第7話 子供たちに笑顔を ~異世界初のカレーライス給食~
男爵家への「請求書攻撃」から数ヶ月。
私は領都の執務室ではなく、泥だらけの長靴を履いて、郊外の湿地帯に立っていた。
「……やっと、実ったか」
目の前には、秋風に揺れる黄金色の稲穂。
だが、その量はあまりにも少ない。広大な試験農場のうち、収穫できたのはわずか一割程度だった。
「いやぁ、長かったですね、商会長」
隣で汗を拭うのは、私が雇ったベテラン農夫のゴードンだ。彼の手はひび割れ、顔は真っ黒に日焼けしている。
「最初はあんたが『異世界の種(米)』を持ってきた時、正気かと思いましたよ。『こんな酸性の沼地で育つわけがねぇ』ってな」
その通りだった。
私の【世界交易】で取り寄せた種籾は、一度目は全滅した。
土壌が酸性すぎたのだ。私は必死で近隣から「貝殻」を集めて石灰を撒き、毎日pH値を測り続けた。
二度目は冷夏で枯れかけた。私は全財産を叩いて地球から「ビニールシート」を取り寄せ、手作業で覆って温室を作った。
トントン拍子なんてとんでもない。
ここにある米は、魔法で出したものではなく、私と農夫たちが半年間、這いつくばって育てた「血と汗の結晶」だ。
「これだけの量じゃ、市場で売っても利益にはなりませんね」
ゴードンが残念そうに言うが、私は首を横に振った。
「いいえ。これは売りません。……『投資』に使います」
◇
数日後。商会執務室。
「学校給食だと? 正気かカイト」
ソフィアが呆れた顔で書類を見ていた。
「領内の孤児院と学校で、昼食を無償提供する計画です。子供たちの栄養状態が悪すぎます。彼らは将来の労働力であり、兵士です。今、餌を与えておかなければ、十年後の領地経営が詰みます」
「理屈はわかる。だが、予算はどうする? 小麦は高騰しているぞ」
「そこで、あの『米』を使います」
私は試験栽培で採れた貴重な米のサンプルを見せた。
「さらに、具材は農家が廃棄している『規格外野菜』を買い叩いて使います。形が悪くても味は変わりません」
「くず野菜と、泥臭い沼地で作った謎の穀物か。……子供たちがそんな残飯のような物を喜んで食うとは思えんが?」
ソフィアの指摘はもっともだ。
普通に煮炊きしただけでは、野菜の泥臭さが残るし、米もパサパサして不評だろう。
「だからこそ、これを使うんです」
私は【世界交易】で取り寄せた、とっておきの切り札――『業務用カレールー(辛口を甘く調整済み)』を取り出した。
「泥臭さも、見た目の悪さも、すべてを『旨味』に変える魔法のスパイスです」
◇
そして当日。孤児院の食堂。
いつもは薄いスープをすするだけの殺風景な食卓に、強烈なスパイスの香りが立ち込めていた。
「なんだ、この匂い……?」
「すっげーいい匂いがする!」
子供たちがざわめく中、私とゴードン、そして賄い婦たちが大鍋を運んできた。
皿に盛られたのは、白く輝くご飯と、茶色いとろりとしたソース。中には、不揃いな形の人参やジャガイモがゴロゴロと入っている。
「さあ、食べてみてくれ。これが『カレーライス』だ」
一人の少年が恐る恐るスプーンを口に運んだ。
その瞬間、彼の目がカッと見開かれた。
「……う、うめぇッ!!」
その叫び声を合図に、食堂は戦場と化した。
子供たちが夢中でスプーンを動かす。
「辛いけど、甘い!」
「野菜が甘いよ! これ、本当にあの苦い人参?」
「この白いやつ、モチモチしてて美味しい!」
野菜の泥臭さはスパイスが完全に消し去り、むしろ深みになっている。
そして、苦労して育てた米は、カレールーとの相性が抜群だった。
その光景を見ていた農夫のゴードンが、おもむろに目頭を押さえた。
「……よかったなぁ。俺たちが泥まみれになって作った米を、こんなに美味そうに食ってくれてよぉ……」
「ああ。……苦労が報われたな」
私も胸が熱くなるのを感じた。
スキルで取り寄せたものをただ横流しするだけの商売とは、充実感が違う。
これは、私たちが「作った」ものなのだ。
◇
その様子を遠巻きに見ていたソフィアが、試食用の小皿を空にして、静かに私に近づいてきた。
「……認めてやる。この『カレー』という料理、野菜の廃棄ロスを無くし、安価な穀物を御馳走に変える。極めて合理的な食事だ」
「でしょう? これで子供たちの栄養状態は改善します」
私は胸を張ったが、ソフィアは鋭い目で釘を刺した。
「だが、カイト。この米とやらの収穫量は、まだ子供たち全員に行き渡る量ではないな?」
「……はい。試験栽培での成功率は一割。安定供給には、さらなる土壌改良と、品種改良が必要です。あと数年はかかります」
そう、これが現実だ。
今日の給食はあくまでデモンストレーション。明日からはまた、薄いスープに戻る日もあるだろう。
「急げよ、カイト。……風の噂では、お前の実家である男爵領が完全に崩壊し、数千人の難民がこちらの国境に向かっているそうだ」
ソフィアの言葉に、私の背筋が凍った。
数千人。
今の試験農場の収穫量では、とても支えきれない。
「……カレーライスを食べて笑っている場合じゃありませんね」
私は子供たちの笑顔を目に焼き付けながら、次なる厳しい現実に向き合う覚悟を決めた。
魔法のように食料が湧き出ることはない。
だからこそ、知恵を絞らなければならないのだ。




