民族主義の喜劇的顛末
アドルフ・ヒトラーという男が居た。彼はユダヤ人が気に入らなかった。それで選挙されて政治家になり、ユダヤ人を撲滅しようとした。そしてその様に実行していった。彼は単純な男だったから、彼なりの実行力に溢れていた。民衆の頭も疲れ切っていたから、彼の短絡的思考が力強さに感じられた。それがその日その場所にあった一つの民主主義だ。みんな誰かのせいにしたかった。
そんなヒトラーも、ある時ふと考えた。ユダヤ人とユダヤ人でない人とは、どこで線引きができるだろう?ユダヤ人でない人も、ユダヤ人と交わればユダヤ人を産む。ヒトラーは慣れない数学をする。一人の子の親は二人。その更に親は四人。十代遡ると、2の10乗で1024。ユダヤの伝承は2000年以上前からのものだという事だから、仮に20年に一度結婚が行われるものだと考えて、2000年前は÷20で100代前。えーと2の100乗だと…対数的に考えれば10毎に三桁程増える格好になるから…100乗では凡そ10×3の30桁分。10の30乗か!一兆でも10の12乗に過ぎないから、こりゃとんでもない数だぞ!きっと今まで生まれた人間全部どころか、今まで生まれた蟻んこ全部を足し合わせてもまだそんな数には足りないぞ!おかしいなあ、今まで人間がそんなに沢山生まれてるはずはないのになあ…でもたった二千年前からにしても、それだけ多くの人間の血が混交して今日の一人の人間が出来上がっているんだとすると、この俺自身一切ユダヤ人の血の混じっていない人間だと断言する事は難しくなってくるぞ。すると、俺の政策は、俺自身の浄化に関わってこないとも言い切れないなあ。俺は、ユダヤ人と疑わしい奴も殺せ、と強く命令している訳であるし。
その時、宰相のゲーリングが部屋に入ってきて言った。
「閣下、ユダヤ人殲滅政策はあらかた終わりが見えて来ましたぞ。もはやこの世からあの不浄なる血が消えてなくなる日は目前ですな」。
ヒトラーは今の計算したチラシの裏紙を見せて厳しい顔つきをする
「おいゲーリング、駄目なんだよ、血は絶えないかも知れないんだよ。これ見てみな、血の混交って、時間を長く見積もれば見積もる程深刻なんだ。日本人みたいに閉鎖的な島国人だったら交雑もまだ穏やかだろうけど、あのユダヤ民族って連中は長い歴史の中で何度も征服されたり国を追われて拡散したりしてる訳だろ。戦争で勝った野郎共というのは、当然いい女を持ち帰る。そして場合によっちゃ子を産ます。離散の憂き目を見て、他所の国で隷属状態置かれた連中だって同じさ。皆交雑してるんだ。それが二千年以上も前から何度も起こってるんだよ。という事は、我々が自称ユダヤ人と客観的証拠があるユダヤ人達を仮に絶滅させ終わったところで、潜在的な因子を持つユダヤ人がまだ残っているんだ。一見、ユダヤ人がこのドイツから居なくなった様に見えても、ユダヤ人の血を誰かが目覚めさせないとも限らない。奴らのクソったれな聖典であるとか伝聞を根拠にな。どっかの山でモーゼよろしく御宣託を受けたとかのさ。それはいわば普遍的な悪なんだ。それは我々の純血のゲルマン人の奥深くにさえ、或いは眠っているのかも知れないよ。我々は、我々の中にある普遍的な悪、我々の中のユダヤ人と戦い続けなければならない定めを負っているんだよ。そうなんだ、これは我々の正義への不朽の渇望なんだよ」。
長広舌を終えたヒトラーを冷ややかに見つめながらゲーリングは問うた。
「で、総統閣下、私は次にどうすれば良いでしょう?」
ゲーリングは奇妙な男だった。抜群の知性は持っていたが、機械の様な所があった。強い部分も機械の様だが、弱い部分も機械と似ていた。昨日と同じ事をし続けたがったし、命令を守るのが好きだったし、その命令者よりも命令自体を愛していた。そしてその日その時、その国では既に多くの人が機械と似てきていた。享楽も苦難も惰性の様に受け入れ続けた。何もその国だけの話じゃなくて、近代の戦争や度の超えた競争はいつも人をその様にする性格がある。
そしてヒトラーは言った。
「私の中のユダヤ人を撃ってくれ。そしたら私は後々、本当に純血のゲルマン人として復活するだろうな。ちょっと時間が掛かるかもしれないけど。何かの本に書いてあった誰かみたいに、三日ぐらいかかるかな?ま、それまでお前にナチ党は任せるぞ。あらゆる人間からユダヤ人の血を排斥する様に、尽力するんだぞ。もちろんお前の中からもだ。いいな?」
その無茶な命令に、ゲーリングは初めて明確な反抗を示した。
「いいえ、その命令の半分は聞けませんね。前々から言おうと思ってたんですが、陛下の理念は、正直面倒くさすぎてついていけないです。殊にあなたが計算などし始めるとは、いよいよおしまいだ。私達臣下と国民は、あなたの性格の単純さを愛したんです。この世界が単純であって欲しかったんです。疲れたでしょう、もうお休みなさい」
そうして無表情なゲーリングは引き金を引いた。1945年、4月30日の出来事だった。そして、幾らかの証拠を消し去ってその場を去り、それから連合軍がこの部屋を訪れた。