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星の剣舞姫  作者: たかいわ勇樹
第2話 レッスンは命懸けで
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 アニェスが住居とした家は、町外れに建つ漆喰壁の二階家で、ちょっとした屋敷と言っても良いほど上品な造りをしていた。元はパリで貿易商を営んでいた老夫婦が引退後の住まいとして建てたらしいが、老夫婦の死後何人かの手を渡り、空き家になっていたのをアニェスが借りて引っ越してきたようだった。


 アニェスが私の教会に転出証明書を出してきた翌日の午後、私はアニェスに呼ばれて彼女の家を訪れた。

 最後に見た時には長いこと空き家になっていたために雑草が伸び放題だったのに、僅か一日で芝生も植木も綺麗に刈り込まれていた前庭を抜け、私は玄関のドアをノックすると、程なくしてドアが開いて黒のスーツ姿の大男が姿を現す。

「ようこそ、神父様」

 大男──アニェスの従者であるロベール・コラフェイスは、恭しく一礼すると私を中へ招き入れる。

「確か長い間空き家だったから埃だらけだっただろうに、随分綺麗なものだね」

「取り急ぎ前庭と一階のみ掃除しました。まだ二階と裏庭が済んでませんし、荷物も全部解いたわけではございませんが」

 そう答えるロベールに案内され、私は応接間に通される。

「アニェス様、ボードワン神父様が来られました」

 華美すぎず、それでいて地味すぎず、内装と見事に調和した家具に囲まれた室内で、アニェスはレースとフリルで飾られた黒いドレス姿でソファーに座っていた。

「来たわね、ローラン」

 微笑みながら迎えるアニェスに促され、私は彼女の対面のソファーに座る。

「今日から色々教えるわけだけど、まずその前に、あなたが霊が見える他にどれだけ能力があるか、どんな才能があるかを知りたいわ。それらを考慮して、どんな修行をしていくか決めるから」

 いきなりアニェスはそう切り出してきた。

「私の能力ねえ──一応聖職者としての知識でラテン語とギリシャ語にヘブライ語を少々、あとイタリア語も日常会話は問題なくできるし」

「そんなことを訊いてるんじゃないわよ」

 私がこれまで学んできたことを並べていると、途中でアニェスに遮られる。

「はっきり言ってあげる。私の修行にそんな物は意味ないから。意味があるのは──」

 アニェスは言いながらテーブル上のティーセットに手を伸ばし、スプーンを取った次の瞬間、スプーンの先が私の喉元に当てられる。

「こういうのよ。今のがスプーンじゃなくて刃物だったら、頸動脈を切られて殺されてる所よ」

 身を乗り出し、私の喉にスプーンを突きつけてアニェスは言う。いきなりの行為、早業に身動きが取れずにいる私に、アニェスは喉から私の顔にスプーンを向け、

「ついでに言うと、スプーンでも人間の目玉を抉り出すくらいはできるのよ。覚えておきなさい」

 言いながら、私の左目の下をスプーンでピタピタと当てる。脅しでなく、ただ事実を伝えるように淡々とした口調で。

「反応速度は全然駄目ね」

 ソファーに座り直し、アニェスは溜め息をつく。

「他も自己申告じゃ当てにならないし──脱ぎなさい」

「は?」

「聞こえなかったの? 服を脱ぎなさいって言ってるのよ」

「何で服を脱がなきゃいけないんだ!?」

「いいから脱ぎなさいよ。ロベール!」

「はっ!」

 アニェスに命じられたロベールが私の横にやってくると、

「失礼いたします」

 そう言って、私が制止する間もなく僧衣のボタンを次々と外していき、まるで食用葡萄の皮を取るようにあっという間に脱がされてしまう。

「お、おい……」

 私がそう言いかけた時には、もうズボンもシャツも脱がされ、パンツ一丁で立たされていた。

「一体何をする気なんだ?」

 僅か数秒の早業に、私は困惑しつつも懸命に思考し言葉を捻り出すが、

「まっすぐ立つ」

 アニェスは無視して私にそう命じる。

「右腕を上げて」

「左腕も」

「右腕を下ろして」

「今度は真横に広げて。そのまま腰から上を捻る。はい反対」

「次は前にかがんで爪先を地面に付けて。……固いわね」

「戻して。次は足を広げて。膝を曲げて中腰の姿勢で」

 こんな調子でアニェスは次々と命令してきて、私は雰囲気的に逆らうことも文句を言うこともできずそれに従う。その際中、アニェスは周りをグルグル回りながら私の体をジロジロ見ていたが、

「うん、大体分かった。服着ていいわよ」

 言って、アニェスはソファーに戻ると、ロベールが服を差し出してきたので着ると、それらはいつの間にやったのか、しっかりアイロンが掛かっていた。

「筋肉を見た感じ、持久力はそこそこにあるみたいね。意外だわ」

「聖職者という仕事は体力が要るんだよ」

 そう。他の多くの仕事と同様、聖職者の仕事は体力が要る。

 日々のミサやその他様々な仕事はもちろん、カトリックに於いて最大の行事であるクリスマスと復活祭は、前日の夜から徹夜でミサを挙げるなどして、キリストの誕生と復活を祝うのだから、体力がなくては務まらない。

「でもそれだって、私が求める水準には届かないわ。瞬発力やパワーに至ってはお話にならないし」

 予想通りとも期待外れとも取れる表情と口調で、アニェスはボディーチェックの結果を述べる。

「時間もないし、少し手荒に行くわよ」

 アニェスはソファーを立つと、私に付いてくるよう促す。応接間を出ると、家の奥の方へ進む。一階の一番奥にある扉の前まで行くと、扉には漢字らしき文字が書かれた紙片──符で封印がしてあったが、アニェスは胸元で両手を組み、何事か唱えながら数回手の組み方を変え、最後に右手の人差し指と中指を封印に向けて、

「疾!」

 そう小さく叫ぶと、符はハラリと剥がれ落ちる。

「入って」

 符を拾い、扉を開けて入るアニェスに続いて私も部屋に入る。

「うわぁ……」

 部屋の中を見て、私は思わず声を上げた。

 部屋に置かれているのは大きな炉、金床にハンマーと、まるで鍛冶屋の仕事場にあるような設備、道具が一揃い置かれており、いずれもすぐ作業に掛かれるようしっかり手入れがしてあった。

「どう、この部屋は?」

 自慢げに胸を張りながら感想を尋ねるアニェスに、

「そうだね、女の子の部屋に置く家具にしては、いささか無骨な気がするけど……」

 気の利いた答えが思い浮かばず、私はそう答えるのが精一杯だった。

「何その冗談? 笑えないんだけど」

 案の定、彼女は溜め息を吐き、最後に入ってきたロベールも苦い表情をする。

「ほら、あれが何だか分かる?」

 アニェスは部屋の奥に鎮座する大きな岩を指さして尋ねる。

「ああ」

 忘れようにも忘れられるものか。つい先日、私が殺される寸前まで追い込まれ、『常識』の外へ足を踏み入れるきっかけとなったのだから。

「教会の床下から掘り出した隕石とやらだろう。そう言えば、その隕石から新しい剣を作ると言ってたな?」

 そこまで言って、私は納得した。どうやらこの部屋は剣を作るための作業場のようだった。

「そうよ。せっかく良い材料が手に入ったんだから、最高の剣を作りたいでしょ? ロベール、そこに置いてあるやつ、全部持ってきて」

「かしこまりました」

 ロベールが部屋の隅に置いてあった剣の束を持ってくると、アニェスはそれらをテーブルの上に並べ、一振りずつ鞘から抜いて剣身をチェックする。いずれも簡素な造りの鞘と柄に入っていたが、素人目に見ても見事な作りの剣身揃いで、さぞかし腕の立つ職人の手によるものと思わせた。

「これを作ったのは誰なんだい?」

 思わず好奇心に駆られて尋ねると、アニェスはニヤリと口の端を吊り上げる。

「全て、アニェス様がお作りになられた習作です」

 代わりにロベールが答えると、私は「何だって!?」と大声で叫ぶ。

 アニェスにはこれまでに何度も驚かされたが、これほどの、売れば相応の高値が付くだろう剣を、こんな年端もいかない少女が作るとは、完全に私の常識の斜め上を行っていた。しかもこの出来で習作だというのか。

「だって所詮は普通に手に入る鉄で作った物よ。西洋の剣の形を作るコツを掴むのが目的で、隕石で作る前の練習でしかないわ」

 アニェスはあっさりと言いつつ、剣のチェックを続ける。

「ここはフランスだものね。『入郷随俗』、西洋では『ローマにいる時は、ローマ人がするようにせよ』って言うんだっけ? まあ西洋の剣のデザインが気に入ってるのもあるけど」

 などと言いながら、一通り剣のチェックが終わると、アニェスはその中の一振りを私に差し出してくる。

「体格から考えると、あなたは力で押すよりも、速さ重視で戦う方が向いてそうだから、そのサーベルが良いわね。まずは抜き打ちで敵を斬れるレベルが目標かしら」

 アニェスからサーベルを渡された私は、初めて持つ剣の重さに思わず取り落としそうになった。

「抜いてみなさい」

 言われて私は柄を握り、鞘から抜く。緩やかに反った剣身は、電灯の光を受けて冷たく輝く。生まれて初めて純然たる武器を持った私の右腕に、物理的な重みと、他者を傷付けるための道具特有の雰囲気とも言える心理的な重みがのしかかる。

「なるべく早く、重さに慣れるようにしなさい」

 重みに顔を歪める私にアニェスは言うが、この重み、特に心理的な重みに慣れきってはいけないと、私の心は警告を発していた。

 この後も私は剣を握る度、常にその警告に心の耳を傾けるよう心掛けているが、これは私が聖職者だからと言うわけではない。剣が他者を傷付け、時には命をも奪う道具である重みと恐ろしさに慣れきって、斬ることに何の抵抗も持たなくなったら、それは人間を人間たらしめている大切なものを失うことになると知っているからだ。そして、例え慣れることがなかったとしても、剣を振るうことはどれだけ理屈を重ねても暴力であり、道に迷った魂に天国への道を示す目的とは遠い手段であることを、私は知っている。だが私はそうと分かっていても、私自身の身を守るためと、より多くの魂を救うために剣を振るうアンビバレントに、未だ解答を得られていない。

「じゃあ行くわよ」

 部屋を出るアニェスに、私は慌ててサーベルを鞘に収める。

「これから練習か?」

 彼女の後ろに付いていきながら私は尋ねるが、

「何言ってるの。そんな悠長なことをするわけないでしょう?」

 呆れた口調でアニェスは答える。

「剣身の材料として隕石は手に入ったけど、剣には他にも柄とか鞘とかあって、そっちも最高の材料を使いたいじゃない。炉にくべる石炭だって、一般の市場に出回っているような物じゃ隕石を加工するのに必要な火力を出せないから、探して来なきゃ。とにかくやることはたくさんあって、あなたの修行だけに時間を取るほど暇じゃないのよ。だから材料の調達と一緒にあなたの修行もやっちゃうから」

 ほとんどついで同然の扱いに不安を覚える私に、アニェスはこれまたついでのようにこう続けた。

「最悪死ぬかも知れないから、気をつけてね」

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