ありふれた会社の秘密
しばらく彼の家でのんびりとした時間を過ごした。
出会うのは初めてのはずなのに随分と穏やかな時間を過ごさせてくれた。
こんな気持ちにさせられる人間はそうおるまい。
「学校に行くのはいいが、もう星慈として戸籍を作ったのかい?」
「え?」
彼が不意に放ったその一言に僕は凍りついた。
てっきり何もせずとも通えるものだと思っていたのだ。
しかしよく考えれば当然そんなことはできない。
学校に通うとなれば僕の本名もバレるし、そうしたら当然連れ戻される。
やはり通うことなどできないではないか、そう思ってお姉さんの方を見た。
僕は動揺しっぱなしだが彼女は違うようだ。
「まだですね。おじいさんの許可が出たら彼のところを訪ねようと思っていたものですから」
彼女はそう言った。
おじいさんは納得したようにうなずき、
「ならきっと早い方がいい。今日の彼は暇をしているだろうからね」
と言われた。
僕らはその言葉に従い、この家をあとにするべく立ち上がった。
「今日はありがとうございました」
僕がそうお礼を言うと彼は微笑んだ。
玄関まで移動すると彼が見送りに来てくれた。
「星慈君は将来したい仕事とかを考えているかい?」
僕は昔から抱いていた夢を思い出した。
たとえ飛ばなくてはという思想に満ちていてもその事を忘れたことは飛ぼうとした瞬間即ち昨日以外は忘れたことがなかった。
無論そのための努力も怠ったことはなかった。
狭き道だと知っていても挑戦したい夢が僕にはある。
「……裁判官になりたいと思ってます」
二人は目を見開いた。
おじいさんは感心、お姉さんは驚きが原因であるようだった。
「厳しい道だけど頑張りなさい」
彼はそう応援してくれた。
僕は頷いた。
彼女が車を走らせているのは家への帰り道ではなさそうだった。
おじいさんの家で話していた『彼』なる人物の下へ向かっているのだろう。
戸籍の話題で出てくる人だ、きっとまともな人間ではないだろう。
というか、まともかどうかで言えばおじいさんもお姉さんも、僕も誰一人まともではない。
だがまともでない人たちは、大多数の人間には理解できない理念を持って行動している。
まだ僕はそういった面では未熟な人間だ。
なるべく早く僕もそういった領域に到達したいと思った。
車はしばらく走り続けた。今日も彼女はラジオを流しながら走らせる。
窓から見える空は昨日のような雲はなく、晴れ晴れとした爽やかな青が広がっている。
到着したのはとあるビルだった。
車を降り、ビル内部に入ると受付のような人物がいた。
「ご要件は何でしょうか」
受付の女が僕らにそう尋ねる。
お姉さんは何も言わずになにか名刺のようなものを見せた。
女はそれを受け取り、お姉さんと少し話す。
しばらくすると女はクレジットカードの暗証番号を入れる機械のようなものをお姉さんに操作するよう要求した。
お姉さんはかなりの長さの番号を一瞬たりとも詰まることなく、軽やかに入力した。
それが終わると女は僕たちを開放した。
「星慈君、行こうか。君がやっと自由になれる時が来たんだよ」
お姉さんはそう言った。
エレベーターに乗り込み三階のボタンを押す。
エレベーターが昇りだすあの一瞬、重力に逆らって少し重圧がかかる感じが僕は割と好きだった。
エレベーターはガコンという音を鳴らして昇り始めた。
ピカピカのエントランスからは考えられないほどにエレベーターは古びたもののようだった。
古いエレベーターだからやはり遅いのだろうか?
それとも天井までの距離がかなりあるのだろうか。
かなり長い時間エレベーターに乗っていた気がする。
しばらくして到着したのは誰も使っていない寂れたオフィスだった。
机が並んでいるだけで何もない。おそらく階を間違えたのだろう。
お姉さんがボタンを押し直すのを待っていると、彼女は寂れたオフィスの中に入っていった。
僕は慌てておいていかれないようついていく。
「お姉さん、階間違えたんじゃないんですか?」
「いやここで合ってるよ」
彼女はそう言うとズンズンと奥へ進んでいく。
部屋が割り振られていた名残なのか、扉があったであろう形跡がいくつか目立つ。
この階はかなりの広さだった。
エントランスからは考えられないほどの広さだ。
違和感を抱いていると彼女はついに一つの部屋だったであろう場所に入っていった。
この階はどの部屋にも窓はついていなかった。
彼女は部屋の入口から四番目に近い机の床を触った。
何をしているのだろうという僕の疑問はすぐに解消されることになる。
どの床もタイルになっていたがどうやらこのタイルだけ仕掛けがあるらしい。
なんとタイルが横にスライドし下へと続くはしごが現れたのだ!
僕は驚きのあまり固まった。僕はどうやら相当おかしな世界に迷い込んでいるらしい。
僕がギギギッとでも鳴りそうなほどにぎこちなく首を回してお姉さんを見るとどこか得意げな顔を僕に向けていた。
しばらく口をパクパクしていた僕だったが、なんとか声を発した。
「な、なんですか……これ」
「三階につくまでのエレベーターさ、なんか長いなって感じしなかった?」
どうやらそれは二階と三階の間にあるこのスペース、ある種の中三階もしくは2.5階を隠すためだったようだ。
それを聞いた僕のアホ面を眺めた彼女は満足そうにしたあと、僕に先にはしごを降りるよう促した。
僕が降りていると彼女も降りてきた。
どうやらタイルの操作は内側からもできるようで、再度スライドさせて入り口を隠していた。
小さい頃夢中になった、秘密基地もしくは秘密結社に相当するものが目の前にあると気づいた僕は、顔を輝かせていたのだと思う。
彼女の「やっぱり男の子ってこういうの好きだよねぇ」というつぶやきで、いつもなら羞恥心が顔を出すのだろうが、今の僕はこのつぶやきを無視できるくらいにはテンションが上がっていた。
「ここは、このビルは何なんですか?」
「ここはね、君みたいな子を助けることができる以外には大した事のない、ただの会社だよ」
彼女はそう言って、この会社のきれいに掃除された廊下を進んでいく。
僕はワクワクしながら彼女の後を歩く。
こんなところで働いている『彼』とは一体何者なのか。ここは何を目的に作られた場所なのか。
男心をくすぐるこの場所に僕はすっかり魅了された。
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