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星の剣舞姫  作者: たかいわ勇樹
第3話 ジュエリーは妖麗で
12/28

 水しぶきを上げ、鮫が海面から顔を出す。

 それが大きく開けた口には鋭い歯が何列にも並び、目の前にいる私の肉を噛み、引き裂こうと向かってくる。

 私は波で揺れる船の上で懸命に姿勢を保ちつつ、サーベルを鞘から抜き放つと、鮫の上顎と下顎の間に刃を叩き込む。血を吹き出しながら鮫の口は更に広がり、腹まで裂けると下顎が体から離れ、船の上に転がる。下顎を失った鮫は数秒間海面でのたうち回るが、やがて力尽きたか派手に水しぶきを上げて倒れると、辺りの海を赤く染める。

「次が来るわよ、ローラン!」

 いつも通りのレースとフリルで飾られた黒いドレス姿でアニェスが叫ぶ。側には彼女の四匹目の獲物となった鮫が、折れた剣を突き立てられた状態で海面に浮かんでおり、アニェスは柄だけになった剣を放り捨て、船の上に転がしてある剣の束から次の剣を取る。

 近くに浮かぶ他の船では屈強な漁師達が太い銛を手に数人がかりで鮫と格闘し、別の船ではハンターが大口径の銃火器で鮫を穴だらけにしていく。

「この分なら、全部の鮫を退治するのも時間の問題ですね」

 先程私が斬った鮫の下顎を海に捨てながら、ロベール・コラフェイスが言ってくる。

「何呑気なことを言ってるのよ」

 私が三匹目の鮫の横っ腹を切り裂くのと同時に、五匹目の鮫の上顎から頭まで剣を突き通すと、アニェスは鮫の死骸から刃を抜いて血を払う。

 その直後、船団の右端から悲鳴が上がり、見ると船の一隻が船底をやられたらしく沈んでいるところで、乗組員達が必死で助けを求めている。そこへ海面から現れた大きな背びれが凄まじい早さで接近してくると、ゆうに船の全長の倍はありそうな巨大鮫が大口を開けて海上に姿を現し、信じられないことに船体を噛み砕き、食べ残しをその巨体で引っ繰り返す。

「何て大きさだ! 二〇メートルはあるんじゃないか!?」

「ちょっと待て! だとしたらジンベエザメよりデカいってことになるぞ!」

「本当にいたのかよ! 地元の漁師達のフカシじゃなかったのかよ!?」

「いるも何も目の前で泳いでるじゃねぇかよ!!」

 仲間の惨状を目にして、他の船に乗り込んでいる者達が一斉に騒ぎ出す。

「あれが例の、鮫の群れを率いてるっていうボスね」

 船団の真ん中程に位置する船から眺めながら、アニェスが呟く。

「いかが致しますか、アニェス様?」

 流石にロベールも不安げな表情で尋ねると、

「そうね──少し様子を見てみましょうか」

 意外な返答に、思わず眉をひそめる私に、

「何よ、その意外そうな顔は?」

 訝しげにアニェスがそう尋ねてくる。

「いや、今までの君のパターンからして『すぐあそこへ向かいなさい!』って言うものだと思っていたから」

 答える私に、アニェスはムッと眉を寄せ、

「ローラン、あなたは私のことを、目当てを見つけたら即座に突っ込んで行く猪みたいな娘だと思ってたの?」

「違ったのかい?」

「違うわよ!」

 そう否定しながらアニェスは剣の鞘で私のみぞおちを突こうとしてきたので、流石に私も黙って受けるつもりはなくサーベルの鞘で防ごうと身構えるが、途中で鞘の先が跳ね上がって私の顎を直撃する。

「銃弾と違って、剣や打撃は途中で軌道が変わることだってあるのよ。“見える”ようにはなったみたいだけど、相手の動きを読むことも覚えなさい」

 打たれた顎をさする私に、アニェスはそう言ってくる。

「さて、向こうのボス鮫だけど──他の船もいるから、今行くのはちょっと無理ね」

 アニェスの言う通り、今さっき仲間の船の惨状を生で見たにも関わらず、他の船達が我先にと巨大鮫に殺到していた。何しろ乗り込んでいるのは地元の漁師ではなく、金で国内外から集められた腕自慢の漁師やハンターばかりで、あの巨大鮫を仕留めれば高額な報奨金と名声が得られるとばかりに、皆恐れを知らずに向かって行く。

 だが、巨大鮫の皮は逞しい腕で振り下ろされた銛を通さず、逆に銛はひしゃげ、噛み砕かれ、大口径の弾丸や爆弾でも傷一つ付けられず、その大きく鋭い歯と巨体で船体を引き裂き、引っ繰り返されて沈められる船が増える一方だった。

「そろそろかしらね」

 船団の半分以上の船が沈められる頃になって、アニェスはそう呟くと、

「ロベール!」

「はい、アニェス様!」

 分かっていますと言うように、ロベールは船を動かす。方向は言うまでもなく巨大鮫だ。

「アニェス、沈められた船に乗ってた人達を助けなくて良いのか?」

 海に投げ出された人達を見ながら私は尋ねる。幸い船と一緒に沈んだ人や、巨大鮫の餌食にされた人は1人もいないようだった。

「大丈夫よ。仮にも腕自慢の漁師やハンターなんだから、自力で何とかするわよ」

 予想は付いていたが、素っ気ない返事を返すアニェス。実際彼女の言う通り、彼らは自力で無事な船まで泳ぎ、引き上げられていく。

 一方アニェスは彼らの方には目もくれず、巨大鮫を睨みながらまた新しい剣を取る。

「アニェス、あの鮫を放っておいたら危険なのは分かるが、仲間も助けないと……」

「早く退治しないと、沈められる船が増えるばかりよ。救助は他の船に任せましょ」

 私の言葉を一刀両断に斬り捨て、アニェスはひたすら巨大鮫に向けて船を進める。間近で見ると一層巨大に感じられるその姿に、まだ常識的な感覚が残っている私としては逃げ出したい思いだったが、そう口にした所でアニェスに即却下され、下手をすればまた殴られるだろうと予想できる判断力、想像力の方が、悲しいかな勝っていた。

「さて」

 アニェスは一言呟くと、ドレス姿からは想像できないほど高く──巨大鮫の頭上まで跳躍すると、

「フッ!」

 大上段に剣を振り上げ一気に振り下ろす。上段からの勢いに落下の重力も加わり、巨大鮫は頭部の傷から血を吹き出す。

「お見事です、アニェス様」

 船に着地したアニェスに、ロベールが言ってくるが、

「まだよ」

 硬い声でアニェスは返す。

「皮一枚だけで、肉は切れてないわ。見た目は派手に血が出てるけど、あの巨体からすれば大した出血ではないはずよ」

 アニェスは血に塗れ、刃こぼれだらけになった剣を捨て、また次の剣を束から取る。そこへ傷を付けられて怒ったのか、巨大鮫が口を一杯に開けてこちらへ向かってくる。あの大きく鋭い歯なら船の外板や甲板に容易に食い込むだろうし、巨体とこれまでに何隻もの船が沈められたことから、あの顎が船をクッキーのように易々と噛み砕けることは容易に想像できた。

 そんな地獄の門のように開かれた巨大鮫の口に、

「ロベール、行ってきなさい!」

 お使いにでも出すように言うアニェスに背中を突き飛ばされ、つんのめるロベールの前に巨大鮫の歯が迫る。

「フンッ!」

 だがロベールは咄嗟に両腕を上げて巨大鮫の上顎を受け止め、更に信じられないことに、自分から巨大鮫の下顎に足を踏み入れて口を閉じられないようにする。無論歯がびっしりと並んだ巨大鮫の口の中でそんなことをして無傷で済むはずがなく、両腕は手からの出血で真っ赤に染まり、巨大鮫の下顎からもダラダラと血が流れているが、それが巨大鮫の血でないことは明白だった。それでもロベールは体を突っ張って、巨大鮫の顎の力に対抗している。

「さあ、今のうちにやるわよ、ローラン」

 アニェスの言葉に、私もロベールの体力が尽きる前に巨大鮫を倒さなくてはと、サーベルの抜き打ちを目の前の敵に叩き込む。だが、剣身が巨大鮫の体に当たった瞬間、手に返ってきた硬い感触に私はサーベルを取り落としそうになる上に、巨大鮫の体にはかすり傷程度しか与えられない。考えてみればアニェスほどの腕でも皮一枚切るのが精一杯だったのだから、肉や骨はもとより、皮も相当強靱なはずだ。

「何やってるの、ちゃんとサポートしなさい!」

 アニェスの罵声を受けつつ、私はどうすればあの巨大鮫にまともな傷を与えられるか必死で考える。考えても時間の無駄かも知れないが、このまま闇雲に斬りつけても、ただでさえ刃こぼれだらけのサーベルが余計痛む上に体力も浪費するばかりだ。ロベールの体力の限界を考えれば極めて短く限られた時間で私は考える。ただ考えるだけではない。目で巨大鮫と海をつぶさに見て、耳で周りの音の全てを聞き取り、肌で風と船の揺れを、鼻で臭いを、舌で潮の味をと、五感の全てを総動員して情報を収集し、脳でそれらを統合、分析する。そして最適な行動を弾き出すまでに掛かった時間は、数字としては数秒間に過ぎなかったが、私の感覚と脳はその何倍、いや、何十倍、いや、何百倍かも知れない負担を強いられる。だが休む余裕もなく私はサーベルを逆手に持ち替えると、再び巨大鮫に向かう。

 巨大鮫は突っ張り棒のように小癪な人間を噛み砕こうと顎に力を込め、時には身をよじって振り払おうとするが、ロベールは懸命に耐える。流石に海中に潜ってしまえばロベールでも息が続かないだろうが、それをしないのは群れを率いるボスとしてのプライドだろうか。

 そして何度目だろうか、巨大鮫が激しく身をよじると、この時を待っていた私はタイミングを合わせて身を乗り出し、体の側面にあるエラの片方にサーベルを突き立てる。水中の酸素を取り込み、二酸化炭素を排出するために水を出し入れする裂け目に、サーベルは先程斬りつけた体の固さが嘘のようにズブズブと沈んでいく。それに伴い巨大鮫の動きは苦痛で一層激しくなり、剣身が根元から折れてしまう。

 それで刃を抜くことができなくなり、血を吹き出しながら暴れる巨大鮫のもう片方のエラにも、私は剣の束から取った一本を刺す。巨大鮫はより激しく暴れ、辺りの海面は真っ赤に染まる。

 そこで私は周りを見回すと、アニェスの姿が見当たらず、まさか海に落ちたのかと不安に襲われるが、

「ちょっと、ローラン」

 いつの間に飛び移っていたのか、巨大鮫の頭上からアニェスが言ってくる。

「何下手に手負いにして暴れさせるの。上に乗ってるのも一苦労よ」

 そうアニェスは文句を言うが、激しくのたうつ巨大鮫の頭の上にいながら、彼女の立ち姿は地面の上のように安定したものだった。

「全くもう──」

 アニェスはフワリと跳躍、巨大鮫の目の前の空中で器用に身を翻し、右手に持った剣を巨大鮫の左目に突き立てる。剣は眼窩を通って脳まで届いたらしく、巨大鮫の動きが止まる。そしてアニェスが剣を引き抜き、軽やかに船に着地すると、巨大鮫は水しぶきと共に海面に倒れ、それで起こった波に大きく船が揺れ、私は落ちるまいと船の縁にしがみつく。

 揺れが落ち着くと、私は縁から手を離して立ち上がろうとするが、既に側に来ていたアニェスに剣の柄でみぞおちを突かれ、私はまた甲板に膝を突く。

「何よあの中途半端な戦い方は。敵の注意を引きつけるなら防戦に徹する、倒すなら一気に倒しなさい。下手に手負いにするから暴れちゃって、おかげで私が無駄に体力使っちゃったじゃないのよ」

「体力を使ったって、とてもそういう風には──」

 私の返答は頭への拳骨で強制的に中断させられる。

「分かってないわね。あんなに激しく動く足場の上で立つというのはバランス感覚が要るのはもちろんだし、体力や気力を使うのよ。そもそも今の戦い方にしたって、私達の世界の“扉”を一枚開けたくらいで調子に乗ってるんじゃないの? 自分と相手の強さも測れないくせに」

 そんな感じで一方的になじられると、反論の機会も与えられず、傷の治療を済ませたロベールと一緒に、巨大鮫の死骸を曳航するためロープで縛る作業をやらされる。その間、手伝いもせずジュース片手に一人休息しているアニェスの姿を見て文句を言いたい、できることなら殴りたいという衝動を抑えることが、流石に神の与えた試練とは思えなかったのは、当時はまだ若かったことを差し引いても、私の不徳だろうか?

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