ミドルヒールが御用達 5
教会学校には、毎日たくさんの子ども達がやってきます。
コニーの通う教会の場合は、午前中に小さな子ども達、お昼の休憩を挟んだ午後に大きな子ども達……という具合に分かれて勉強しています。ですから、ちょうど今は大きな子ども達の時間です。
「はぁっ、はぁっ……あっ……!」
息を切らせたメアリは、一目散に駆けだしたコニーが教会の門のあたりで立ち止まっているのを見つけました。
門の向こう、聖堂の前に馬車が停まっているのも見えます。
お腹が痛いのを堪えてなんとか追いついた彼女は、教会の庭を窺っているコニーの背後に立ちました。そして教会のルールを、先生のお説教のようにして捲し立てます。もちろん、小さな声で。
「コニー!
おべんきょうがおわったら、きょうかいに入っちゃダメなんだよ?!」
「わかってるってば。
だからココでみてるんだよ~」
けれどコニーは、手をぱたぱたさせて言いました。周囲をキョロキョロ見回しているメアリのことなど、振り返りもしません。
それどころか、相変わらずの目の輝きです。いえ、近くで見ている分、その輝きが増しているかも知れません。
「馬車、きらっきらしてる……!」
もっと近付きたい。出来れば触ってみたい。いやいや夢が叶うならあんな馬車、乗ってみたい。ついでに王子様と一緒だったら最高なのに……夢は広がるばかりです。
いつだったかエリカの話してくれた、あのおとぎ話を聞いてからというもの、なんとなく頭の中に“王子様”が居座っているコニーなのでした。
「ねぇコニー、やめようよ」
さして馬車に興味のないメアリは、馬車に見惚れているコニーの肩を揺さぶりました。ちょっとだけ、乱暴に。
先生から言われているのです。“教会は礼拝とお勉強をする場です。公園にいる時と同じことをしてはいけませんよ”と。
午前のお勉強が終わったあと帰りがけに木に登るくらいなら先生や司教さまは目を瞑ってくれているようですが、同じことを大きな子ども達がお勉強をしている時間にしたら、ものすごいカミナリが落ちることでしょう。
けれど、苛立ちを含んだメアリの声を気に留めもせずにコニーは呟きました。
「んー……あとちょっと……」
ここからだと、馬車の後ろ姿しか見ることが出来ません。
前や横から見てみたくて、コニーは唸りました。
「……んもう、コニーったら。
じゃあわたし、みんなのとこ行くからね。
コニーも、“あとちょっと”がおわったら来てね!」
石のようにその場から動かない友達に、メアリは溜息混じりになって囁きました。そして、来た道を戻って行きます。
完全に上の空で、コニーは頷きました。
「……んー。わかったー。
はぁぁ……もっとちかくに行きたいなぁ……」
その時です。
「――――あっ」
コニーは思わず声を上げました。
聖堂から、2人の真っ黒な服を着た男性が出てきたのです。
その人達の腰には、長い棒のようなものが下げられています。それに、なにやら辺りを見回しているようです。
2人のうち1人が、馬車の戸を開けました。
その様子を見て、食い入るように見つめていたコニーが溜息をつきました。
「……ばしゃにのってたの、おとこのひとだったのかぁぁ……」
散々広がった願望が、一気にしぼんでいきます。憧れが、どこかに飛んでいってしまいそうです。
すると、聖堂からもう1人出てきました。今度は女の人です。
「わ……!」
想像していたお姫様のようではないけれど、負けず劣らずの綺麗な服を着ています。金色の髪もお日さまを受けて、キラキラ眩しくて。
「ほぁぁ……」
綺麗な馬車にはあんなに素敵な人が乗ってるんだ。どこから来た人なんだろう……なんて、言葉にならない思いを溜息に込めて吐き出したコニーは、ぼんやりしながら女の人が馬車に乗り込むのを見つめていました。
戸を開けていた男の人が、女の人に続いて馬車に乗り込むのが見えます。もう1人の男の人は、馬の方へとまわったようです。
馬車が、ゆっくりと動き始めました。礼拝をする聖堂の前からお勉強をする小屋の前へ、それから司教さまのいる小聖堂の横を通って……という具合に、教会の庭をぐるっとひと回りしています。
そして優雅に1周したかと思えば、門に向かってかっぽかっぽ駆けてきました。どうやら来た道を戻るようです。
コニーは馬に蹴られないように、慌てて門から少しだけ離れました。
するとその横を、ゆったりと走る馬と車が通過していきます。
馬も、引かれる方の車も、自分の背丈よりもずいぶん大きくて、コニーは思わず息を飲みました。
車輪なんて、びっくりするほど大きいのです。遠くから見ていた時は、指で摘まめるのかと思っていたのに。
「う、わぁ……っ」
感動したコニーが、瞬きをするのも忘れて声を上げた、その瞬間でした。
がっ!
「――――いっ……うぁぁぁんっ!」
鈍い衝撃のあと、どくどくと広がる痛み。
夢見心地だったこともあって、不意打ちの痛みにコニーは堪らず叫びました。
コニーの叫び声が響いてすぐに、ゴトゴトッ、と馬車が音を立てて停まりました。かと思えば、何やら押し問答をする男女の声が……。
その間にも、「いーたーいーっ」と叫ぶ声が途絶えることなく響きます。
「――――すぐそばで子どもが泣いてるのを放っておけと言うの?!」
耐えかねた、とばかりの勢いで言い放った女の人が、馬車から飛び出してきました。でも、その手はがっしり掴まれています。馬車の中から伸びる、男の人の手によって。
「ほら、ごらんなさい。頭を押さえて蹲っているわ。
……ああもうっ、離してと言ってるでしょリチャード!」
わんわん泣いているコニーを一瞥した女の人は、顔色を変えて腕を振りほどきました。そして、一目散に駆け出しました。
すると少し遅れて、中から男の人が現れました。溜息混じりに土を踏んだその人は、なんだか困ったような怒ったような、分かりづらい表情を浮かべています。
男の人は足取りも重く、女の人を追いました。
人の気配を感じたコニーは、涙でべちゃべちゃになった顔を上げました。
そこには、心配そうに顔を歪めた女の人の顔があります。
「ほぇ……」
「どこが痛むの?」
女の人はコニーが驚いて泣きやんだ隙に、肩や腕に触れてみました。けれど、いくらぺたぺた触っても、コニーは全然痛がりません。
それどころか、突然現れた女の人に体の至る所をぺたぺたされて、びっくりして言葉が出なくなってしまったようです。
困った顔になった女の人は、コニーの顔を覗き込みました。
「どこが痛くて泣いていたのかな?
心配だから、見せてほしいの」
そう言われて、頭がじくじく痛むのを思い出したコニーは顔をしかめました。
でも、頭の中ではまったく関係のないことを考えていました。例えば、“このひと、なんかエリカちゃんににてるなぁ……”なんてことです。
「あのね、あたまが……。
ガッ、てなって、どくどくいたくて……」
「……そう。じゃあちょっと見せてね」
女の人が、コニーの頭を上から覗き込みました。そして、そっと髪を掻きわけて、傷のついた部分がないか確かめます。
そんなことをしていたら、リチャードと呼ばれた、馬車から降りた男の人がすぐそこにやって来て言いました。どこか沈痛な面持ちで、溜息混じりに。
「マーガレット様、お時間が」
硬い声に振り向きもせず、女の人はコニーの頭の様子を確かめ続けています。
なんとなくですが、怒ってるんだろうな、とコニーは思いました。もちろん、女の人が男の人に、です。
けれど自分がその中心にいるとは思いもしないコニーは、女の人の指が髪に触れている気持ちよさに、うっとりを目を閉じました。
「大丈夫そうね……よかった……」
ほぅ、と吐息を漏らした女の人は、コニーの頭から手を離して言いました。
結局見つかったのは、タンコブがひとつ。血も出ていません。
「でも、いたかったわね。
ごめんなさい……きっと馬車が跳ねた石がぶつかったんだわ」
目を伏せた女の人に、コニーは首を振りました。ずきん、とコブが痛むけど、そんなのもう大丈夫なのです。我慢できる程度の痛みに収まりましたから。
「いっぱい泣いたから、顔がべちょべちょよ。
……ハンカチも持ってないなんて、わたしったら……」
コニーの目尻に溜まったままの涙を指先で拭って、女の人は眉根を寄せます。
すると、ハンカチ、と聞いて思い出したコニーは声を零しました。
「あっ」
そしてすぐに、ポケットの中からエリカが刺繍をしてくれた木綿のハンカチを取り出して、女の人に見せました。
「だいじょーぶ。
わたし、ハンカチもってるもん」
「そう、よかった」
女の人はハンカチを小さな手から抜き取ると、そっとコニーの顔を拭き始めました。やんわり、擦らないように気をつけながら。
「ありがと、おねえさん」
「こちらが悪いことをしたのだと思うから、お礼なんていいの。
……大きな怪我じゃなくて良かったわ」
女の人は、小さな声でもじもじとお礼を言ったコニーの手にハンカチを握らせようとしました。けれど、その瞬間に刺繍が目に留まって、口を開きました。
「この刺繍、素敵ね」
「……うん!」
コニーは嬉しくなって、勢いよく喋り始めます。
「あのね、エリカちゃんがしてくれたの」
「エリカちゃん……?」
小首を傾げた女の人に、コニーは頷いて言いました。
「うん、エリカちゃんていう……えっと……うちにいる、おねえさん。
で、わたしはコニーっていうの」
嬉しくて早口になるコニーの言葉に、女の人は頷きを返しました。そして、おもむろに尋ねました。
「……そう、コニーちゃんとエリカちゃんは、一緒に暮らしてるのね?」
「うん!
でね、わたしがコトリさんとタンポポ、って言ったの。
エリカちゃんは、なんでもししゅーできるんだよ!」
気分よくお喋りをしているコニーは、ずきんずきん、と鐘を打つような頭の痛みのことなど、すっかり忘れてしまったのでした。
「――――コニーちゃん。
頭の痛いのが心配だから、明日お家に様子を見に行ってもいいかしら?
あなたのお家は、帝都のどの辺り?」
何気なく言葉を紡いだ女の人に、コニーは嬉々として自分の家が靴屋であること、それから店の場所がこの近くであることを告げました。
その時、マーガレットと呼ばれた女の人の後ろでは、始終無視され続けていたリチャードが重々しい溜息をついていたのでした。




