回転寿司屋にて
しばらくすると僕らはテーブル席に案内された。
茂の家庭が座る席とはテーブルを四つ挟んだ距離だった。
僕は彼らのテーブルに背を向けるように座り、お姉さんは彼らのテーブルに向かい合うように座った。
僕らは向かい合って座った。僕のちぐはぐな気持ちをまるで無視するかのように寿司は一定のペースで回り続けている。
最近はスマホで注文ができるらしく、僕らは各々寿司を頼んだ。
「これからも君は星慈君でいられる?」
「勿論僕は星慈ですよ」
そうはいってみたものの僕が陽慈を振り切るのはやはり困難なことなのだろう。
何より僕はまだあの街を振り切れていない。
ならば陽慈を知る人々の手が僕の足や手首、裾を掴んで引っ張り、元の街に引きずり戻そうとしてもおかしくはない。
僕の心の持ちようだけではどうしようもない。
だが僕はあの街に戻りたいとは微塵も感じていない。茂に会ってもその気持ちは揺らがなかった。
それどころかより強固になったような気さえする。
急がなければならない。
もし茂が再び違和感を抱いたり、陽慈を探し求めて藁にもすがる思いでいたならば再び出会うかもしれない。
その時はもう今日のようなごまかしは効かないだろう。今の星慈の完成度ならば簡単に皮を剥ぎ取り、その皮にくるまっている臆病な陽慈を引きずり出すことができてしまう。
だから早急に星慈として完成しなければならない。
とはいえ過去があるから現在があり、過去がなければ今はない。
星慈であろうと考えてどれだけ取り繕ってみても、僕という個人の過去には陽慈と名乗っていた時期があって、その時に色々な体験をしていることは覆せない。
ならば陽慈を完全に振り切った時、即ち星慈として完成された時、僕は今の僕とは全く違う人物に成り果てているだろう。
たとえどのような結末を迎えようとももう二度と後悔はしたくない。
そのためならば必要な過去も捨て去ろう。僕は生まれ変わったのだ。
「僕はどれだけ陽慈を求められてももう応じられませんから」
僕がそう言うとお姉さんはホッとしたようだった。
だがその表情の裏で少しだけ寂しそうにしているのが僕には分かった。
「星慈君は前の自分であることを望んでくれる人がいて、でも君はそれを捨ててしまえるんだね」
僕にはまだお姉さんの真意を掴むことはできなかった。
ただ、お姉さんがお姉さんとなったのも僕のように生まれ変わったからで、生まれ変わる前は余程嫌な思いをしたのだろうということだけはなんとなく分かった。
僕らは家族になれたが、それでもどこか溝がある。どちらもどこか他人行儀で、家族のふりをしているだけなのかもしれない。
そう考えると僕は心臓のあたりがちくりと傷んだ。
いつか互いがいなければ成立しないような、幸せな家族となった日が訪れて欲しい。
幸せを分割したはずなのに分ける前よりも増えているような気がしたり、悲しみを分割したはずなのに分ける前よりも減っている気がする。そんな家族が僕は欲しい。
ある程度話したからスッキリしたというのもあるだろうが、僕も現金なもので寿司をいくつか食べたら元気も戻ってきた。
会話がぎこちなくなったり、ちぐはぐな気持ちを持て余すということもない。
寿司を載せたレーンは相変わらず一定のペースで回り続けている。
「回転寿司に来たのに回転してるところからじゃなくて注文してばっかですね僕たち」
「だってずっと回ってたら乾いてそうだし」
「そう皆が思うから乾いちゃうんですよ」
「せっかちな人が率先して食べてくれるさ」
もう僕らはありきたりな家族として店に馴染んでいた。
ありきたりな会話をして、ありきたりな笑い方をして、ありきたりな空気を形成している。
僕が過去持ち合わせることができなかったものの一つだ。
それを得られたことを僕は素直に嬉しく思っていた。
これはありきたりな幸福。茶柱が立つレベルのものではない。茶がそこにあって飲むことが出来るレベルのものだ。
特別な幸福を求めているわけではない。だがいつか自分だけの特別に辿り着きたいと願っている。
それもきっとありきたりなことだ。
だが粉茶からでは茶柱は立たない。それを自覚してなお粉茶に甘んじ続け、そのくせ茶柱が立つことを望む愚かでありきたりな人生を送りたいとは思わない。
本当は変わらなければならないのだろう。大きい変化ではなくとも着実に少しずつでも。
でも後少し、もう少しだけと思うのは愚かなことだろうか。
「ちょっとトイレ行ってきます」
僕がそう言って立ち上がるとお姉さんはお茶をすするのを止めて言い放った。
「行っトイレ」
「うわ絶対言うと思った」
僕は後何皿食べられそうかを考えながらトイレへ向かった。
この店の男性トイレには小便器が四つ、個室トイレが三つあった。
トイレには誰もおらず、僕は入り口から一番遠い奥の小便器を利用することにした。
利用後、僕はなんとなくトイレの窓から月を眺めていた。
満月とも三日月とも半月とも言えない中途半端な月だ。
七割ほど光る、中途半端なやつだ。
だがこれでいい。今はまだこういうのでいいんだ。
満足した僕は手を洗いジェットタオルで手を乾かそうと手をかざす。
その時トイレと店を区切る扉が開いた。
利用者は茂だった。彼は僕の顔を再びまじまじと眺めた。
僕は再び直視するしかなかった。
「さっき俺が親友に似てるって言ってた人ですよね、なんですかまたまじまじと見て」
僕は警戒していた。こんなに早く彼が僕に気がつくとは思えない。
とはいえボロを出さないようにしなければ。
そう考えていると彼は言った。
「いや、口元にご飯粒ついてますよ」
彼はそう言って小便器へ移動した。
今度は顔についていたから眺めていたのか紛らわしい。
僕は眼の前の鏡を見て事実であることを確認し左人差し指と左親指で回収した後それを食べた。
僕の人生の中で初めて、トイレの中で食べるものだった。
空回りが恥ずかしくなって僕はジェットタオルで手を乾かし、ついでにこの羞恥心も吹き飛ばしてほしいと念入りに乾かした。
そして彼がトイレを利用し終わる前にそそくさと退散した。
席につくとお姉さんが心配そうに僕を見ていた。
「大丈夫? さっき君の元親友がトイレに立ったっぽいけど」
「ええ平気です。まじまじ見られましたけど今回は普通にご飯粒が付いてるの教えてもらいました」
そう言って僕は空になった湯呑に粉茶を作ってすすった。
羞恥心は吹き飛ばせなかった。ならば飲み込んで隠してしまうのが得策だろう。
「バレなくてよかったね」
僕はきっと永遠にお姉さんに隠し事ができない。そう直感した。
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