Draw a dream on canvas
レンガの建物が並ぶ街、アナテ・ヴィヴィ・レール。
何ともアンティークな雰囲気で彩られた道を歩くのはヴィレラ。
淡い金髪に茶色の瞳が特徴的な女性であった。そんな彼女の服装は白色のフリルのブラウスに赤色のリボンを結び、黒色のスカートを履いていた。その格好から何処かに出掛けているのだろうが、今日は休日である。
「何処にも行く宛がない」
ヴィレラはそう呟いてから、またゆっくりと歩き始める。
周りは今日が休日であり、何処か晴れやかな笑顔でリラックスしたような雰囲気で街を歩いているからこそ、彼女の表情は明らかに浮いていた。
そう、赤茶色のアンティークな雰囲気が漂う街を歩くヴィレラの表情は詰まらないと言わんばかりのもので、悲しみさえ漂わせていた。
(何故、つまらないのだろう)
何度考えようとも答えは出ず、ヴィレラの心の奥底から湧き上がる“詰まらない”という感情は更に強まるだけだ。
答えが出ないからこそ一度湧き上がった感情は強まっていくばかりで、彼女にも対処しようがなかった。
(わからないわ、今日は休日だと言うのに)
本当なら今日は休日だからと思い切り惰眠を貪って宛もなく色々な店を歩いて、店に並んでいるものにいちいち感動したり衝動的に何かを買ったりと今まで自由気ままで楽しい休日を過ごしていたのに、どうして今日に限って詰まらないと思うのだろう。
ねえ、この感情はどこから沸き上がるのだろう。
聞けど聞けども答えはない。彼女は自分自身の感情を持て余して、とうとう疲れ果てて思考を放棄しようとしていた。
(何でつまらないと感じるの?)
この街は嫌いではない、寧ろ好きなのだ。勿論ふとした衝動で買った物にも後悔の念はなくお気に入りの物となり彼女の部屋に飾られている。
ひと眠りした後の外出は全てが楽しく、加えて見知らぬ格好良い男性を見てときめく。
そこで彼女は気付くのだ。格好良い男性という言葉に対して、妙に羨ましいと感じていることに。
「恋愛というか、常にときめきたいのよね。多分」
十八歳にもなれば周りの友人は彼氏との惚気話や悩み話ばかりをするのだ。しかし、ヴィレラは恋愛をしたことがない。
いくら宛もなくふらふらと歩いては衝動買いをしたり気の向くまま眠るという堕落した生活を送っている彼女でも周りが楽しそうに恋愛事情をあれこれ言っているのを見ていれば興味が湧いてしまうのだ。
今まで仲良くしていた友人達も最近は彼氏とのデートからかヴィレラが誘っても申し訳なさそうに断るのだ。
結局のところ、ヴィレラは独りなのだ。
(ああ、つまらないと思うのは)
結局自分は独りなのだとヴィレラは思った。周りは先に進むのに、ヴィレラは独り小さな世界に取り残されてしまったのだ。
そう考えたら、寂しいやら、虚しいやら、悲しみが滲む感情が湧き上がったのだ。
溜め息を漏らしながら重い足取りで歩いていると、ふと目に付いたのは、小さいが綺麗な店だった。
「何時の間にこんな路地裏を歩いていたの……」
雑貨店らしいその店にヴィレラは足を運んだ。宛もなくふらふらと歩く彼女にとって、誰も通らない外れた道にたどり着くことは珍しくなかった。
これも何かの縁、どうせなら店に入って何があるのかを見て、楽しむべきだ。
――カランカラン
ドアを開けるとき、軽やかなベルの音が響いた。何処か心を弾ませる音と共に、ヴィレラは店の中に入った。
****
「いらっしゃい」
中に入るなり出て来たのは茶色のベレー帽を被った少年。はにかんだ笑顔がやけに印象に残った。
「ゆっくり見て行っておくれよ」
無邪気に言った少年の笑顔に対して小さく首を振るしか出来なかった。
彼の笑顔を見るのが照れ臭いと感じたのだろうか、ヴィレラにはよく分からなかった。兎に角、この少年の笑顔を直視するのは難しいと思った。
「う、うん、ありがとう」
少年の笑顔から視線を外し、店の奥に向かって歩いた。
店内には落ち着いた感じの雑貨が揃えられていた。レースをモチーフにしたハンカチやテーブルクロスに、パステル調のイラストが描かれたティーセットなどなど、ヴィレラの好むものだった。
そこから奥へ向かうと、またアンティーク調な雑貨が並べられている。
ここで彼女は気付いたのだ。
――先程までのつまらないと言っていたのに……。
つまらない、退屈といった感情はヴィレラの中からいつの間にか消滅している。
「あれは……?」
並べられている雑貨を見ながら歩いているとレースのカーテンで仕切られているところがあった。
此処も雑貨を置いているのだろうと思ったヴィレラはそっとレースのカーテンを引いて中に入った。
「……綺麗」
中に入ってみると、画材が飾られていて、壁にも机にも沢山の絵があった。全体的に爽やかで明るい、温かみのある色彩で塗られた絵はヴィレラの心に強く響く。
どうしたらこんなに綺麗な絵を描けるのかと彼女はとても気になり、きらきらと目を輝かせながら彼女は机にあったスケッチブックを取った。
「あ、見ちゃったの?」
声がした途端に我に返るヴィレラ。
いけないことをしてしまったと思い彼女は動けなくなった。
此処は入ってはいけなかったのに入ってしまった。きっと彼は怒っているだろうと、彼女は内心怯えながら少年の鬱積した言葉を待つ。
しかし、少年は固まったヴィレラを見るなり、くすりと笑いながら言った。
「……綺麗なんて言ってくれたの、君が初めてだよ」
「……」
彼女の体の硬直を解くように少年はヴィレラに言いながら彼女の肩に手を置いた。
「そんなに怯えないでよ」
ぽんぽんと軽く叩かれヴィレラは目を丸くした。いくら少年とは言え初対面の男性に触れられることは、彼女にとって衝撃であったからだ。
何も言えないでいる彼女に少年はにっこりと笑って言った。
「まだまだあるんだ、こっちに来て」
「え……っ」
驚くのも無理はない。少年は何の躊躇いもなくヴィレラの手を握り締めた。
「まだまだあるから、君に見せてあげる」
****
カーテンで仕切られた部屋を進み、端の方まで向かうと小さなタンスがあった。
「今、父さんが出掛けているから店番をしていたんだけどこんな路地裏に来る人なんて知り合いぐらいなんだよね」
タンスの引き出しを開けながら少年は言った。
「父さんがこういうのが好きでさ、僕もそれに憧れて絵を描くようになったんだよね」
自分のことを話す少年の目は輝いていて、聞いているだけで心が弾んでいく。
「でもまだ未熟でさ……こうやって何度も練習しているんだけどうまくいかなくて」
ヴィレラはただ話を聞いていただけだが、彼は絵を愛し、描くことにとても生き甲斐を感じているのだろうと思った。
真摯に自分の世界観を絵に表現する彼はとても素敵で、きらきらと輝いていて、格好良く見えた。少なくともヴィレラは彼が格好良いと思ったのだ。
「君は本当に絵を描くことが好きなのね」
瞳を輝かせながら話す彼に向かってこう言った。
そう、自分をしっかりと持っている彼にヴィレラは惹かれ始めていたのだ。会ったばかりの彼にこんな感情を抱くのは余りにも早すぎないかと思いつつも、やはり彼に惹かれてしまうとヴィレラは思った。
ただでさえ眩しい笑顔で直視できないと言うのに一度自覚してしまえば心臓が五月蝿いぐらい鳴り響くわけでどうしたらよいのか分からなかった。
「大丈夫?」
ぼんやりとしているヴィレラを心配しながら少年が声をかける。
顔を覗き込む少年にヴィレラは「きゃあっ!」と悲鳴のような声を上げて後退る。その後、へなへなと座り込むヴィレラを見て少年は言った。
「君は、落ち着きがないね。見ててハラハラするよ」
「そ、それはあなたがっ……」
近付くからよ、と言おうとした途端に少年は笑いながらもう一言付け加える。
「あと、無防備。白い足が全部見えてるよ」
「……っ!」
ヴィレラが履いているスカートは割と足を見せるタイプのもので、少し動いただけで足が全て見えてしまうことに彼女は気付いた。
「君って意外と無頓着?ふらふらしていたらとても遠いところに行って捕まってしまいそうだよね」
慌ててスカートを直すヴィレラに苦笑しながら言った少年。一方、言われたヴィレラは恥ずかしさから何も言い返せず、ただ俯くばかりだった。
先程からこの少年のペースに呑まれてばかりいる。すっかり腰を抜かしてしまい動けなくなったヴィレラに少年は意識せず彼女にこんな事を言ってしまった。
「君の名前は何ていうの?こんなに可愛い女の子が来たんだ、名前を聞いておかないと」
初対面で名前を聞き尚且つ照れるような事を平然と言える少年は、やはり女の子慣れしているのだろうとヴィレラは思った。
もう、この少年には勝てないと観念し、ヴィレラは少年に向かって名乗った。
「私、ヴィレラと言うの」
「そう、ヴィレラ」
自分の名前を反芻しながら無邪気に笑う少年をやはり直視出来ないでいる。
「あ、あなたは何て言うのよ」
上手く言葉を発せないことが悔しいと感じながらも、ヴィレラは少年が自分に質問したことと同じことを聞いた。
――ふわり、ふわりと。
彼が描く絵と全く同じ暖かい空気が辺りに流れるのを感じた。
「僕は、セルジュ」
「セルジュ……?」
セルジュと呟くヴィレラの目の前に、パステル調特有のふわりとした色の何かがあった。
「記念にあげる」
セルジュが渡したのは花を模した小さな飾りだった。
「……ライラックの花?」
「うん、紫色のライラック。ああ、何で渡したのかって君は考えていると思うけど、何故かは教えない。知りたいなら今度本でも読んで調べたらいいよ」
首を傾げるヴィレラに向かって早口で言った。
「え、ちょっと待って、どういうことなの、セルジュ」
先程とは打って変わって慌てたようにヴィレラの手首を引っ張りながら歩くセルジュに、ひたすらヴィレラは戸惑うばかりであった。
――僕は、君に。
(ちょっと、セルジュ。いったいどうしたというの)
(いや、何でもないから忘れてよ。それとやっぱり君は可愛いね)
(え、え、どういうことなの)