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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と情愛に飢えた亡者たち
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第四章 第一話 お七夜の話

 九月の下旬。

 山陰地方。鳥取県の西部に位置する若桜町は山の谷間の小さな田舎町である。

 全体的に昔ながらの古い家が多い街だが、その中に一軒の比較的新しい住宅があった。

 家の表札には『江坂』の文字が掲げられていた。

 家の中で、少女の歌声が響く。


 丸竹夷二押御池まるたけえびすにおしおいけ

 姉三六角蛸錦あねっさんろっかくたこにしき

 四綾仏高松万五条しあやぶったかまつまんごじょう

 雪駄(せった)ちゃらちゃら魚の棚(うお たな)

 六条三哲(ろくじょうさんてつ)通りすぎ

 七条(ひっちょう)越えれば八九条(はっくじょう)

 十条東寺(じゅうじょうとうじ)でとどめさす


 歌っていた少女は中学生くらいに見える。頬には、大きな火傷の跡があった。この少女の名前はコンといった。

 コンの横にはもう一人、コンよりやや幼く見える少女がいた。そちらの少女の名前はセリカといった。

 二人がいるのはキッチンであり、ガスコンロにかけれてた鍋からは大量の湯気が吐き出されている。

 茹でられているのは、小豆だった。

「不思議な歌ですね。それ、なにの歌なんですか?」

 セリカは尋ねる。

「これな、京都の通り名やねん」

「通り名?」

 セリカは首をかしげる。

「京都の、昔、都やった場所はな、縦と横に道が造ったんのしってる?」

「はい、碁盤の目ってヤツですよね」

「うん。それでなその道に一本一本名前がついてて、この歌はその横の道、東西の道の名前になってんねん。最初の丸竹夷っていうのは、北から順番に、丸太町通り、竹屋通り、夷通りがありますよってことなん」

 セリカはうなずく。

「そやからこの歌と、自分のいきたい場所が何通りなんか知ってたら、迷子になってもある程度なんとかなるゆうことなんや」

 セリカはさらに何度か、関心したようにうなずいた。

「なるほど。ちなみにコンさんが暮らしていたのって、この歌だとどの辺りなんですか? 私、今度修学旅行で京都にいくんです」

「そっか、セリカちゃん六年生やもんね。私が暮らしてたんは伏見やから、昔の都からはちょっと離れてんねん。歌には出てこうへんよ」

 コンは鍋に目をむけた。

「もうそろそろ、ええよ。ザルにあげて。煮汁も使うしな」

 セリカはうなずき、流し台にボウルを置き、その上にザルを重ねそこに小豆をあける。見事、小豆と煮汁を分けることができた。

「じゃあ、お米を炊飯器に入れて」

 コンがいうとセリカはうなずき、あらかじめ洗っておいたもち米を炊飯器に入れる。

「煮汁を二八〇ミリリットルになるように水入れて」

 セリカはコンの指示通りに計量カップで煮汁の量を計り、水を入れて薄める。

「できました」

「うん。じゃあ、それを炊飯器に入れて」

「はい」

「塩も入れて、混ぜる」

「はい」

「最後に小豆を入れて、後は炊くだけ」

「はい」

 セリカはいわれた通りにすると、炊飯器の蓋を閉めてボタンを押した。炊飯開始の電子音が鳴る。

「お疲れ。炊きあがったら完成やね」

 コンはテーブルに目をむけていった。

 そこには、尾頭付きの焼き鯛や山芋の煮つけなどが並んでいた。

「間に合ってよかった」

 セリカは額に流れる汗を拭った。

「うん。頑張ったやん」

 コンがいうと、セリカは嬉しそうにうなずいた。

「コンさん、私ね、陣痛がはじまってから、ずっとヒトミさんについていたの」

 セリカは水道をひねり、使い終わった調理器具を洗いはじめる。

「ヒトミさんね、何度も痛いっていって、私はずっとヒトミさんの腰を押していたの」

「うん」

 コンは柔らかい表情でうなずく。

「分娩室にも入れてもらったの。ヒトミさん、本当に苦しそうだった」

「うん」

「でもね、生まれたとき、ヒトミさんとっても嬉しそうな顔してた」

 そういうセリカも、とっても嬉しそうな表情をしていた。


 やがて、玄関のドアが開いた。

「ただいま」

 帰ってきたのは、セリカの父と、二人目の母、ヒトミ。

 そして、ヒトミに抱かれているのは、生後一週間のセリカの妹、イクである。

「お帰り」

 セリカは笑顔で出迎える。

「ただいま。これはすごいな。セリカがつくったのか?」

 父はテーブルの上の料理を見ていった。

「うん。お祝いの料理。もうすぐお赤飯も炊けるから」

 セリカは少し照れたような表情で炊飯器を見た。

「ほら、イク。セリカお姉ちゃんだよ」

 ヒトミは、イクがセリカと目線が合うように抱き方を変える。

「よろしくね。イクちゃん」

 セリカは指先でイクの頬をつつくと、イクは嬉しそうに笑った。

「ねえ、セリカ」

 ヒトミはテーブルの上の料理に目をむける。

「コンが、来てるの?」

 セリカはうなずく。

「うん、あそこに……あれ?」

 セリカは部屋の中を見渡す。しかし、そこにはコンの姿はなかった。

「いつの間に……」


 若桜駅の近くに古びた木造建築がある。

 その入り口には『和食処 若櫻』の看板が出ていた。

 窓は暗く閉ざされ、入り口には重厚な南京錠が掛けられている。店が営業している雰囲気はない。事実、ドアノブにはいつから掛けれれているのかわからない、ほとんど字が消えかけている『準備中』の札があった。

 店の中に、小学校高学年くらいの女の子がいた。女の子の名前はサナといった。

 サナはカウンター席に座っていた。カウンターテーブルの上には漫画の原稿用紙があり、そこには鉛筆で漫画が描かれている。

「なあ、サクラ。ここのセリフ、なにがいいと思う?」

 店内には間違いなくサナ一人しかいない。

 しかし、まるで誰かに話しかけるかのように、サナは空白の吹き出しを鉛筆の尻でつつきながらいった。

「……うん……うん。お、それいいな」

 それから、まるで誰かの声が聞こえているかのように何度かうなずくと、吹き出しに文字を書き込んだ。

 そのとき、入り口の扉が開いた。

「ただいま」

 帰ってきたのはコンだった。

「お帰り、コン。どうだった?」

 サナは顔をコンにむけながら尋ねた。

「うん。イクちゃん、可愛かった」

 コンは短くこたえると、カウンターのむこうがわの厨房に入っていった。

「なあ、なんかあったのか? コン」

 不安そうなサナの声が聞こえた。

「へ? ううん。なんにもないで。そろそろええ時間やし、お店閉めて家に帰ろか」

 コンは厨房を片付けながら、サナと目を合わせないでいった。

「あ、うん」

 サナもテーブルの上の漫画の原稿を片付ける。


 夕日が差す町中を、サナとコンは並んで歩く。

 コンは鼻歌を歌う。

 サナは、足を止めた。

「なあ、やっぱりなんかあったんじゃないか?」

 心配そうにサナは尋ねた。

「もう、私はいつも通り。大丈夫やて」

 コンは笑顔を浮かべたが、それはわざとらしい、不自然な笑顔に見えた。

 そのとき、すれ違った老人のポケットからハンカチが落ちた。

「あ、落としましたよ」

 コンはハンカチを拾おうとした。しかし、手はハンカチをすり抜けて、拾うことができなかった。数回試してみたけれど、結果は変わらなかった。

「ハンカチ……」

 コンの声も届かず、老人はいってしまった。

 すかさずサナが拾い上げ、老人に渡した。

「落としたよ」

 老人はお礼をいいながら、ハンカチを受け取った。

 老人が立ち去ったあと、サナはコンの元へ戻ってくる。

「本当にどうしたんだよ、コン。幽霊だからお店の外とか、家の中とか、結界の中でしか周りからは見えないし、物に触れることもできない。わかってるでしょ?」

 コンは自分の手を見つめながら、小さくうなずく。

「サナちゃん、私、どうしちゃったんやろ。もうすぐ一周忌やのに、もうだいぶ幽霊なことに慣れてたはずやのに、今、自分が生きてる気になってた……」

 コンの手は、震えていた。

「コン?」

 不安そうな表情で、サナが顔をのぞき込む。

「サナちゃん、私な、セリカちゃんの家にいって、ママや、イクちゃんがセリカちゃんの家族っていう輪が出来てんのを見て、私がその輪の中にいいひんのが悲しくて、なんで死んでしもたんやろって、思って……」

 コンの目から、涙が落ちた。

「コン。帰ろ。家に、帰ろ」

 サナは優しい口調でいった。


 コンは、サナの家に着く頃には泣き止んでいた。

 一見するといつもと変わらない風に見えたが、あえてそう振舞っているということがサナにはわかった。

 家に着いてからサナは母親に今日のコンことを話した。

「そっか」

 母は短くそういうと、少し考えるような仕草の後、黙ってサナの頭をなでた。


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