからの手紙に書かれたいたのは、少ない言葉での簡単な事情説明と、謝罪、それから少しのお願いでした。


ジーナはクレイグの言葉に相槌も打たず、店の棚から大きな箱を取り出しました。その口から零れた溜息と一緒に、ごとん、と重たい音が響きます。

彼女は箱を開けながら、真っ赤な封筒を見つめて口を開きました。

「この手紙、本物よね?」

「謁見でもするか」

「い、いえ、遠慮しておくわ」

皇女様からの手紙を信じられない思いで見つめていたジーナは、間髪入れずに返ってきた言葉に慌てて首を振りました。綺麗な金色の髪が、右に左に乱れます。

仕事に真面目なクレイグがこんな悪戯をするとも思えませんし、偽物だと疑ったなんて知れたら大変です。不敬に問われたら、商売どころではありません。


刺繍糸を取り出しながら、ジーナは呟きました。

「それにしても……。

 エリカさんがバルフォア家の人間だったなんて……」

皇女様から、手紙を通して“エリカの話を信じて欲しい”と言われたものの。肝心のエリカの手紙に書かれていた内容は、ジーナにとって衝撃的でした。


養女とはいえ、自分はバルフォア家の人間であること。

そのバルフォア家を飛び出したけれど、舞踏会に参加するため義弟と家の人間が帝都にやって来ること。

もし自分を探して店を訪ねてきたら、うまく誤魔化して欲しいこと。

そんなことが、謝罪の言葉が長々と並べられたあとに書かれていたのです。


クレイグが、溜息混じりに言いました。

「私も最近聞いたばかりで……正直、驚いてる」

「まさか彼女、あの家に何かして追われているんじゃないわよね」

刺繍針と試し縫い用の布を纏める手を止めて、ジーナは声を潜めました。

店の前の通りは賑やかで、誰ひとり彼らの会話に耳を傾けているようには見えません。けれどエリカの手紙の内容を考えれば、用心するに越したことはないと思えたのです。


「……いや。

 私は、そういうことではないと思ってる」

ジーナの言葉を、クレイグは強く否定しました。

その頭の中には、“私は何もしてません”と必死に訴えるエリカの声が響いていました。彼女がそう言ったのは、初めて会った日のことです。

クレイグは、その日からエリカを見てきたのです。だから彼は、彼女が誰かに悪意をぶつけるような人間ではない、ということを知っています。


ジーナは、片方の眉をぴくりと跳ね上げました。目の前の熊のような男が、あまりにも真剣な表情を浮かべているのを見てしまったからです。

クレイグのことを“娘には甘い人間不信な靴職人”だと思っていた彼女にとって、毅然とエリカを庇う姿は衝撃でした。それこそ、エリカの書いた手紙の内容よりも。


うっかり手にした刺繍糸を取り落としてしまいそうになって、彼女は静かに息を零しました。どこか呆れたように。

「そんな顔しちゃって……」

「なんだって?」

ぼそりと呟かれた言葉を聞き逃して、クレイグは訝しげに眉根を寄せました。

するとジーナが、肩を竦めて口を開きます。

「……いいえ、わたくしもエリカさんのことが好きですから。

 バルフォアの関係者が来ても、綺麗にしらばっくれてみせますわ」









「ん……?」

市場の通りを歩いていたクレイグは、ふと足を止めて視線を走らせました。どこかから、怒号が聴こえてきたのです。

喧嘩でもあったかと思ったものの、見える範囲では変わった様子はありません。今は舞踏会前です。大通りの飲食店が仕入れを増やすために、賑わっているだけかも知れません。辺りを見回しても彼のように立ち止まる人はおらず、足早に通り過ぎる人ばかりです。

「……少し過敏になってるのかもな」

そんなことを呟いたクレイグは、小さく首を振って歩きだしました。エリカ宛ての荷物を受け取り、向かう先は自宅である靴屋です。

マーガレットの話を聞いた彼は、要望通りに靴を作ることにしたのです。ただし本格的な作業は店の工房でなければ出来ないので、宮殿では彼女の足に合わせた木型を作るところまでになりますが。


食品を扱う店の通りに出ると、風に乗って甘い匂いが漂ってきました。エリカとコニーが食べたがる綿飴の匂いです。

ふいに思い出したことに一瞬目を細めたクレイグは、すぐに口元を引き締めました。宮殿で待っているふたりのことは、ひとまず今は頭の隅に置いておかなくては……と。


「出来ればハンスにも会っておきたいところだけど……」

エリカのことを探す人物がいるとして……と、クレイグは考えてみました。

エリカの足跡を辿って聞き込みをするなら、おそらく市場です。そう思ってジーナには根回しをしましたが、それだけでは足りないでしょう。

靴屋に居候していることは、すぐに分かってしまうことだからです。毎日のように出入りしていれば顔見知りも出来ますし、世間話をする程度に打ち解けもします。

もっと早くに事情を知っていれば、エリカを靴屋から一歩も出さずに匿っていたかも知れません。けれどそんなことは今さらです。

とにかく今出来ることを、と考えを巡らせた結果、彼は警備隊のハンスに話をしてみることを思いついたのでした。



やっぱり綿飴に和んでいる場合じゃないよな……と思ったクレイグは、溜息混じりに歩を速めました。

その時です。

「――――だから……!」

唐突に男性の大きな声が、人だかりの隙間から突き抜けてきました。

クレイグは弾かれるようにして視線を走らせます。するとすぐに、市場の入り口のあたりに人が集まっていることに気づきました。あのあたりには、たしか綿飴の屋台があるはずです。

まさか……と込み上げた嫌な予感を、クレイグは眉根を寄せて打ち消しました。そして、足早に人だかりに近付いていきました。


「知りませんよ、そんな人」

「嘘をつくな!

 写真を見た時に、顔が強張ったじゃないか!」

近付くごとに、男性がふたりで押し問答をくり返すのが聴こえてきます。

ひとりは綿飴の屋台の店主でしょう。聞いたことのある声です。問い詰める側であるらしい声の方は、知っている声ではなさそうです。

クレイグは人だかりの隙間から、中心にいるふたりの様子を窺いました。


「知り合いに似てると思っただけで違う人!

 ――――って、おんなじこと何回言わせんだっつうの……!」

店主が声を荒げています。“何回”ということは店主が苛立つような回数、押し問答をくり返しているのでしょう。

クレイグは溜息混じりに、写真を片手に顔を真っ赤にして震える男性を見遣りました。

年の頃なら、15歳かそれよりも少し上くらいでしょうか。男性というには、少し幼いような気もします。

人だかりの中には、彼の顔に見惚れている女性もちらほら。たしかにその顔は憤りに歪んでいるものの、綺麗なのかも知れません。


若い子はああいうのが好みなのか……と、クレイグは心の中で溜息混じりに呟きました。成長して年頃になったコニーが、彼のような男を連れて来たらと思うとゾッとするな……とも。

彼が写真を手に詰め寄っているのを見て、クレイグはヒヤリとしました。

バルフォア家の跡取りがエリカを探して行動を開始したのか、と思ったのです。けれど、目の前にいる彼が彼女の義弟なのかどうか、クレイグには分かりません。

内心穏やかでないのをひた隠しにしたまま、彼は息を詰めて事の成り行きを見守ることにしました。騒ぎが収まったら当事者の店主に話を聞こう……と思いながら。


すると、うんざりした様子の店主を睨みつけていた彼が、舌打ちをして踵を返しました。つるりと滑らかそうな生地の上着が、ひらりと翻ります。

彼は踏み出した足を止めて、店主を振り返りました。そして目を細めると、苛立ちを隠さずに口を開きました。

「いいか、今のあんたの話が嘘だと分かったら……、

 こんなちっぽけな店、ひと晩で捻り潰してやるからな」




捨て台詞を吐いて立ち去った彼の背中を、男性が慌てた様子で追いかけていきます。

それを見ていたクレイグは、おそらく従者だろう、と見当をつけました。「坊っちゃん」と呼びかけていたのが、聴こえてきたのです。

立ち去った彼が市場の外へ歩いて行ったのを見届けてから、クレイグは綿飴の屋台に視線を走らせました。

たくさんいた野次馬が、いつの間にかほとんどいなくなっています。

クレイグは、仏頂面で商売を再開した店主に声をかけることにしました。

「――――なんだか、大変な目に遭ったみたいだな」


唐突に声をかけられた店主は、驚きに目を瞠りました。そして、すぐに我に返ったらしく、目の前に立ったクレイグに向かって溜息混じりに頷きました。

「……見てたのか」

「ああ……まあ、途中からだけど。

 人探しをしてたのか、彼は?」

「そうみたいだ……って、あんた」

肩を竦めたクレイグに、店主が声を潜めてあたりに視線を走らせます。

クレイグは思わず顔を強張らせました。店主が、誰かが聞き耳を立てていないか警戒しているように見えたのです。

「あの子の……その、恋人か何かだよな」

ところが、そのひと言でクレイグは別の意味で息を詰めました。いえ、なんというか、喉に何かを詰まらせた時のように咳き込んでしまいました。


「いや、今のところ私に恋人はいないんだが……」

ひとしきり咽たクレイグは、ちょっとだけ悲しい気持ちになって呟きました。

すると店主が、顔をしかめて口を開きます。

「でも、たまに一緒に市場に来るじゃないか。仲良さそうに」

ものすごく不満そうな顔をした店主の言葉に、クレイグは確信に似たものを感じました。隠さなくては、と思えば思うほど、顔が強張っていきます。

「……一緒に……?」

クレイグは店主から言葉を引き出そうとして、わざと自分の言葉を濁しました。訝しげに眉根を寄せて。さも心当たりがない、といったふうに。

すると店主が、いっそう声を落とします。彼はぺらぺらと言葉を並べ始めました。

「あいつが持ってたの、あの子の写真だったんだよ。

 黒い髪に黒い目の、ちょっとぼけっとしてるけど可愛い子。

 あんたと一緒に市場に来るの、何回か見てるんだけど……」

「あ……あー……」

そこまで聞いたクレイグは、思い当たったかのように頷きました。内心では、やはり探しているのはエリカか……と、独りごちながら。

あの青年は、おそらくバルフォア家の関係者。それどころか、もしかしたらエリカの義弟本人かも知れない……。

そんなことを考えたクレイグは、頭の芯が冷えていくのを感じて目を伏せました。



「なあ、あんた。

 ほんとに、あの子の恋人じゃないのか……?」

ようやく頷いたきり黙り込んだクレイグに向かって、店主が遠慮がちに尋ねました。

すると十分過ぎるほど冷静になったクレイグは、店主の言葉に目を細めました。欲しいものに手を伸ばすかどうか決めかねている……そんな顔に見えたのです。

「……いや。まだ、そういうんじゃない。

 ともかく、彼女のことは誤魔化してくれて助かった。感謝するよ」


クレイグは心の中で呟きました。

エリカには、店主とのやり取りは伏せておいた方が良さそうだな……と。

他人から親切を受けると恩返しをしたくなる彼女のことです。下手に話をしようものなら、“優しくしてもらったら、お返ししないと”とかなんとか、お礼の品を持って店主のもとを訪れるに決まっています。

それだけでも十分あらぬ勘違いを与えてしまう気がするのに、自分に同情した時のように、感謝の気持ちが溢れて相手の手なんか握ってしまったら大変だ……と、クレイグは思ったのです。



散々考えを巡らせた結果、彼は思いました。

エリカのことは、自分が気をつけてやらないといけないな……なんて。










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