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ミドルヒールが御用達 2








エリカは振り向きざまに「すみません」と頭を下げて、溜息をつきました。腕にかけたバスケットが、すれ違う人にぶつかってしまったのです。もう3度目になるでしょうか。


10時の鐘が鳴り響いたばかりの大通りには、馬車が行き交っています。それはいつものことです。

だけど走っているのは、いつもの騒々しく荒っぽい荷馬車ではありません。綺麗に着飾った美しい馬が、かっぽかっぽ、と蹄の音を立てて気だるげに走る、お上品な馬車です。

何か特別なことでもあるのかな……などと首を捻りながらも、エリカは市場へと急ぎました。刺繍の終わった品物を、ジーナに届けにいくところなのです。







市場の中は、大通りと違っていつも通りに平穏です。人気は昼時ほど多くはありませんが、それなりに賑わっています。

呼び込みをしている人の声が飛び交うなかを縫うように歩いてきたエリカは、店の奥で椅子にかけてレースを編んでいるジーナの姿を見つけて、声をかけました。


「こんにちは、ジーナさん」

すると、ふいに聴こえた声に顔を上げた彼女が、視線をあちこちへと彷徨わせます。どうやら作業に没頭していたようです。

彼女はすぐに、やって来たエリカを見つけてレースを籠に戻しました。

「あら、どうしたの?

 もしかして糸が足りなくなってしまった?」

小首を傾げた彼女の金色の髪が、するりと肩に流れます。

エリカは、ふるふると首を振りました。

「違うんです。

 その、出来上がったので見ていただきたくて」

「……もう出来たの?」

ジーナは目をまるくして、エリカを見つめました。

だって、キャベツ亭で刺繍道具一式を渡したのは、ついこの間なのです。彼女が驚くのも、無理はありません。

ぱちぱちと瞬きを繰り返した彼女の反応に、エリカがはにかみました。

「一応、ですけど……。

 ああでも、ジーナさんの理想と遠いなら、何か助言をいただきたいんです。

 縫ったあとに刺繍を減らすと生地を傷めますから、その前なら、って」

そう言いながらエリカは、手近な場所にバスケットの中から取り出した品物を広げていきます。

まずは青い小鳥と黄色いタンポポのハンカチ。それから赤い実をつけた蔦の模様のショール。最後に、襟元と裾の部分にちょっとした刺繍を入れたワンピース。

どれも、コニーに刺繍の案を出してもらって完成させたものです。

ジーナはハンカチを手にとって、目を細めました。

「このハンカチは、ぜひコニーさんに差し上げてちょうだい。

 もともと、そのつもりだったの」

「はい、ありがとうございます」

嬉しそうに頷いたエリカを見遣って、彼女は他の2つに手を伸ばしました。


手に取ったショールとワンピースを隅々まで見つめていたジーナは、やがて顔を上げて言いました。とても真剣な眼差しで。

「いいと思うわ。

 まずは、このまま店に並べてみましょ」

「……いいんですか?

 ジーナさん、もっと派手な刺繍がお好きかと思ったんですけど……」

てっきり刺繍の付け足しを言い渡されるものだと思い込んでいたエリカは、びっくりしてしまいました。あっさりしすぎて、なんだか嘘みたいです。

エリカがあまりに訝しげにしているのを見て、ジーナは噴き出しました。

「何言ってるのエリカさん。

 買うのはわたくしじゃないのに」

そのひと言にエリカは拍子抜けして、寄せていた眉根から力を抜きました。言われてみればその通りだけど、なんだか乱暴な理屈……と、頭のどこかで考えながら。

言い返す言葉が見つからないエリカに、彼女は続けます。

「だからね、これから刺繍をする時は、わたくしの好みは考えないで。

 大通りのブティックに張り合う必要はないけれど、帝都に住む女性が

 気に入ってくれたら、それでいいのよ。

 ……お願い出来るかしら」

そう言ったジーナの顔は、とても凛としていました。思いつきを熱く語る時とも、エリカにちょっとした悪戯をした時とも違う表情です。

そして、エリカは思い出しました。キャベツ亭での交渉を終えたクレイグが、“意外と話せる人だった”とジーナのことを語っていたことを。

「頑張ります」

そんなことを考えていたエリカは、気づけば頷きを返していました。



そのまま店に並ぶことになったショールとワンピースは、通りから一番よく見える場所にあるトルソーが着ることになりました。

エリカは、自分の手が加わったものがそこにあることに、なんとも表現出来ない気持ちを噛みしめました。気恥ずかしさや誇らしさ、売れなかった時を想像して不安も沸いてきます。

それでも自分がちょっとだけ成長したような気がして、頬が緩んでしまいます。


トルソーに品物を着せる作業がひと段落したところで、ジーナが言いました。

「……そうだわ。エリカさんに、報酬をお渡ししないとね」

「ほうしゅう……」

現実味のない言葉に、エリカはきょとんと小首を傾げました。

聞いたことはありますし、意味も分かります。ただ、いまいち腑に落ちないというか、仕事をした、という実感がまだないのです。

そんなエリカを見たジーナは、肩を竦めて言いました。にっこりと、初めて会った時とおんなじ意地悪な目で微笑んで。

「あら、もしかして要らない?」

そのひと言を聞いた途端に、エリカの目が覚めました。要らないなんて、これっぽっちも思っていません。

前のめりになって、慌てて言いました。

「やっ、あのっ、下さいっ!」


するとジーナは、くすくす笑って手をぱたぱた振ったかと思えば、おもむろに金庫を取り出しました。少し重そうです。

「本当にあなたって、からかいたくなるわ。

 ……よっこらしょ、と」

ふぅ、と息をついた彼女が金庫を開けながら、ふと何かを思い出したのか手を止めました。そして、エリカをじっと見つめました。

そんなふうに唐突に見つめられたって、エリカもどうしたらいいのか分かりません。思わず小首を傾げて、彼女が何か言うのを待ちました。

するとジーナは、あらぬ方向に視線を走らせて、口を開きました。

「……これはクレイグさんもイジメたくなるわよね」

そう呟いた彼女が、エリカをちらりと盗み見ます。けれどエリカは相変わらず、きょとん、としたままジーナを見て小首を傾げていました。

「クレイグさんは優しい人ですよ?

 昨日の夜も、お茶を淹れてくれましたし……」





ジーナが「受け取って」と言ってくれた巾着の中には、銀貨が1枚と銅貨が5枚。

正直なところ、それが妥当な金額なのかはエリカには分かりません。でも、生まれて初めてもらう“お給料”です。嬉しくないわけがありません。

ほくほくした笑顔で受け取って頬を緩めているエリカに、ジーナが言いました。

「エリカさんたら、お金持ってます、って顔に出てるわ……。

 この人の多い時に不用心よ。気をつけてね」

半ば呆れ顔の彼女を見て、エリカが小首を傾げました。ちょうど人の多さには、疑問を抱いていたのです。

「そういえば、何か催しでもあるんですか?

 市場に来るのに大通りを歩いていたら、すごい人で……」

するとジーナの目が、まんまるになりました。

そして、何をそんなに驚いているんだろう、と思ったエリカが肩を揺らすのと同時に、彼女が盛大な溜息を吐き出しました。

「あなた、知らないの?

 この世紀の大イベントを……!」

「だ、だい……?」

握りこぶしを口元に当てたジーナを見て、その動揺っぷりにエリカもおたおたしてしまいます。小指が立っているのは何故なのか、なんて頭の隅っこで考えながら。

「エリカさん……!」

わなわなと震えたジーナは、がっ、とエリカの肩を掴みました。そして、ぐわっと目を見開いて言いました。

「3番目の皇女様が、ご結婚相手を探していらっしゃるんですって。

 そのための舞踏会が、ノルン宮殿で開かれることになったの。

 分かる? この意味が!」

「え、えっと、あの……?!」

詰め寄られるようにして説明されて、エリカはただただ困惑しました。意味と言われても、舞踏会は帝国中の女の子の憧れ、くらいにしか想像力が働きません。

よくわからないけど、ひとまずこの肩を掴む手を離してくれませんか……と、思うエリカでしたが、揺さぶられては言葉も出てきませんでした。

他にも何か言われているような気がしますが、全然理解出来そうにありません。いかんせんジーナの声が右から左へ、するりと抜けていってしまうのです。


すると、自らの興奮を分かち合えないことに痺れを切らせたのか、ジーナが溜息混じりにエリカから手を離しました。

そして今度は、両手をがっちりと組んで瞳を輝かせました。彼女は、エリカが困った顔をしてあわあわしていることには、きっと気づいていないのでしょう。

「3番目の皇女様は庶子で、もともと皇位継承権はないんですって。

 だから、お相手の身元がしっかりしていて財力があればいいらしいわ。

 そういう事情もあって、大きな商家くらいなら舞踏会に参加出来るそうよ」

「……はぁ……」

いまだにジーナの興奮する理由が理解出来ないエリカは、小首を傾げました。

「皇女様1人に対して、名乗りを上げた男性は30人ほどいるみたい。

 だから皇女様が、帝都近郊の未婚女性に招待状を送ったというの」

「すごいですねぇ」

エリカはそこまで聞かされて、ようやくまともな相槌を打つことが出来ました。

ところがそれをどう受け取ったのか、ジーナの瞳は輝きを増していきます。

彼女は大きく息を吸い込んで、ぱちん、と手を叩きました。

「そうなの!

 それだけの商家や皇族ゆかりの方がいらっしゃれば、ビジネスチャンスが

 ごろごろ転がっているも同然じゃない!」

「……え?」

話が舞踏会とまったく関係のないところに行き着いて、エリカはうっかり、ぽかんと口を開けてしまいました。

さらにうっかり、こんな質問をしてしまいました。

「商売のお話だったんですか?

 私、ジーナさんも舞踏会に行きたいのかとばかり……」

すると、金髪店主の表情が一変しました。明らかに商売への情熱で満たされていた顔が、みるみるうちに曇っていきます。

どうしたことか、とエリカが慌てて何かを言おうと口を開きましたが、彼女の方が少しだけ早かったようです。


ジーナは、ふんっ、とあさっての方向を向いてしまいました。

「わたくしは、男になんて興味はないの。

 一生結婚なんてしないわ。しませんとも!

 あんな奴ら、成り上がって見返してやるんですから!」




何か嫌なことでも思い出したのでしょう。それからジーナはぷりぷりしながら、次に刺繍をする品物を数点と新しい刺繍糸を袋に入れて、エリカのバスケットに押し込みました。


エリカはそれを眺めながら、生まれて初めてのお給料で何を買って帰ろうかと、考えを巡らせてみました。自分の手で稼いだお金ですが、コニーの助言やクレイグが淹れてくれたお茶……たくさん助けてもらったのです。

まずはコニーの好きそうなお菓子と、クレイグには小瓶のワイン、それから……。思い浮かべれば、キリがありません。

今までに、こんなに気持ちがうきうきする日があったでしょうか。


ジーナはあれこれ話を続けています。

だけどその間にも、エリカは他のことを考えていました。


例えば、帰ってクレイグさんにお給料のことを報告しよう、とか。

たくさん話した最後には、ぽふぽふしてくれるかな、とか。そんなことを。









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