あなたに逢いたい
《今から死のうと思います。今まで素敵な作品をたくさんありがとうございました。》
突然もらったメール。私は焦った。
《知浩さん!早まらないで!》
創作の手を止め慌てて返信したものの、それきり知浩さんからの連絡は途絶えた。期待した返事は来そうにない。
知浩さんは、私の作品のファンになってくれた最初の人だ。今では家族以上に親しみを感じている。絶対に死んでほしくない。
なのにどうして突然こんなことを? 知浩さんの身に何かあったのだろうか。心臓がドクンドクンと嫌な音を立てる。
イラストを描いてネット上で公開していたらいろいろな人の目に留まり、その活動の甲斐あってか本まで出してもらえるようになった。もともと挿絵ライターを夢見て弁当宅配のバイトに明け暮れる日々だった。ありがたいことに本の売上は好調で今では印税も入るし、他にも仕事の依頼がたくさん舞い込むようになって、今ではイラスト製作を本業としてバイトの方は週一以下の副業となった。
ペンネームでSNSをやっており、それは今ほとんど動かしていないアカウントで、ファンの人達からたびたびメッセージが届くものの返信はできていない。ただひとり、知浩さんと知り合ったばかりの頃に彼女とやり取りをするためだけの場だった。知浩さんは私が有名になるずっと前からSNSをフォローし応援してくれていた唯一の人。
はじめは作品に関する感想をもらってそれに感謝を述べる形のやり取りがメインだったが、そのうちお互いの趣味の話や私生活の話などもするようになり、最終的には個人的なメールアドレスも交換した。
最近は創作で忙しくてそんなやり取りの頻度も減っていたけど、知浩さんとは月に何度か連絡を取り合い、そんな関係はかれこれ五年くらい続いている。
この五年で私の生活は大きく変わった。子供の頃から絵を描くのが好きだったので、高校卒業と同時に本格的に作品を描いてネットで公開しはじめた。そうするとやっぱり色んな評価を受けるもので、否定的な意見をもらうことも珍しくなかった。正直描くことにも疲れてやめてしまおうかと思った日もあるし、攻撃的なコメントがついたら数週間落ち込んだりもした。夢を追いかけるなんて私のような弱い人間には無理なのかもしれないと、何度も心が折れそうになった。それでもここまでイラストを続けてこられたのは知浩さんのおかげだ。
彼女はいつも私に寄り添ってくれ、気持ちが回復するまでずっと励ましてくれる。
《私は満さんの作品大好きです!心無い言葉を真に受けて夢を諦めなるなんて、もったいないです。
満さんにしか描けない作品がある。それに惹かれる人がこれからもどんどん増えていくと思うから。諦めないでほしいです。》
その言葉があったから、つらくても描き続けてこられた。描くのが好きだという気持ちを失わずにすんだ。
そういえば、知浩さんとは一度も会ったことがない。こんなにいろんなことを知っているはずなのに。
ペンネームMichiruとしてやってきたこれまで、本名が"満"だと教えた相手は知浩さんだけ。お互いの住所も教え合い、毎年誕生日には郵送でプレゼント交換もしている。
そんなに交流していたのに、知浩さんが死にたくなるほど追いつめられていることにどうして気付いてあげられなかったんだろう。最近忙しくて、返すメールも雑になっていたかもしれない。
私は急いで車に乗り、高速道路で岐阜に向かった。知浩さんが教えてくれた住所。ここからなら一時間もしないうちに着けるはずだ。
焦る気持ちで慎重に運転する。慌てて途中で事故なんて起こしたら元も子もない。早く知浩さんに会いたい。
昼間の晴れやかな景色を見るでもなく感じ、これまでの知浩さんとのやり取りを思い出す。知浩さんの仕事のことや、地元の名産品の話。昔エレクトーンを習っていたこと。今日のような曇りなく晴れた明るい空の色が好きだとも言っていた。
あんなにいろんな話をしていたのに、大切な友達を超えて親友と言ってしまいたくなるほどの相手なのに、どうして私は今まで一度も知浩さんに会おうとしなかったのだろう。お願いだから、どうかこれからも生きていてほしい。
後悔と焦る気持ちがないまぜになる中、ようやく到着した。岐阜県某市。山に囲まれてのどかな雰囲気。知浩さんの日常がある場所。
マンションや商業施設で埋め尽くされた私の街とは真逆の風景を見渡しつつ、適当なスーパーで車を停めた。広めの駐車場だ。近場にコインパーキングもなさそうなので、申し訳ないが少しだけ停めさせてもらってもいいだろうか。知浩さんちはここから歩いてすぐの所にある。
車を降りてスーパーの中で飲み物を二本買い、知浩さんちを目指して歩いた。地図アプリは本当に便利だ。目当ての住所を入力するだけですぐにナビしてくれる。
メゾネットタイプのアパート。周りには田畑が広がっていてほとんど住宅はない。近くにビニールハウスがふたつ。知浩さんが前にちらっと話してくれた近所の特徴そのまま。間違いない、ここだ。
震える指先でそっとインターホンを押す。
まだ無事でいてくれますように。
何度か押したけど出てくれそうにない。嫌な想像が膨らんでいく。もしかしたらもう……。
いや、それは考えないようにしよう! きっと大丈夫!
知浩さんに会いたい。どうしても。お願いします!
願いながら、どのくらいそうしていただろう。ここへ来た時には明るかった空に橙色が差しはじめた。
「知浩さん! いる? 私! 満!」
反応がない。周りにも人の気配はなく、山の景色がしんと広がっている。アパートの他の住人も出払っているのか、誰の気配も感じない。静かすぎてこわくなった。
これだけしても出てこないなんて、諦めるしかないのか。でも、このまま帰るわけにはいかない。ここで諦めてしまったら、今後いっさい知浩さんと関われなくなるような気がする。それだけは嫌だ。
「知浩さん言ってたよね。私の作品は人を元気にするって。それね、逆だよ。私が知浩さんに元気をもらって、だから次の作品を描けてた。知浩さんの言葉がなかったら、ここまで描いてこられなかったよ」
私は弱い。
こうして有名になれるなんて思ってもみなかった高校の頃、親や学校の友達に将来への思いを打ち明けてみたことがあった。
『好きなことで生きていけるほど世の中甘くないよ』
『いつか絵を描く仕事をしたい? 絶対無理だよ。現実見たら?』
『そんなことができるのは本当に恵まれた才能のある人だけ。普通に働いて普通に暮らしていくのが私達にとって一番の幸せなんだよ』
『そういう仕事の人って放浪癖ありそう』
誰一人として応援してくれなかった。それどころか、頭から否定され鼻で笑われた。偏見と価値観の押し付けをされたようで気分が悪かったけど、異物扱いされるのがこわくて、
「だよねー。ちょっと言ってみただけ」
と、笑って流した。
それ以来、人前で夢のことは話さなくなった。
ひととおり就職や進学の道も考えはした。どれもピンと来ず、私がすることじゃない、こんなことはしたくない、という思いが湧き上がってきた。大学のパンフレットや仕事の求人情報を見ても心が踊らなかった。皆が幸せだと定義する"普通"がとてもつまらないものに感じる。こんなことに人生の貴重な時間を捧げて生きていかなければならないのかと暗い気持ちになり絶望した。
だったら絶対特技の絵を仕事にしてみせる。これで食べていけるようになる。心の中で一人そう決意した。それと同時に、周りの目を気にして本音を言えない自分が悲しくもあった。親も私の将来を心配してくれているのだと思うと強く反発もできず、バイト暮らしの生活を注意されるのも苦しく、八方塞がりだった。
親の言う通り、バイトだけでは無理があるのも本当だった。無名のクリエイター。金銭的な不安は常にあった。今は親元にいるから最低限生活できているものの、いつか親がいなくなったらどうやって暮らしていけばいいのだろう。やりたくもない仕事をして神経をすり減らし夢も諦めて、ただ生きるだけの人生を送らなければならないのだろうか。好きなことをして生きていきたいというのはワガママなのだろうか。
夢を追いたいという強い願望とは裏腹に、心の奥底には常に未来への恐怖があった。夢を叶えたいのに叶わなかった場合のことを想像するとこわくてたまらなかった。だけど、そんな弱音は誰にも言えない。自分で決めたことなのだから耐え抜くしかない。わかっていてもつらかった。描いても描いてもなかなか注目されなかった。描いている最中の楽しさや高揚感、描き終えた後の充実感は何物にも変えられなかった。一方で、常に襲ってくる不安。
誰かお願い。私の作品を認めて。私をこの道で生きていけるように導いてほしい。どうか、どうか、お願いします。
投稿三年目になると、思いの大半はすがるような思いでいっぱいだった。
知浩さんは、そんな私の夢を何の曇りもなく応援してくれ、絶対叶うと信じてくれた。知浩さんは短大を卒業してから正社員で事務職に就き、就職後一年も経たず親元を離れ一人暮らしをしている立派な人だ。心の内では私のような人を快く思っていないかもしれない。気を遣って思ってもいない前向きなことを言ってくれているのかもしれない。はじめはそう思ったりもしたが、そうではないと今ならわかる。そんな知浩さんからの応援がとても嬉しく心強かった。
言葉だけではなく、行動まで起こしてくれた。なかなか注目されなかったはじめの頃、知浩さんは自分のSNSで私の作品を拡散してくれた。あまりに頻繁だとわざとらしくなるからと、適度な頻度でいろいろな作品を取り上げ紹介してくれていた。そこからじょじょに興味を持ってくれる人が現れ、私の夢は現実へとなっていった。私自身もたまにSNSで宣伝していたけれど、あまり効果は感じられなかった。知浩さんのレビューとも言える言葉添えがあってはじめて、SNSは宣伝として機能したのだと思う。おかげで今は本業だったバイトを辞めても大丈夫なくらい絵で収入を得られるようになった。
とはいえ、有名になりはじめてからも心折れそうなことはたびたびある。
ちょっとの批判に傷ついてどん底の気持ちになる。作品を否定されたら自分を否定されているのと同じだと感じてしまう。いつも他人に弱さは見せないようにしてきたけど、だからって叩かれて平気なわけじゃない。はじめは好きで始めたことだったし夢ではあったけど、注目されるほどにこわくなった。絵を描くのは好きだけど、夢が叶って幸せだけど、好きだけじゃいられなくなって。
「知浩さんがいなくなったら、私はこれからどうやって描いていったらいいの? 批判された時ひとりで立ち直るとか無理。これからも応援してほしい。知浩さんが助けてほしい時は私が力になるから。何にもできないかもしれないけど、話聞くくらいならできる! だから死ぬなんて言わないで……」
「ごめん、満さん」
中から声がした。今にも吹き消えそうな弱々しい声。
「知浩さん!?」
「ごめんなさい。まさかこんなところまで来てくれると思ってなくて……。どうぞ、中へ」
そう言いながら気まずそうに、知浩さんはそっと玄関の扉を開けてくれた。初対面のはずなのに、顔写真は交換していなかったのに、そんなことが気にならないくらい私達は普通に目を合わせて会話した。まるでもともとの顔見知りかのように。
「生きててくれてよかったー!」
「あんなメールして本当にごめんなさい」
「ほんとだよ、すごく心配した! 何があったの?」
「実は、職場で大きなミスをして。といっても先輩がフォローしてくれたのもあって致命傷は避けられたんですけど……。上司にキツく言われて、自分の無力さとかダメさ加減に落ち込んで。そしたらむしょうに満さんに会いたくなって」
それでも、私達は会ったことのない通信手段限定の関係。会うことは絶対に叶わない。知浩さんはそう思ったそうだ。
「こんなに親しみ感じてるのは私だけで、満さんは違うかもしれない。本名教えてもらえたりプレゼント交換するなんてかなり仲良くなれたのかもってうぬぼれそうになることもあったけど、本来なら手の届かない雲の上の存在。それが満さん。私はあくまで応援する側の人間。そう思ったら、ものすごく寂しくなってしまって……」
そんな風に思ってたんだ、知浩さんは……。
「そしたら、急にふと生きてる意味がわからなくなって。私、リアルで友達作るの苦手で。人への心の開き方も全然わからなくて。表面的な会話なら適当にできるんですけど、親友なんてできたことなかったんです。表向き仲良くても裏で悪口言う子とか普通にいたから、そうなるくらいならあまり人と関わりたくないなーって。仲良くなってもうわべだけで、踏み込んでこられそうになると身構えるし、深入りも自然と避けちゃって。でも、満さんには不思議と素の自分を出せたし、踏み込んだ事も言えたんです」
「嬉しいよ、そんな風に思ってくれて」
私もこれといって親しい友達はいない。学生時代は周りに合わせてそれなりに一緒に行動する友達はいたけど大人になって疎遠になったし、バイト先の子達ともご飯に行くくらいはするけど深い話なんてめったにしない。仲良くしていた子に陰口を言われていたというのは私も経験がある。おかげで軽く人間不信だ。でも、不思議と知浩さんに対してはそんな猜疑心がない。
知浩さんは続けた。
「普通に会いたいって言えばよかったんでしょうけど。迷惑とか、そんなつもりないのになーとか思われたらどうしようって、こわくて……。思いついたのが、ああいう言葉でした」
「死ぬ?」
「最低ですよね。命を天秤にかけるようなことを言うなんて。わかってます。でも、そうしたら満さんが会いに来てくれるんじゃないかって少しだけ期待したりもして。ほんとクズです私」
「そんなこと思ってないよ。知浩さん、落ち着いて?」
たしかに命を簡単に扱うような言葉は良くなかったけど、責めるつもりはない。死にたくなるほどの孤独を感じたのは本当なのだろうから。それに、知浩さんはきっと……。
「私と会える関係になりたい。そう思ってくれてたんだよね、ずっと」
「満さん……」
知浩さんは目を丸くして私の顔を見つめる。
「嫌じゃないんですか? 引かないんですか? 普通に重いですよね私。なのになんで……」
「なんかね。私と似てるから」
「満さんと私が?」
「うん。会ってみてよけいそう思った」
「…………」
「それに……。知浩さんは恩人だから。好きとか会いたいって言葉を人に伝えるのってこわいよね。なんかわかるから、そういうの」
実のところ、私もそうだったんだ。こうして知浩さんに会ってみるまで気付かなかったけど、私も一線を超えるのがこわかった。どうしても自分からは会いたいと提案できなかった。引かれたらどうしよう。知浩さんはネット上だけの関係でいたいかもしれない、って。向こうから何かアクションを起こしてくれたら楽なのに、と。
「言えなかっただけで、お互い同じ気持ちだったんだよ、私達」
これってもう立派な親友だ。こんなに心配できて、心動かされて、相手の挙動ひとつで笑いそうにも泣きそうにもなるなんて。
相手がどう思うか、それも気になるけど、それを超えて言葉が自然と溢れてくる。
「誕生日プレゼント、選ぶのも受け取るのも、毎年すごく楽しくて待ち遠しくて幸せだった。知浩さんもきっと同じだったよね」
「うん……!」
「それに、相手が知浩さんだから、私はここまで来られた。後先考えず、気付いたら車に乗ってた」
「ありがとう、満さん。満さんの友情、気持ち、試すようなことして本当にごめんなさい。でも、来てくれて本当に嬉しかったです」
「もうこれからはタメ口でいいよ」
「でも……」
「雲の上の存在なんて、そんな寂しいこと言わないでほしい。同じ人間だから。私も弱い、苦しい、支えがほしい。知浩さんはやっと繋がれた友達だから。壁とかなしで、ね?」
「満さん……。そっか。うん。わかったよ」
知浩さんは次第に涙目になり、何度もありがとうと言った。私の目にも涙が溢れていた。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。胸があたたかい。
「もう今日は運転無理そうだから、悪いけど今夜は泊まらせてもらってもいいかな?」
「もちろん! あ、車ってどこに停めてるの?」
「近くのスーパーに」
「あそこもうすぐ閉まるよ!」
「ホント!? どうしよ、困った」
「この近くに親戚んちの駐車場があるから案内するよ。遠方のお客さん用に空けてるスペースあるから」
「それ助かる!! そうだ、車取りに行くついでにお泊まりセット買いに行きたい!」
「そうだね。夕飯うちで作る? なんか食べに行く?」
「ドライブしながら決めよ!」
「いいね! なんか楽しくなってきた」
初対面なのにもう長年の顔なじみのように、私達は楽しくなりそうな夜に胸を弾ませたのだった。