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私が霊達のために祈っている頃、アニェスは撃たれたロベールの治療に掛かっていた。
治療と言っても、両足に食い込んだ弾丸を短剣でえぐり出すという乱暴なやり方で、ロベールも悲鳴を上げるが、アニェスは「騒ぐんじゃないわよ!」と強引に黙らせる。
「全く、あなたは馬鹿力と頑丈さが取り柄なんだから、あの女が拳銃を出してくると分かったらすぐ、体を張って私を守りなさいよ。なのにボーッと突っ立ってるから、七星剣は折られるし、こうして無駄な手間まで掛けさせるし……」
ひとしきり愚痴るアニェスだが、弾丸を取り出して、先程私を治療するのに使ったのと同じ符を傷口に張り付けると、フッと微笑んで立ち上がり、隕石に触れる。
「でもまあ許してあげるわ。この隕石があれば、また新しい剣が作れるし、それに──ねえ神父」
アニェスは祈りを終えていた私の方に近付いてくる。
「あなた、さっきから見た様子だと、霊が見えるみたいね? 専門的な修行をしたわけでもなさそうだし、生まれつき才能があるみたいね」
「才能?」
「そう。霊なるもの、霊なる力を感じ、霊なる力を行使して霊なるものに影響を及ぼす才能。霊の声が聞こえることに驚いてたのから察すると、中途半端に見ることしかできなかったのが、さっき霊を縛り付けられた人形に襲われて、上手くチューニングが合ったみたいね」
「そんな、ラジオじゃないんだから……」
「とにかく、全ては事実よ。夢でもインチキでも悪戯でもなくね。どうせ前から霊にまとわりつかれたりしてきたんでしょう? ちなみに悪霊とかの類はそういう才能のある魂が好みみたいでね、言っちゃ悪いけど、この先あなたはこれまで以上に霊がたくさんちょっかいを出してくるわよ」
可哀想にと言わんばかりにアニェスは意地の悪い口調で言ってくると、ここで言葉を句切り、そしてこう続けた。
「あなた、神の下僕辞めて、私の下僕になりなさい」
「は!?」
思いも掛けない言葉に間抜けな声を上げる私に、彼女は構わず続ける。
「世界を取り巻く霊なるもの、霊なる力の仕組み、感覚や力の使い方、悪霊、怪物から身を守る方法を教えてあげる。その代わり、私の下僕として働くのよ。悪い話じゃないでしょう?」
アニェスの言葉に、私は黙り込んでしまう。霊に対処する術は、私がずっと探し求めていたものだ。それが手を伸ばせばすぐ届く所にあるとなれば、心が揺れ動くのも当然だろう。だが──
「折角だが、私は自分自身を神に捧げると誓った身だ。君の下僕にはなれない」
断られるとは夢にも思ってなかったらしく、今度はアニェスが絶句する。彼女の申し出は本当に魅力的だった。もしもっと早く──少年の頃、イノー神父に出会うよりも先に彼女と出会っていれば、とも思ったが、すぐに無意味な仮定であると気付き、頭から打ち消した。
「そう、なら仕方ないわね」
少しの間黙り込んだ後、アニェスはそう返した。もっとしつこく誘ってくるかと思っていたのに、あっさり引き下がられて拍子抜けな感じがしたが、私の意志を理解してくれたのだと思い、私は心から安堵した。
その後はアニェスと、傷の癒えたロベールと三人で後始末に掛かった。人形の残骸を集め、穴に落としてはアニェスの符を使った術で燃やして体積を減らし、全部終わると土を被せ、床石を乗せてその上に念のためビニールシートを敷く。
それらの作業を急いで終わらせると、隕石をロベールに持たせてアニェスは教会を去った。
「何だこのシートは?」
「今朝神父様が入ったら、床がへこんでいたそうだ」
「古い教会だからな。とうとうここも痛んできたか」
朝、ミサに集まって来た信者達に嘘を言うのは心が咎めたが、真実を言った所で信じて貰えるとも思えなかったし、無闇に不安をかき立てる必要もないだろう。だが皮肉にもこのことが、信者達に聖堂が老朽化している事実をはっきり認識させることになり、ミサで集まった献金の額がいつもよりも若干多かったのが不幸中の幸いと言うべきだろう。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできない試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます──」
新約聖書コリント人への手紙第一、第一〇章一三節の言葉を、私は読み上げる。
そう、どれほど辛いものであっても、打ち勝つことのできない困難などないのだ。聖堂の修復も今回の件で後退する羽目になったが、また少しずつでも前進すればいいのだ。霊の相手も、キリストや過去の多くの聖人達がそうしてきたように、努力と信仰を積み重ね続けていけば、いつかそれらに対処する術も見出せることだろう。
私は聖書を閉じると、そう決意を新たにして、眠気をこらえながら司祭館へ向かう。
「随分ごゆっくりね、神父」
司祭館へ入った私を、そう先入者が出迎える。
「ア、アニェス、何で君がここにいるんだ!?」
「何でって、用事があるからに決まってるでしょう」
そのまま応接室に行くと、アニェスは早々にソファーに腰掛け、ロベールが用意したコーヒーと菓子に手を伸ばす。
「神父様もどうぞ」
ロベールに勧められ、アニェスの対面に座った私もコーヒーを一口すする。
「台所にあった豆で煎れたのですが、お味はいかがでしょうか?」
「うん、私が煎れるよりも美味しい──って、そう言う話をしに来たんじゃないだろう?」
寝不足もあってか本題を急ぐ私に、アニェスが「ロベール、あれを」と言うと、ロベールが封筒を私に差し出す。
「これは?」
「転出証明書よ。私達二人、この町に家を借りて住むことにしたから、所属教会もここに移すわ。信者籍台帳に記入お願いね」
封筒を開けると、確かにカトリック教会が発行する、正式な転出証明書が二人分入っていた。
「でも、何でこの町に? 私は君の下僕にはなれないと言っただろう?」
私の問いに、アニェスは悠然とコーヒーカップを傾けて答える。
「あの隕石から新しい剣を作るには、それなりに広さのある作業場が必要なのよ。それに、私はまだあなたのことを諦めたわけじゃない」
「それなら君の下僕にはなれないと何度も──」
「あなたは神の下僕を辞めることはできないから、私の下僕にはなれない。それで間違いないわね?」
私の言葉を遮り、アニェスがそう質問してくる。
「そうだが……」
「なら問題ないわ。別に神の下僕を辞めなくても、私の下僕はできるでしょ。歴史上、神の下僕でありながら国王の下僕もやってた人間は何人もいるし。例えばリシュリューみたいに」
「恐れながらアニェス様、それはいささか例えがよろしくないのでは……」
そう口を挟んでくるロベールに、「うるさいわね」と当たるが、すぐに機嫌を直して私の方に向き直る。
「悪い話じゃないでしょう? あなたは神父の仕事を続けて構わないし、これから私があなたの才能の使い方、霊との対処の仕方とかを教えてあげるんだから。あの隕石、だいぶ大きいから私の剣を作っても、まだだいぶ余るから、そのうちあなた用の武器も作ってあげるわね」
もはや何の問題もないと言うように、一人で話を進めるアニェス。私が止めようと口を開きかけた所で、ロベールが不意に私の肩を叩くので振り向くと、ロベールは諦め顔で首を横に振った。どうやら彼女に目を付けられた時点で、私に拒否権はなかったようだった。
「そうそう、名前を言うのを忘れてたわね。そこの大きいのがロベール・コラフェイス、私はアニェス・紅。これからよろしくね、ローラン」
満足げな笑顔で、アニェスは言った。
こうして私はほとんど有無を言わさない形でアニェス・紅──後に“星の剣舞姫”の二つ名でフランスの裏社会において敬われ、畏れられる少女の仲間に引き込まれることになった。
この後、私は約束通り、彼女から霊との対処の仕方やその他多くのことを教わると同時に、数え切れないほどの生命の危機にも遭遇することになるのだが、それらについて語るのは、また後日のことにしよう。