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「ローラン、一本頂戴」
「は?」
左手を伸ばしてアニェスは言うが、私は困惑とパニックで気の抜けた声を出す。
「その抱えているうちの一本を寄越しなさいって言ってるのよ!」
苛立ちの混ざった声でアニェスが言い直すと、
「は、はいっ!」
反射的に叫び、私は剣の束から一本、アニェスに手渡す。
「ひでぇ──門がメチャクチャだ」
「たった二人だと?」
「しかも片方はガキだぞ!」
「神父の格好してるのもいやがるし、ふざけてるのか!?」
そうしている間に、黒服達も集まって来て、私達を取り囲む。
「こんなに派手に入ってくれて──間違いだったじゃ済まされないぞ」
黒服達のリーダーらしい男が言ってくると、
「ご心配なく」
アニェスは前に進み出て、剣を抜き払う。
「あなた達が出てきてくれたおかげで、間違いないと分かりましたから」
そう答えて、アニェスは剣先を黒服達に向ける。
「そんな刃物なんかで、我々を脅せると思ってるのか?」
リーダーの男が言うのを合図に、黒服達が一斉に拳銃を抜く。リーダーの男も懐に手を入れるが、
「ん?」
そこにあるはずの拳銃が、何故か掴めない。
「あれ? い? う? え?」
何度も繰り返し試みるが、拳銃の感触も見つからない。それどころか、手自体の感触さえなく、男はある考えたくもない可能性に思い至り、脂汗を流しながら頭の中で必死に否定しつつ、ゆっくりと視線を足元へ下げていく。
「どうしたの? 早く拳銃を出してみなさいよ。その手で出せるものならね」
アニェスが言った直後、切断された右手首が足元に落ちているのを見つけた男の目が、驚愕に見開かれる。
「ヒ──アァァァァァッ!!」
今更のように叫ぶ男の、切断された右手の断面から流れ出す血で、地面に血溜まりを作っていくのを見て、他の黒服達の表情にも焦りと恐怖の色が混ざる。そして当然、その隙を見逃すアニェスではなかった。
アニェスは男を袈裟懸けに斬ると、胸から血を吹き出して男が倒れたことでできた間から囲みを抜け出す。
「何ボケッとしてるの!? 付いてきなさい!」
あっという間の早業に半ば呆然としていた私の耳にアニェスの声が突き刺さると、私はまた反射的に「は、はいっ!」と叫び、弾かれるように彼女の後を追って囲みを抜ける。
「行かせるな! 撃て、撃てぇぇっ!」
黒服達も後ろから私達に向けて発砲しようとするが、アニェスが振り返り様に符を投げつけるのを見て、また爆発するのかと思った私は咄嗟に地面に伏せて耳を塞ぐ。だが黒服達の前の地面に符が落ちると、予想に反して爆発は起きず、地面から石畳を突き破って土が盛り上がり、私達二人との間に壁となって銃弾を防ぐ。
「何だこれは!?」
予想外の事態の連続で、困惑と理解不能の声を上げる黒服達。そこへ壁を回り込んでアニェスが斬り込んでくる。
拳銃こそ持っていても、半ば以上パニックになった黒服達など、アニェスの敵ではなかった。一分もかからず全員アニェスに斬り伏せられてしまう。もちろんアニェスは全くの無傷だった。
「──参ったわね」
溜め息を吐くアニェス。
「たった一〇人足らず斬っただけでもう刃こぼれ? いくら練習で打ったと言っても、こんなに強度がないんじゃ心許ないわ」
不満げにアニェスが言ったその剣は、既に血にまみれ、刃こぼれだらけ、更には最後の一人が発砲した銃弾を一発避けきれず弾いたので途中から剣身が折れていた。もっともアニェスはその折れた剣で撃ってきた黒服の喉を切り裂いたのだが。
「何を呑気に言ってるんだ!? こんなに人を殺して!」
今更ながらという感は拭えないものの、私はそう抗議するが、
「大丈夫大丈夫。今頃裏に回ったロベールが電話線とかを切断してるから、外に連絡される心配はないわよ」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
気楽な口調でいうアニェスに、当然ながら私は食い下がる。
「ああ、もしかして罪に問われるのを心配してるの? それも大丈夫よ」
剣を放り捨てて、アニェスは続ける。
「ここは裏社会では名の知れた組織のボスが住んでる屋敷で、当然この人達も組織の構成員。どこから見ても地球に優しくない、一〇〇パーセント天然物の悪者ばかりなんだから、駆除した方がむしろ喜ばれるわよ」
「そう言うのは君個人が判断して良いことじゃないだろう!? 第一周りの住民が通報して、警察が駆けつけてきたらまずいだろう!」
「ああ、それは心配ないわよ」
アニェスは手をヒラヒラさせながら、私の懸念を否定した。
「さっきも言ったけど、ここは裏社会の組織のボスの屋敷よ。カタギの人間が裏社会と関わることがどれだけ危険か、この辺りの住民は骨身に染みるほど知ってるし、この世からいなくなっちゃえば良いと思っている。だからこの、善良な人達から搾り取った金で建てた豪邸と、それを囲む分厚く高い塀の中で何が起きたって、周りの住民は一切見ざる聞かざるで、決して警察に通報なんてしやしないのよ。分かる?」
さも当然のことのように、アニェスはそう説明してくる。
「まあいずれにしてもここまでやった以上、途中で逃げるなんて向こうがさせてくれないでしょうし、まして謝って許してくれるはずがない。あなたにしたって無理矢理連れてこられたなんて言い訳は通じないでしょうから、最後まで付き合うしかないのよ」
そうアニェスが話しているうちに、屋敷の建物から増援らしき黒服達が続々と飛び出しこちらへ向かってくる。
「そう言うわけだからローラン、次の剣を頂戴」
アニェスと黒服達を止める言葉が見つけられない己の不甲斐なさを、心の中で神に詫び、無理と分かっていながらも許しを請いながら、私は剣の束から一本取り、アニェスに手渡したのだった──
それから先はもう、アニェスの独壇場だった。
向かってくる相手は即座に斬り伏せ、建物の中に乗り込んでからも敵が出てくる側から即座に斬り倒す。物陰や部屋の中に隠れている敵も、アニェスが符を投げつけると煙が吹き出し、激しく咳き込みながら涙を流して出てきた所を斬られた。こう話すと手当たり次第に虐殺しているように思うかも知れないが、メイドを始め使用人など、いわゆる戦意のない者達は逃げるに任せて一顧だにしなかった。もっとも逃げる振りをしてアニェスを後ろから襲おうとしてくる者もいたが、そういう連中は必ず察知され、犠牲者の列に加えられた。正直後ろから付いていく私の方が、流れ弾の恐怖に怯え、騙し討ちの不安にさいなまれて寿命の縮む思いだったが、少しでも歩みが遅れれば即座にアニェスから罵声が飛び、「次!」と指示が来ると即座に替えの剣を渡さなければ容赦なく足を踏まれた。
そうした合間に、アニェスは建物中そこかしこの壁や柱に符を貼り付けていて、私は好奇心よりもどちらかと言うと不安から、その符は何かと尋ねると、
「後で教えてあげる」
それ以上の追及は許さないというように短く答えると、部屋のドア越しに撃ってくる黒服の方へ詰め寄り、薄いドアごと黒服を刺し貫くのだった。
「さて、ここが最後ね」
建物の奥にある、いかにも厳重そうなドアの前までたどり着くと、アニェスは独りごちるように言う。
既に屋敷の主の部屋が空になっていることを確認しており、もう逃げたのだろうかと私は言ってみたが、「そんなはずないでしょう」とアニェスは一蹴。それから手当たり次第に建物中を探し回り、途中で襲ってくる敵は引き続き問答無用で斬っていったから、建物中死屍累々の様相を呈していた。
「アニェス様!」
そこへ裏口から入っていたロベールも駆けつけてくると、アニェスは「遅い!」と彼のみぞおちに拳を叩き込む。
「こっちが表から派手にやり合って敵を引きつけてたんだから、もっと早く来なさい」
相変わらず手厳しく言うアニェスにロベールが「申し訳ありません」と謝る。
「電話線を見つけるのに思ったより手間取りまして……」
そう理由を述べるロベールだが、興味なさげなアニェスにドアを開けるよう促され、ドアノブに手を掛けガチャガチャと動かす。
「鍵が掛かっているようですが、いかがいたしますか?」
「見れば分かるわよ」
目の前でいちいち報告しなくていいというように答えると、アニェスはドアノブの付け根に符を貼り付ける。そして右手の人差し指と中指を向けて「疾!」と叫ぶと、高い音を立てて符が破裂し、ドアノブや周りごと鍵を吹き飛ばしてしまう。
「先に入って」
アニェスにそう命じられてロベールが最初にドアを押し開け中へ入り、彼を盾にするようにアニェスが後ろに続き、屋敷に入った時と比べるとかなり本数が減った剣の束を抱えて私が最後に入る。
「ふぅん」
部屋を見回すアニェスが納得げに声を上げる。部屋の壁の大部分を占める棚には難解そうな化学や医学らしき専門書や、私にも読めない文字が背表紙に書かれた本、何かの薬品などが数多く並び、机にはビーカーやフラスコ、顕微鏡を始めとした実験道具が置かれていた。
「まるで実験室か研究室だな」
鼻を突く薬品らしき臭いに眉をひそめながら言う私に、
「まるでじゃなくて、実験室か研究室なんでしょう」
そう答えてアニェスは部屋の奥で私達を睨み付けている、一目で高級品だと分かる衣服を身に着けたのと、白衣姿の老人らしき二人へ目を遣る。らしき、と言うのも何故か二人ともガスマスクを付けていて顔が判別できず、何故そんな物を付けているのか不思議に思った途端、いきなり膝から力が抜け、私は床に崩れ落ちる。
「どうだ、特製の痺れガスの味は?」
白衣の老人が、ガスマスク越しにくぐもった声で尋ねてくる。もう一人の老人もクックックと含み笑いを漏らし、
「儂は部下どもと違って、自分の能力を過信はしない。今のように戦う前から自分が確実に勝てる状況を作り、敵を潰す。そうやって儂は、裏社会で生き延び、のし上がってきたのだよ」
屋敷の主で組織のボスらしいその老人は私と、ほぼ同時に倒れたロベール、そして未だ倒れずにいたが時間の問題だろうアニェスを油断なく見据えつつ拳銃を抜く。
「すぐには殺さんぞ。これからじっくり時間を掛けて、貴様らのバックを吐かせてやる。言っておくが、儂は子供だからと言って手加減するほど優しくないぞ」
言いながらボスは銃口をアニェスに向け、彼女が倒れるのを待つ。だが、アニェスは倒れている私達に視線を向けると溜め息を吐き、
「何倒れてるのよ、もう」
そう言って老人達に向けて符を投げつけると、彼らの間を抜け、背後で爆発する。爆風で老人達は前のめりに倒され、壁に空いた穴からガスが抜けていく。
「ほら、これを飲みなさい」
アニェスが小さく丸めて口の中に入れてくれた符を飲み込むと、体中の痺れが次第に消えてきて、少々無理をしつつも私は身を起こす。
「な、何でお前はマスクもないのにあのガスの中を平気で動けたんだ!?」
衝撃でガスマスクが外れ、素顔を露わにした科学者らしい白衣の老人が、信じられないと言った口調で問う。
「ガスなんて吸わなければ意味ないわよ。部屋に入った時、薬品の匂いがしたからもしかしてと思って息を止めてたのよ」
大したことではないと言うように答えるアニェスだが、
「息を止めただと? それでこれだけの時間動いていたというのか!?」
科学者の動揺ももっともで、深呼吸で肺に一杯空気を取り込んでならともかく、普通に呼吸をしていて薬品臭に気付いて咄嗟に止める、それも動きながらでは良い所一分が限界だろう。
「私、五分は息を止めて動けるんだけど」
そう言ってまた符を出して放ると、次の瞬間符は何本もの針、それも長さ三〇センチはあろうかという太い針に変わって科学者の手足を貫く。
「五分って、そんな長い時間無呼吸で動けるわけないだろう!?」
昆虫採集のように床に縫い止められた科学者に代わってではないが、ついそう叫んでしまう。
「大した時間じゃないわよ。私の師匠は一呼吸で半日は持つし」
「どんな怪物だ? と言うか君に師匠がいたのか?」
「話をすり替えないで。あなたも最低三分はいけるようになってもらわなきゃ」
さらりと厳しいことを言いながら、アニェスは棚から研究記録を抜き出し目を走らせる。
「硫黄、水銀、塩、それに四大元素……賢者の石の精製──どうやらこの人、科学者と言うより錬金術師みたいね。石炭も研究に必要だったと。で、ここの主人が研究資金を出してたみたいね。エリクサーが目当てで」
「エリクサー?」
「どんな病気も治し、年も取らなくなる効果を持つ──早い話が不老不死の薬よ。お金を始め、あらゆる物を手に入れた欲望の行き着く先は、古今東西変わらないわね」
呆れた口調でアニェスは答えながら、爆発と壁の破片で背中が傷だらけになったボスに目を遣る。
「本当に馬鹿よね。どれだけ生きたかより、どう生きたかの方が重要なのに」
追い討ちを掛けるような嘲りの台詞だったが、私は心の中で同意する。短命な人生は確かに悲しいが、長生きすれば良い人生とは限らない。重要なのは神によって定められたそれぞれの命の中で、真理と善を求め、徳を高め、課せられた使命を果たすことではないのか。
とは言えそれらを実践できていない現状に心の中で嘆いていると、ボスは既にガスマスクが外れ、頬がたるみ老人斑が浮き出た顔を怒りの形相でドス黒く染め、服の中にもう一挺隠していたのか拳銃の銃口を私とアニェスに向ける。
「アニェス様!」
ロベールが叫んで駆け寄ろうとするが、痺れガスから回復したばかりの体では動きが鈍く、拳銃の引き金が引かれる。
当たる──そう思った瞬間、すぐに飛んでくると思っていた弾丸は、銃口からゆっくりと回転しながら出てくる。何故こんなにゆっくりなのか分からなかったが、一方でこれなら避けられないこともないだろうが、避けたらアニェスに当たるかも知れないと冷静に思考している私がいた。直ちに代わりの手段を探し、記憶の中からつい先日あのエミリー・ベレッタの放つ銃弾をアニェスが短剣で弾いた光景を拾い出す。次いで両腕に抱えた剣の束から私用に持たされたサーベルを見つけ、
『体格から考えると、あなたは力で押すよりも、速さ重視で戦う方が向いてそうだから、そのサーベルが良いわね。まずは抜き打ちで敵を斬れるレベルが目標かしら』
つい先程アニェスから言われた台詞を思い出し、即結論を出すと、私はサーベルを残し他の剣を全て手放す。
ところが私の腕と指はまるで泥沼に填っているように鈍く、私は懸命に力を込めて左手でサーベルを掴むと、他の剣がまるでスローモーションのようにゆっくりと落ちていくが、理由を考えている余裕などなく、右手でサーベルの柄を掴み、渾身の力を込めて鞘から引き出す。これもまた、鞘の中に糊でも入っているかのようになかなか抜けず、もどかしさと焦りの中でようやく剣身を抜き放ち、尾のように煙を引きながら私に迫ってくる弾丸に沿えるように刃を当てると、まるで果物のように弾丸が真っ二つに割れ、回転の勢いでそれぞれ明後日の方向へ飛んで行った。
「なっ──拳銃の弾を斬っただと!?」
緊張の糸が切れて、ようやく普通に動けるようになった私の前で愕然となるボスだったが、その半開きになった口にアニェスが剣を突っ込むと、拳銃を握った手が床に落ち、二度と動かなくなる。
「何だったんだ、あれは……」
つい今し方起こった現象に、今更ながら混乱する私に、
「最初にしてはなかなか良い抜き打ちだったわよ、ローラン」
微笑みながらそう言ってくるアニェスは続けて、
「弾丸やあなた自身の動きがものすごく遅く感じたでしょう? 人は命の危険に陥った時、周りの景色が遅く見えるって言うけど、あれは危険で脳が高速回転して目からの映像を処理するから遅く映るのよ。もちろん大抵の場合は体の動きが追いつかないんだけど、そこはさっき私が掛けた術のおかげで対応できたんだから感謝しなさい」
そこまで計算していたのよと言わんばかりのアニェスだったが、ここで文句を言うとまた面倒なことになりそうだったから素直に「ありがとう」と言っておく。
「一回の実戦で得られる経験値は道場での鍛錬一年分に相当するそうだから連れて来たけど、最初の“扉”を開けたのはまずまずの滑り出しね」
そう呟くアニェスの口調は、弟子の成長を喜ぶ師のようだったが、動物実験の結果に喜ぶ科学者のようにも聞こえたとしても、ここまでの経緯を知れば私を責めることはできまい。
「ようこそ、私達の世界の入口へ」
芝居がかった口調でアニェスが言ってきた通り、これさえも後に裏社会で語られることになる“星の剣舞姫”の伝説の、初期の一ページにしか過ぎなかったことを、私は身を以て知ることになるのだが、正直この時は頭の中が一杯一杯で、そうしたことを考える余裕はなかった。