2
「それでは私は車を回して来ますので」
玄関を出ると、ロベールは部屋から持ってきた剣の束を抱えて先に門を出て行く。
「車で行くのか? 明日の朝もミサがあるし、あまり遠くへ行くのはまずいんだが……」
そう不安を口にする私に、
「大丈夫よ、日が暮れるまでには帰ってこれるから。生きてればだけど」
さらりとアニェスが最後に付け足した部分に、私が覚えた不安を流石に感じ取ったようで、
「何不安がってるのよ?」
アニェスはやれやれと言う風に溜め息を吐く。
「君が不安を煽り立てるからだろう?」
流石に私もそう言い返すが、
「心外ね。私は注意を促すつもりで言ったのよ」
アニェスは唇を尖らせる。
「けど、『死ぬかも知れない』とか『生きてれば』とか言われたら、誰だって不安になるさ」
そう言っていると、門の前に小型トラックが止まる。
「お待たせいたしました。どうぞお乗り下さい」
巨体にはいささか窮屈そうな運転席から、ロベールが降りてくる。
「これに乗って行くのかい?」
白い車体で、後部の荷台には幌が被せられている、どこにでもありそうな小型トラックだ。アニェス達が乗るにしては意外だったので、私は素直に疑問を口にする。
「ロールスロイスかベンツにでも乗って行くと思った? 帰りは荷物を運ぶんだからトラックに決まってるでしょう」
そう答えて、アニェスはロベールが開けてくれたドアから助手席に乗り込み、ロベールも再び運転席に向かう。
「どうしたの、ローランも早く乗りなさいよ」
アニェスが窓から言ってくる。
「いや、乗れと言っても……」
トラックの座席は運転席と助手席の二つだけ。しかも二つとも塞がっている。
「何言ってるのよ、もう」
分かり切ってることを言わせないでと言うように、アニェスは荷台を指差す。
「やっぱりそうか……」
文句を言っても仕方ないので、トラックの後ろに回って荷台に乗り込んだ直後、トラックはゆっくりと発進する。
「そこに置いてある剣、落ちないようにちゃんと見てなさい」
座席の後ろの窓からアニェスが言ってくるので、私は置いてあった剣の束の側に座る。
「何で剣なんて持って行くんだ?」
いつの間にかこれも持参させられているサーベルを持て余しながら、私は尋ねる。
「必要だからよ」
「必要って、もう少し詳しく教えてくれても良いだろう」
不親切極まりない回答に、私は食い下がるが、
「あなた、さっきから随分不安そうだけど」
アニェスは唐突に話題を変えてくる。
「確かに私は『死ぬかも知れない』と言ったわよ。でもこうして行かなくても、今夜あなたは突然心臓発作を起こして死ぬかも知れない。他にも今から五分後、いえ、三分後に大地震が起きて、トラックごと大きな地割れに飲み込まれて私達全員死ぬことだってあるかも知れない。流石に可能性は極めて低いけど、全くのゼロとは言い切れないわよ」
「おいおい、それはいくら何でも……」
あまりに突飛なアニェスの話に、私は眉をひそめるが、
「つまりはそういうことよ。まだ起こってもいないことを怖がったり、不安になっても仕方ないじゃない。先々のことを予測して物心共に準備しておくのと、不安になるのとは全然違うわよ」
アニェスの言葉は理屈としては正しかったが、誰しも彼女のように不安を克服できるわけではない。私を含めた多くの者にとって、未知に対する不安、恐怖があるからこそ危機管理に取り組むのではないか。
トラックは町を出て三〇分ほど走り、よその町に入る。住宅の立ち並ぶ地区に差し掛かった所でトラックは停車し、
「あそこね」
周りに建つ一般的な家々とは文字通り一線を画するように、高い塀に囲まれた広い敷地に建つ屋敷を、アニェスが指差す。
「はい、間違い有りません」
地図を広げてロベールが答えると、アニェスはトラックを降りる。
「付いてきて。剣も全部持ってくるのよ」
後ろに回ってきたアニェスに言われ、私は剣の束とサーベルをよいしょ、と抱えて荷台を降りる。ロベールはさして苦もなく運んでいたが、当時の私の腕力では荷が重く、
「何やってるのよ、もう。ちゃんと運びなさいよ」
よろけそうになりながら持ち歩く私に、アニェスが振り返って言う。
「そう言われても、こんなに沢山じゃ仕方ないだろう」
私がそう返すと、
「仕方ないわね」
アニェスは私の元へ寄ってくると、また胸元で両手を組み、先程家で唱えていたのとは違っていたものの何事か唱え、最後に私の額を指で軽く突く。その途端、剣がまるで枯れ枝の束のように軽くなる。
「一体何をしたんだ!? 剣が急に軽くなったぞ」
戸惑いながら尋ねると、
「剣が軽くなったんじゃないの。あなたの体の筋肉が無意識に掛けてる枷を外しただけよ」
事も無げにアニェスは答える。聖職者として、魔術などの類を受けるのは、どう控え目に言っても良い気分はしないのだが、
「安心しなさい。悪魔の力なんか借りてないから。どちらかと言うと催眠術に近いわ。じゃあロベール、裏の方に回って後は手筈通りね」
「かしこまりました」
そう答えて、ロベールはトラックを再び発進させ行ってしまう。
「さてと。その術は二、三時間しか保たないから急ぐわよ」
せかすように屋敷の方へ歩き出すアニェスに、私も剣の束を抱えて付いていく。
「そろそろ何をするのか教えてくれても良いだろう。あの屋敷に何の用があるんだい?」
私が尋ねると、アニェスは「あっ」と、今まで説明するのを本気で忘れていたような声を上げ、続けて説明に掛かる。
「家を出る時に言ったでしょ、剣の材料と、炉にくべる石炭を集めるって。それで前から隕石探しと並行して在処を探してたんだけど、情報によると一般の工業用とかのルートではまず手に入らない最高品質の石炭が、あの屋敷に大量に運び込まれてるらしいのよ」
「お屋敷に石炭? 何のために?」
「さあ、そこまで深く調べてないから」
「いい加減だな」
「うるさいわね。仕方ないでしょう、他にも色々探し物があったんだし、隕石が最優先だったんだから」
アニェスの声が不機嫌の色を帯びたかと思うと、彼女は急に振り向いて一瞬で私の懐にまで距離を詰め、がら空きになっている脇の下を抉り込むように突いてくる。
「がっ! つぅっ!」
最初に上げた声は脇に走った激痛、後の方は思わず取り落とした剣の束が足に落ちてのものだ。
左右の手でそれぞれ左脇と右足を押さえて悶絶する私に、
「脇の下は神経が集中していて、殴られるとダメージが大きいのよ。覚えておきなさい」
そう言ってアニェスはまたスタスタと先へ歩くので、私も痛みに耐えながら剣の束を拾い、急ぎ足で付いていく。
屋敷の正門の前まで着いて近くで見ると、周りを囲む塀が高いのに加えて分厚く頑丈に作られていて、上には鉄条網まで張り巡らされているのが分かり、その物々しい佇まいに、正門の両面開きの扉さえ威圧的に感じられた。
「石炭を分けて貰うのは分かったけど、あの屋敷の人にツテでもあるのかい?」
あまり落ち着かない気持ちで尋ねる私に、アニェスは「はぁ?」と呆れたような声を上げる。
「そんなのあるわけないでしょう。ちょっと離れてて」
アニェスは符を一枚取り出すと、正門から距離を取ってヒョイと無造作に放る。符はフワリと飛んで扉に貼り付くと、次の瞬間耳をつんざくような轟音と共に爆発する。
「なっ──!?」
激しい耳鳴りがしつつも、また剣の束を取り落とさないよう抱える腕に必死で力を込める私の視界に、爆発で倒された扉が、原型をまるで留めていない残骸をさらしていた。
「何をやってるんだ、君は!?」
予想の遥かに斜め上を行った彼女の行動に、半ばパニックになりつつも私はそう言葉を絞り出す。煙を上げる扉の向こうでは、黒いスーツ姿の男達がいずれも緊迫した表情で走って来ている。それらとは対照的に、自分だけしっかり耳を塞いで伏せていたアニェスは平然とした様子で立ち上がり、
「何って──」
耳鳴りに混じって、深刻さの欠片も見えないアニェスの声が辛うじて聞こえた。
「だから、石炭を分捕りに行くのよ」