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アニェス・紅が町に居を構えてから、私の修行は始まったが、正直な話アニェスが直接教えてくれたことは極めて少なく、修行らしいことをした日数も短かった。
普通修行と聞けば、師から心構えなどを延々説明されたり、地味で単調な訓練を長い年月繰り返すのを想像するだろうが、当初の私の予想に反してアニェスはそういったことを話しもしなければ指示もしなかった。
良く武術などの修行は山登りに例えられるが、大抵の人が想像する修行は事前に心構えなどを教えられ、体力を養い、十分な装備を調えてから時間を掛けて登るのに対し、アニェスは登る山を示したら、ろくに知識も与えず「さっさと登りなさい」と命令してきた。しかも頂上までの最短距離を一直線に、途中に険しい崖があろうと谷があろうとお構いなしで「さっさと進みなさい」と彼女は私の尻を叩いてきた。
おかげで修行が始まって一ヶ月も経たないうちに、私はアニェス曰く「まあそこそこ戦力になる」水準まで上がることができたが、実戦重視と言えば聞こえは良くても、実際の所は単に彼女が根気強く教えるのが面倒臭いから、必死で戦って強くならなくては死んでしまう状況に追い込み続けて手っ取り早く自分の手足となって戦う手駒に仕立て上げようとしたのではないかと思えてならない。
当然そのために私が死にかけたことも両手の指では数え切れないが、皮肉なことにそのおかげで、神は乗り越えられない困難を与えることはないのだという聖書の言葉と、何より神の存在を信じずにはいられないのだ。
何しろ、神の恩寵でもなければ今こうして生きていることが、とてもではないが信じられない危険の数々が、あの時から私に襲いかかってきたのだから──