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レインブーツでスキップ 1









靴屋の朝は、実はあんまり早くありません。ご近所さんの家のニワトリが催促するように鳴くのを無視して、もう少し寝てから起き出します。



まず最初に起きるのはクレイグです。

彼は音を立てないようにベッドから抜けだして、娘とエリカを起こさないように庭に出ます。そして、彼が担当している水汲みをするのです。

次に起きるのはエリカです。

エリカは今のところソファで寝起きしているので、クレイグが水汲みのために水場と家を往復している物音で目覚めます。それから顔を洗って頬を叩いて気合いを入れると、朝食の支度をし始めます。

前日の夕食の残りを端によけた彼女は、食糧庫に材料を取りにいきます。その間に、水汲みを終えたクレイグが薪を持ってきて、かまどの世話をしてくれます。

家事の分担を決めた当初、エリカはクレイグに手伝ってもらうのを申し訳なく思っていました。けれど彼の方が手際良く火を点けられることに気がついて、数日経った今は素直にお礼を言って甘えています。

最後に寝ぼけまなこで2階から下りてくるのは、5歳のコニーです。

彼女は全ての部屋のカーテンを開け放ってから、顔を洗いにバスルームに行きます。それが終わると、今度は教会に行く支度を始めるのです。


朝の食卓は、夕食の時ほど賑やかではありません。

いつも元気に飛び跳ねているコニーが、眠いのを堪えて口数が減るからです。眠気の原因は、お友だちと遊ぶ時間が増えたことかも知れません。


コニーが「むー……」と溜息なのか呟きなのか分からない声を発しながらリンゴをしゃりしゃり齧っている間、クレイグとエリカはその日の予定を確認します。

例えば、靴の注文をしていたお客さんが受け取りに来る、とか。干し肉がなくなりそうだから買いに行ってくる、とか。他愛のない会話が、ここ数日でぐんと増えました。

エリカも朝を迎えるたびに少しずつ肩から力を抜き、長年の生活で刷り込まれた使用人めいた行動もなくなりつつあります。




そんな3人生活の、何回目かの朝のことでした。


「エリカ、試してみてもらいたい靴があるんだ」

朝食を食べ終えたコニーが歯磨きをして、元気に家を出た頃。食器を洗い桶に浸しておこうと手を動かしていたエリカは、ふいにかけられた声に気づいて慌てて水を止めました。

「……ごめんなさい、もう一回……」

振り返った彼女は、申し訳なさそうに微笑んで言いました。


食卓の真ん中には、小瓶に活けられたマーガレットの白い花が数本。庭に咲いていたのを、エリカが摘んできたものです。

クレイグの苦難の過去を聞いた日の夜、綺麗になったお風呂に一緒に入ったコニーは、持ち帰ったシロツメクサで花冠を作ってくれました。しばらく頭に載せて楽しんだそれは、今は壁にかけて飾ってあります。花冠を載せたまま寝て!……とコニーが目を輝かせて提案してくれたのですが、さすがにそれは出来ず。


クレイグは振り返った彼女の顔を見て、もう一度口を開きました。今度はちゃんと聴こえるように、少しだけ台所に近づいて。

「新しい靴を作ったから、一度履いてみてくれないかな。

 で、率直な意見を聞きたいんだけど……」

「え、私ですか?」

思わぬ用件に驚いて目を丸くしたエリカは、そう零しました。だって、靴に関して意見を持つだなんて。今まで使用人の室内履きばかり履いていた自分に出来る気がしません。それに、恐れ多いような気がするのです。

戸惑って言葉を濁したエリカを見て、クレイグは両眉で八の字を描きました。

「コニーはまだ履けないし、かといって見知らぬ女性に頼むのも……。

 早いとこ調整して、売りに出したいんだけど……」

そう言って、困ったな、と溜息混じりに呟いた彼は、ちらりとエリカを見遣りました。案の定、彼女はわたわたしています。

「でも、あのっ……。

 私なんかが意見だなんて!」

そのひと言を聞いたクレイグは、手を振って言いました。

「なんか、って……。

 君みたいな、普通の人の感想を聞きたいんだよ。

 ……駄目かい?」

「え、ええと……その、たいしたことは出来ないですけど……」

押しに押されたエリカは、唸りながらもクレイグの頼みをきくことにしたのでした。




「じゃあ、足を出して」

工房の椅子に腰かけたエリカの足元に膝をついたクレイグが、下から彼女の顔を覗き込むようにして言いました。

一瞬ぎょっとして彼を凝視してしまったエリカは、その姿が使用人のように見えてしまって、慌てて首を振りました。お世話になっている人を跪かせるなんて、きっと罰が当たると思うのです。

「いえあの、私自分で――――」

「いいから」

彼女の足を待つ彼の手から逃げるように、ぎゅっと閉じた膝に力を込めたエリカの言葉が、苦笑混じりのクレイグの声に遮られます。

彼にしてみれば、彼女がうろたえるのは想定済みなのです。だから彼は半ば強引に、彼女の片足を掴んで前に引っ張りました。

「あ、わっ……?!」

熊のようなクレイグの力に、小娘のエリカが敵うはずがありません。最初の一瞬こそ抵抗出来たものの、結局はされるがままです。

引っ張り出された足から室内用の靴が、すぽんっ、と抜き取られました。そしてすぐに、彼のそばに用意されていた茶色っぽい革靴が爪先に宛がわれます。

「ちょっと、ひんやりするかも……」

爪先を靴の奥に滑り込ませながら、クレイグが独り言のように呟いた刹那。エリカの爪先に冷たい感触が伝わってきました。反射的に足を竦ませた彼女が、短く息を吸います。

「……なんか、いつもの靴と違います」

求められているのは感想だった、と思い出したエリカが囁くと、それを聞いた彼が頷きました。その目は真剣で、もう靴のことしか頭になさそうです。

「うん、いつものとは違う革を使ってみた。これは通気性に優れてるんだ。

 夏向きだけど、今のうちから店頭に並べておきたいと思って」

エリカの足から、いえ、彼女の足に履かせた靴から目を離さないまま、クレイグは言いました。靴底の部分を手のひらに乗せて、いろんな角度から靴を観察しながら。


彼の真剣な様子を見ていたエリカは、相槌を打ちながら感じたことを口にしてみることにしました。役に立つチャンスがあるなら、精一杯頑張りたいと思ったのです。

「ひんやりするので、真夏でなければ靴下を履きたいです」

「……靴下か」

エリカの言葉を繰り返したクレイグは、眉根を寄せて考え込んでしまいました。

そんな顔をみてしまった彼女の心の中が、穏やかでいられるわけがありません。彼の機嫌が急降下してしまったのなら、なんとかしなくては。

彼女は慌てて口を開いて言いました。

「いえあのっ、私はそう思う、というだけでっ。

 別に靴下なんかなくても、ちゃんと履けますし……!」

すると、エリカが一生懸命に言葉を紡いだ瞬間、クレイグが顔を上げました。頬を緩め、目を柔らかく細めて。

「いや、そういう話を聞きたかったんだ。

 ありがとう、助かった」

「い、いえ……」

ばっちり目が合うのと同時にそんなことを言われた彼女は、口ごもって俯いてしまいました。この家に置いてもらって数日、クレイグが初日では想像も出来なかった表情を見せることに、実はまだ慣れることが出来ずにいるのです。

「君がいてくれて良かったよ」

「あ……ああ、はいっ」

もう自分がどんな顔をしているのか、全然分かりません。とりあえず無難に頷いてみたものの、それが会話としてどうなのか、というところまで頭が働いてくれず……。

とにかくもう、かくかく、と首を縦や横に振っているだけで精一杯なのでした。





「コニーが帰って来る前に行こうか」

試作品を棚にしまいながら、クレイグが言いました。

思い切り振り回された試着を終えたエリカは、いくらか落ち着きを取り戻した頭の中で、どの家事を優先するか見積もります。

「分かりました。

 ……じゃあ、その前に洗濯物を干してきちゃいますね」

コニーが帰ってくるまで、あと3時間です。乾くまでの時間を考えたら、食器洗いよりも洗濯の方を先に済ませてしまうべきでしょう。

そんなことを考えながら立ち上がったエリカが言いました。

「ああ、それなら一緒に……」

言いながら、クレイグが作業用のエプロンを脱ごうとした、その時。



来客を知らせるドアベルの音が、工房まで響いてきました。









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