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第3話 スラムの原石たち ~電卓代わりの天才少女~


「カイト様、本当に行かれるのですか? ここは貴方のような方が足を踏み入れる場所ではありませんぞ」

 鼻をハンカチで押さえながら、執事長のハンスが渋い顔で言った。

 私たちは今、領都の最下層にある「貧民街スラム」の入り口に立っていた。

 腐った生ゴミの臭いと、澱んだ空気。路地裏からは、痩せこけた犬や、虚ろな目をした住人たちがこちらを睨みつけている。

「ハンスさん、商売に貴賤はありませんよ。それに、綺麗な場所には既に誰かの手垢がついている。本当に優秀な人間が余っているのは、こういう『誰も見ようとしない場所』なんです」

 私は泥だらけの道を、革靴が汚れるのも構わず進んでいく。

 ソフィア嬢から預かったリストには、目をつけるべき人物の情報が記されていた。

 

 一人目は、このスラムで賭場の計算係をしているという孤児だ。

 ◇

 路地裏の奥にある、粗末な酒場。

 昼間から博打に興じる男たちの怒号が飛び交う中、その少女はいた。

 店の片隅で、薄汚れた布切れを纏い、黙々とコインの山を数えている。

 年齢は12、3歳だろうか。ボサボサの灰色の髪から、猫のような耳が覗いている。

 獣人族ワーキャット。この国では被差別階級にあたる種族だ。

「おい、ミナ! 俺の勝ち分が足りねぇぞ! 誤魔化してんじゃねぇ!」

 酔っ払った大男が、少女――ミナの胸倉を掴み上げた。

 しかし、ミナの瞳に恐怖の色はない。冷徹なまでに無感情だ。

「……計算は合ってる。あんたの掛け金は銀貨3枚。オッズは4.5倍。配当は銀貨13枚と銅貨50枚。手数料の1割を引いて、手取りは銀貨12枚と銅貨15枚。……文句があるなら計算してみな」

 早口でまくし立てられた数字に、大男が目を白黒させる。

 

「あ、ああん? うるせぇ! こっちは負けが込んでてイライラしてんだ!」

 理不尽な暴力が振り下ろされようとした瞬間――私は一歩前に出た。

「そこまでにしておきなさい」

「あぁ!? なんだテメェは……いい服着やがって!」

 男が私に掴みかかろうとするが、背後に控えていたハンスが無言で杖を突き出した。

 目にも留まらぬ速さで男の鳩尾みぞおちに入り、男は声もなく崩れ落ちる。

 さすがは侯爵家の執事長。元は騎士か何かなのだろう。

「……あんた、誰?」

 解放されたミナが、警戒心丸出しの瞳で私を睨んだ。

「カイト・フォン・ベルガー。今はクリスティア侯爵家の商会を任されている」

「貴族……。あたしを捕まえに来たの? 賭場の上がりなんて、端金しか盗んでないよ」

「いいや。君をスカウトに来た」

 私は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、即席の問題を書いた。

「君の計算能力を買いたい。……この問題、解けるか?」

 『385 × 14 + 2560 ÷ 8 = ?』

 この世界の識字率は低い。ましてや計算となれば、商人でもそろばんのような道具を使うのが一般的だ。

 だが、ミナは羊皮紙を一瞥しただけで、即答した。

「5710」

「……正解だ。所要時間2秒。素晴らしい」

 私が拍手すると、ミナは不愉快そうに眉を寄せた。

「馬鹿にしてんの? こんなの、ガキの遊びじゃない」

「では、これはどうだ?」

 私は次なる問いを口頭で投げかけた。

 

「ある商品を原価100ゴールドで仕入れ、利益率20%で売りたい。ただし、輸送費が販売価格の5%かかり、税金として粗利益の10%が引かれる。……最終的な販売価格はいくらに設定すべきだ?」

 これは単なる計算ではない。商売の構造を理解していなければ解けない応用問題だ。

 ミナは数秒だけ天井を見上げ、ボソリと呟いた。

「……輸送費と税金を考慮した必要経費を逆算すると……135ゴールド、いや、端数を切り上げて136ゴールドに設定すれば、手元に残る純利益は20ゴールドを少し上回る」

 私は思わず震えた。

 完璧だ。この子は、教育を受けずして「損益分岐点」の概念を感覚で理解している。

 まさに、私が求めていた「人間の電卓」だ。

「合格だ。ミナ、私と一緒に来い。君には私の商会の『経理部長』になってもらう」

「はあ? 経理……?」

「給料は今の10倍出す。衣食住も保証しよう。温かい風呂と、ふかふかのベッド。そして何より……」

 私は彼女の目を見て、はっきりと言った。

「君のその才能を、薄汚い賭場の小銭数えではなく、世界を動かす『経済』のために使わせてやる」

 ミナの猫耳がピクリと動いた。

 彼女はしばらく私の顔をじっと見つめていたが、やがて小さくため息をついた。

「……ご飯、お腹いっぱい食べられる?」

「ああ、約束する。デザート付きだ」

「……わかった。ついて行ってやるよ。どうせ、ここには未来なんてないし」

 こうして、最強の計算係リトル・カルキュレーターが仲間になった。

 ハンスも、彼女の計算速度には舌を巻いているようで、何も言わずに頷いている。

「さて、次は『技術者』だ」

 私はスラムのさらに奥、黒い煙が立ち上る一角へと足を向けた。

 そこには、偏屈だが腕は超一流と噂される、ドワーフの鍛冶師がいるはずだ。

 私の頭の中には、既に彼に作らせたい「ある新商品」の設計図が浮かんでいた。

 この世界の輸送事情を劇的に変える、魔法と科学の融合アイテムだ。

(待っていろよ、男爵家。そして商業ギルド。……ここからが本当の『革命』だ)


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