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小鳥の刺繡糸 6








カランカラン、と軽い音が頭上で響きました。

クレイグはドアを押さえてエリカとコニーを中へ入れると、やって来たウェイトレスに待ち合わせであることを告げました。

濃い色のワンピースに白いエプロンをつけたウェイトレスは、そのことを知っていたのか、少し離れた場所にあるテーブルを指差します。


コニーの小さな手を握っていたエリカは、ウェイトレスの指差した方にジーナの後ろ姿を見つけました。

木の香りが漂う店内にはランプがたくさん吊されています。彼女の金髪は、その明かりに照らされて輝いていました。

どこからか、管弦楽の音が聴こえてきます。音の出所は、カウンターの隅に置かれた蓄音器のようです。時々針が飛ぶのか、雑音が混ざっています。


店の中の様子に見入ってしまっていたら、唐突にコニーがエリカの手を振りほどきました。

「あ、ちょっ……?!」

エリカが思わず声を上げて咄嗟に手を伸ばしますが間に合わず、コニーはポニーテールを跳ねさせながらジーナの元へ駆けて行ってしまいました。

慌てたのはクレイグです。小さな子が飲食店でパタパタと、他の客はもちろんウェイトレス達も嫌な顔をするに決まっています。

クレイグは早足で歩いて、コニーの手を捕まえて「お店の中は走ったらいけないよ」と囁きました。もうすでに、ジーナの目の前でしたが。



にっこり微笑んだジーナは、クレイグに注意されて眉を八の字に下げたコニーを見て言いました。

「今日は店に来てくれてありがとう、コニーさん」

「うん!」

元気のいい返事をして頷いたコニーを見て、ジーナは言いました。その視線は、クレイグに向けられています。

「商談中は、2人きりでお願い出来ないかしら。

 コニーさん賢いから、ちょっと心配なの。

 子どもの口って、どうやったって塞いでおけないものだと思うし」

その言葉に無言で頷いたクレイグは、あとからやって来たエリカに言いました。

「コニーのこと、お願いしてもいいかい?」

「はい」

大人同士の話とはいえ、コニーも自分のことを話されているんだということくらい分かります。だから彼女は、頬をぷっくり膨らませていました。どうせ自分が意見しても変わらないので、精一杯の自己主張です。

エリカはクレイグに向かって頷いたあと、膨れっ面のコニーに手を差し出しました。

コニーの視線が、恨みがましそうにエリカの手と父親の顔の間を行ったり来たり。さっきまで仲良く手を繋いでいた彼女が、父親の手先に見えて仕方ないのです。


自分の手を取る気配のない彼女に、エリカは苦笑混じりに囁きました。

「あのね、私こういうところ慣れてなくて。

 あっちの席で一緒にごはん、食べてくれないかな」

お願いされては、さすがのコニーも折れるしかありません。

渋々エリカの手をとった彼女は、父親に向かって「お話が終わったら仲間に入れてね!」と言い放ってその場を離れようとしました。

その時です。ジーナが、持っていた鞄の中から布の袋を取り出しました。

「エリカさん、これ。

 あなたがいるなら、今のうちに渡しておくわね」

手渡されるまま受け取ったエリカは何のことかすぐに分からず、思わず小首を傾げました。

「例の、刺繍。

 よろしくお願い」

「ああ、はい。

 分かりました」

ウインクと一緒に言われて、エリカの顔に笑みが浮かびます。

するとクレイグが腕組みをして、不満そうに息をつきました。

「何の話がさっぱり分からないんだけど……。

 勝手に何を進めているんだ?」

「まあ、それは順を追って説明しますから。

 とりあえず、いろいろと詰めましょう」

ただでさえ望んだ商談でもないのに、自分に秘密にされていることがあるだなんて。

クレイグは腑に落ちない気持ちで、ジーナに勧められるまま席につきました。そうしなければ、エリカの刺繍の件について教えてもらえないそうなので。





コニーと別の席に移ったエリカは、ひとまず腰を落ち着けて息をつきました。

すると横に座ったコニーが、テーブルの端に置いてあったメニュー表を開きました。小さな手が、その一番上に書いてあるものを指差します。

「えっと、よめないんだけどね、ここに食べものがかいてあるの。

 おいしいのが、たっくさんあるんだよ!

 おねえさんに言うと、つくってもってきてくれるからね」

一生懸命なコニーの説明を、エリカは相づちを打ちながら聞いていました。

メニュー表には、羊のローストだとか牛頬肉の煮込みだとか、肉料理が載っているようです。その下を目で辿っていくと、今度は魚料理が。そして次のページには、サラダやパスタ料理があります。こうして見ると、結構な品数が提供されているようです。


こんなに種類があったら作っている人は大変だろうな、なんて思いつつ、エリカは尋ねました。

「コニーやクレイグさんは、いつもなにを食べるの?」

「んー……」

読めないながらも、なんとなくメニュー表を眺めていたコニーは視線をさまよわせました。

「わたしは、シチューとか。

 あと、からくないスパゲティとか。

 パパはたくさん。

 こないだはねぇ……おにくとパンと、あとおさけ!」

「お酒……?」

エリカは言葉の最後にくっついていた単語を聞いて、目を瞠りました。そういえば、クレイグの家に置いてもらうようになってから、彼の口からお酒という言葉を聞いた覚えがありません。地下の食糧庫にも、酒樽や酒瓶はなかったと思います。

「クレイグさん、お酒飲むんだ……知らなかった」

そりゃそうか、大人だもんね。

続きを胸の中で呟いたものの、エリカは気持ちがほんの少し沈むのを感じて視線を落としました。

同じ屋根の下で寝起きして、食事を一緒にとるようになって。それだけでちょっとでも知ったつもりになっていた自分のことも、少しばかりショックでした。


「エリカちゃん、おなかすいたー」

ぼんやりしていたエリカは、何気ないコニーの言葉で我に返りました。

「あ、ああ、うん……何を食べようか?」

そして慌てて意識をメニュー表に戻して、ひとまず初めての外食を楽しもう、と気持ちを切り替えることにしたのでした。





「お待たせしました~」

店に入った時に案内をしてくれたウェイトレスが、サラダを運んできました。トレッシングの上から、カリカリに焼いて細かく切ったパンがのせられています。

コニーは次に運ばれてくる料理が待ち遠しくて、カウンターに視線が釘付けです。

エリカはくすくす笑いながら、緑の眩しいサラダを取り皿に分けました。

「わっ……!」

そうこうしていると、ふいに隣から歓声が上がりました。もちろんコニーの声です。きっと、自分の注文した料理が運ばれてくるのが見えたのでしょう。

ベンチシートに座り直してお行儀よく料理を待つ姿は、滑稽なんだか可愛いんだか……エリカは目を細めて、彼女の横顔を見ていました。

本当は自分の方がはしゃぎたい気分なのです。なんせ初めてなので。けれどコニーと一緒になって興奮していたら、きっとあとでクレイグに怒られると思うのです。

「コニーのこと、お願いしても……」と言われたんだから、しっかりしなくちゃ……そう思ったわけです。

クレイグの呆れ返った顔を思い浮かべて苦笑いしていたエリカの前に、料理が運ばれてきました。もちろんその前には、コニーの料理が届け済みです。

「いいにおい……っ」

すんすん、と鼻を鳴らして幸せそうに微笑んでいるコニーが注文したのは、ビーフシチューでした。一緒に運ばれてきたのは、ちょっと硬そうな見た目のパンです。

「美味しそうだね」

声をかければ、コニーが勢いよく頷きました。どうやら以前クレイグが食べていたのを味見して、いつか自分ひとりで食べたいと思っていたそうで。


鼻歌混じりのコニーがスプーンを手に取ったのを見て、エリカもナイフとフォークに手を伸ばしました。

意を決して、ぷっくり膨らんだ三日月型の生地にナイフを入れると、サクッ、という手ごたえが。その切れ目にナイフとフォークを差し込んで、パックリ割るように動かします。

すると割れた中から湯気と一緒に、トマトの少し酸っぱい匂いとハーブの香り、それから真っ白なチーズがとろりと流れ出してきました。

「う、わぁぁぁ……!」

こんな食べ物があるんだ、と感動したエリカは、思わず声を上げました。

隣では、すでにコニーがビーフシチューを口に運んでご機嫌です。感動しているエリカのことは、横目でちらりと一瞥しただけ。

お互い、自分の目の前の料理のことで頭がいっぱいで。2人共お腹がいっぱいになるまで、ほとんど無言で食べ続けたのでした。




食後のお茶を、運ばれてきたポットから注いでいると、憧れのものをお腹一杯食べて満足したコニーが言いました。

「さっきのふくろは?」

「うん?」

手元に注意を向けていたエリカは、コニーの言葉を聞き返しました。

「だからー、さっきのふ・く・ろ。

 ジーナさんがエリカちゃんにあげたやつ」

「……あ、ああ、うん。

 ちょっと待っててね」

彼女は、そこまで聞いてようやく理解が追いついて、ポットをテーブルに戻してカップをコニーの前に置きました。角砂糖とミルクも一緒に。

そして自分の分はテーブルの端に寄せて、ジーナから渡された布の袋の中身を、テーブルの上に広げました。食べ終えた食器はウェイトレスがさげて、そのあとテーブルも拭いてくれたので綺麗です。

エリカは、座っているだけで料理が出てきて、後片付けも必要ないなんて……と、いたく感動したのでした。食後のお茶までついてくるなんて、至れり尽くせりです。


彼女は袋の中身のもっと奥、一番奥に四角いものが入っているのに気付きました。そして首を捻りつつも、それを引っ張り出します。出て来たのは、可愛らしい木の箱でした。

昼間ジーナがコニーに「店のものを選んで」と言ったのは聞いていました。けれどそれは、刺繡が出来そうな布で出来たものだったはずです。

見るからに木で出来た箱なんて、ジーナがあとから付け足したに決まっています。

エリカはその箱を持ち上げて下から覗き込んでみたり、横から観察してみたり……。変なところがないか、入念にチェックしてみました。だけど、何も見つかりません。

「何かなぁ……?」

どういうことなんだろう、と疑心暗鬼になりつつも、エリカはその箱を開けてみることにしました。

「なに、なぁに?」

角砂糖をカップに落としてスプーンでかき混ぜていたコニーが、横から箱を覗き込んできます。興味津々、といったふうに。

エリカは箱の蓋に手をかけました。するとそれほど力は必要なく、箱は二枚貝のように、ぱかっと開きました。


「わー……!」

こわごわ開けたせいなのか、固唾を飲んで見守っていたコニーが小さな歓声を上げます。

エリカは、箱の中身を見て言葉を失いました。

最初に目に飛び込んできたのは、宝石のように綺麗な玉のついた待ち針と、縫い針、それから色の鮮やかな刺繍糸。小さなハサミもついています。

「これで縫ってね、ってことかな……?」

「うんうん、うん!」

ぴょんぴょん跳ねる勢いで頷いたコニーが、エリカの腕を揺さぶりました。その瞳が、キラキラ輝いています。

「エリカちゃんっ」

そこまで聞いてコニーの言いたいことがなんとなく分かったエリカは、小さく笑って囁きました。箱の中から、黄色い刺繍糸を取り出しながら。

「タンポポ……と、コトリさん、だったよね。

 何色にしようか?」

「うんっ。

 あおいろのコトリさん!」



「じゃあ、危ないから少し離れて見ててね」

そう言いながら、エリカは青い糸を伸ばして針に通しました。

そして、店に入る前に自分の頭を撫でた熊のような大きな手を想いました。出来上がった刺繍を見たクレイグが、もう一度頭を撫でてくれたらいいな、なんて。









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