黒の掃除屋編-Ⅴ
薄桜色の前髪から覗かせた碧眼が抜き身の刀と共に鋭い燦きを帯びる。それはとても優しいお姉さんとは形容し難い剣士の眼差し。
「神明一刀流 疾風の太刀【迅風】───ッ!」
流麗な身を翻し、セツナの剣戟が魔獣種【ヴォルテスカオルス】を狙い澄ます。
一刀目を辛うじて躱した麒麟に間髪入れず、二太刀目を放つ。
幼い子供の背丈くらいあろうかという刀身は鋭く、疾風に撒かれている。おそらく、それは───、
「あの刀、風の加護付きか」
セツナの剣戟を目の当たりにしてシルメリアは呟く。
風の加護付き───稀に武器は精霊の加護を宿す。様々な条件が在るとは言え、その大半は長い年月を掛けてだ。
セツナが所有する刀もまたその一つであり、ミナヅキ家に伝わる宝刀の一太刀。
「哭け!【辻風】───!」
鋭い燦きを宿したセツナの太刀が【ヴォルテスカオルス】の腹部を斬り裂く。
「ぎゅういいいいぃぃん……!!?」
刹那、魔獣種が初めて声を上げる。それは初めて知る痛みに対する驚愕にも似た叫び。
「攻撃が通った……!?」
ランディ麾下の一同が驚きの声。その中には魔獣種討伐の希望や安堵感が含まれている。
「いくわよッデ・サリオ!」
「応!」
その隙を易々と見逃す事もなくギルド《ブレイブリー》が続く。
魔力剣に炎の魔術を宿したシャロンシャロンとハルバードを振り下ろすデ・サリオの連携。
「《アナストリア》も遅れるな!」
好機と見てランディの指揮下、数人のハンターが魔術攻撃を行う。
概ね被弾を許した【ヴォルテスカオルス】だが、体躯に纏った紫電を放出する。
雷系の魔術による範囲攻撃に《アナストリア》の耐雷装備を纏った面々が対応する。
「何とか凌げるが、そう何度も保たないな……」
シャロンシャロンを庇いながら幅広のシールドを構えたランディが呟く。
彼の言うようにこのまま魔獣種に致命傷を与える事が出来なければ、先に消耗してしまうのはこちら側だ。
対属性防具で応戦しているとは言え、魔獣の攻撃を100%防ぎ切れている訳ではない。ランディを始めとした《アナストリア》の守備陣も少なからず負傷はしていく。まして、耐性装備を持たぬシャロンシャロンらを庇いながらでは尚更だ。
「なら、相手が仕掛ける前にこちらが仕掛けてしまえば良いわ」
駆け出す薄桜色の髪。
身を翻しながら太刀を浴びせていく。その姿は華麗にして可憐。
だが、それも束の間、左腹部からの鮮血を撒き散らせながら【ヴォルテスカオルス】は空へと踏み出す。蹄から生み出された風の魔術で大気を自在に駆け出そうとする。
「悪いが逃さんよ」
シルメリアの言葉に応える様に虚空を駆け出す寸前の【ヴォルテスカオルス】の四方に薄紫の障壁が生まれ逃避を遮る。
魔力壁に遮られながらも麒麟はその身を激しくぶつけ、逃れようと抵抗する。その身からバチバチと激しく帯電した魔力が溢れ出す。
「そんなに暴れないでくれよ……なかなか魔力を消費するんだ……!」
苦笑いを浮かべながらシルメリアは翳した両手に更なる魔力を込める。
物理的な抵抗なら抑え込む自信があったが、盲点だったのはあちらが魔力を放出し続けている事だ。逆を返せば相手もそれだけ必死だと言う事。
魔力と魔力のぶつかり合いならば幾分自信があるとは言え、このままでは結局ジリ貧だ。シルメリアが魔術を発動し続ける限り、味方も魔獣種に手を出す事が出来ない。かと言って根比べを続けて麒麟の魔力が尽きるのを待つには一抹の不安があった。
シルメリアの額に汗が浮かぶ。魔術壁に魔力を送りながら思考を巡らす。最善の策とは何かを……。
───おそらく、魔力比べなら魔獣種如きに劣る事はないだろう。だが、しかし……はたしてこのまま魔力を制御し続けられるだろうか?抑える事の出来なくなった魔力は所構わず周囲を喰らうだろう。
そうなってしまった時、私は…………。
……びぃぃき……ッ!
「…………ッ!?」
自らの魔力の暴走を畏れ、『最悪』の結末が脳裏を掠めた瞬間、障壁に微かな亀裂が生じた。
一瞬の躊躇が生んだ結果にシルメリアは無言で薄紅の唇を噛み締めた。
…………びき……びきびきぃ……!
一度亀裂の入ってしまった烏細工の様に薄紫の魔力壁は輝きを落としていく。
止まる事なく魔獣はその凶暴さを奮い続ける。
「障壁が破られる……!」
「ちょ……ちょっとアンタ何やってんのよ!?踏ん張りなさいよッ!」
ランディやシャロンシャロンの言葉に耳を傾けている余裕もなく、シルメリアは自分を呪う。自分自身を一番畏れている自分に。
そしてかつての魔力さえ在れば魔獣種の一体や二体、葬るなど造作もない事と、そんな風な考えが脳裏を過ぎってしまった自分に身震いした。
誰もが畏れ、誰よりも自分自身が嫌った魔力を誰より求めている自分自身の我儘に……。
途端に身体から力が抜ける。今でも身体は心は『恐怖』を覚えている。魔女と畏れられた記憶を鮮明に宿している。薄れていた余計な記憶までもが彼女を捕らえようと蘇ってくる。
「…………すまない……私にはこれ以上……」
そっと目を伏せたシルメリアの翳したままの両手がゆっくりと力なく下がる。同時に魔獣種を捕らえてた薄紫の魔力檻は銀色の煌めきに変わり四散する。
「私は……全て中途半端だな……ユウキ……」
項垂れたシルメリアが忸怩たる思いで力なく呟いた。
次の瞬間……。
「───そんな事ないよ。シルメリアちゃんは良く頑張ったと思う。後はお姉さんに任せておいて」
風に揺れる花弁の様な柔らかで優しい声色がシルメリアの耳に届いた刹那、視界の端から一直線に魔獣目掛けて駆け出す薄桜色の長い髪。
檻から解き放たれた蒼白い輝きを放ちながら帯電する魔獣は自らに接近する影を悟る。
「───遅いッ!神明一刀流奥義【華蝶風月】!!」
地を蹴り付け跳んだセツナ。華麗なる蝶の如く旋風を宿した鋭刃は三日月をなぞる様に曲線を描いた。
鋭い黄土色の瞳と研ぎ澄まされた碧色の瞳が交錯する。
セツナの放った一閃は魔獣の胸元から首元に掛けてを鋭く切り裂いた。麒麟が沈黙するには充分すぎる程の剣戟を加えた彼女は静かに風纏う刀を鞘へ納め、魔族の少女の下に歩み寄る。
力なく項垂れたシルメリアが見上げた先に柔らかい微笑みを浮かべたセツナの姿。シルメリアの頭に手を乗せ、まるで妹や弟をあやす様に髪を撫でる。
「誰が中途半端だったのかな?少なくとも私にはそうは見えなかったのだけれど」
「私は…………自分と向き合うのが恐い臆病者だ……きっとこんなにも中途半端な私は誰も救えないし、誰にも求められない……」
「うーん……そうなのかな?でもそれってシルメリアちゃんだけではないと思うの。自分と向き合い続けられる人ばかりじゃないし、現在も過去に囚われている人だって大勢いるよ?寧ろ私の周りはそんな人ばかり。でもそれが悪い事だとは思わないし、臆病だとも思わない。勿論中途半端だともね。だからシルメリアちゃんが誰も救えないとも思わないし、求められていないとも思わないと思うの。少なくとも私はね」
「セツナ……」
「私だけじゃないと思うな。ヘンリーだっているし……それにガミキちゃんだって、きっとね」
ウインク混じりに微笑むセツナの言葉に何だか胸の真ん中が熱くなってきて、湧き上がった感情を無理にシルメリアは押し返した。けれど、決して悪い気分ではない。寧ろ、少しでも自分に向き合ってくれた事が嬉しかった。
───自分は恐ろしい『怪物』だ。
その意味を嫌になるくらい誰よりも自覚しているけれど、何故だろう、何だか少しだけセツナに微笑み返せる自分がいた。