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レインブーツでスキップ 4








見るからに高級そうな布の貼られた箱に、いくつもの下着が丁寧に畳まれて収められています。色も、たくさんあります。

「こんなのしかなくて。

 気に入ってもらえるといいけど……」

店主はそう言って、エリカに微笑みかけました。

「ありがとうございます」

エリカも目当てのものを前に、自然と笑みが浮かびます。

ところがです。エリカは色とりどりの下着を広げて、顔を真っ赤にしました。

「あの、えと……」

もう何と言えばいいのか分かりません。彼女は口ごもって、俯いてしまいました。



レース編みに夢中だった店主が持ってきてくれた下着たちは、ほとんどがレースで出来ていたのです。スケスケです。しかもなんだか、布地の部分がものすごく少ないような気がしてなりません。これじゃお腹が冷えてしまいそうです。

しかも、売って下さい、とお願いした手前、「こんなんじゃない」なんて言えるわけがありません。

でも考えれば分かることでした。店主がレースを編んでいるのですから、レースを使ったものであることは自然なことです。

しかしながら、こんな下着は見たことがありません。これが帝都の標準なのだとしたら、これを身につけるべきなのでしょうか。それにしても派手過ぎます。

エリカは、よく考えて遣うように、とクレイグに言われたのを思い出しました。頭の中に、熊のような彼の顔が浮かびます。

そこで彼女は、とんでもないことに気づきました。一緒に住んでいる以上、この間の夕立の時のように、クレイグが洗濯物に触れることがあるかも知れないのです。

どうしようどうしようこんなの間違ってクレイグさんが洗濯でもしようものなら大変なことに……! とエリカは心の中で叫びました。ちなみに、普通の下着でもクレイグに洗濯されるなんてとんでもない、ということには気づいていないようです。


そこで突然、店主が「ぷぷーっ」と噴き出しました。

驚いて我に返ったエリカが絶句して店主を凝視していると、彼女はその視線に気づいて、困った顔をして微笑みました。


「ご、ごめんなさい……!

 ちょっと悪戯が過ぎたわ。

 だってあなた、可愛いんだもの」

悪びれもせずに舌を出した彼女は、口をぱくぱくさせるエリカに言いました。

「ちょっと待ってて。

 ちゃんとしたの、持ってくるから」


わけが分からないままエリカが見ていると、彼女はすぐそばの棚から、布を貼った箱を取り出しました。最初に持ってきたものと似たような見てくれをしています。

エリカは、また同じようなものが出てくるんじゃないか、と体を強張らせました。それは困るのです。

「あ、あの……っ」

思わず声を上げた彼女に、店主は何も言わずに箱を開けます。そして、中に入っていたものの1つを無造作に広げました。

それはごく普通の、エリカが探していたものでした。

「あれ……?」

「あなたが探してるのって、こういうのよね?」

「そう、です……」

店主が声をかけると、エリカはこくりと頷きました。そして強張っていた体から力を抜いて、詰めていた息を吐き出しました。

真っ赤だった頬が、だんだんと普通の顔色に戻っていきます。

「売って下さい、って言ってしまったから、買うしかないかと思って……。

 よかったです……あれじゃお腹冷えちゃいます……」

「あなた……」

ぽつりと呟いたエリカに、店主が訝しげな眼差しを向けます。

エリカは、きょとん、と小首を傾げました。

「はい?」

「あの下着の使い道、知らないの?

 ……まさか子どもじゃないわよね?」

訝しげな店主の顔を見たエリカは、目をぱちぱちさせました。

「使い道?

 あれ、普段履くんじゃないんですか?

 帝都では普通なのかと思ってましたけど……違うんですか?」





エリカの発言に笑い転げた店主は、金色の髪を耳にかけて小首を傾げました。若干声が掠れてしまっているのは、きっと笑い過ぎたせいでしょう。

「……ふぅ。

 で、あなた帝都には最近来たのね?」

「はい」

気取らない口調は、どこかハンスに似ています。いえ、ハンスの方が3割増しでチャラチャラしているかも知れません。けれど親しみやすさを感じる点では、2人はよく似ているな、とエリカは思っていました。

エリカに椅子を勧めた店主は、頷いた彼女に言いました。

「誰か頼る人がいて?」

「え?」

思わぬ言葉に、エリカの口から声が零れます。そして、また悪戯かと、ちょっとだけ疑って視線を返しました。

すると店主が真剣な表情を崩さずに、彼女の目を見つめました。

「本当に、心配して言ってるの。

 あなた世間を知らないでしょう。そういう顔してる」

言い切られるのに抵抗はありますが、心配してくれているのは顔を見れば分かります。エリカは言葉に詰まってしまいました。

だから、クレイグの世話になっている、ということも咄嗟に言えなかったのです。

エリカが何も言わないのを、天涯孤独の身だとでも思ったのでしょう。店主が溜息混じりに言いました。

「――――わたくしの所に来る?」

「わ、わたくし?」

ぎょっ、としてオウム返しをしたエリカに、店主が呆れたように手を振ります。ダメだこりゃ、と胸の内で呟いて。

「だから……頼る人がいないなら、わたくしが面倒見る、と言ってるの。

 もちろん、あなたさえ良ければの話だけれどね」

「や、あのっ」

エリカは慌てて首を振りました。クレイグのことを伝えなくては、強引に話が進んでしまいかねない、と思ったのです。

そして、それは案の定心配だけでは済みませんでした。

店主は彼女の慌てようを、驚いて遠慮している、と受け取ったのです。

「ほらみなさい。いないんじゃないの。

 大体ね、下着ひとつまともに買えないんじゃ食べていくのも困るわよ?

 今日は3時までで店じまいにするから、うちの屋敷にいらっしゃいな。

 大丈夫よ。世の中、持ちつ持たれつ、って言うじゃない」

「う、それは……って、違うんですっ」

下着と食べることを繋げられても、などと考えていたエリカは、いまだにクレイグのことを口にしていなかったことを思い出しました。

そうです。何がなんでも、店主の“屋敷”とやらに行くわけにはいかないのです。絶対に靴屋に帰らなくては。コニーの靴下の穴を塞がなくてはなりませんし、輪っか状に干したバスタオルで目隠しした中に下着が干してあるのです。

ところが、決意を新たにしたエリカが握りこぶしを作って身の上を主張しようとしたその時、彼女の背後から大きな影が差しました。



あら、洗濯物を干した時には雲ひとつない青空だったのに……と、エリカが小首を傾げて、その影を見つめていると。

「――――エリカ」

ふいに、それも間近にクレイグの声が響きました。


「え?」

咄嗟に振り返れば、そこには呆れ半分不機嫌混じりな表情をしたクレイグが……。

エリカは、目玉が零れ落ちるかというくらいに目を見開きました。

「クレイグさん!」

思わずその名を呼べば、彼が溜息を吐き出しました。そして、面白くなさそうな表情を浮かべて言いました。エリカではなく、金髪の女性店主に向かって。

「店主」

「え、あ……何かしら」

熊のようなクレイグの見てくれと低い声に、ほんの一瞬だけ躊躇ったようですが、彼女は気丈に彼を見上げました。客である“おのぼりさん”を知っているようだけど、一体どういう関係なのかしら……と、疑いの目をもって。

さっきまで散々エリカをからかって笑い転げていたというのに、すっかり保護対象になってしまったようです。


そのエリカ本人は、突然現れたクレイグに驚きつつ、さらに店主と2人して険悪なムードを醸し出していることに内心大慌てをしていました。慌てるだけで、何も言えないのが本当に残念です。

あわあわと彼女が2人を交互に見遣っていると、クレイグが言いました。

「悪いが、うちの……」

言いかけて、言葉に詰まってしまいました。続きは“誑かしてくれるな”なのですが、エリカが“うちの”何なのかが、真っ白だったのです。

言い淀んだ自分に戸惑いながらも、クレイグはとにかく言い切ろうと口を動かしました。

「……を、誑かさないでもらえるか。

 一緒に暮らしているので、保護は必要ない。私が連れて帰る」

「うちの……」

その言葉を聞いて、店主が呆然と呟きました。相当の衝撃を受けたようで、むすっとしているクレイグと、わたわたおろおろしているエリカを交互に見遣っています。そしてしばらく呆然としていたかと思ったら、突然はっと何かに気づいた様子で目を瞠りました。


店主が愕然としている間、クレイグはエリカを窘めていました。

「エリカ。約束の時間は守って」

やんわりと言われて、エリカは余計に罪悪感を抱きました。目を伏せて、小さな声で「すみません」と謝ります。

するとクレイグは、続けて言いました。その心中は、遊ぶのに夢中でとっぷり日が暮れて暗くなった頃に帰宅したコニーを叱るのと、同じような気持ちです。

「慣れたつもりでも、まだまだ帝都の怖さを知らないんだから。

 頼むよ、心配するだろう?」

溜息混じりに窘められて、エリカは思わず両手で頬を押さえました。悲しいのでなく、クレイグが怖いわけでもなく。

「エリカ?」

目を輝かせた彼女を見たクレイグが、訝しげに尋ねました。とうとうこの子、耳のネジまでもが緩んだんだろうか、と。

当の本人は、緩む頬を抑えることが出来ずに俯きました。そして、小さな声で囁きました。

「……嬉しくて。

 心配してもらえて、嬉しくて……ごめんなさい」

とてもじゃないけれど、クレイグの顔を見上げることは出来ませんでした。言い終えたエリカは、しばらくしてから、そっと息を吐きだして彼を仰ぎ見ました。

そして、小首を傾げました。彼の顔が、ちょっとだけ赤かったからです。

「クレイグさん?」

てっきり不機嫌になっているのかと思って、覚悟していたのです。お説教中に、嬉しいだなんて言ってしまったのですから。

だけど彼は今、ほんのり赤くなった顔を背けて、額を押さえています。


不意打ちの直球な表現に面喰ってしまったクレイグは、椅子に座ったままのエリカに向かって、そっと手を差し出しました。ちょっとだけ、やけになっていました。

「……行くよ。

 食料品も買わないといけないから」

エリカの耳を、彼の言葉が素通りしていきます。

言葉の意味なんて、流して聞いても理解出来ました。でも、この手は一体。

ぽかん、とクレイグの熊のようにふっくらした手のひらを見つめていたエリカは、思わず彼の顔に視線を移しました。

すると彼が、「ほら」と囁きます。

エリカは無意識のうちに頷いて、その手に自分の手を重ねました。


ふに、と柔らかくて大きな手のひらは、とても温かくて。

彼女の顔に、笑みが浮かびました。

クレイグは思わず、エリカの手を握って引き上げたのでした。










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