第1話 「荷物持ち」と蔑まれた男、実は経済の支配者
「カイト、今日をもってお前をこの家から追放する」
領主の執務室。
重厚なマホガニーの机越しに、父である男爵――ガンツ・フォン・ベルガーは、汚らわしい虫でも見るような目で私を見下ろしていた。
「……追放、ですか。理由は?」
「『経営の合理化』だ。我が男爵領は、近年の不作続きで財政が逼迫している。無駄飯食らいを養っている余裕はない」
父は鼻を鳴らし、机の上に置かれた羊皮紙を指先で弾いた。
そこには、領内の人員リストが記されている。
「長男のバルドは『剣聖』のスキルを持ち、騎士団長として領地を守っている。次男のレオンは『上級魔術』で魔導部隊を率いている。だが三男、お前はどうだ?」
父の目が、侮蔑の色を帯びて細められる。
「お前のスキルは【世界交易】とかいう、聞いたこともないふざけた名前だ。その実態はなんだ? ただ物を収納し、別の場所に移動させるだけ。要するに、ただの『倉庫番』兼『荷物持ち』ではないか」
私はため息を噛み殺した。
なるほど、この人は何も見えていないらしい。
「父上……いえ、男爵閣下。確認ですが、私が管理している物流部門を解雇するということですね?」
「くどい! たかが荷物を右から左へ動かすだけの仕事に、お前のような人間を貼り付けておくコストが無駄だと言っているのだ。これからは、私の甥であるホークに任せることになった」
ホーク。あの、計算もできなければ地図も読めない、コネ入社の従兄弟か。
「忠告しておきますが、私が抜ければ、この領地の物流は三日で止まりますよ? 食料の配給も、武器の補給も、特産品の輸出も、すべてです」
「ハッ! 大きく出たな、無能が! 荷物を運ぶ馬車など、いくらでも代わりがいるわ!」
……ダメだ、話が通じない。
この男爵は、なぜ我が領地の特産品である「新鮮な魚介類」が、腐らずに、しかも他領の半額以下の輸送コストで王都の市場に並んでいるのか、全く理解していなかったのだ。
すべては私のスキル【世界交易】による、「亜空間経由の即時転送」と「保冷管理」のおかげだというのに。
「わかりました。そこまで仰るなら出て行きます」
私は胸元のポケットから、管理していた「物流倉庫の鍵」を取り出し、机の上に置いた。
もう、この領地に未練はない。
私が必死に帳簿を回し、現代日本の知識――「在庫管理理論」や「Just In Time」方式――を駆使して支えてきたこの領地も、これで終わりだ。
「手切れ金だ。これを持ってさっさと失せろ」
投げ渡されたのは、わずかな金貨が入った革袋。
平民が一年暮らせるかどうかの金額だ。貴族の三男への手切れ金としては、あまりに少なすぎる。
「感謝いたします、閣下。……では、これにて」
私は一礼し、執務室を後にした。
背後から「二度と戻ってくるな!」という罵声が聞こえたが、振り返ることはなかった。
◇
屋敷を出ると、外は雪がちらつき始めていた。
吐く息が白い。
ボロボロのコートを羽織り、私は領都の大通りを歩いていた。
(さて、これからどうするか……)
行く当てがないわけではない。
私のスキル【世界交易】は、レベルが上がったことで機能が拡張されている。
前世――現代日本と思われる世界の「巨大通販サイト」にアクセスし、こちらの通貨を電子マネーに換金して、向こうの商品を購入できるのだ。
テントも、食料も、暖房器具もすぐに手に入る。野宿でも死ぬことはない。
それに、私の物流能力を評価してくれる商会の一つや二つ、王都に行けば見つかるだろう。
そう考えていた、その時だった。
「――待ちくたびれたぞ、カイト・フォン・ベルガー」
凛とした、鈴を転がすような声が響いた。
顔を上げると、大通りの真ん中に、場違いなほど豪華な馬車が停まっていた。
漆黒の車体に、金色の装飾。
描かれている紋章は「黄金の天秤に絡みつく氷竜」。
……間違いない。
この国で最も強大な権力と財力を持つ、「クリスティア侯爵家」の紋章だ。
馬車の扉が開き、一人の女性が降りてくる。
銀糸のように輝くプラチナブロンドの髪。
宝石のアクアマリンを溶かし込んだような、冷たくも美しい蒼眼。
陶磁器のように白い肌を、最高級のベルベットのドレスが包んでいる。
ソフィア・フォン・クリスティア。
現当主の一人娘にして、王都の社交界で「氷の才女」と畏れられる、次期女侯爵その人だった。
「……クリスティア侯爵令嬢? なぜ、このような辺境に?」
「決まっているだろう。貴様を拾いに来たのだ」
彼女は雪を踏みしめ、私の目の前まで歩み寄ると、不敵な笑みを浮かべた。
「我が領地の調査員からの報告で、奇妙な現象に気づいてな。この貧相な男爵領から出荷される商品だけが、異常なほどの『鮮度』と『安さ』を保っている、と」
「…………」
「調べさせてもらったぞ。輸送経路、保管状況、そして帳簿の動き。……魔法使いが転移魔法を使っているわけでもない。運び屋が優秀なわけでもない。すべての物流が、カイト、貴様というたった一人の管理者の手元を経由している」
背筋がゾクリとした。
父でさえ気づかなかった私の仕事の核心を、彼女は外部からの観察だけで見抜いていたのだ。
「その『男爵』という器は、貴様を収めるには小さすぎたようだな」
ソフィアは私の手元にある、わずかな手切れ金の入った革袋を一瞥し、鼻で笑った。
「そんな端金、捨ててしまえ。私が貴様に、相応しい対価と『舞台』を用意してやる」
彼女は白い手袋を外し、私に右手を差し出した。
「我が侯爵家に来い、カイト。お前のその異常な『物流スキル』と『経済的視点』……私が目指す覇道には不可欠だ」
その瞳に、迷いはなかった。
私を「荷物持ち」ではなく、「不可欠なパートナー」として見ている目だ。
私は思わず笑みをこぼした。
実の父に捨てられた直後に、国内最大の権力者に拾われるとは。
これだから、人生という取引は面白い。
「謹んで、お受けいたします。ソフィアお嬢様」
私は彼女の手を取った。その手は、見た目に反して温かかった。
「契約成立だな。……さあ、乗れ。まずは我が領地へ向かう。積もる話と、山積みの仕事が待っているぞ」
「ええ。ですがその前に、一つだけ仕事を片付けさせてください」
私は振り返り、今まで住んでいた男爵家の屋敷を見上げた。
「私が抜けたことで、明日の朝には物流が停止します。事前に手配していた資材の発注も、すべてキャンセルしておかねばなりません。……違約金が発生しますが、彼らに払えるでしょうかね?」
私の言葉に、ソフィアは凶悪かつ美しい笑みを深めた。
「ふふっ、楽しみだな。無能な経営者が破滅する様を特等席で眺めるのは」
雪が激しくなり始める中、私は侯爵家の馬車へと足を踏み入れた。
こうして、私の「倉庫番」としての人生は終わりを告げ――。
後に「商務大臣」として世界経済を牛耳ることになる、男の革命が幕を開けた。




