4話 『D-』
「がげぉぁ……」
「うっ!」
相当なダメージが入ったのだろう、『ハングリーコボルト』は大きく情けない声を上げ、その大きな口から覗かせている鋭い牙で思わず自分の舌を噛んだ。
それらの痛みのせいか『ハングリーコボルト』は床に倒れ込むと気を失った。
一方先生はといえば勢いよく一撃を与えたまでは良かったが、もう立つこともできないのか地面に落ちて『ハングリーコボルト』の元まで這いずる。
本当に最後の力を振り絞った。
それでいて、今度は止めを刺そうとしてる。
スキルを使えるほど回復はしていないけど、これだけ闘争心を前面に出す姿を見せられたら俺も黙ってみているだけではいられない。
「俺も、攻撃を――」
「小路、先生を頼む! 今のうちに逃げるんだ! 目的は……達成した!」
ぎゅっと拳を握りしめて気持ちを高ぶらせていると、教室の外、それだけでなく校舎の外からもコボルトたちの鳴き声が響き始めた。
それは『ハングリーコボルト』を案ずるようなものではなくどこか喜んでいるように聞こえる。
校舎に近いほどその数が減っていたのはつまり、『ハングリーコボルト』という強者に支配されることを恐れていたから。
校舎近くのコボルトたちが強かったのは既に『ハングリーコボルト』の支配下にあった精鋭だったから、とかか?
ともあれ、他のコボルトからすればこの『ハングリーコボルト』は邪魔な存在になりつつあった。
どうやってこの状況を知ったのか、そしてこの短い時間でそれだけの集団形成ができたのかは分からないが……支配者が動けないこの状況で他のコボルトたちがとる行動は1つ。
「ごがぁ……」
「ひっ! いっぱいここに集まってきたわ――」
「……。多分、大丈夫。うん。でも金山の言う通りここは逃げよう。もう俺たちが止めを刺す必要も、リスクを払う必要もないよ」
『ハングリーコボルト』の拘束から解放された女性が声を上げた。
俺はそれにつられて教室の外を見る。
すると1匹、3匹、5匹……息を切らしたコボルトたちが恐る恐る教室の中を覗き込み始めていた。
だがその視線は俺達には向けられておらず、『ハングリーコボルト』に集中。
異様な緊張感が場を包む。例えるなら栓が抜けるその瞬間を待つような感覚。
その瞬間が訪れる前に、俺たちは止めなんかよりもここを離れないといけない。
「先生! 腕、まだ力入りますか?」
「ちょっと、ならな」
「良かった。じゃあしっかり掴まってください!」
「お前も、動けないんだろ? しっかり掴まっとけ!」
「金山君……。ありがとう、ありがとう! 私てっきりただ怖い人だって」
「そんなの今はいい! 舌噛まねえように気を付けな! 飛ばすぞ!」
俺は先生を、金山は女性生徒を。
それぞれ背負いながら教室の入り口に、コボルトたちのいるそこに突っ込んだ。
「「――があああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」」
俺たちの行動が合図となったかのように、コボルトたちは支配者へ反抗する勇気を互いにけたたましい鳴き声で鼓舞し始めた。
一歩一歩。
進むその脚はもう俺たちには向かわない。
「なんか、人間みたい……」
「モンスターにも感情、理性はある。力による強制支配、傲慢な態度、思いやりのなさ。短期間とはいえ、フラストレーションが溜まる状況があったなら……不思議じゃない。とはいえ、こいつらの場合……」
「こいつらの場合、なんですか?」
「いいや。その可能性は、できれば考えたくない。伝えたくない。生徒の前では尚更、な。……そうでなければいいんだが」
教室に入り込むコボルトと反対方向に進み、ようやく階段を登る。
金山も俺も気持ちでは全力で走っているつもりだが、おぶさる先生と女性が普通に話せる程度のスピードしか出せていない。
でも、その内容は耳に入らない。
それだけ苦しい、きつい、だけど俺……止まれない、じゃない。
絶対止まりたくない。
だって、俺ここにくるまでずっと見てるだけだったから。
誰かに全部任せて無難にいつの間にか、なんて……こんな時までそんな自分は、嫌すぎる。
親の心配も何も、俺を縛り付けるしがらみなんて『言い訳』してるじゃない。
あ、そうか。
俺、親を言い訳にしてたんだ。
なんだこれ、頭のもやが晴れたみたいな感覚が――
『スキルの効果により心身がリターン。その際記憶、性格部分に掛けられた何らかのプロテクトが解除。次第にそれは負荷が掛からないよう、適した場面で正常になっていると考えられます』
金山だけじゃなくて俺にも瘴気の影響があって、ってことか。
「それに……適した場面、か」
それならこの、こんな状況なのに多少だけど見える前向きな感情に身を任せてもいいんだよな?
「あとちょっとだ! 職員室! 根性見せろ小路! 何のために今日まで俺が鍛えてやったと思う!」
「……。ああ……。ああっ! あ、はは! 俺が、この俺がこんなに必死で、やり遂げたいなんて……面白過ぎるだろ! ……ん? ってか、鍛えた? 虐めてくれてただけだろ! 蹴って殴ってパシリさせてさ!」
「だから悪かったって! ちょっとした冗談じゃねえか! ……あ、はは! 俺、頭おかしいかもしれん! 他の生徒が溶かされて、食われて、やべえ状況だってのによ! 一緒なのが小路なのによ! ……。うっ! いや。小路だから、なのか。……。今こうして息切らして誰かのために走ってんのが……楽しいなんてよ!」
「俺も……。……。いじめっ子のクソ野郎のお前とこうしてんのが、俺の人生で一番生きてる気がしてる。生きてる気がして、らあっ!」
ついさっきまで当たり障りなく、親に心配させないことだけを考えていたってのに、金山の無茶を聞き入れて、付いて行って、挙句このあとのことも考えずに足がもげそうになりながら走って……今、あの金山に軽口を叩きながら追い抜いた。
なんだろう、こんな風に『友達』と何かに没頭していた、そんなことが昔あったような……。
もう少し出せそうな。
――パリ。
瞬間俺の頭の中に電気の流れたような音が流れた。
『新しいスキルを取得しました。【時間操作:関係回帰】を取得しました。対象の魔力を利用しつつ、無理のない範囲でスキルが発動できます。対象金山。回帰先状態【良】』
スキルの取得。
てっきりレベルアップの時だけだと思っていたけど、取得条件は俺が思っている以上に複数あるようだ。
というか、関係回帰って……俺と金山が、か?
悪い方じゃないっぽいから、使った方が得……だよな?
「じゃあスキル、発動してくれ」
『了解。魔力消費。対象と同調。回帰を開――』
――バンッ!!!
職員室まであと少し。
スキルが発動されようとしたその時だった。
俺たちの真下の床が急に盛り上り、破裂。
その勢いに飲まれた俺たちは勢いよく吹き飛ばされた。
「だ、大丈夫か! 金山! えっと……『ハングリーコボルト』に舐められてた人!」
「お、おう。俺は無事だ!」
「私も……。て、その呼び方どうなのよ! 私、これでも新妻華って名前があるんですけど!」
「新妻……。あっ! もしかしてお前……。いや、そんなことより先生は?」
「私も無事だ! ただ……厄介なことになったぞ」
舞い上がった埃を手で払いながら俺は床に開いた穴の先に目を向けた。
「が、はぁぁ……」
そこには1匹のモンスター。
決して大きくなくむしろ細い。
だがその筋肉はコンテスト時のフィジーク選手のように洗練され、息を吸う度躍動する。
そして一番気になるのはその舌。
自由自在に素早く、伸縮を繰り返すそれは『ハングリーコボルト』を連想させる。
ランクは……『D-』
「『フルコボルト』。おそらくはさっきの『ハングリーコボルト』が進化した姿。あの教室に集まったコボルトたちを喰らって進化したか? だからっていくらなんでも進化が早すぎる。これは……あの可能性も濃厚――」
「がっ……」
先生が『フルコボルト』の名前を読み上げて考察を始めると、俺たちの目の前から『フルコボルト』は姿を消した。
俺はその現象に目を丸くする。
逃げた? いいや、この状況で逃げるなんて……。
「もしかして、悟られたかっ!」
俺は急いで背後に視線を向けた。
すると予想通り、『フルコボルト』は職員室の目の前でその手を振り上げていた。
索敵能力の向上、それだけじゃない。
こいつ、誰が今1番危険で誰を処理しなければいけないのか、そのことに気付いている。
「まずい! サポーターを殺されればもう……。サポーターに出向くよう呼びかけ……。いいや、それでその途中で殺されでもしたら……。最悪だ。何とかしてこいつを止めるしかないなんて! 『時間操作:一時停止』! ちっ! まだ使えねえのかよ! この無能スキル――」
スキルの発動がなされないことに苛立ちを感じていると、『フルコボルト』は職員室の扉を思い切りぶん殴った。
扉が突破される。
そう思ったのだが……。
「が?」
「ふふ……。回復スキルってのは生き物にしか聞かないとでも? みなさん! 何とかこいつを……。隙を突いて中に!」
完全に破壊されたと思われた扉は破壊途中にも関わらず、その形をコンマ数秒で元に戻した。
今の女性の声、扉の先にいるサポーターがそれをしているのだろうが……今の声、もしかしてだけど……。はは、こんな身近なところにもいたのか『ギフター』持ちで『触媒』に慣れる存在が。
「隙を突いて、なんて無理よ! こんな化け物相手に!」
新妻さんが声を荒げる。
そうだ。
職員室がすぐにどうにかなるわけじゃない、それいて回復がもう少しでできる、とはいえ『フルコボルト』をこんな満身創痍な状態でどうにかできるわけが――
「それは、どうかな?」
「え? 金山君?」
『関係回帰完了。同調した影響で対象者が一時的にレベルシステムを取得。直近の戦闘による経験値をスキル使用者と対象に付与。共にレベルが1から5に上がりました。ステータス上昇。特性:モンスター情報開示さらには特性:触媒情報開示が目覚めました』
自信有り気な言葉と共に立ち上がった金山。
錯乱気味の新妻さんを宥めるようにその頭を優しく撫でる姿は男でもカッコよく見えてしまう。
数時間前までは最悪のいじめっ子だったってのに……。
俺の『友達』はどうしようもなく、魅了するってことが得意なんだな。
「安心しろ。って、俺なんかに言われたところで無理かもしれないが……。まぁ嘘っぱちの脅しだけが俺の専売特許じゃねえってとこ、見ててくれよな。あの時と違って、今回はちゃんと見ててくれんだろ?」
「金山君……。うん。見てる。だから、絶対勝ちなさいよね!」
2人は知り合いだったのか、親し気に会話を交わす。
さっきまではそんな様子はなかったが、金山も記憶が徐々に戻ってるってことか。
関係回帰で気持ちの面で金山に感じるようになった友達という感情。
俺もそのうち、金山との記憶が蘇ったりするのだろうか?
というか、俺と金山が友達関係だったとか嘘なんじゃ――
「おい、『和刻』! 俺がお前を固執してイジメた理由。苛立った理由が分かった。それはお前が、俺の知ってるヘタレた奴じゃなくてもっとヘタレな奴になってたからだ。本来のお前は……。なんだ、まだマシな奴、だった。えっと、だからよ。さっさと回復して、いつもみたく無鉄砲に助けに来い!」
俺を名前で呼んだ金山。
俺はまだ記憶が蘇っていないが、金山は俺との関係を思い出して信じてくれた。
ならその身を案じている間にも、早く職員室を目指す!
「先生、新妻さん! 失礼します!」
「ちょっ!」
「私はいい! お前だけ先に行け!」
俺は急いで立ち上がり新妻さんと先生を脇に挟むように担ぎ上げた。
レベルが上がったからなのか、2人を抱えているのに不思議と重いという感想は出ない。
「金山! 俺はただ真っ直ぐ突っ込む! 道を作ってくれ!」
「言われなくても!」
「お、おい! 私の言葉を聞――」
「先生は金山の邪魔になりたいんですか? あいつの、命がけの戦いを」
「それは……」
「走ります!」
「――がぁっ!」
『フルコボルト』は職員室の扉を壊すのを諦めて俺たちに視線を向ける。
走る俺たちに向かって拳を突き出す。
「ぐおっ! なんだよ、これ……」
「拳圧だな。ダメージはないが押し返され、態勢を崩し……強者が心身的、状況的に弱い者のみに使える特――」
「じゃあ俺との差はそんなにねえってことだな」
――パン!
拳圧によって脚を止められていると、俺たちの間に金山が割って入った。
そして金山は『フルコボルト』の拳を正面から受け止め……。
「が!?」
「驚いたか? これが喧嘩スタイル。俺の戦い方。はは、まさか守るのに適した戦い方になるなんて思わなかった、ぜっ!」
『フルコボルト』の鳩尾に、刺すようなボディブローを決めた。
お読みいただきありがとうございます。
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