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第二話 契約解除と解放のカタルシス

宿屋から響き渡る断末魔のような絶叫は、夜の帳が下りた街の喧騒にかき消されることなく、しばらくの間、俺の耳にこびりついていた。

だが、不思議なことに罪悪感は一切ない。

むしろ、胸の奥底から湧き上がってくるのは、これまで味わったことのない清涼感だった。


「……静かだ」


街外れにある人気のない公園まで歩いてきた俺は、ベンチに腰を下ろして夜空を見上げた。

ほんの数十分前まで、俺の体は常に軋みを上げていた。

勇者レオンが剣を振るうたびに走る激痛。

移動中も、食事中も、睡眠中でさえも、俺の体のどこかしらが「代償」として蝕まれていた。

指先の痺れ、内臓が焼け付くような熱さ、骨が砕けるような幻痛。

それらが今、完全に消え失せている。


「痛くない……本当に、痛くないんだ」


俺は自分の手のひらを何度も握りしめ、そして開いた。

当たり前のことかもしれない。

けれど、その当たり前が、俺にとっては奇跡のように思えた。

深呼吸をする。

肺いっぱいに吸い込んだ夜気が、何の抵抗もなく身体の隅々まで染み渡る。

咳き込むこともない。血の味がすることもない。

ただ、生きているという実感が、静かに、しかし力強く脈打っていた。


「ステータス、オープン」


震える声でコマンドを唱える。

目の前に青白い光を放つウィンドウが展開された。

そこには、俺が長年目を背け続けてきた「真実」と、新たな「現実」が記されていた。


名前:アレン

職業:自由人(元・荷物持ち)

レベル:1(表記エラー:測定不能)

体力:測定不能

魔力:測定不能

スキル:

代償転嫁スケープゴート】(停止中)

【苦痛耐性:EX】

【精神耐性:EX】

【自動回復:SS】

【魔力譲渡】(解除済み)


「……なんだこれ」


俺は目を疑った。

以前確認したときは、レベルは10程度で止まっていたし、体力も魔力も平均以下だったはずだ。

それが「測定不能」?

それに、この耐性スキルのランクはなんだ。


『解説:長期間にわたる「呪い」の肩代わりにより、肉体と精神が極限まで負荷に耐えうるよう作り変えられています。リミッターとなっていた【代償転嫁】および【魔力譲渡】が解除されたことで、抑制されていた本来の能力値、および蓄積されていた経験値が一気に還元されました』


頭の中に響く無機質なシステム音声。

なるほど、そういうことか。

俺はレオンのために、呪いだけでなく、戦闘で得られる経験値や俺自身の魔力まで彼に流していた。

ダムが水をせき止めるように、俺という器が全ての負荷を受け止めていたのだ。

そのダムが決壊した今、溜め込まれていた力はどこへ行くのか。

当然、器である俺自身に満ちる。


「はは……皮肉なもんだな」


無能だ、寄生虫だと罵られた俺が、実はパーティの誰よりも強くなっていたなんて。

俺は立ち上がり、軽くその場で跳躍してみた。

ダンッ、という音と共に、視界が一瞬で変わる。

気がつけば、俺は公園の木々の頂上よりも高い位置にいた。


「うわっ!?」


慌てて体勢を整え、着地する。

ドスンと重い音が響き、足元の地面が蜘蛛の巣状に亀裂を走らせた。

ただのジャンプだぞ?

身体強化魔法も使っていないのに、まるで羽が生えたかのように軽い。

全身に力がみなぎっている。

岩だろうが鉄だろうが、今の俺なら素手で粉砕できそうな万能感があった。


「これが、俺の力……」


興奮冷めやらぬまま、自分の手を見つめていた、その時だった。


「――やっと、あいつから離れてくれたのね」


鈴を転がすような、それでいてどこか妖艶な響きを含んだ女性の声が、背後から聞こえた。

俺は反射的に振り返り、身構える。

殺気はない。だが、圧倒的な「気配」がそこにあった。


「誰だ?」


公園の入り口にある街灯の下。

そこに一人の女性が立っていた。

夜の闇そのものをドレスに仕立てたような、漆黒の衣装。

月明かりを透かすような銀色の長い髪。

そして何より目を引くのは、血のように紅く、宝石のように輝く瞳だった。

人間離れした美貌。

街ですれ違えば誰もが振り返り、魂を奪われるような魔性の魅力を持った美女が、俺をじっと見つめている。


「ふふ、そんなに警戒しないで、マスター。私は貴方を傷つけたりしないわ」

「マスター? 人違いじゃないか。俺はただの無職だ」

「いいえ、間違いないわ。その魂の形、その匂い……そして何より、私が長年送り続けてきた『愛』を全て受け止めてくれた器」


彼女は一歩、また一歩と俺に近づいてくる。

ヒールの音がコツコツと静寂に響く。

不思議と恐怖はなかった。

むしろ、懐かしさすら感じるような、奇妙な親近感。

彼女が俺の目の前まで来て足を止める。

甘い香水のような香りが鼻をくすぐった。


「貴方は知らないでしょうけど、私はずっと貴方を見ていたのよ。アレン」

「俺の名前を……あんた、一体何者なんだ」


彼女は妖艶に微笑むと、恭しく一礼してみせた。

その仕草は貴族の令嬢のようでありながら、どこか禍々しい威圧感を放っている。


「名乗るのは初めてね。私はグラム。……そう、貴方たちが『聖剣』と呼んでいた、あの剣の精霊よ」

「……は?」


思考が停止した。

グラム? あの聖剣グラムか?

レオンが腰に差していた、あの剣が、こんな美女の姿をしているというのか。


「冗談だろう。剣が人になるなんて聞いたことがない」

「本来なら無理ね。でも、貴方が『契約』を解除してくれたおかげで、あんな三流勇者とのパスが切れたの。だからこうして、実体化して貴方に会いに来れたってわけ」


彼女――グラム、いや、自称・剣の精霊は、俺の胸元にそっと手を添えた。

ひんやりとした冷たい指先。

だが、そこから流れ込んでくるのは敵意ではなく、紛れもない好意だった。


「ずっと辛かったでしょう? 私の呪いは、並の人間なら一瞬で灰になるほどの猛毒だもの。それを何年も、文句ひとつ言わずに耐え抜いて……」

「それは……俺が勝手にやったことだ。レオンには世界を救ってほしかったから」

「ふん、あんな男に世界なんて救えないわ。あいつ、私をただの『便利な道具』としか見ていなかったもの」


彼女の瞳が一瞬、氷のように冷たくなる。

レオンに対する嫌悪感が隠しきれないようだ。


「私はね、誇り高い魔剣なの。所有者の魂を喰らい、その代償として力を与える。それが私の在り方よ。でも、あの男は違った。代償を支払う覚悟もないくせに、私の力を振り回して英雄気取り。……反吐が出るわ」


彼女の手が、俺の頬を包み込む。

先ほどまでの冷徹な表情が消え、熱っぽい眼差しが俺を射抜いた。


「でも、貴方は違った。貴方は、見返りも求めず、名誉も求めず、ただ仲間のために私の『毒』を飲み干し続けた。私の全てを受け入れてくれたのは、数千年の歴史の中で貴方だけよ、アレン」

「……買いかぶりすぎだ。俺はただの荷物持ちで……」

「いいえ、貴方こそが真の勇者にふさわしい器だわ。あんな脆弱な男じゃなくて、貴方となら……もっと深く、もっと濃密に繋がれる」


彼女の顔が近づく。

吐息が触れる距離。

俺は動けなかった。金縛りにあったわけではない。

彼女の瞳に見魅入られてしまったのだ。


「ねえ、アレン。新しい名前をちょうだい? グラムなんて、あの男が呼んでいた名前はもう捨てたいの」

「新しい、名前……」


咄嗟に出た言葉だった。

目の前の銀髪の美女。原初の女性のように美しく、そして罪深い存在。


「……イヴ、とか」

「イヴ……」


彼女は何度かその名を口の中で転がし、やがて花が咲くように破顔した。


「素敵。とっても素敵だわ! イヴ……ふふ、今日から私は貴方だけのイヴよ」


イヴは感極まったように、俺の首に腕を回して抱きついてきた。

豊満な肢体が押し付けられ、甘い香りが俺を包み込む。

体温は低いはずなのに、彼女と触れ合っている部分が熱い。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! いきなり抱きつくのは……!」

「あら、照れているの? 可愛い。あんなに頑丈な身体をしているのに、中身はウブなのね」

「からかうなよ……」

「からかってなんていないわ。私は本気よ。貴方がレオンを見捨てた瞬間、私も彼を見限ったの。今の彼は、ただの『呪いの残りカス』を受け止めるだけのゴミ箱よ」


イヴは俺の胸に顔を埋めながら、恐ろしいことをサラリと言った。

あの宿屋での絶叫。

あれは、イヴがレオンを見捨て、彼に「ツケ」を回した結果だったのか。


「じゃあ、レオンは……」

「死にはしないわ。今のところはね。でも、貴方が肩代わりしていた数年分の『痛み』と『老い』が一度に来ているはずだから……まあ、再起不能でしょうね。剣も握れない、魔法も使えない、ただ息をするだけの肉塊になるかも」


彼女の声には慈悲の欠片もなかった。

だが、それを残酷だとは思えなかった。

彼らは俺を捨てた。

俺の献身を踏みにじり、嘲笑った。

その因果が巡っただけのことだ。


「……そうか」

「同情する?」

「いや。……自業自得だ」


俺がきっぱりと言うと、イヴは満足そうに目を細めた。


「ええ、その通りよ。優しいだけの男なら愛想をつかしていたかもしれないけど、貴方にはちゃんと『怒り』がある。それが嬉しいわ」


彼女は俺から体を離すと、夜空に輝く月を背にして優雅にターンを決めた。

黒いドレスの裾が翻り、まるで夜の蝶が舞っているようだ。


「さあ、行きましょうマスター。いえ、旦那様」

「どこへ?」

「決まっているじゃない。これからの愛の巣を探しに、よ。……もちろん、貴方のお金でね? 私、人間の通貨は持っていないもの」

「……結局、俺の金かよ」

「あら、不服? 世界最強の魔剣を独り占めできるのよ? 安い買い物だと思わない?」


イヴは悪戯っぽくウィンクをする。

俺は呆れたように息を吐き、そして自然と笑みがこぼれた。

荷物持ちとして虐げられていた時には決して浮かべられなかった、心からの苦笑だ。


「分かったよ。幸い、退職金代わりのへそくりはある。高級ホテルは無理だが、普通の宿なら泊まれるはずだ」

「ふふ、狭いベッドも悪くないわね。密着できるし」

「……お手柔らかに頼むよ」


俺たちは並んで歩き出した。

背後には、かつての仲間たちが悲鳴を上げている宿屋がある。

だが、もう振り返ることはない。

俺の隣には、世界で一番美しく、そして危険な「相棒」がいるのだから。


「ねえアレン、一つだけ約束して」

「なんだ?」

「もう二度と、我慢なんてしないでね。貴方が痛むと、私も痛いの。これからは、貴方の敵は私が全て切り刻んであげるから」


イヴが俺の手を握る。

その手はやはり冷たかったが、握り返すと、微かに熱を帯びた気がした。


「ああ、約束する。俺はもう、誰かのために自分を殺したりしない」


俺はイヴの手を強く握り返した。

その感触は、俺が手に入れた新しい自由の象徴のようだった。

夜風が心地よく頬を撫でる。

これから始まる冒険は、きっと今までとは全く違うものになるだろう。

なにせ、今の俺は「荷物持ち」ではなく、最強の魔剣を従えた「主」なのだから。


街灯に照らされた二人の影が、長く伸びて重なり合う。

こうして、俺とイヴの奇妙な共同生活、そしてとびきりの「復讐劇」の準備が整ったのだった。

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