黒の掃除屋編-Ⅶ
□貿易都市フレデナント《ヴェンガンサ》フレデナント支部
「おかえりなさいっす!もうフレデナントにもお二人の噂が流れてきたっすよ!」
支部長室に入るなり、ヘンリーの陽気な声色が二人を迎えた。
林道都市アルジャノフを後にしたシルメリアとセツナは待機していた《ヴェンガンサ》所有の荷馬車に揺られ、貿易都市フレデナントのギルドに舞い戻った。
たいぶゆっくりはしたものの、ランディ達による魔獣の受け渡しも完了している頃だ。
そうなれば協会から各ギルドへ報酬が支払われている筈である。
「ただいまヘンリー。【ヴォルテスカオルス】討伐の分配金は振り込まれたかしら?」
「おかえりっすセツ姉。勿論っすよ。思っていたよりも報酬金の額が高くて驚いたっす!お二人の活躍を《アナストリア》のハンターがちゃんと協会に報告してくれたみたいっすね」
ヘンリーの言葉に白い歯を光らせ親指を立てるランディが頭を過った。
「何はともあれ……シルメリアさんの分の報酬っす」
言ってヘンリーが机の上に置いたのは【ヌシザザミ】の時とは比べ物にならない厚さの札束。
「こ、こんなに良いのかヘンリー……!?」
今までに見た事のないゼル札の束を前に驚愕しながら狼狽えるシルメリア。お金には疎いとは言え、流石の彼女も目の前の札束が大金であると認識していた。
銀貨100枚には金貨1枚の価値がある。金貨1枚とゼル札1枚は同価値だ。1枚1万ゼルのお札が束になっている意味が彼女は少し理解し難かった。
「40万ゼルあるっすよシルメリアさん」
「よっ……40万ッ!?」
「あら、思っていたよりも少なかったわね。魔獣の討伐報酬と協会に明け渡した魔獣本体の価値を考えるともう少しあっても良さそうなものなのだけれど」
金額を聞いて驚きを隠せないシルメリアを他所に少しだけ納得のいかない様子でセツナが呟く。
「まあ個体としては小さい方だったみたいっすよ。それでも麒麟型は上位種に認定されているんすから二人が無事だったのが何よりっす。こっちは下位の魔獣種だと聞いてたんすからセツ姉がいたとは言え、危険な依頼を紹介しちゃったと内心ヒヤヒヤもんだったっす」
ヘラヘラと陽気に語るヘンリーの台詞と表情が一致していない事はさて置き、この1週間で貯めた報酬金はかなりの物になった。
シルメリア本来の目的の為にはシバから情報を得なければならない。
「ヘンリー。もう一つお願いがあるんだ」
シルメリアの瞳を見て、すぐにヘンリーは察する。緋色に煌めくその宝石の様な瞳は揺るぎない決意の色を宿していたから。
「……まったく……気持ちはブレていないみたいっすね。分かったっすよ。シバに連絡を取ってみるっす」
「ありがとうヘンリー!」
無邪気に喜びを隠さない表情を前にヘンリーは呆れながらも嘆息し、笑みを浮かべた。
「多分、最短で明日になると思うっすけど、生憎自分は翌日出張で立ち会えないっす。何処かを待ち合わせ場所に指定するっすけど、希望はあるっすか?」
「待ち合わせ場所か……そうだな……」
腕を組み頭を捻る。しかし生憎彼女はフレデナントの街をあまり把握していない。ギルドを指定しても良いのだが、ユウキと鉢合わせてしまいそうでイマイチ気が乗らない。
そう思った瞬間にユウキへの後ろめたさを感じた胸が少しだけチクリと痛んだ気がした。
それでもユウキには迷惑を掛けれない。
ユウキにとってはそれが迷惑か分からないとセツナは言った。確かにそうなのかもしれないが、それを確かめるには勇気が足りない自分にも気付いている。
「あ、そうだ」
突然何か言い忘れていた事があるかの様に呟いたヘンリー。
「一応、言うか迷ったんすけど、ガミキさんこの前怪我して死にかけたっす……って!痛いっすッ!?」
「おバカ」
さらっと人差し指を立てながら言ったヘンリーの後頭部に即座セツナの手刀がめり込む。
「ユウキが……怪我…………死にかけた……!?」
ヘンリーの言葉の意味を理解するのに数秒かかったシルメリアの血の気が一気に引いていく。
まるで蒼天の霹靂の様に晴れ渡る空に突然の落雷。心臓を見えざる手によって鷲掴みにされたかの様な悪寒が全身を駆け巡る。
「ガミキちゃんは大丈夫よシルメリアちゃん」
「セツナも知っていたのか?!」
「ごめんね。心配かけちゃ可哀想だと思って黙っていたのだけれど……」
ジト目でセツナに睨まれたヘンリーは少し慌てた様子で訂正する。
「死にかけた……って言っても大丈夫っす!もうだいぶ回復したっすよ!毎日神聖術の治療を受けさせてるっす!これがまた評判の良い神聖術士でして!高い治療代も負担してるっす」
「最後のは余分だと思うのだけれど」
「痛いっす!?イチイチ叩かないで欲しいっすセツ姉ッ」
「ヘンリーをそんな風に育てた覚えはなかったのだけれど、また一から教育が必要みたいね」
「じょっ、冗談すよ、冗談……!!」
笑顔で優しく微笑むセツナの裏側に唯ならぬ圧を感じながら血の気が引いたヘンリーの膝が震える。故郷の女性は何故こうも皆恐ろしいのかと過ぎった思いに今は蓋をする。
「何度もごめんねシルメリアちゃん」
「うん……大丈夫だ。ユウキが無事なら良かったよ」
大丈夫と言った言葉の意味を自分で良く理解出来なかった。二人に悟られない様にはしているつもりだが、この胸に纏わりつく嫌な靄は一体何であろうか?その正体も理解らないまま、シルメリアは出来るだけ自然な笑みを浮かべる。
「シバとの待ち合わせ場所はリタの武具商店前にしてほしいな。私は何だか少し疲れたからもう休むよ。それと今日はありがとうセツナ。ヘンリーも宜しく頼むよ。それじゃあ」
「こちらこそありがとう。ゆっくり休んでねシルメリアちゃん」
「シバの件は任せてほしいっす。時間が決まったらまた連絡するっすよ」
去り行くシルメリアに手を振り、その背を見送るセツナとヘンリー。
「……演技めっちゃヘタっすよ。動揺が表情に出まくってたっす」
「まったく……あなたが余分な事言うから……」
「……ちょっとだけガミキさんに代わって意地悪したっす。まあ効果あり過ぎたみたいで反省はしてるっす」
「まったく、もう……」
同郷の弟に呆れながらもシルメリアを案じて溢れたセツナの溜息が支部長室に響いて消えた……。