第一話 見えない献身と理不尽な追放
「――消えろッ! 聖光斬!!」
勇者レオンの咆哮とともに、視界を埋め尽くすほどの閃光が炸裂した。
ダンジョンの最奥、澱んだ空気を切り裂くその一撃は、Sランクモンスター『アビス・ハイドラ』の巨大な鎌首をバターのように容易く切断する。
耳をつんざくような絶叫を上げ、再生能力を持つはずのハイドラが、傷口から灰となって崩れ落ちていく。
圧倒的な威力。神に選ばれた勇者だけが振るえる、伝説の聖剣グラムの力だ。
「やった……! さすがレオン様!」
「ふん、Sランクと言ってもこの程度か。俺の敵ではないな」
金髪をなびかせ、勝利の余韻に浸るレオン。
その後ろで聖女マリアと魔導師ルカが歓声を上げている。
だが、その輝かしい勝利の裏側で――岩陰に隠れていた俺、アレンは、声にならない悲鳴を上げて地面に爪を立てていた。
「ぐ、うぅぅ……ッ!!」
心臓が万力で締め上げられるような激痛。
全身の骨がきしみ、血管が沸騰するような熱さが体内を駆け巡る。
喉の奥から込み上げてくる鉄錆の味を、俺は必死に飲み込んだ。
聖剣グラム。その正体は、強大な破壊力と引き換えに、使用者の生命力と肉体を代償として喰らう『呪いの魔剣』だ。
本来であれば、今の一撃でレオンの右腕は壊死し、寿命は三年ほど削られているはずだった。
しかし、レオンは無傷だ。涼しい顔で剣を鞘に納めている。
なぜなら――そのすべての「代償」を、俺がスキル『代償転嫁』で引き受けているからだ。
「はぁ、はぁ……ッ、あぐ……」
俺は震える手で懐からポーションを取り出し、一気に煽った。
安物の回復薬では気休めにもならないが、飲まないよりはマシだ。
視界が明滅し、耳鳴りが止まない。
これで今日何度目の肩代わりだろうか。
雑魚敵相手にすら聖剣を乱用するレオンのせいで、俺の体はもう限界を超えていた。
「おい、いつまで隠れてるんだ、アレン!」
怒鳴り声に顔を上げると、レオンが不機嫌そうにこちらを見下ろしていた。
俺は慌てて口元の血を袖で拭い、ふらつく足で立ち上がる。
「ごめん、レオン。今行く」
「『今行く』じゃないだろ。戦闘が終わったんだから、さっさと素材を回収しろ。お前は荷物持ちなんだからな」
「……分かってる」
「まったく、使えないやつだ。俺たちが命がけで戦っている間、岩陰で震えていただけか? 情けない」
マリアがクスクスと笑いながら、レオンの腕に抱きつく。
「仕方ありませんよ、レオン様。アレンさんはレベルも低いですし、固有スキルも戦闘向きじゃないんですから」
「そうだな。せいぜい、俺たちの足手まといにならないようにするのが関の山か」
ルカも杖を弄びながら、冷ややかな視線を向けてくる。
彼らの言葉が、肉体的な痛み以上に胸に刺さる。
(命がけで戦っている、か……)
違う。命を削っているのは俺だ。
お前たちが無傷でいられるのは、俺が影で血を吐いているからだ。
そう叫びたい衝動を、俺はぐっと堪えた。
言ったところで信じないだろうし、何より、幼馴染であるレオンを支えると決めたのは俺自身だったからだ。
かつて村を出た時、レオンは言った。「俺が世界を救う。お前も一緒に来てくれ」と。
その言葉を信じて、俺はこの『呪い』を隠し通してきた。
魔剣の呪いを知れば、プライドの高いレオンは剣を使えなくなるかもしれない。
だから俺は、自分だけが傷つく道を選んだのだ。
ハイドラの素材剥ぎ取りと、重い荷物の運搬。
それを全て一人でこなし、街に戻る頃には、日はすっかり暮れていた。
宿屋の酒場で、祝勝会が開かれる。
テーブルには豪華な料理と酒が並び、レオンたちは上機嫌でジョッキを傾けている。
俺はといえば、末席で水のようなスープを啜りながら、依然として続く全身の鈍痛に耐えていた。
「――でさ、あいつの首が落ちた時の音、最高だったよな!」
「ええ! レオン様の剣筋、本当に美しかったですわ!」
盛り上がる彼らの会話に入ることなく、俺はただ時間が過ぎるのを待つ。
すると突然、レオンがジョッキをテーブルに叩きつけ、俺の方を向いた。
「さて、と。楽しい宴の途中だが、大事な話がある」
場の空気が凍りつく。
レオンの目は、獲物を見定める猛獣のように鋭く、そして冷酷だった。
嫌な予感が背筋を走る。
「アレン。お前、今日でクビな」
予想はしていた。
けれど、実際に言葉にされると、頭が真っ白になった。
「……え?」
「聞こえなかったか? お前はもう用済みだと言ったんだ。勇者パーティ追放、ってやつだな」
レオンは薄ら笑いを浮かべながら、つまらなそうに告げた。
周囲の客たちがざわめき始めるが、レオンは気にする様子もない。
「待ってくれ、レオン。急にどうしたんだよ。俺、何かミスをしたか?」
「ミス? ハッ、思い上がりも甚だしいな。お前は何もしちゃいない。そう、『何もしていない』んだよ」
レオンは指を一本ずつ立てながら、俺の「罪状」を数え上げる。
「戦闘では役に立たない。回復魔法も使えない。ただ荷物を持つだけの雑用係。そのくせ、報酬はパーティの等分を要求する。……これ以上、無能な寄生虫を養う義理はないんだよ」
「そ、そうよアレンさん。私たちがどれだけ我慢していたと思ってるの? Sランクパーティに、レベル10の荷物持ちがいるなんて恥ずかしいわ」
「僕の魔法の邪魔になる位置に突っ立ってることも多いしね。正直、目障りだったんだ」
マリアとルカも、ここぞとばかりに罵倒を重ねる。
俺は呆然と彼らを見つめた。
報酬の等分? 俺が貰っているのは、君たちが使い散らかした後の端金だけだ。
レベルが上がらない? 戦闘経験値のすべてを、スキルでお前たちに譲渡しているからだ。
魔法の邪魔? お前の誤射からマリアを庇った時のことか?
言いたいことは山ほどあった。
だが、それ以上に俺を絶望させたのは、レオンの目だった。
そこには、幼馴染としての情も、長年の仲間としての信頼も、欠片も残っていなかった。
あるのはただ、邪魔な石ころを見るような軽蔑だけ。
「……分かった。クビは受け入れるよ」
俺は静かに答えた。
これ以上、縋り付くのは惨めすぎる。
それに、もう限界だったのかもしれない。俺の体も、心も。
「ただ、一つだけ忠告させてくれ」
「忠告ぅ? 負け惜しみか?」
「その剣……『聖剣グラム』のことだ」
俺の言葉に、レオンが眉をひそめる。
「その剣は、お前が思っているような聖なる剣じゃない。使用者の命を削る『呪いの装備』だ」
「はあ? 何言ってんだお前」
「今までお前が無事だったのは、俺がスキルで呪いの代償を肩代わりしていたからなんだ。俺がいなくなれば、その反動がすべてお前に向かう」
俺は真剣な眼差しで訴えた。
これは嘘偽りのない事実であり、最後の情けだ。
「だから、もうその剣は使うな。悪いことは言わない、封印するか、教会に預けるかした方がいい」
一瞬の沈黙。
その直後、酒場に爆笑が響き渡った。
「ぶっ、あはははは! 聞いたかマリア、ルカ! こいつ、自分が呪いを肩代わりしてたとか言い出したぞ!」
「傑作ですわ! 自分の無能さを認めたくないからって、そんな嘘をつくなんて!」
「アレン、頭おかしくなったんじゃないの? 聖剣が呪われてるわけないだろ。こんなに神々しいのに」
三人は腹を抱えて笑い転げている。
涙を流して笑うレオンを見て、俺の中で何かが冷めていくのを感じた。
プツン、と。
長年張り詰めていた糸が切れる音がした。
(ああ、そうか。もういいんだ)
俺は今まで、こんな奴のために命を削っていたのか。
自分の人生を、健康を、未来を犠牲にして。
馬鹿みたいだ。本当に、俺は大馬鹿野郎だ。
「……そうか。信じないんだな」
「当たり前だろ! 俺の才能に嫉妬して、嘘で足を引っ張ろうとするなんて見下げた根性だ。とっとと失せろ、この詐欺師が!」
レオンが残った酒を俺の顔に浴びせかける。
冷たい液体と、甘ったるい匂い。
だが、俺の心は不思議なほど凪いでいた。
怒りすら通り越して、ただただ哀れに思えた。
「分かった。今までありがとう、レオン」
俺は濡れた顔を拭うこともせず、席を立った。
背後から「二度とツラ見せるなよ!」「野垂れ死ね!」という罵声が飛んでくるが、もう何も感じない。
俺は宿屋の出口へと向かう。
一歩、また一歩と歩くたびに、足取りが軽くなっていく気がした。
夜の街に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
空には満月が浮かんでいる。
俺は大きく深呼吸をして、自分の中に深く根付いている『契約』のパスをイメージした。
レオンと俺を繋ぐ、ドス黒い呪いのパイプ。
常に俺の生命力を吸い上げ、激痛を送り込んでくる元凶。
「ステータスオープン」
空中に半透明のウィンドウが現れる。
スキル欄にある『代償転嫁』の項目。
その下に、対象者『レオン・ブレイブ』の名前がある。
「解除」
俺は迷うことなく、その文字をタップした。
『スキル【代償転嫁】の契約を解除しますか? 警告:解除すると、蓄積されていた未処理の呪い(バックログ)は、正規の契約者へ還流されます』
システムのアラートが表示される。
通常、呪いはその場で消化されるものだが、俺があまりにも高効率で吸収し続けていたため、剣とレオンの間には「転送待ち」の呪いが数年分も滞留しているらしい。
ダムが決壊するように、それが一気に流れ込めばどうなるか。
今の俺なら想像がつく。
「忠告はした。信じなかったのはお前だ」
指先一つで、すべてが終わる。
俺は確認ボタンを押した。
『契約解除を承認しました』
カッ、と体が熱くなり、次の瞬間、憑き物が落ちたように体が軽くなった。
今まで鉛を背負っていたような重力が消え失せる。
痛くない。
息が苦しくない。
手足に力がみなぎってくる。
これが、本来の俺の体なのか。
「はは……すごいな」
自分の掌を見つめながら、俺は自然と笑みがこぼれた。
自由だ。俺はもう、誰の痛みも背負わなくていい。
その時だった。
背後の宿屋から、この世のものとは思えない絶叫が響き渡ったのは。
「ぎゃああああああああああッ!!!!」
それは、先ほどまで俺を嘲笑っていたレオンの声だった。
ガラスが割れる音、何かが倒れる音、そしてマリアの悲鳴が続く。
宿屋の窓がガタガタと震えている。
恐ろしいほどの魔力の暴走と、禍々しい気配が漏れ出しているのがここからでも分かった。
「痛いッ! 熱いッ! 腕が、腕がああああああ!!」
断末魔のような叫び声。
どうやら、俺が引き受けていた数年分の「ツケ」の支払いが、一括請求として始まったらしい。
だが、俺は振り返らなかった。
彼らは俺を捨てた。無能だと罵り、切り捨てた。
なら、その結果に責任を持つのは彼ら自身だ。
「さようなら、勇者様」
俺は騒ぎになり始めた宿屋に背を向け、月明かりの下を歩き出した。
行くあてはまだないが、足取りはどこまでも軽かった。
これから始まる新しい人生に、俺はかつてないほどの期待を感じていた。
もう、誰も俺を利用することはできない。
俺は、俺のために生きるんだ。
夜風に乗って聞こえてくる勇者の悲鳴をBGMに、俺は夜の街へと消えていった。
こうして、俺の『荷物持ち』としての人生は終わりを告げ――そして、本当の物語が幕を開けたのである。




