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レインブーツでスキップ 6








「……え?」

エリカが間抜けな声を発し、クレイグは瞬きを繰り返しました。言い放たれた台詞は、きちんと聴こえていました。けれど理解が追いつかなかったのです。


「……あら、もしもし?」

彼女はクレイグの目の前で、手をぱたぱたさせて小首を傾げました。

すると、弾かれたように我に返った彼が息を吸い込みました。やっぱり店主の言葉を、にわかには信じられなかったようです。

「靴を、置きたい?」

訝しげに口を開いた彼を見て、店主が曖昧な笑みを浮かべました。その視線は、彼でなくエリカに向けられています。

「だって彼女のその靴も、あなたが作ったのよね?」

呆気に取られたままのエリカは、自分の履いている靴が話題にのぼっていることに気づいていないようです。

店主は言葉を続けました。クレイグの買ったもの一式を詰めた袋を、エリカに手渡しながら。

「すごく素敵だし、警備隊と取引しているなら頼もしい限りだわ」

そのひと言に、クレイグは眉根を寄せました。明らかに不快そうです。

エリカは買ってもらったものをバスケットにしまいながら彼の顔を見て、なんだかそわそわしてしまいました。靴なんかより、クレイグの機嫌の方が数倍も大事なのです。置いてもらっている身としては。

「悪いが、コネを期待しているならお門違いだ。

 靴は、うちの店で売る分だけしか作ってない。今までも、これからも」

低い声をもっと低くして言葉を紡いだクレイグは、言い終えると同時にハラハラしながら様子を見守っていたエリカの手を掴みました。

熊のような大きな手は、加減も何もなく彼女の手をぐいぐい引っ張ります。

「――――わっ、ひゃっ?!」

ぐいんっ、と引き摺られたエリカは、たたらを踏みながらも大股で店を出ようとしているクレイグの後をついて行きました。じゃないと、顔面が地面に頬ずりしてしまいそうなのです。

されるがままのエリカは、店を出る間際に視線を投げました。いろいろありましたが、なんだかんだと親身になってくれたような気がしたのです。ちょっとばかり意地悪で強引でしたが。

そんなことを思い出していた時、店主と目が合いました。

彼女は、にこにこして手を振っています。まるで、クレイグの機嫌を損ねてしまったことなんて、全然気にもしていないようです。

私だったら駆け寄ってぺこぺこ謝り倒すけど……なんて思ったエリカは、不思議に感じた心の中で小首を傾げました。

よく分からないけど、クレイグは男性だし店主としては“おととい来やがれ”な人なのかも知れないし。手を振ってにこにこしてる裏で、実は怒ってるのかも……。

そんなことを考えて、エリカは曖昧な笑みを浮かべたのでした。





大変面白くない気持ちで、クレイグは通りを歩いていました。大股で、わき目も振らずに。それこそ気の立った熊みたいです。

彼は険しい表情のまま、鼻から息を吐き出しました。口を開けたら、汚い言葉が出てきてしまいそうなのです。


ハンスは、遠慮のいらない飲み仲間のようなものです。友達だと公言してしまうと、彼が調子に乗るのが目に見えているので言いませんが。

ともかく、そんなおちゃらけ警備隊員との繋がりが目当ての女と取引するなんて、吐き気がして身の毛もよだつ、というものです。

もちろん、自分の作る靴を褒めてもらうのは気分の悪いものではありません。けれどそれよりも、店主の思惑に怒りを感じてしまったのでした。

この際、実は店主はハンスの好みに該当するかも知れない、ということはどうでもいいのです。とにもかくにも、あの手の女性には関わりたくないのです。


そんなわけで、クレイグは早く店から遠ざかりたい一心で通りを歩いていました。

その時です。

「――――あっ、あのっ……!」

それまでひたすら引き摺られるようにして歩いていたエリカが、声を上げました。

とっても情けない顔で、もうヨレヨレ。息も上がってしまって、声をかけたきり次の言葉を紡ぐことが出来ない状態で。

彼女の顔を見た瞬間、クレイグは足を止めました。そして、慌てて掴んでいた手を離しました。

「す、すまない」

咄嗟に謝ったものの、今度はエリカの手首を見て絶句しました。力を入れ過ぎたのでしょう、掴んだ痕が痛々しく残っています。

「え、ああ……あはは、全然大丈夫です」

エリカも自分の手首の惨状を目の当たりにして、なんだかよく分からない笑みが込み上げてきます。どうやら心の底から戸惑ってしまうと、人間は薄ら笑いを浮かべてしまうようです。

そうして往来の真ん中に立ち尽くした2人は、なんともいえない気まずさを抱えたまま、しばらくの間、謝ったり手を振ったりを繰り返していたのでした。









「エリカちゃん!」

怒号に近い声で呼ばれて、エリカは勢いよく振り返りました。すると、目の前には仁王立ちになったコニーの姿がありました。

どうしたのでしょう。たいそうご立腹のようです。

「な、なあに?」

もしかして、夕食のおかずが気に食わなったとか。それとも、シャワーのお湯が熱過ぎたとか。いやまさか、靴下の穴を見落として修繕し忘れていたとか。

可能な限り想像を広げて小首を傾げたエリカに、ぷんすか怒ったコニーが言いました。

「わたあめ食べたって、ほんと?!」

そのひと言に、エリカの口がぽかんと開きました。


あのあと……クレイグに手を引っ張られて、金髪店主の店から出たあと。微妙な空気の中、2人は予定していた買い物を終えました。

そして、さあ帰ろうか、という時に、エリカがクレイグを見失ってしまったのです。ちょうどお昼前の人が増える時間だったから、でしょうか。お互いに気まずくて目も合わせづらい状態でしたから、連れの姿がないことに気づいたのは、しばらく経ってからでした。

迷子になってしまったエリカは、近くに綿飴の屋台があることに気がついて近づいていったのです。そして、誘惑に負けてあっさり綿飴を買ってしまって。

もっとも、そのすぐ後にクレイグがエリカを見つけてくれたのですが……。


「あ、あれは迷子になっちゃって、クレイグさんが見つけてくれるまで……」

ぷんすか、と小爆発を繰り返すコニーの剣幕にしどろもどろになりつつも、エリカは事情を説明しようと口を動かします。

「でも私だけ、っていうのも申し訳ないから、ちゃんとクレイグさんにも」

そうです。

あの時は迷子になるまで気まずくて、気まずくて。だから、勢いに任せてクレイグに綿飴を半分あげたのです。私は全然怒ってないですよ、という意味も込めて。

ところがエリカの話を聞いたコニーは、顔を真っ赤にして、口をへの字に曲げてしまいました。そして、ぷるぷる震えています。

シャワーを済ませてきたから暑い、というわけではなさそうです。

「こ、コニー?」

思わずエリカが声をかけますが、小さな瞳は悲しみと怒りをないまぜに湛えたままです。

するとそこへ、クレイグがやってきました。首からタオルを下げて、濡れた髪から落ちる水滴をそのままに。


「悪かったよ、コニー。

 だから明日、エリカと一緒に食べておいで」

半分呆れたような顔のクレイグを見て、コニーがそっぽを向きました。その途端、彼の肩ががっくり下がります。このやり取りを、シャワーを浴びている時から繰り返しているのです。

愛娘に取りつく島もなく冷たくされて、平気な父親がいるでしょうか。クレイグは沈痛な面持ちで天を仰ぎました。


「え、っと……コニー?」

エリカは、ぶすっとして俯いたコニーの前にしゃがみました。

小さな彼女は顔をくしゃくしゃにして、泣き喚きたいのを我慢しているようでした。少なくとも、エリカにはそう見えました。

そして、そういえばずっと昔、養父母と義弟の輪に入れなくて泣いたことがあったっけ……なんて、そんなことを思い出した彼女は、そっと口を開きました。


「ごめんね。

 私もクレイグさんも、仲間外れにしようと思ったわけじゃないんだ。

 ……明日一緒に市場に行こう?

 綿飴を食べて、それから秘密のお店に行かない?」

そのひと言に、コニーの視線が左右に揺れます。

エリカは、手を伸ばして小さな手に触れました。その手は、少しだけ手首の赤い彼女の手を振り解いたりはしませんでした。

「今日ね、可愛いものがたくさん置いてあるお店を見つけたの。

 買いたいものがあってね、一緒に選んで欲しいんだけど……」

彼女の言葉を聞いて、コニーの顔が上がりました。

ふるふる震えていた唇が、ゆっくりと開いていきます。

「……ほんと?」

小さな声にエリカが頷いて、そして囁きました。

「コニーと一緒がいいな」

ダメ押しのひと言に、コニーの小さな頭がこくんと上下しました。

その様子を固唾を飲んで見守っていたクレイグは、詰めていた息を吐き出しました。




その夜、機嫌を直したコニーに絵本の読み聞かせを強請れたエリカは、絵本ではなく、ある物語を話してあげることにしました。

ずっと記憶の中にしまっておいた、大事な大事なお話を。


「じゃあ、お話するね。

 むかしむかし、あるところに――――――」

ソファに腰掛けたエリカは、久しぶりに呼び起こした物語を紡ぎ始めました。

隣では、温めたミルクを啜るコニーが目をキラキラさせて頷いています。

今夜は何から何まで、特別なのです。







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