幕間 ラブレターを貰った話
秋も完全に終わり、季節は冬。
山の高いところが、白く染められる朝も、ちらほら出てきた。
学校では、冬休みはなにをしようかなんて話題が聞こえはじめる。
その日、五年生の六時間目の授業は体育だった。
内容は長距離走。白い息を切らせながらサナは走った。
そして、運動が得意なサナはかなりの高順位でゴールした。
授業の後、サナたち女子は教室で着替える。男子は別の空き教室で着替える。
「マラソンってヤだよね、サナちゃん」
体操服を脱ぎながら、サナの友達、リンコがいった。
「そうか? 私は嫌いじゃないぞ。走ってると気持ちいいしな」
「それはサナちゃんが体力あるからだよぉ。私なんかもうヘトヘトで……あ、でもショウタ君の走ってるところ見られたのはよかったな」
「ショウタ?」
サナは首を傾げる。
「ショウタ君ってさ、かっこよくない? スポーツ万能で、走ってるとこカッコいいし、勉強はちょっと苦手みたいだけど、授業中珍回答を連発しちゃうところもまたかわいいっていうか、もうホント、いいと思わない?」
「まあ、悪い奴じゃないと思うけど」
熱く語るリンコに対して、サナにとっての認識はただのクラスメイトだ。
「ね、ね、ね。サナちゃんは誰か好きなヒトいないの?」
ここでいう「好き」は恋愛の対象という意味だと、さすがのサナでもそのくらいはわかる。
「私は……いないな」
少し考えたが、それらしい顔が浮かんでこない。そもそも、恋愛感情というものが今一つピンとこない。
「えーそうなの。今まで一人くらいいなかったの?」
「うん。いないな」
サナは汗で張り付くので、キャミソールの裾を持ち上げパタパタと仰ぐ。へそから胸にかけて素肌が見え隠れ。
そのときだ。
教室のドアが開いた。
驚いた表情のドアを開けたのは、同じクラスの男の子だった。
「え、あ、ごめん」
男の子は慌てて扉を閉めた。
「なにあれ」
教室の中が、ざわざわと騒がしくなる。
「サナちゃん、胸、見られたんじゃない?」
リンコは恥ずかしそうにいった。
「ああ。そだな」
サナは小さな声で返事をした。
帰りの会が終わり、サナはリンコと一緒に昇降口にやってきた。
下駄箱からスニーカーを取り出し、履き替えようとしたときだ。
「なんだ、これ?」
下駄箱に一通の封筒が入っていた。
白い洋封筒。
差出人を見ると『七年 徳田 翔太』と書かれていた。
「もしかして、ラブレターじゃない?」
リンコが横から覗き込む。
「まさか。私がそんな物、貰うはずないだろ」
サナはそういいながら、ご丁寧に蝋を垂らして封がしてあるのを開ける。
『咲花ちゃん
突然、こんな手紙を入れてごめん。
前に廊下ですれ違ったとき、可愛いなって思って、それから、いろいろ調べて、あなたが五年生の長尾咲花ちゃんだということを知ったんだ。
それからも、学校で何度も見かけ、可愛らしい表情に、仕草にずっと見とれてた。
おねがいです。俺と付き合ってください。
返事を、待ってる。
徳田翔太より』
サナは三度、読み直してからこういった。
「これは、アレだな。隣の下駄箱と間違えたんだな。おっちょこちょいだな。いいか、リンコ。そっと隣の下駄箱にいれておくから、私のところに入っていたことは絶対に秘密だぞ」
そして、自分の隣の下駄箱に封筒を入れようとする。
「いや、サナちゃんへって書いてあったじゃん」
そういったのは、いつの間にか後ろにいたアカリだった。彼女もサナのクラスメイトで友達だ。
「じゃじゃあ、これはなんだ。私が、ラブレターを貰ったみたいじゃない?」
「そういうことだよ。サナちゃんが、ラブレターもらったってことだよ。よかったね」
リンコが苦笑いを浮かべていった。
「まあ、私、徳田先輩知ってるから、見に行ってみる? 駅伝部だよ」
アカリはそういった。
サナたちはグラウンドの端っこにやってきた。
「ほら、あれが徳田先輩」
アカリが指差したのはランニングの一団の中ほどを走る少年だった。
整った顔立ち。スポーツマンらしい引き締まった体系。
息を切らせながらも、ペースを落とすことなく走り続ける。
「けっこういいんじゃない?」
リンコはそういった。
そのとき、徳田先輩がサナの方に顔をむけた。
目が合う。
サナは思わず視線をそらした。
「どうする? 付き合うなら応援するし、振るなら手伝うよ」
リンコがいった。
「ちょっと、考えさせてくれ。ごめん。今日は一人で帰る」
サナは小さな声でそういって、トボトボとその場を去った。
『和食処 若櫻』
その店内で、コンはお茶を飲みながらゆっくりと本を読んでいた。
最近は店にやって来るお客さんが少ない。
別に営利目的の店ではないし、想いを残して死んでいくヒトがいないというのは、きっといいことだ。
しかし、それではコンが暇なのでサナが図書館で小説を借りてきてくれた。
雨の日だけ幽霊が見える少女が、様々な出会いを経て成長していくという物語だ。
終始落ち着いた雰囲気でコンは気に入っていた。
コンが一口、お茶を飲もうとしたときだ。
「どうしよう、コン!」
大声で叫びながら、サナが店に飛び込んできた。
「どうしたの、サナちゃん」
コンは驚いた拍子に、栞を挟まずに本を閉じた。
「ララララ、ラブレター貰った!」
コンはサナを落ち着かせると、ゆっくりと話を聞いた。
「なあ、コン。もしも私がこのヒトと付き合ったらさ、学校から一緒に帰ったり、休みの日にデートにいったり、それから……それからいつかは、キス、したりするのかな?」
サナは恥ずかしそうに顔を赤くしながら、指先で自分の唇を撫でる。
「サナちゃんはやってみたいの? やりたくないの?」
コンが尋ねると、サナは深く考え込む。
「コン。今日さ、体育の後、教室で着替えている最中に男子が入ってきたんだ。着替えが終わってると思ったみたいで、わざとじゃなくて、本当に間違いなんだけど、着替えてるとこ見られたと思ったら、なんか、すごく恥ずかしくって」
ゆっくりと言葉を選びながら、サナはさらに続ける。
「四年生まで、前の学校の話だけど、男子と一緒に着替えてたんだ。そのときはなんにも感じなかったし、家だとお兄ちゃんや弟の前で着替えるけど、恥ずかしいってかんじないし。私、どうかしちゃったのかな?」
コンは少し考えて、それから、優しい口調でこういった。
「ちょうどサナちゃんの年くらいから、体も、心も、大人になっていくんや。それで、男の子と女の子で違いが出てくる。それを感じ始めてる。それだけやで」
サナは小さくうなずく。
「ラブレター、どうすればいいのかな?」
コンは優しい笑みを浮かべた。
「どうしてもええんやで。サナちゃんは、その男の子と一緒に帰りたい? デートしてみたい? キスしてみたい? ううん。もっと単純に考えたらええ。その男の子と一緒にいて、楽しそう? 一緒にすごしてみたいと思う?」
サナは目をつむって、考える。
そして、
「ありがとう、コン」
ラブレターを握りしめ、店を飛び出していった。
学校へむかって走るサナ。
町を流れる最も大きな川、八東川にさしかかったときだ、むこうの岸に徳田先輩の姿を見つけた。
部活帰り、大きな荷物を持っている。
「先輩!」
サナは足を止め、叫んだ。
「サナちゃん」
先輩はその声に気づいたようで、立ち止まる。
「先輩、私のこと、好きになってくれてありがとう」
サナはむこう岸にむかって叫ぶ。
「気持ちはとっても嬉しい。でも、私にはまだ恋ってよくわからないんだ。わからないから、先輩の“想い”に正面からむきあって、受け止められないんだ。だから」
サナはラブレターを取り出すと、折り曲げ、完成したのは紙飛行機だった。
「だから、ごめん。この“想い”は先輩に返します」
投げられた紙飛行機は風にのり、フワリフワリと川を飛び越え、先輩の足元に落ちた。
先輩は紙飛行機を拾い上げると、大きく息を吸って、大声でいった。
「わかったよ、サナちゃん。でも俺、あきらめないから、いつか、俺の気持ち、受け取ってもらうから」
先輩は紙飛行機をポケットに入れ、走り去っていった。
「ただいま」
サナはお店に戻ってきた。
「お帰り」
コンはカウンター席に座り、本を読んでいた。
「手紙、先輩に返してきた」
サナはコンの横に座る。
「そっか。サナちゃんの選んだことなら、それでいいんちゃう?」
コンは本から目をあげ、サナを見る。
「なあ、コン。コンは恋したことあるのか?」
サナが尋ねると、コンは少し考えるような仕草のあと、本に目線を戻した。
「ヒミツ」
そして、みじかくそれだけいった。
「えー、教えてくれよー」
「また、いつかな」




