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小鳥の刺繡糸 4








ハリケーンのようなジーナが帰って、店の中は静まり返りました。それまでが嵐のようだっただけに、沈黙が耳に痛いほどです。

そしてクレイグの頭の中には、彼女の朗々と響く笑い声と「ごきげんよう!」とまるで捨て台詞のように吐かれた言葉がこびりついて離れないまま。


だからというか、なんというか。ともかく疲れきった彼は溜息を零しました。

「コニー……君って子は……」

脱力しきった呟きに、コニーが小首を傾げました。そういえば、今日のパパったら元気がないな……なんて思いながら。

クレイグは、そんな娘の反応を見てますます肩を落としたのでした。なんだかもう、自分ひとりが駄々をこねている気分になってしまいそうで。

結局、ジーナとの取引についての話は、それっきりになりました。あとは店主同士の交渉になるのだそうです。





少し早いお昼ご飯を用意しながら、エリカはふと抱いた疑問を口にしました。

「ねえコニー。

 今日は帰って来るの、いつもより早かったね?」

今日のお昼は、塩漬け肉の薄切りを焼いておいたものとレタスを、香草入りのバターを塗ったパンで挟んだサンドイッチです。大人の分はマスタードも塗ってあります。

クレイグがアカシアの木を削って作った、というお皿にそれを盛りつけながら、エリカは食卓で静かに待っているコニーを見遣りました。

そうこうしているうちに、正午の鐘が鳴り響いているのが聴こえてきます。

エリカが鐘の音に耳を傾けていると、コニーが頷きました。

「うん、あのね。

 やねのシューリのひとがきたから」

「しゅーり……ああ、なるほど」

手を止めることなく、エリカは呟きました。手元のお皿には、人数分のサンドイッチとデザートのリンゴが乗せられていきます。コニーの分は、うさぎさんの形にしてあります。

美味しそうな匂いに鼻をすんすんさせたコニーは、ぴょこん、と椅子から下りました。そして、小走りになって台所にやって来ます。

ふいにやって来たコニーが両手を差し出したので、エリカは笑みを浮かべて彼女のお皿を渡してやりました。

「はい、どうぞ。

 落とさないようにね」

「はーい」

言いながらも視線がサンドイッチを捉えて離さない様子が可笑しくて、エリカは噴き出したいのを堪えて言いました。

「自分の分を運んだら、クレイグさんに声かけてあげてね」


コニーがぱたぱた駆けていくのを見送って、エリカは溜息を漏らしました。食卓の真ん中に置いた小瓶に生けたマーガレットの花びらをつつけば、ほろりと白い花びらが落ちてきます。

これから食事をする所に花びらが落ちているのもなんだか……と思ったエリカは、落ちた花びらを摘んでゴミ箱に捨てました。

そして、クレイグやコニーが来ないのに自分だけ席についているわけにはいかない、と、ぼんやりとそこに立っていることにしました。

食事は出来てしまったし、水も用意しました。手拭きも置いておきました。準備は万端です。

工房からは、なにやら話し声が聴こえてきます。内容までは分からないけれど、どうやらクレイグがコニーに何かを言い聞かせているようです。もちろん、何を言っているのかは分からないのですが。

特にすることがなくなったエリカは、親子の声を右から左に流しつつ、半ば呆然とそこに佇んでいました。遅いからといって自分が出ていってしまうのは、何かが違うような気がするのです。

そしてふと、いつまでも与えられる好意に甘えているわけにはいかないんじゃないか、という考えが脳裏をよぎりました。ジーナとの会話のせいかも知れません。

“家庭を守る”という表現は初めて耳にしたけれど、番犬のようなものだろうか。それなら、その役目はガタイのいい男性にお願いした方が安心じゃないだろうか。

とりとめもなく考えを巡らせたエリカは、やっぱり自立しよう、という結論に辿り着いたのでした。



ひっそりと決意したエリカが誰にでもなく頷いていると、工房に続くドアが開いて、コニーが顔を覗かせました。

「エリカちゃん……」

どういうわけか、彼女がしょんぼりした顔でエリカのもとに歩いて来ました。とぼとぼ、俯きがちに。工房に向かった時とえらい違いです。

自分の決意をひとまず放り出して、エリカはコニーのつむじを見つめました。

「ど、どうしたのコニー……?」

泣き出すんじゃないかと気が気じゃない彼女は、わたわた、おろおろ。

自分がコニーくらいの子どもだった頃にも、たくさん泣いたはずなのに。エリカは、こういう時どうすればいいのか分からないのです。

困ったな、とクレイグの姿を探して視線を投げると、彼が工房からこちらの様子を窺っていることに気がつきました。それもとても、心配そうに。

いったい何が起きてるんだ、と思いながらも、目が合ったクレイグに頷かれてしまっては、エリカもそうせざるを得ません。彼が何を伝えたいのかは、全然分からないというのに。


大人2人が目配せらしきことをしている間に、コニーが顔を上げました。力みすぎているのか、唇が“へ”の字に曲がってしまっています。

「あのね……」

「うん?」

消え入りそうな声が、エリカに尋ねました。

「おばちゃん、って言ったら、エリカちゃんかなしい?

 わたしのこと、き、きらいになる……?」

言いながら、しょんぼりコニーが上目遣いにエリカを見上げます。

「えええ……?!」

藪から棒な質問に、彼女は素っ頓狂な声を上げてしまいました。そして、いったいどういうこと、と居間の様子を窺っているクレイグを見遣りました。

けれど、目が合った彼は静かに、しかも意味ありげに頷くばかりです。

そうこうしている間にも、しょんぼりコニーは続けます。

「だって、パパが。

 おとなのおんなのひとは、みんなおねえさんだって。

 おばちゃん、って言ったらいけないって……」

そこまで聞いて、エリカはなんとなくクレイグの視線に込められたものを察しました。

おそらく工房で、さきほどの“おばちゃん”発言に対してのお説教をしていたのでしょう。だからこんなに時間がかかったに違いありません。

そして彼はきっと、コニーにダメ押しのひと言を、とかそういうことを期待してるんだ、と。


いろいろと理解したエリカは、コニーに言いました。

「私も、おばちゃん、はイヤかも知れないな。

 しわしわのお婆ちゃんになったら、それでも嬉しいだろうけど」

言葉の最後で、ぷ、と噴き出します。

そんなエリカの頭の中には、養母の姿が浮かんでいました。目尻の皺を気にする中年女性になっても、お世辞にはめっぽう弱い人で。だから「今日もお綺麗です」なんて言うのが、エリカの日課でもあったのです。今となっては遠い過去のようですが。

コニーは突然笑みを浮かべたエリカを見て、きょとん、としました。

「エリカちゃん……?」

小首を傾げた彼女に、エリカは静かに首を振りました。そして、苦笑混じりに言いました。

「とりあえず、ジーナさんには謝った方がいいかも……。

 昨日話した可愛いもののお店、あの人の店なんだ」

そのひと言に、コニーは小さな両手でぷにぷにの柔らかい頬を押し潰して、声もなく絶叫したのでした。








サンドイッチと、うさちゃんリンゴをお腹に収めたコニーは、びくびくしながら市場を歩いていました。もちろんエリカも一緒に、はぐれないように手を繋いで。

「だいじょぶかなぁ……」

「大丈夫だと思うよ」

そんな会話を、何度も繰り返しながら。

いろんな方向から、美味しそうな匂いが風に乗って漂ってきます。2人の大好きな綿飴の甘い匂いもします。けれど、お楽しみは一番最後です。

なぜなら、これからジーナの店に行くから。

でもその前に、2人には寄りたい所があるのです。


ジーナの店から離れた、食料品を扱う通りの中ほどに、そこはありました。

麻の袋から溢れんばかりのいろんな種類の豆が並んだ、子ども達が“ソラマメさん”と呼んでいる恰幅の良い中年女性の営む、乾物などを扱う店です。

「あらコニー、いらっしゃい!

 ……お嬢さんも」

ソラマメさんは、今日も元気にコニーに挨拶をしました。そして、エリカにも声をかけました。ただし、ついで程度にですが。

彼女の視線に含まれたささいな棘にはまったく気づかず、エリカは会釈を返しました。その種類の視線には、養母のおかげで耐性があるのです。

エリカは、コニーを一瞥しました。

すると、コニーもエリカを見上げて何やら頷いています。

次の瞬間、ソラマメさんを見据えた彼女が、大きく口を開きました。思いっきり、息を吸い込んでお腹に力を入れます。

「――――おばちゃんて、おねえさんみたいだね!」





通りを歩きながら、手を繋いだ2人は顔を見合わせて「ふふっ」と笑みを零しました。ソラマメさんの目が輝いた瞬間が、何度も頭の中で再生されるのです。

エリカの手を、ぎゅっと握ったコニーが言いました。

「おねえさん、ってすごいね。

 “まほうのことば”みたい」

それを聞いて、エリカは頷きました。コニーは、昨日のおとぎ話に出て来た“魔法”という言葉が気に入ったんだろうな、と思いながら。

「そうだね。

 でも、会う人みんなに言うのはやめた方がいいかも」

「なんでー?」

声を落としたエリカに、コニーは小首を傾げて尋ねました。

汚い言葉を連発して教会の先生や大人達に怒られる男の子達は見かけますが、良い言葉を並べ立てて注意を受けることなんて、ないと思うのです。

するとエリカは、少し考える素振りを見せてから囁きました。

「お話に出て来た魔法使いは、ソフィアにだけ魔法をかけたでしょ?

 だから魔法っていうのは、使い過ぎちゃいけないんじゃないかな。

 たまに使うくらいで、ちょうどいいのかもね」

まさか“八方美人的に同じ言葉を言いまくっていたら、お世辞として完全に上滑りすると思う。下手したら相手を怒らせる”なんて言えません。

「はー……そっかー……。

 じゃあつぎからは、おなまえをきいてみるね」

困ったように微笑むエリカを見て、コニーは神妙に頷いています。どうやら、何か腑に落ちることでもあったのでしょう。なんにせよ、彼女は納得してくれたようです。

これでコニーも、これから“おばちゃん”を“おねえさん”と呼ぶと喜ばれる、ということが理解出来たでしょう。そのために、ソラマメさんの店に寄ったのです。

エリカは胸を撫で下ろしながら、溜息をつきました。



2人は食料品の通りを抜けて、衣料品や生活品のお店が並ぶ通りにやって来ました。やっぱりこの通りを歩くのは、女性が中心のようです。時折、香水の匂いが漂ってきます。

昨日歩いた時のように、客を呼び込む声が飛び交っているのが聴こえてきます。

昨日と反対側から洋服の通りに入ったエリカは、一瞬昨日と風景が違うような錯覚に陥りましたが、すぐに通りの角に位置するジーナの店をすぐに思い出しました。


ジーナは、エリカが昨日訪れた時と同じように椅子に腰かけて、レースを編んでいます。黙々と、集中しているようです。店先に誰かがいる気配も感じないくらいに。

突っ立っていても気づいてはもらえないと分かっているので、エリカはコニーの手を引いたまま、ジーナの目の前に立ちました。そして、口を開いて思い切り息を吸い込みます。

「――――ジーナさん!」

足の裏に力を入れて言い放った瞬間、繋いでいたコニーの小さな手が、ぷるっと震えました。どうやらエリカの大きな声に驚いたようです。

ところがジーナは、まるでたった今眠りから覚めたような表情を浮かべて視線を上げ、小首を傾げました。こちらは、たいして驚いていないようです。

彼女は、けろっと言いました。

「あら、エリカさん。

 ……と、クレイグさんの娘さん」

「コニーだよ」

思わず、齧りつくようにコニーが言いました。

ちょっとだけ口を尖らせているのを見つけたのか、ジーナは肩を竦めました。

「それは失礼したわね、コニーさん」

そう言って、彼女はすぐに視線をエリカに移しました。クレイグとの取引の件で、何かあったのかと思ったからです。


ジーナは編みかけのレースをしまいながら言いました。

その間に、エリカの隣にいたはずのコニーが物珍しそうに店の中を歩きまわり始めました。

「わたくしに何か用かしら?

 それとも、何かお探し?」

エリカは曖昧な笑みを浮かべました。だって、ふらふらと歩いては品物をつついたりしているコニーの方に注意が向いてしまって、いえ、品物の方が心配で気が気じゃないのです。

ちらちらと視線を投げながらコニーの様子を確認して、彼女は言いました。

「ええと、両方です。

 クレイグさんからは、商談の場所や日にちの伝言を頼まれてて。

 それとは関係なく、コニーと店のものを見に来ました」

「あら、それは嬉しいわ!

 素敵な知らせが2つも!」

一瞬にして目をキラキラさせたジーナは、金髪の髪をかき上げておもむろにメモ帳を取り出しました。そしてペン立てから鉛筆を取り出した彼女は言いました。

「伝言、聞かせてもらえるかしら」

「はい」

一語一句聞き洩らさないように、と真剣な顔つきでペンを構えているジーナを見て、エリカも神妙な気持ちになります。だから、ちゃんと伝えなくちゃ、とクレイグの言葉を思い出しながら口を開きました。

「ええと……。

 早速今夜、キャベツ亭という定食屋さんで話をしたいそうです」

「わかったわ。キャベツ亭ね」

「はい。6時半がいいそうです。

 そのあとコニーにシャワーを浴びさせて、寝かさないといけないので」

クレイグの指定した定食屋をメモ帳に書き込んだジーナは、うんうん、と相槌を打ちながらペンを走らせました。


その時です。

「エリカちゃんっ、エリカちゃんっ」

物珍しそうに品物を見て回っていたコニーが、エリカのもとに駆け寄ってきました。まさか、もう飽きてしまったのでしょうか。

とりあえず伝えるべきことは伝えたから、と彼女はコニーの話を訊くことにしました。

「どうしたの?」

するとコニーは、その小さな手に握っていたものをエリカに手渡しました。

「これー」

正方形に畳まれたそれは、特段珍しくも高くも安くもない、木綿のハンカチです。今朝洗濯して干したものの中に、似たようなものがあったような……。

「うん……?」

この子ったら本当に欲しいのかな、とエリカが思わず首を捻ると、コニーがぴょんぴょん跳ねました。

「これに、ししゅして!」

「ししゅ……」

一度聞いただけではピンと来なかったので、エリカは呆然と聞き取れた言葉を繰り返しました。ししゅ、ししゅ、ししゅ……。

だんだんと眉根が寄っていきます。

そうして何度も胸の内で呟いては首を捻り、を繰り返していると、ふいに頭の中にある言葉が浮かんできました。

「――――もしかして、刺繡のこと?

 コニーの靴下にした、ああいうやつのこと?」

確認するように問いかけると、コニーは目をキラキラさせながら頷きました。

「うん、それそれ!

 みずたまとか、おほしさまとか、ことりさんとか!」




ひらめきが暴走して興奮気味のコニーを前に、エリカがわたわたしています。

そんな2人を眺めながら、ジーナは思うことがありました。そういえば、この店には子ども向けの品物が全然なかったのか……と。そして、これを機に……と。

とりあえずハンカチを元あった場所に戻すようコニーを宥めるエリカを見て、ジーナはちょっとしたことを思いつきました。


ちょうど、考えていたところだったのです。

レースのついた商品ばかりでは頼りない、と。









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