小瓶にはタンポポを 6
「ただい……まぁ……?」
約束通り夕暮れ前に帰ってきたコニーは、ドアを開けた瞬間に聴こえてきた話し声に気づいて、耳をそばだてました。
男女の声です。
パパとエリカちゃんだ、とコニーは思いました。
どうやら2人とも、ドアベルが鳴ったことにも気づいていないようです。
なんとなく出て行かない方がよさそうな空気を感じ取って、彼女は店の中でじっとしていることにしました。
「クレイグさんは、靴を作ってるじゃないですかっ」
「言っただろ、私は使用人が必要なわけじゃ……!」
声の大きさや張りを聞く限り、どちらかというとクレイグの方が参ってしまっているようです。綿飴屋さんの前でしょんぼりしたエリカからは、想像出来ないような力説っぷり。
コニーは溜息をつきました。よくわかんないけどパパ頑張れ、と。
その間にも、2人の言い合いは続きます。
「お願いします。こんなに少ないなんて、耐えられません」
「いやだから……」
「じゃあお夕飯の支度だけでも」
「それなら、この薪割りと水汲みは」
「それは私がします」
「エリカ……それじゃ困ると言ってるだろう?」
「だ、だって……!」
さっきから、話が全然前に進んでない気がしてなりません。家庭のなんたるかを知らないコニーにも、工房の向こうで繰り広げられる攻防がいかに不毛か分かります。大人は言葉をたくさん持っているけれど、時にそのせいで事をややこしくしてしまうのです。
――――まったくもう。わたしがいなくちゃダメなんだから。
そんなことを胸の内で呟いたコニーは店の鍵をかけると、ふんっ、と鼻息荒く、工房を通り抜けて居間のドアを開けました。
バンッ。
勢いよく開いたドアに、向かい合っていた大人2人が固まりました。そして、視線をうろうろと彷徨わせます。
特に後ろめたい状況でもないはずなのに、小さな子どもに白熱している場面を直撃されて、なんだか気まずいのです。
「……おかえり」
先に言葉らしい言葉を発したのはクレイグの方でした。エリカは、ぽかんと口を開けたまま硬直しています。
「全然気がつかなかったよ」
申し訳なさそうに言葉をかけた父親に、コニーは口を尖らせて言いました。ぷくぅっ、と頬が膨らみます。
「……ただいま、っていったもん。
パパとエリカちゃんのこえ、すーんごいおおきかった」
すると、クレイグの向かいに座っていたエリカが顔を赤くして囁きました。
「そ、そんなに……?」
今さら口元を覆って声を落としたところで、全く意味はないのですが。
「おそとにも、きこえちゃってたかもよ~?」
コニーの意地悪そうな言い方に、クレイグが苦笑いを浮かべました。その台詞は、娘が言うことを聞かずに喚いた時の決まり文句なのです。
娘が普段言われている台詞を、そのまま別の誰かに遣う日がくるなんて。これからは、今以上に言葉に気をつけるべきなのかも知れません。親っていうのも、なかなか神経をつかいます。
そんな娘の姿を生温かい眼差しで見つめたクレイグは、彼女の台詞を真に受けてあわあわしているエリカに言いました。
「ちょうどいいから、コニーにも意見を聞いてみようか」
「コニーに、ですか?」
エリカは、クレイグの言葉に思わず声を上げました。ちょっとだけ、意外だったのです。この話し合いに子どもを交えるとは、思いもしませんでした。
彼女の反応を見た彼は、苦笑混じりに娘に目を向けました。
「ね、コニー?」
何が始まるのかはサッパリ分かりませんが、コニーは嬉しそうに頷きました。
「うんっ、なになになに?」
「お話聞くひとは、まずは手を洗うこと。うがいもしておいで」
クレイグは、前のめりになったコニーの頭を撫でて言いました。
「ふーん……」
言われたことを全てこなして、あらためて父親の口から事情を聞いたコニーは、ぼんやりと相槌を打ちました。
買い物から戻ったエリカが、家の仕事を引き受けたいと言い出したこと。もちろんそれは靴屋の仕事ではなく、食事の支度や薪割り、掃除に洗濯、買い物など。
けれどそんなにたくさんエリカに任せてしまったら、自分やコニーが受け持つ家事がなくなってしまうから、ちょっと困っていること。
一応クレイグが噛み砕いて話をしたけれど、やっぱりコニーには難しかったようです。話の途中で首を傾げ頬を掻き……最終的には誤魔化すように、にへら、と笑ってしまいました。
「難しかったかな」
ひと通りの話をしたクレイグは、苦笑いを浮かべながらコニーに尋ねました。コニーが加勢してくれたら、数の利でエリカの気持ちが動くかとも思ったのですが、やっぱりそう甘くはなかったようです。
コニーは、父親とエリカの顔を交互に見遣ってから正直に答えました。どうしてエリカは、自分だけで家のことをやりたいんだろう……と思いながら。
「うーん……なんか、よくわかんなかった」
考えていても分からないので、コニーは座っていた椅子から半ば飛び降りるようにして、ぴょこんと立ち上がりました。
「……どこ行くの?」
不思議そうに小首を傾げているエリカに、彼女はバスルームを指差します。
「おふろ!
おそうじしてくるから、おはなししてていーよ!」
そして、何気ない口調で言い放ったコニーは、小走りでバスルームに消えて行きました。
ばたん、とバスルームのドアが閉まる音が聴こえてきます。
「まったくもう……」
小難しい話に飽きたんだろうな、と思いながら、クレイグは小さく笑いました。そして、ぽかん、としているエリカに向かって言いました。
「――――あんまり、気負わなくていいと思う。
私やコニーは、置いてあげてる、なんてつもりもないし」
熊のような腕が、頬杖をつきました。テーブルの真ん中には、エリカが摘んだばかりのタンポポの花が静かに佇んでいます。
エリカは、唇を噛んで俯きました。住んでいた屋敷では“役に立つ”から養っている、と言われてきたのです。家事を言いつけてもらえないのは彼女にとって、“役に立たない”と言われているようなものでした。
クレイグは、口から出た言葉に驚いていました。“気負うな”だなんて、まるで自分に向けて言った台詞のように思えて仕方ありません。頬杖をついた手で、顔を覆いたくなります。
一方、自分で言っておきながら戸惑ってしまった彼を見て、エリカは別のことを考えていました。不思議で仕方なく、知りたいとずっと思っていることがあるのです。
彼女はテーブルの上で両手を組んで、意を意決して口を開きました。
「あの……」
囁きほどの小さな声は、クレイグの顔を上げさせます。
エリカは、組んだ手に力を入れて息を吸い込みました。
「どうして、置いて下さるんですか……?
本当に私がいても、大丈夫ですか……?」
聞いたら、クレイグの気が変わってしまうんじゃないかと思っていたのです。だから、ずっと聞くことが出来ませんでした。
するとエリカの強張る顔を見て、彼の唇が歪みました。
自嘲めいた笑みを浮かべたまま、クレイグは言葉を選びながら口を開きました。別に隠しておくようなことは、何もないのです。その必要も、ありません。
「……私だって、この家に置いてもらってるようなものだから」
バスルームからは、がちゃがちゃと何かがぶつかる音が聴こえてきます。コニーは張り切って掃除をしているようです。
クレイグはその音を片方の耳で聞きながら、黒髪の彼女を見つめました。
「靴屋の名前が、ローグ、になってるのは知ってるね?」
「はい」
短い返事と、小さな頷き。
エリカの髪がさらりと揺れたのを見届けて、クレイグは言いました。
「コニーが赤ちゃんだった頃に、私達は父子家庭になってしまってね。
働きに出ないと食べていけない、けどコニーを家に1人で置いておけない。
一生懸命、都合に合った仕事を探していたんだけど、なかなか……。
あの頃は本当に、いろんなことが絶望的だった」
クレイグの顔が歪みます。もう数年も前のことですが、彼の中ではまだ薄れる気配のない辛い記憶なのです。今ある毎日からは想像も出来ないほどの辛さでした。
彼は脳裏によみがえろうとしている記憶を押しとどめながら、話を続けました。
「そんな時に声をかけてくれたのが、ローグじいさんなんだ。
途方に暮れてこの店の靴を外から眺めていたら、中から出て来てね。
で……事情を聞いた彼が、私達親子を置いてくれると言い出したんだ。
私は職を得て、コニーと一緒にいられて。いいことづくめだった。
ローグじいさんも、1人きりの生活が賑やかになったと喜んでくれて」
辛いことを思い出さなくていいよう口を動かし続けているうちに、クレイグの顔に笑みが浮かんできました。
「ローグじいさんには言葉を尽くしても足りないくらい、感謝してる」
クレイグの優しい笑みを見つめていたエリカは、そっと口を開きました。なんだか、彼の纏う雰囲気が少し柔らかくなった気がします。
「そうなんですか……」
「そう。
だから私も、自分がしてもらったことを君にしてるだけ」
そんなことを言いながら、自分の肩が軽くなったのを感じた彼は、そっと息を吐き出しました。女性と関わるのは嫌だけれど、自分と似たような境遇の彼女をそれに当てはめるのは、なんだか八つ当たりのような気がして。
「もともと私の家ではないし、君の家でもない。
お互い“置いてもらってる”立場だから、気負わなくてもいい」
「そんな……」
その言葉に、エリカは視線を彷徨わせました。
いろいろ事情を知った今でも、彼と自分が同列かのように扱われるなんて、と思うのです。申し訳ない、という意味で。
彼女の様子を見守っていたクレイグは、笑みを零しました。
バスルームからは相変わらず、がっしゃん、なんて音が響いてきます。そろそろ様子を見に行った方がいいかも知れません。
「……とにかく」
言いながら、クレイグが腰を浮かせます。
「最低限のことは……そうだな、とりあえず水汲みは私がやるよ。
他のことと、コニーに出来ることは、また考え――――」
言葉の途中で、何かをひっくり返したような音が響いてきました。
ぎょっとしたエリカが、絶句したクレイグを見上げています。
すると彼は、片方の手で顔を覆って溜息をついてから呟きました。
「とりあえず、あの子はふろ掃除の担当からは外しておいた方がいいかも」
「――――ふぅ」
気合いを入れて掃除をしていたコニーは、満足のいく仕上がりとはいえないまでも、十分綺麗になったバスルームを見渡して息を吐き出しました。
そこへ、大人の足音が聴こえてきます。
ヘチマたわしを握り締めて仁王立ちになっていたコニーは、やって来た父親の顔を見て胸を張りました。その胸の中は、やりきった感でいっぱいです。バケツが床に転がっていようと、石鹸の泡が方々に飛び散っていようと。
バスルームの混沌とした状況を目の当たりにしたクレイグは、乾いた笑みを浮かべてコニーに尋ねました。これを片付けるのは、きっと自分の仕事になるんだろうな、と思いながら。
「頑張ってくれて嬉しいけど、一体どうしたの」
その問いに、コニーは目を輝かせました。腕まくりした手には、まだ泡がついています。
「エリカちゃんと、おふろに入るんだ~」
鼻歌混じりの言葉は、父親を驚かせました。まさか、そんなことを考えていたなんて。
クレイグがコニーの突拍子もない発想に相槌に困っていると、彼女は人差し指を、ぴっと立てました。仕方ないから教えてあげよう、という気持ちで。
「じいちゃん、いってたでしょ?
してもらってうれしかったことは、ほかのひとにもしてあげて、って。
パパたちのおはなしきいて、おもいだしたんだ~」
「ああ、そういうことか……。
コニー、じいさんとお風呂に入るのが好きだったっけ……」
嬉しいやら呆れてしまうやら、複雑な気持ちで呟いたクレイグを見て、小さな彼女は小首を傾げたのでした。




