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「良いかね、まず最初に言っておく。昔から──それこそこの世に人類が現れた頃から、多くの人々によって数限りなく、存在するかしないかについて議論が為されてきたが、悪魔は間違いなく存在する。それは聖書に悪魔が出てくるからという教条的な理由ではなく、私自身の経験で、悪魔の存在を確認したからに他ならない」
顔や手に深く刻まれた皺のせいで実年齢以上に老けて見える初老の神父は、まず最初にそう言ってきた。
ローマでの留学中、私は過去に悪魔祓いを幾度も経験したというその神父と面会する機会に恵まれ、死者の霊に天国への道を示すのとは目的こそ違うが、何らかの手がかりを見出すことはできるかも知れないと思い、教えを請うたのだった。
「君は悪魔という存在についてどれだけ認識しているかな? 奴らは聖書に出てくるソドムとゴモラのような穢れきった場所で、思いつくだけの罪を犯した人間を相手にすると、君は思っているのではないかね?」
「そうではないのですか?」
「全く違う」
神父は首を横に振って続ける。
「始めから穢れている場所、既に罪に塗れた人間、そういったものに悪魔は興味を持たないのだよ。考えてもみたまえ、例えばだ、放っておいても十分な利益を生み続けると分かっている場所に留まって、働き手を叱咤するなどで能率アップを図っても、たいして利益が伸びるとは思えないだろう?」
「まあ、確かにそうですけど、穢れと商売を同じように説明するのはどうでしょうか?」
「物事は聞く側にとって身近なことに例えた方が理解しやすいのだよ。聖書でもキリストは教えを説く際に、例え話をよく使っているだろう?」
「そうですね、失礼しました」
神父の心遣いに気付かなかったことに、私は素直に詫びる。
「話を続けようか。ともかく、悪魔というのはむしろ、神聖な場所に好んで現れ、信仰篤き者を誘惑しようと試みる。清らかなものを穢し、篤信者を堕落させるのが奴らの狙いだ。古くは荒野で彷徨うキリストをサタンが再三誘惑したようにね。だからこそ我々聖界に身を置く者は悪しき者とそうでない者とを見極め、悪しき者の手練手管に立ち向かう知恵と勇気、そして揺るぎない信仰を持たなくてはならない」
「あなたのように、ですか?」
私の問いに、神父は渋面になる。
「私の積み重ねてきた知恵や信仰が、そこまで高みにあるとは思っていない。ただ私は、己が卑小な存在であることを常に自覚して、努力と信仰を積み重ねていき、これからもそうしていくだけだ。君もこの先、自分の能力や信仰が人よりも高みにあるなどと思い上がることは決してあってはならない。そういう傲慢さに、悪魔は狡猾につけ込むのだからね」
決して忘れることがないように、心と記憶に刻みつけるように、静かだが力強い口調で神父は言った──
「……!」
昔の夢から戻った私の意識に最初に入ってきたのは、ザック、ザックと土を掘るような音だった。
目を開けてみると、先程も見たのと同じ黒ずくめの、ただしもっと大柄なのが二人、ランタンの明かりを頼りにスコップで穴を掘っている。周りをよく見ると、そこは私がいつもミサを挙げている聖堂内だと気付く。床に手を付いて立ち上がろうしたが、両手が後ろで縛られていて、縄が両手に食い込む。
「くっ……」
痛みに思わず声を上げると、穴の側で作業を見ていたもう一人の黒ずくめが気付く。
「あら、もうお目覚め?」
言いながら歩み寄ってくる。
「こんなことをして、一体何が目的なんだ、ベレッタ?」
「『こんなこと』、とはどっちのことかしら? 今ここでやってること? それともさっき司祭館に無断で入ったことかしら?」
ベレッタは私の目の前にしゃがみ込んで問い返す。
「どっちもだ」
「あっそ。いいわ、向こうの作業はまだもう少し掛かりそうだし、順を追って話してあげる」
昼間までの礼儀正しさをかなぐり捨て、物理的にも精神的にも上から目線でベレッタは言う。
「この教会が、キリスト教が広まる前の土着信仰の祭祀場の上に建てられたというのは、昼間も話したわよね。じゃあ、こうは考えなかった? 何でここに土着信仰の祭祀場があったのかって」
「君は知ってるのか?」
「もちろんよ。と言うより、知ってるから、当時の祭祀場の位置を探してたのよ」
「何のためだ? 遺跡発掘のためか?」
「馬鹿じゃないの?」
ベレッタは鼻で笑う。もちろん本気で言ったわけではない。もし遺跡を見つけるのが目的なら、正式な手続きを踏んで発掘調査すればいいのだから。
「当時の連中が何を拝もうが何しようが私の知ったことじゃないわ。私の目的は、祭祀場の跡にある物だけよ」
ベレッタの言葉で、私はようやく彼女の正体を理解した。
「そうか──君は盗掘のためにここへ来たのか! 目的は祭祀場で使われていた儀式の道具などか?」
話には聞いたことがあった。正当な権利なく遺跡など貴重な文化財を掘り返し、発見した出土品を持ち去って金持ちの好事家に売り捌く輩がいると。かつては国家ぐるみで盗掘が行われたことさえあったという。
「半分当たりで半分外れよ。確かに私はここへお宝が目当てで来た。けど、私が狙うお宝は儀式の道具とか、そんなチンケな物じゃないわ」
ベレッタがそう答えたところで、穴の方から固い物に当たったような音が聞こえてきた。
彼女は穴の側に戻って中を覗くと、
「それを掘り出してちょうだい!」
心なしか高ぶった声で、穴を掘っていた黒ずくめたちに命令する。ややあって、穴から大人一人分か、それ以上はありそうな大きさの岩が掘り出される。
ベレッタは逸る手で岩に付いている土を払うと、むき出しになった岩肌をいじり回していたが、
「間違いない──遂に見つけたわ!」
目を輝かせ、歓喜の叫びを上げた。
「そんな岩の何が価値があるんだ?」
当然のように疑問を口にする私に、ベレッタは無知な生徒に対する教師のようにやれやれという感じで溜め息をつく。
「ただの岩じゃないわ。これこそが、この場所に祭祀場が作られた理由なのよ」
目的の物を見つけ出したからか、彼女は高揚し、自慢げな声で答えた。
「これは遙かな昔──ケルト人の一部がゲルマン人の勢力に押されて今のフランスに移動してガリア人と呼ばれた頃か、それよりも前でしょうから紀元前四世紀か、もっと前に宇宙からやって来ただろう隕石よ。当時の人々はこれが空から落ちてくるのを見て、神様が降りて来たとでも思って、この場所に祭祀場を造ったのね。これの本当の価値も知らずに」
ベレッタは隕石を撫でながら含み笑いを漏らす。
「本当の価値、と言うと、学問的な価値というやつか?」
私の問いに、ベレッタはまた鼻で笑った。
「話しても、神父さんにはきっと理解できないわ」
ベレッタは服のポケットから紙を一枚取り出す。ランタンの明かりで、それが以前彼女から貰って、ずっと仕舞ってあった小切手だと分かる。
「本当は神父さんが寝てる間にこっそり取り返して、隕石も一緒に戴いていく予定だったけど、見られたからには仕方ないわよね。PA001、その神父を殺しなさい」
ベレッタがそう命じると、黒ずくめの一人がやって来て、私の胴体に両腕を回し、絞るように締め上げてくる。
「グアァ……!」
すさまじい腕力に、肺の空気が一気に押し出され、肋骨がきしむ音が体の中から聞こえてきた。あまりの激痛に意識を失いそうになるが、そこへ何者かの声が私の耳に入る。
『止めて……助けて……』
それはあまりに弱々しい、女性の声。それが何故、今私を殺そうとしている黒ずくめから聞こえているのか、苦痛の中で思っていると、聖堂の入口から勢いよく扉を開く音が聞こえた。
「あらっ?」
今繰り広げられている状況とは不釣り合いな声。私が必死で首を向けると、扉を開けたロベールの側にアニェスが、町の人が言ってた、磁石みたいな針が付いた板を手に立っていて、声は彼女が発したものだった。
「盤の針に強い反応が出たから、こんな深夜に来てみれば……わざわざ掘り出してくれてありがとう」
中の様子を見てもパニックの一片すら見せず、アニェスは状況を理解しているとは思えない発言を続ける。
「随分と余裕じゃない? 見たところあなた達もこの隕石が目当てのようだけど、自分達の身の危険も分からないのかしら? まあ分かってても生かしておく気はないけどね。PA002、その二人を殺しなさい!」
ベレッタの命令で、もう一人の黒ずくめが二人に襲いかかる。
「ロベール!」
「はいっ!」
アニェスの一言で、ロベールは主人の意図を瞬時に察して進み出ると、黒ずくめの前に立ちはだかり、黒ずくめが伸ばしてきた手を自分から取り、四つに組んで力比べを始める。ロベールも成人男性の平均を越える体格の持ち主だが、相手はそれよりも一回り大きく、一見勝ち目はないように思えたが、ロベールは押し負かされることなく、逆に押し返してさえいる。
「そいつは任せるわよ」
アニェスは返事も待たずに私たちの方へ向かって足を進めると、ベレッタは止めようとするが、アニェスはまるで瞬間移動したように、気が付くと私と黒ずくめの側に来ていた。黒ずくめは相変わらずベレッタの命令を遂行し、私を締め上げることに専念していたが、不意にその頭がぐらりと傾き、地面に落ちる。
目の前で起こっているにも関わらず、いきなりのことに私は状況が飲み込めなかったが、次いで私を締め上げている腕が力を失い、私は地面に落とされる。
「痛たた……」
締められた箇所と、落ちた拍子に打った尻の痛みをこらえていると、黒ずくめの腕が両方とも切り落とされて床に転がっていた。
「ひっ!?」
思わず腰が引ける私の服の裾を、アニェスが掴む。
「動かないで」
いつの間にかアニェスの右手には一本の剣が握られていた。見たことのないデザインの柄に、七つの点とそれらを繋ぐ線が彫り込まれている、まっすぐな諸刃の剣身を持つそれを彼女は一振りして、私の手を縛っていた縄を切る。そして私の服の前をはだけて黒ずくめに締められた箇所を触ると、アニェスは服の下から東洋の漢字らしき文字を書き連ねた一枚の紙片を取り出し、貼り付ける。すると不思議なことに、黒ずくめに締められた箇所や、先程殴られた後頭部などの痛みが嘘のように治まった。
「とりあえずこれで大丈夫ね」
アニェスはそう言うと、私から倒れている黒ずくめに視線を移す。
「ア、アニェス、いくら何でも腕や首を切り落とすなんて……」
ようやくまともな言葉を絞り出した私に、アニェスは何てことはないと言うように答える
「確かに図体は大きいけど、首の繋ぎ目や関節を狙えば、切断するのは比較的簡単よ」
「そうじゃなくて、いきなり殺すなんて……」
「何よ、命を助けて貰っておいて、それはないんじゃない? 大体、そいつの切り口とかをよく見なさいよ」
アニェスに言われて、私は黒ずくめの首や腕の切り口を見る。するとどういう訳か血が一滴も流れていないことに気付く。
「うおぉぉぉぉっ!!」
一方もう一体の黒ずくめも、ロベールによって地面に押し倒された末、両腕をへし折られ、頭を踏み砕かれるが、そちらも血を流さず、金属や木の残骸をさらしている。
「分かった? そいつは人間じゃない。あの女に操られている人形よ」
アニェスは剣で指すと、ベレッタは怒りの形相でこちらを睨み付けてくる。
「人形だって? 馬鹿な、糸とかで繋がってもいないのに、何で動く──」
私は言いかけて、黒ずくめの体から微かな光が上がるのを目にする。光は間もなく人間の姿を取るが、大柄で威圧的な黒ずくめとは全く似ても似つかぬ、年頃の若い女性のもので、それは私が小さい頃から否応なく見てきた霊のそれだった。
『ありがとう、お嬢さん──』
霊はアニェスに礼を言うと、そのまま溶けるように消えていった。何故霊が人形から出てきたのか、何故これまで姿が見えるだけだった霊の声が聞こえるようになったのか、未だ危ない状況にあるのは分かっていても困惑する私に、アニェスが言ってくる。
「死者の魂を人形に縛り付けて、術者の思い通りに操る邪法ね。なら、魂は解放するには人形を破壊するのが一番手っ取り早い方法よ」
「魂を人形に!? そんなことが──!?」
「信じられない? でも目の前で現実に起こってるんだから認めなさい、神父。それに、さっき貼った符のおかげで、あいつらから受けた痛みも治まったでしょう?」
「この紙のことか?」
「そうよ。それと神父、まだ気を抜いちゃ駄目よ。あの女、まだ切り札が残ってるみたいだから」
アニェスに言われてベレッタを見てみると、彼女は服のポケットから金属製の小さな筒状の形をした笛を取り出して鋭く吹き鳴らす。それが合図だったらしく、聖堂の入口から、天井から、ぞろぞろと新たな黒ずくめの人影が現れる。今度は成人男性の平均程度の身長で、先程のと比べると力はなさそうだが、その分俊敏そうなイメージを与える。それが総勢一〇体以上。
「SA001からSA016、私以外の三人を、速やかに殺しなさい!」
どうやらこれらも人形らしい黒ずくめの集団は、両手の指の先から鋭い爪のような刃を出し、私とアニェス、ロベールを取り囲む。
「ロベール、私はこの神父を守らなくちゃいけないから、そっちは自分で何とかしなさい!」
ロベールから「かしこまりました!」と返事が来るのを確認すると、アニェスは剣を捧げるように水平に構え、左手の指で剣身に彫られた点と線をなぞりながら、私の知らない言葉で何かを唱え出す。
「貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍──天帝の守護北斗七星、我が剣に力を与え給え。我百邪を斬断し、万精を駆逐せん!」
唱え終わるや、剣身が青白い薄明かりを放ち始める。まるで剣に何か力が宿ったかのようだとその時は思ったが、本当に力が宿っているとは思いもしなかった。
それと同時に、私達を取り囲んでいた人形達が一斉に襲いかかってくる。両手の鉤爪を振りかざしながら迫ってくるそれらを見て、いくらか戦闘能力はあるらしいアニェスとロベールでも、流石にこの数では相手をしきれまいと絶望的な思考に陥っていた私の視界で、アニェスが剣を手に向かっていく。
まず最も手近な一体に近付くと、アニェスはその胸を横に切り払う。前の大きなのとは耐久力も劣るらしく、一体目がその一閃で致命的な傷を受けて倒れると、すぐ近くにいる他の人形に距離を詰め、それが振り下ろす鉤爪を剣で受け止める。そのまま力比べをするかと思いきや、アニェスは右足を踏み込むと同時に剣先を下に向けて鉤爪を受け流し、相手がつんのめった所を、回転するように背後から斬り倒す。
もちろん人形達はアニェスだけでなく私にも向かってくるが、アニェスは人形が私に迫ってくる度に、まるで最初から分かっていたかのようにやって来ては切り捨てていく。そのおかげか、少しばかり落ち着きを取り戻し、周りを注意して見てみると、アニェスは私を中心に回るように位置取り人形達と戦っている事に気付く。更に人形達と刃を交わす彼女の剣捌き、足運び、体のこなしは素人目にも一切の無駄がなく、最小限の動きで敵の攻撃を防ぎ、かわし、次々と敵を斬り伏せていくその様は、一つの洗練された舞を見ているかのようだった。それらが私を中心に展開されているのを外から見たら、まるで私とアニェスが円舞曲を踊っているように表現できたかも知れない。気が付けば十数体いた人形達は、あらかたアニェスに斬られるか、ロベールに叩き壊されるかして、無残な残骸を床にさらしていた。
「はい、これで終わり」
最後の一体の首をはね、アニェスは舞を止める。数字で表せば数分にも満たなかったが、私には数十分、数時間にさえ感じられる、それほど緊迫して、濃密な時間、華麗にして精密な剣舞だった。
「さて、流石にあなたの人形も品切れでしょ。おとなしくその隕石を置いて去るなら見逃してあげる。今夜の私はとても機嫌が良いの」
ベレッタに剣を向けながら、勝利を確信した口調でアニェスは言う。だがベレッタは後ずさりつつも、その表情に諦めの色は見られなかった。
「私のこと、随分甘く見てない? お嬢ちゃん」
そう答えるや、ベレッタは腰の後ろに回していた右手を出し、次の瞬間火薬の破裂する音が聖堂内に響く。
「アニェス様!」
駆け寄ろうとするロベールを、アニェスは左手で制する。だが、彼女が右手に握っている剣は、剣身の根元近くから折れていた。
「本当の切り札ってのはね、最後の最後まで取っておくものよ」
硝煙を上げる拳銃を手に、ベレッタが笑みを浮かべる。
「それとね、勝利を確信した時、最も隙ができるってことも覚えておくといいわ。次に活かす機会なんてないけどね」
ベレッタは銃口をロベールに向け、続けざまに二発発砲する。
「うぐっ──」
両足に一発ずつ弾丸を受け、ロベールは床に膝を突く。明らかに狙って撃ったもので、先程アニェスの剣を折ったのも偶然ではなさそうだ。だとしたら、ベレッタの射撃の技術は相当熟練したものだと推測できた。
次いでベレッタは銃口をアニェスと私の方に向けるが、ベレッタがロベールを撃っている間にアニェスは折れた剣を捨て、代わりにスカートの下から刃渡り二〇センチほどの片刃の短剣を出していた。──私自身の名誉のために言っておくと、彼女はスカートの前をめくって、足に鞘ごとくくりつけてあった短剣を抜いたが、後ろにいた私にはスカートの中を見ることができなかったし、見る気もなかった。
「そんなチャチな刃物で何ができるって言うの?」
自分の優位を全く疑わない様子でベレッタが尋ねる。
「あなたを倒せる」
負け惜しみでも虚勢でもなく、確信に満ちた口調で、アニェスは答える。
「馬鹿じゃないの? 刃物で銃に勝てるなんて本気で思ってるなら、今すぐ間違いだって学習させてあげるわ!」
ベレッタは拳銃の引き金を引く。胸か、それとも頭か、どちらにせよこの距離で撃たれたら、おそらくアニェスは無事では済むまい──銃声がした瞬間、私は一瞬のうちにそこまで考えていた。そんな凍り付いたように長い一瞬の後、私は床に血を流して倒れるアニェスの姿を想像していたが、現実の私の目の前にいるアニェスは、何もなかったように立っていた。
「えっ!?」
必中を確信した銃弾がかすりもしていないことに、ベレッタは信じられないという表情でアニェスを見る。周りを見てみると、アニェスの側で、床石の一つが砕けていた。
「そんな馬鹿な!」
ベレッタは銃を連発する。だが、銃弾は全てアニェスが手にした短剣に弾かれ、見当違いの方向に飛んで行った。
「そんなことが──」
ベレッタは続けて銃の引き金を引くが、銃から乾いた音がして、弾切れを知らせる。慌てて弾丸を再装填しようとするベレッタだが、アニェスはその好機を見逃さず、滑るように間合いを詰め、短剣を一閃する。一拍遅れてベレッタの拳銃が、握っていた手首ごと床に落ちる。
「ひっ──」
鮮やかな断面を見せる切り口から噴き出す血を左手で必死に押さえながら、ベレッタは必死の表情で聖堂の外へ逃げようとする。だがアニェスはその首筋に刃を当て、ベレッタの動きを止める。
「さっきのあなたの言葉、そっくりそのまま返すわ。本当の切り札は最後の最後まで取っておくもの、それと、勝利を確信した時、最も隙ができるってね」
ベレッタへの皮肉をたっぷり込めて、アニェスがささやく。
「クッ……そんな刃物で、銃弾を何発も弾き返せるなんて……?」
歯噛みしつつ、ベレッタは折れるどころか刃こぼれも歪みも生じてない短剣の刃を見る。すると、彼女達の側にあった隕石と、短剣の刃が鼓動するように輝き出す。
「隕石と、共鳴している──? もしかして、その短剣は!?」
まさかと言うように目を見開くベレッタに、
「ええ、この短剣も隕石から作った物よ。どうやら空から落ちる時、その隕石のほんの一部が欠けて、私の故郷に落ちたようね」
確信の笑みでアニェスが答える。
「そう、そう言うことなの……」
ベレッタは納得すると、フッと微笑み、唇を僅かに尖らせる。そして口笛を鋭く一吹きすると──
「うわっ!!」
突然私の側にあった人形の残骸の一つから爆発するように煙が吹き出す。あっという間に辺り一面視界が効かなくなり、幸いすぐに煙は晴れるが、既にベレッタの姿は聖堂から消えていた。
「これが本当に、最後の切り札だったってわけね──本当に用意周到なんだから!」
咳き込みながら、アニェスが悪態を吐く。
そうしているうちに、外はもう夜明けらしく、薄明かりがステンドグラスから差し込んでくる。それを合図のように、人形達の残骸から霊が現れ、口々に私達に礼を言いながら、光に溶け込むように消えていく。
次々と天に召されていく霊達を目に、自然と私の手はロザリオを握り締め、口は天使祝詞を唱えていた。
「めでたし聖寵充ち満てるマリア、主御身とともにまします。御身は女の内にて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン──」