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約束

 今回ほどに週末を待ちわびたのは人生初だ。

 そう確信を得られるほどには週末までの毎日をソワソワとした気分で過ごした。

 カレンダーを見る回数も明らかに増えていたし、時計を見るペースも早かった。

 遊園地に行くという約束が果たされることを心待ちにしている僕の姿は子供そのものだった。


 当日は朝から乾燥し、ひんやりとした空気で満ちていた。

 大気は肌に刺さり、太陽の光は暖かいという印象よりも眩しいという印象を先に与えた。

 街路樹たちは鋭く冷たい風が吹くごとに枝を大きく揺らし、時には自身を飾る葉を散らしていた。

 僕らはほとんど同じような格好をして家を出た。

 ゆったりとして厚みのあるシャツ、デニム生地で太めのズボン、淡い色のロングコートを着ているという点で僕らの姿は似通っていた。

 ペアルックと言われても文句が言えないほどに似通っていたものの、僕らはおよそ恋人には見えないだろうと思った。

 年齢云々ではなく、それぞれが身に纏う空気が明らかに違っていた。

 僕は幼稚過ぎたし、僕から見ればお姉さんは大人過ぎた。

 今日は例の赤い軽自動車には乗らず、家の近くを走る電車を乗り継いで移動することになっていた。


 家を出てしばらくは特に何も喋らずに歩いた。

 話したいことは幾つもあったし実際に話そうかと思いタイミングを伺っていたが、伺うたびに僕は諦めさせられた。

 お姉さんは懐かしく大切なものを思い浮かべている顔をしていたからだ。

 それは助手席の荷物へ向ける感情と酷似していた。

 僕は手を引いてもらうことはなく、横に並んで歩いた。

 電車に乗るためにICカードを発行してもらった。

 一月ほど前までは電車にあまりいい思い出はなく、嫌いな部類ですらあったが今では特に気にすることはなく乗れそうだった。

 また一つ、小さなものではあるが乗り越えられたという実感が、僕の傷を少しだけ軽くした。


 目的地のある駅に到着するまで僕らはまともな会話をすることがなかった。

 手を引かれてはいないものの手を引かれているも同然のように、お姉さんの後をピッタリとついていくことしかできなかった。

 しかし、会話がなくとも僕は退屈しなかった。

 今までの僕は電車の外の景色をまともに見たことがなく、車内ではスマホか単語帳くらいしか見ていなかったため新鮮に感じていたからだ。

 ただのビル群でさえも僕から見れば興味深いものとなった。

 だが、退屈はしなかったものの寂しくはあった。

 今日は休日ということもあり、親子のペアが散見されたからだ。

 彼らの目的地も大半は遊園地のようで、はしゃぐ子供とそれを見守る親という構図がそこかしこで展開されていた。

 僕はお姉さんが懐かしがるものがなにかまでは分からないし、無理矢理詮索する気もないが、だからといって寂しさが埋められるわけもなかった。


 駅から遊園地までは徒歩十分ほどだった。

 幾つかの親子のグループと、遠くからでも見えるほどに高い観覧車のあるところを目指して僕らは歩いた。

 もう横に並ぶことはなく、僕はお姉さんの半歩後ろを歩いた。

 冷たい風は朝よりも少しだけ強くなっていた。


 到着したときには遊園地は既に開園しており、並ぶ必要なくすんなりと入場ができた。

 入場してからお姉さんはついに僕の方を向いて口を開いた。


「星慈君はどれに乗りたい?」


「最初はジェットコースターがいいです。日本一高いやつ」


 僕がそう言うと彼女は


「最初から飛ばすねぇ」


 と言って笑った。

 僕はそれに対してあまり上手に笑えなかったが、お姉さんはそれには気が付かなかったようだった。

 僕は案内されるままにジェットコースターに辿り着いた。

 訪れるタイミングが良かったのかあまり待たずに乗ることができた。

 最前列に僕とお姉さんは並んで座った。

 後ろの家族からは、怖くないと虚勢を張る子供とそれをいじる父親の声が聞こえた。

 僕はもう遊園地をあまり楽しんではいなかった。


 その後も午前中は幾つかの乗り物に乗ってまわった。

 乗り物に対する新鮮さや、今まで存在しか知らなかったものを知るという意味では楽しかったが、おそらく遊園地に望んできた人々の中では最も楽しめていない自信があった。

 常ならばお姉さんは僕のそういった感情を見逃すことはないが、今日に限っては気が付かないようだった。

 お姉さんはいつまでも、僕の方を見ているようで見ておらず、思い出を巡っているようにさえ見えた。

 昼食は遊園地内にあったレストランで取った。

 僕は親子丼を、お姉さんはカツカレーを頼んだ。

 食事中も僕らの間に会話はなかったと言って差し支えない。

 親子丼は温かかったが、美味しいとは感じられなかった。

 お姉さんはとても美味しそうに、大切そうにカツカレーを口に運んでいた。


 美味しくないにも関わらずそこそこ値の張ったレストランを後にした僕らはしばらく園内を歩いた。

 まだまだ面白そうなアトラクションはあったが、もうお姉さんと回りたいとは思わなかった。

 だから僕は一つ提案をした。


「お姉さん、一旦別行動にしませんか?」


 その発言は流石に予想外だったようで、数時間ぶりに彼女は僕を見てくれた気がした。


「なんで?」


 お姉さんからしたら当然の疑問だった。

 しかし僕としては当たり前の提案だった。

 心の中だけで寂しさを抱えて回るくらいならば、いっそのこと寂しさを全身からむき出しにしてしまいたかったのだ。

 普通二人で遊園地に来たならば別行動をするなんて考えられないだろう。

 そういった僕の心を出す必要はない、そう判断した僕は


「お姉さんも回りたいところがあるでしょうし」


 とそう言って誤魔化した。

 例の如くお姉さんはいつもの心を見透かすような発言をすることなく渋々と言った様子で了承して去っていった。

 どこか思い当たる節でもあったのかもしれない。

 僕は自分で提案したことなのに取り下げたくなりつつ、しかし僕もお姉さんに背を向け別のアトラクションへと向かった。


 自棄になった僕はジェットコースターやお化け屋敷を中心に遊園地を回り、自分に刺激を与えることで楽しもうと意識した。

 勿論寂しさが埋まることはなかったが、衝撃を与えられるその数瞬だけ、僕は寂しさを忘れられた。

 お姉さんと別れてから2時間ほど経った時、僕はメリーゴーランド付近で男達に声をかけられているお姉さんを見かけた。

 男は三人組で軽薄そうな雰囲気をまとっており、僕はおそらくナンパだろうと目星をつけた。

 お姉さんの顔は横からしか見えず、彼女は僕に気がついていなそうだったが、横顔からはナンパを相手にすらしていない表情が見て取れた。

 だが彼女はしつこい男たちに絡まれ進むに進めなくなっているようだった。

 漫画の主人公のように格好良くナンパを追い払おうと勇んで足を一歩出した時、僕は自分のしていることの矛盾に気がついた。

 自分から別れておいてどの面下げて彼女の元へ現れればよいのだろうか。

 彼女が何かを懐かしんでいるのは今この瞬間になっていても変わっていないことは明確だったからだ。

 そうでなければ何かしらの対処はできているはずだし、何より周囲をある程度伺って助けてくれそうな人を探すくらいのことはしているはずだからだ。

 僕はしばらく迷った末に、結局お姉さんを助けることはなく、万が一にも彼女に見つからないようにひっそりと移動した。

 その直後に一人で乗ったコーヒーカップは寂しさと惨めさを合わせて割った味がした。



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