とある店長の転機①
「うまい!!おやっさん、相変わらず美味いです!!っこのカレー!!」
「ありがとうよ。」
「でも残念です・・・本当に辞めちゃうんですか?このカレー屋さん。」
「ああ、これも世間の厳しさって奴かねぇ。
こんな場末の蕎麦屋じゃ、やっていけないんでさぁ。」
「なら、もっと人通りの多い所に店を出して見てください!!
この味なら絶対に客で溢れかえりますよ!!」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだが・・・
もうこの店は人手に渡るし、再起するにも先立つもんがねぇんでな。」
「そう・・・ですか・・・」
「ああ、ここ周辺は高層マンション群になる予定って言ってたな。
何所もかしこも高層ビル・・・昔が懐かしい・・・」
「そっか・・・もう食えなくなるのか・・・残念です。
でもまた店をやるときは絶対にいってくださいね?
絶対!!絶対!!ぜ~~~ったい食いに来ますから。」
「ありがとう。
そん時は是非来てくれよ、アンちゃん。」
「もちろんです!!
私は、カレーある所へは必ず行きます!!」
「ああ!!」
「それじゃ、御代はここにおいて行きますね。
・・・美味しかったです!!」
「まいどー!!」
今は8時45分。
先程、おそらくこの店最後の客が去っていった。
おかしな常連だった。
ここは蕎麦屋だって、何度も言っているのに、カレー屋だといってはばからねぇ。
最初に着たときは3年前だったか・・・
確かあの時のやり取りは・・・
「へいらっしゃ~い。」
「あれ?カレーのとても良い匂いがしたのですが・・・
ここは?」
「あん?
うちは側一筋の蕎麦屋だ。
カレーの匂いっつったら、カレー南蛮用のソースを作ってたから、それじゃねぇのか?」
「なるほど!!
たしかにカレー南蛮もカレーには違いないですね。
それではカレー南蛮を・・・とりあえず5人前ください。」
「あいよー。
・・・って5人前?
後から連れでも来るのかい?」
「いえ、全部僕が食べるんですよ?」
「・・・・・・・・・そうかい。
まってな。」
ずるずるずる・・・ごくっごくっごくっ・・・っぷは~。
「美味い!!おやっさん、美味いですよ、このカレー南蛮!!」
「へへ、そう褒められると流石に照れらぁな。」
「で、お願いがあります!!」
「ん?何だ?」
「このカレーソース、ご飯に掛けさせてくださいっ!!」
「いやっ・・・わりぃな、飯はやってねぇから出す事はできねぇ。」
「そこを何とかっ!!」
「ムリ。」
「お願いします!!」
「駄目だって。」
「お願いしますっ!!!!!!」
ガバッ!!
「あー、土下座すんなって。
そもそも蕎麦一筋だから、白米自体がねぇんだよ。
だからムリって訳。
わりぃな。」
「それならこれに掛けてください!!」
「うお・・・
おめぇ、そのたっぱの白飯・・・いつも持ち歩いてんのか?」
「当たり前です!!」
「当たり前なのか・・・最近の若い奴ぁ、変わってんな・・・
まぁ、まってな。
アンちゃんにだけは特別に掛けてきてやるよ。」
「あっ・・・ありがとうございます!!」
なんてやり取りをしたら、次の日から必ずご飯持参で食いに来てたからな。
とうとう、厨房の片隅に炊飯器を設置する事になっちまったぜ。
カレーはアンちゃんを中心に、常連だけが頼む裏メニューになって、こっちも張り切っちまった。
蕎麦用のカレーと別に、ライス用のカレーまでマスターしちまったじゃねぇか。
今は亡きオヤジの後をついで10年。
この店を守ろうと頑張っていたが、アンちゃんの言うとおり、大人しくカレーも出してりゃ違ったのかも知れねぇな。
いや!!もう過ぎた事だ。
いつまでもうじうじと悩んでいるのはしまいにしねぇとな。
時計を見るともう9時を回っている。
っと、いけねぇ。
閉店の時間が過ぎてるな。
のれんを下ろしてこねぇとな・・・
外に出ると、黒尽くめのスーツにサングラスという、妙な装丁の男が立っていた。
「あ~、すまねぇな。
もう時間だったんだが・・・
今日で最後だ。
アンちゃん・・・でいいんだよな?
食ってくかい?」
そう言ってやると、男は頷いて中へついてきた。
「あいよっ、水だ。
ちっとのれんしまってくるわ。
注文考えて貰っておいて良いかい?」
「はい。」
「わりいなっ。」
男を手近な席へと案内し、メニューを渡すと外に出て閉店の準備をしてくる。
外の片づけを済ませて戻ってくると、男はまだメニューとにらめっこしていた。
「決まったかい?」
「いえ・・・ここは蕎麦のみのお店なんですね。」
「希望とは違ったかい?
ムリにはたべねぇでも良いぜ?」
「いえ、どれも美味しそうで迷っていただけです。
一番のお勧めはなんでしょうか?」
一番のお勧めか・・・
カレーのアンちゃんの顔が頭をよぎる・・・
そうだな。
「カレー南蛮なんてどうだい?
美味いぜ?」
「ではそれをお願いします。」
「あいよっ、ちっと待ってなっ!!」
この店最後のメニュー、カレー南蛮を丁寧に作り上げると、黒服の男の所へ持っていった。
「これが・・・・頂きます。」
男は丁寧にお辞儀をすると、不器用に箸を使って食べ始めた。
「こっ・・・これはっ・・・」
とか
「確かに薦めるだけの事は・・・」
とか言いながら一心不乱にすすっている。
ここまで気持ちよく食ってくれるとかなり気分が良い。
最後の客だし、御代ぐらいはサービスしてやるか・・・
客は蕎麦を食い終わると
「ご馳走様です。」
これまた丁寧にお辞儀をされた。
「いや、気持ち良い食いっぷりだった。
気に入ったぜ?
御代はいいよ、最後の客だ。気持ちよく帰ってくれや。」
「これは・・・文句なしに合格点ですね。」
「あん?」
黒服の言葉に反応する。
合格?・・・なにか見ていたのか?
すると黒服はいきなり頭を下げた。
「折り入ってお願いがあります!!
聞いていただけないでしょうか!!」
「あ・・・ああ。」
黒服の迫力に負け、つい話を聞く事にしてしまった・・・
「では、これをご覧ください。」
黒服は嬉々としてカバンから一冊の書類を取り出す。
受け取ると、契約書と・・・雇用条件・・・あとはパンフレットか。
なんか話が見えてきたな。
「実はわが社の社員食堂を任せられる人材を探しておりまして・・・」
やっぱりそう言う事か。
まぁ、明日からどうしようか考えていた所だ。
渡りに船って言葉もあるし、話ぐらい聞いてやるか。
「ああ。」
「まずは、この書類にある雇用条件をご覧ください。」
「判った。」
雇用条件ね・・・・ふんふん・・・
週休二日で土日祝は休みか・・・今まで休み無く働いてきたし、休みが多いのもそれで困るか?
制服支給ね・・・まぁ、社員食堂で働くんなら仕方ないと割り切るしかねぇな。
勤務時間は、10時~20時の間か・・・昼飯と夜飯を食わせて、洗い物は次の日って考え方か?
各種保険完備の上、福利厚生も充実か・・・この辺は悪くねぇな。
雇用期間の定め有り・・・か。まぁその辺は更新してもらえれば御の字って所か。
寮・・・はいらねぇな。
んで給料が・・・・んなっ!?
「おい!!」
「はっ、何でしょうか?」
「給料が安すぎねぇか?」
「そうでしょうか?
期間の定めが有る分、相場よりは高く見積もった積りだったのですが・・・」
「は?高いって何所を基準にしてやがる。
こんな給料じゃ、生活すらできねぇぜ。」
「そう・・・ですか。
判りました。
社長と相談してみますので、少々お待ちください。」
黒服は慌てて携帯を取り出すと、どこかへと電話を掛け始めた。
まったく、今時月10万じゃ、生活すらできねぇっての。
「はい・・・はい・・・判りました。
ありがとうございます。
お待たせしました。2倍までなら出しても良いとのことです。」
2倍・・・20万か・・・
足元を見られてる感がぬぐえねぇが、この時代、雇って貰えるだけマシか・・・
「判った。
それでも生活は厳しいだろうが、そっちも頑張ってくれたんだろうしな。
それで良いぜ。」
「はっ、ありがとうございます。
すぐに社長に伝えさせていただきます。」
「ああ。
・・・っかし、20万じゃ生活して、借金払えば吹き飛んじまうな・・・土日祝のバイトってやっても可能なのかい?」
「へ?」
俺の言葉に、電話をしていた黒服の動きが止まる。
「だから、借金があるんだっての。
まったく恥ずかしいんだから言わせんなよな。」
「いえ、その前なのですが・・・」
「あん?
20万じゃ生活と借金で吹き飛ぶって言ったんだが?」
「・・・あぁ・・・なるほどなるほど・・・
そう言う事だったんですね。判りました。
あ、社長?先程はありがとうございました。
お陰で、相当腕のいい料理人が捕まりました。
明日にでも紹介させていただきます。」
「何がなるほどだ?足元を見るのも大概にしてくれよ。」
男は余裕を持って頭を振ると、書類を指差した。
「いえいえ、よく見てください。」
「あぁ?
良く見ろだって?確かにこう・・・いち・・・じゅう・・・ひゃく・・・せん・・・まん・・・じゅうまん・・・・・・・・・ひゃくまんっ!?
ちょっ、おいっ、これはこれでおかしくねぇか?」
黒服は口元に笑いを浮かべると、
「いえいえ、先ほども言ったように期間が限られる仕事となるので、その分高めに見積もっておるのですよ。
再就職までの生活費も考えての事です。」
「ふむ・・・
つまり長くは無い会社ってこったな?」
「ええ、申し訳ないですが、そこまで長くは考えられない所です。」
「なるほど・・・ってそんな会社あるかっ!!」
「それがあるので、この求人内容となっております。」
黒服は胸を張って答える。
「はぁ・・・有るんじゃしかたねぇな。
判った。その話は受ける。」
「そうですか、ありが「ただし!!」とうございま・・・す?」
「ここを整理する時間は欲しい。
それからの勤務で良いな?」
男は口元の笑みを深くすると、
「勿論ですよ。
準備が出来ましたら、ご連絡ください。
すぐにでもお迎えに上がります。」
そう言って先程の資料に、電話番号を書き足した。
「最長1ヶ月以内に1度はご連絡ください。
返事がないと流石に困りますので。」
「判った。」
それだけ言うと、男は机に千円を置き、
「これは気持ちと言う事で、お納めください。」
と言って去っていった。
「さて、やる事もできたし、張り切って片付けますか。」
そして、さっきの黒服も案外抜けているなと思う。
うちのカレー南蛮は千2百円なんだがなぁ。