「その子は何を与えられるの?」――十歳の夫は、九歳の妻の手を取りました
「その子は、あなたに何を与えられるのですか」
令嬢の扇の先が、わたしへ向いた。
客間の中央に、絹の裾が広がっている。
名をアデルという。
わたしより、いくつか年上に見えた。
通されるなり、アデルはシオンへ婚約を申し入れた。
先の夜会でシオンを見たアデルの父親が、家柄も年齢も釣り合うと判断したのだという。
わたしは、シオンの斜め後ろに立っていた。
その問いに、すぐには答えられなかった。
答えなら、この数日ずっと考えていた。
◇
書状が届いたのは、数日前のことだった。
シオンを正式な夫に迎えたい、とアデルは書いていた。
届けてきた侍女が、言いにくそうに付け加えた。
子供同士の白い結婚は、いずれ解かれるもの。
本当の妻は、まだ決まっていない。
世間ではそう見られているのだ、と。
わたしの席は、まだ空いていることになっていた。
書状を読んだシオンは、あっさりと言った。
「断る」
「それだけですか」
「うん。それだけ」
シオンは、もう書状を置いていた。
「アデルさまは、家名も領地もあるお家の方です」
「知ってる」
「わたしは、袋一つで来ました」
「それも知ってる」
「では、どうして」
「関係ないから」
シオンはそう言って笑った。
その軽さがつらかった。
わたしが二年気にしてきたことを、シオンは一言で終わらせてしまう。
それを気にしているのは、わたしだけだった。
「シオンには、釣り合う方がいると思います」
シオンの手が止まった。
「それ、本気で言ってる?」
「本気です」
「僕は、釣り合いで妻を決めた覚えはない」
「いまは、そうでも」
「リリア」
シオンの声が、少し硬くなった。
けれど、わたしは続けられなかった。
言えば言うほど、シオンには軽く聞こえている気がした。
わかってもらえないと思うと、口が動かなくなった。
「なんでもありません」
わたしは話を終わらせた。
シオンは何か言いたそうにしていた。
けれど、わたしが黙ったので、それ以上は聞かなかった。
その日から、アデルが訪ねてくる日まで、わたしたちは少し気まずかった。
わたしは一人で考えた。
シオンがわかっていないなら、わたしが決めるしかない。
シオンのために、身を引こう。
そう決めて、この日を迎えた。
◇
「お答えになれないのね」
アデルの声で我に返った。
わたしは口を開いた。
決めてきたことを言うだけだった。
「わたしからは、何もありません」
自分の声が遠く聞こえた。
「あら。わかっていらっしゃるのね」
「シオンには、アデルさまのような方がふさわしいと思います」
一つ言うたびに、覚悟が固まる気がした。
「では、話は早いわ」
「わたしが身を引けば、丸くおさまります」
あとは、シオンが頷けば終わる話だった。
そう思っていた。
「リリア」
シオンが振り返った。
わたしは目をそらした。
「いま、僕を見なかっただろう」
シオンの声が低かった。
「黙って決めて、黙っていなくなる」
胸を突かれた。
「二人で決めると、約束した」
◇
シオンは、わたしの前まで来た。
アデルではなく、わたしを見ていた。
「僕が軽く断ったと思ってるだろう」
わたしは答えられなかった。
「ちゃんと考えて、それでも断ると決めた」
シオンは、わたしの手を取った。
池の石を渡った日と同じ手だった。
「僕は、リリアがいない方がいいなんて、一度も思ってない」
握る手に力がこもった。
シオンは、つないだ手を離さないままアデルへ向き直った。
「僕がほしいものは、もう持っています」
「あら。何をお持ちなの」
「椅子に布をかけただけの家です」
アデルの扇が止まった。
「二年かけて、リリアと二人で作りました」
「……ままごとのお話?」
「はい」
シオンはうなずいた。
「その中のことは、全部、二人で決めました」
「まあ」
「だから、僕とリリアの間に、アデルさまの入るところはありません」
アデルの唇が、わずかに開いた。
シオンは少し首をかしげた。
「アデルさまは、誰かと二人で、何か作ったことがありますか」
扇を持つ手が下がっていく。
「わたくしは」
そこで言葉が止まった。
「家名や領地をくださるのは、アデルさまではなく、アデルさまのお家でしょう」
「それの、何がいけないの」
「いけなくはありません。でも僕が妻に求めているのは、何かを与えてくれる人ではありません」
シオンは、わたしの手を握り直した。
「一緒に何かを作っていける人です」
アデルは答えられなかった。
「あと」
シオンは思い出したように続けた。
「アデルさまは、僕の好きなものを知らないと思います」
「そのようなもの、これから」
「リリアは、知っています」
◇
わたしは、シオンの手を握り返した。
握る指が震えていた。
身を引くつもりだった。
好きだから、それがいいと思っていた。
けれど、シオンのためかどうかを、わたしが一人で決めていた。
大事なことは、二人で決める。
その決まりを破ろうとしていたのは、わたしだった。
もう、飲み込みたくなかった。
「シオンが、好きです」
言ってしまえば、なんでもないことだった。
アデルがこちらを見た。
「アデルさまは、わたしの席が空いていると思って、いらっしゃいました」
わたしは、その目を見返した。
「いつでも、誰かと取り替えられる席だと」
アデルは答えなかった。
「でも、二人で作ったものは、取り替えられません」
扇の先が床を向いた。
「一つだけ、伺ってもよろしいですか」
「……なにかしら」
「アデルさまは、シオンを好きだと、ご自分で決めましたか」
アデルの唇が開いた。
けれど、そこからは何も出てこなかった。
夜会で見かけて、書状を書かせて、こうして訪ねてきた。
そのどこにも、アデル自身が決めた場所はなかった。
◇
しばらくして、アデルは扇を閉じた。
「……ままごとの続きを、どうぞ」
裾を返し、侍女を連れて扉へ向かう。
去りぎわ、足が一度だけ止まった。
けれど、振り返りはしなかった。
「お邪魔いたしました」
それだけ言って、客間を出ていった。
アデルが何を思ったのかは、わからなかった。
ただ、扉を出る前に、その足が一度だけ止まった。
◇
その日の午後、二人で布の家へ戻った。
椅子にかけた布は、少し傾いていた。
シオンが屋根を直し、先に中へ入る。
わたしも続いて入った。
作った日より、肩が触れた。
家が狭くなったのではない。
二年で、二人とも大きくなっていた。
「一人で決めようとしました」
「うん」
「ごめんなさい」
「僕のためかどうかを、リリアが一人で決めるのは違う」
シオンは笑った。
「これからは、二人で」
「はい」
わたしはうつむいた。
「さっきの、取り消しません」
顔が熱くなった。
「僕も、リリアが好き」
シオンは、つないだ手を見た。
「決まりを、増やそう」
「六つ目ですか」
「好きは、怖くても言う」
わたしは指を折った。
これで六つになった。
たくさん暮らしている証拠だった。
布の外から、夕食を知らせる鐘が鳴った。
けれど、もう少しだけ。
「おかえり、リリア」
「ただいま、シオン」
わたしたちは、二人で作った家にいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
リリアとシオンが初めて出会い、布のおうちを作った物語はこちらです。
『七歳の花嫁は、八歳の夫との「白い結婚ごっこ」で父を拒む――「帰るところはない」と言われたので、自分たちで作りました』
そして、少し成長したリリアとシオンが、不思議な少女フィーと出会うお話も公開しています。
『白い結婚ごっこ中の二人の秘密を、初めて会った女の子が言い当てました』
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