夜見廻り
私は舟を漕いでいる。流れは一方通行で、一つの場所に滞まっていない。
スピードは遅すぎることもなく、かといって速すぎることもない。
一定の速度を守ってはいるが、流れの速さは不規則でもある。
まだ先は見えないので、川岸から川岸にというよりは、川上から川下に向かっているようだ。
いつから舟を漕いでいるのか、また、何故舟を漕いでいるのかは知らない。
舟を漕いでいると意識した時には、すでに舟を漕いでいた。
どこかに辿り着くためというよりも、どこにも辿り着かないように舟を漕いでいるのかもしれない。
途中、何度も舟を降りないかと、通りがかりの人間に声をかけられたが、私が返事をする前に、どこか遠くに行ってしまった。
私は何かを決めるのが、人よりも遅いのかもしれない。
あるいは、この舟を降りた先には素晴らしい景色が広がっているのかもしれない。
それでも私は、その一歩を踏み出すことができずにいた。
ここは退屈だが、静かで心地好く、なにより舟を漕ぐことを止めた自分が、田を耕したり、魚を採ったりすることが想像できなかった。
全ては、推測でしかない。○○かもしれないと、夢想し、恐れ、私は舟を漕ぐ。
私は何も知らない、知りたくないと、私の脳は拒絶する。
私は誰。誰かだった私。私のはずの誰か。
「何を迷っているの?」「え?」
「新しい肉体は既に産まれているのに、君は何をぐずぐずしてるのさ?」
「怖いんだ……すごく」
「ふーん」
「君は誰?」
「それを聞いても意味はないと思うよ。ボクは誰か、君が誰だったか……」
「……知りたくない」
「それも君の自由だ」
「ずっと、ここに居ては駄目なの?」
「それでも良い。けれど、新しく産まれた命は、二度と目を覚まさない」
「……」
「今すぐ決める必要はないさ。君はずっと迷い続けたんだ。これからも、迷い続けるの?」
「それは……」
「なんならボクが、君の肉体を貰ってやろうか?いい考えだと思うんだけど」
「いやだ」
私は、水面に映った自分の顔を指で弾いた。
「それならもう……答えは決まっているんだろう」
私は、新しく産まれ変わる。今度は、いつまで生きれるだろうか。
そんなに長くはないだろう。たぶん、いつかまた、此処に戻ってくるんだろうという予感がした。
心地好いこの場所を離れて、私はあの、騒がしい世界へと帰る。
舟は流れていく。私を乗せずに流れていく。私がこの二本の足で歩き始めるのは、もう少し、先になるかもしれない。