新しい日常
朝起きてみたら全部夢でした、なんてことにはならず、僕はお姉さんの家で目覚めた。
僕の部屋はあの後彼女が少し整理してくれたおかげでかなりスッキリとしている。
好きに使ってくれていいと言っていたため僕はこの部屋に今度こそ好きなように荷物を配置できた。
とは言っても大したものは持っておらず殺風景な部屋になった。
僕は部屋のベッドの上でしばらくぼんやりとした後に起き上がってリビングへ向かった。
お姉さんはすでに起きていて、すでに朝食の準備を始めていた。
「おはよう。朝早いんだね」
すでに七時を過ぎていたため早いとは言えない気もしたが僕は頷いておいた。
「おはようございます。昨日のことが夢じゃなくてよかったです」
そう言うと彼女は微笑んだ。
キッチンに立っている彼女を見るに、今日の朝食はトースト、コンソメスープ、ベーコンエッグのようだ。
朝食ができたら僕らは昨日のように椅子に座り、朝食をとり始めた。
今日はお姉さんがテレビをつけた。
『次のニュースです。〇〇市の高校一年生、高橋陽慈君の行方が分からなくなっています。警察は近年多発している若者の失踪事件と関連して捜査を進めています。
また、彼の母親は「陽慈は、息子は必ず帰ってきます。こんなことする子じゃないんです…!」と話しています』
朝のニュースで早速僕が取り上げられていたが、僕の事件のコーナーよりもその次にあった芸能人へのインタビューの時間のほうが時間が長く割かれており、なんだか言いようのない怒りで満ちた。
死んでいれば僕のことを取り上げる、もしくは自殺について取り上げるニュースは芸能人へのインタビューよりも時間が割かれるだろうか?
きっとそれでもインタビューのほうが長いだろう。
僕ら一般人は劇的な死に方をするか、とんでもない炎上行為に手を染める以外の方法で発言権を得ることはない。
ただしそれは殆どの場合として、芸能人のちょっとした発言よりも小さな影響しか及ぼせない。
「君のお母さんは君が死のうとしてたことに気付かなかったんだね」
彼女はベーコンエッグを食べやすい大きさに切りながら僕にそう言った。
「あの人は僕のことを殆ど知りませんよ。知ってるのは僕が知らない僕のことだけです」
「なんだか反抗期みたいなことを言うね」
彼女の言葉が図星のようで嫌だった。
死のうとしていたのは社会への小さな反抗心からのような気がしたからだ。
僕は彼女から目を逸らしてトーストをかじった。
対面してご飯を食べていると顔を上げたときに彼女と目が合う。
だから目を逸らすのは大変だった。
そんな僕に気を遣ってか、彼女は話題を変えた。
しかしその話題も僕にとって嬉しいものではなかった。
「あと君、陽慈って名前なんだね。お姉さん知らなかったよ」
実際にかじっているのはトーストだが、僕は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「僕はその名前が昔から好きじゃないんですよ。だからそう呼ぶのはやめてください」
昔からこの名が嫌いだった。
太陽のように分け隔てなく人を照らし、慈しめる人になれという意味らしいが、太陽が照らせるのは他人だけ。
自分を照らすことはできない。
照らしてもらうこともできない。
見返りもなく照らし続けなさいと名前に言われているようで嫌だった。
それに、字面だけじゃなく、発音も嫌いだった。
爪楊枝の楊枝と発音が全く同じなのだ。
名前を最初に聞いた人はそれをネタにからかってくる。
面白くもなんともないのに皆が皆、そうしないといけないと思っているかの如く。
「私は素敵な名前だと思うけど?」
「嫌味ですか?」
彼女は僕が自分の名前を嫌いな理由を絶対わかってこう言っている。
彼女は時々僕を僕以上に知っている気がする言動をするのだ。
「そうじゃないさ。自分を照らせない君にピッタリの名だ。死ねば誰かが照らしてくれると思ったかい?」
やっぱりだ。彼女は僕をよく分かっている。
僕のような時期があったと言っていたから、そこから推測できるものなのだろうか。
僕は彼女の言葉を無視してコンソメスープを飲んだ。
これだから食事とテレビを混ぜてはいけないのだ。
話題の矛先がどうなるか分かったものではない。
「お姉さんは嫌な人ですね」
「その名に縛られているならば名前も変えてしまうかい?」
「どうやって?」
戸籍の変更はきっと大変だし、そんなことをしたら僕は昔の街に戻らなければならなくなるだろう。
そうなるくらいなら甘んじてこの名を受け入れようかと考えていたが、そういうことではなかったようだ。
「折角見た目から生まれ変わって別人になれたんだ。君のことを知る人は私しかいない。だったら私が別の名で呼べばいい話でしょう? 今の名前がいいなら無理強いはしないよ」
「………。じゃあお姉さんが名付けてください」
僕は新しくなる必要がある。
折角もらったチャンスを活かせなければ意味がない。
新しくなるためには人として生まれ直すべきで、即ち改名は必要な行為だ。
「そうだね……」
と言って彼女は暫く考える素振りをしていた。
だが彼女はすでに名前を決めているようだった。よって今考えているのは、名前を何にしようか、ではなく、この名前を気に入ってくれるだろうか、ということだろう。
彼女の目はそんなふうに僕に感じさせた。
「星慈ってのはどうだい? 照らされたなら無感動に作業的に反射すればいい。君には丁度いいだろう?」
「星慈……。分かりました。今日から僕は星慈です」
「これからもよろしく、星慈君」
でも少しキラキラネームっぽいですね、と言ったら彼女は笑ってくれた。
微笑みを浮かべるだけではない、お姉さんそのものの笑みだった。
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