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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と水底の祈り
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第三章 最終話 ただいま、といった話

 ゆっくりと目を開く。

 そこは、プールだった。

 夜のプール。空には、大きな月が浮かんでいる。

 イマは、プールサイドに腰掛け、足を水に浸けていた。

 イマの服は、いつものTシャツとズボンだった。

 風が吹くたび、微かな波が立ち、ズボン越しに足をなでる。

「全部、わかりました。ミキ先輩が私の記憶、魂の一部を持っていたように、私の中にもちょっとだけ入りこんでいたんですね。先輩の魂のかけら」

 イマは水面を見ながら口を開く。

「アタシも、気づいていなかったわ。まさか、その小さな欠片から、アタシを復元するなんてね」

 イマの横に、ミキがいた。制服姿でプールサイドに腰かけ、スカートからのびる素足を水に浸している。

「考えてみれば、おかしな話だわ。神獣と共に育つと幽霊が見えるようになるのは、魂が影響しあうから。アタシは封印されていたから、影響なんてなかったはずだもの」

 ミキも、水面を見ながらいった。

「ずっと、私の中にいてくれたんですね。先輩」

 イマは嬉しそうにミキに笑顔をむける。

 すると、ミキは照れたように視線をそらした。

「まったく。完全に振り出し。アタシのやったこと水の泡よ。せっかくアンタを記憶の痛みから解放してあげるつもりだったのに」

「私、痛いのも、恐いのも、嫌なんです。だから、そばにいて、助けてくれませんか? 先輩」

 イマの声に、ミキは大きなため息をついた。

「この甘えんぼ。しょうがないわね。美味しいもの、沢山食べさせなさいよ。ずっと、傍で守ってあげるから」

 ミキは、最高の笑顔をイマにむけた。


 気が付くと、イマは自室にいた。

 窓からは夕日でオレンジに染まる景色が見える。

 台所から、包丁の音が聞こえる。

 目の前には、喫茶店で会った少女と、そしてミキがいた。

「先輩、先輩!」

 イマはミキに飛びついた。


 イマが落ち着くと、少女はミキに正座するようにいった。

 その正面に、少女が座る。

「ミキ、死んだはずねのに、ヨモツクニへ逝っていないと聞いたのでずっと探していたのですよ」

 少女はゆっくりと、しかし怒っていることが伝わる口調でいった。

「封印されていた間は仕方ないとして、出られたのなら連絡くらいよこしなさい。本当に心配していたのですよ」

「……すみません。まさか、トヨウケビメ様がアタシのこと知ってくださっていたなんて思っていなくて」

 ミキは小さな声で返した。

 そこでイマは気が付いた。以前、聞いたミキが仕えていたという神の名。それが、トヨウケビメだった。

「おバカ。使いの顔と名を忘れる神などいません。困ったことがあれば、私を頼りなさい。他人のことでも、自分自身のことでも、困ったことがあればなんでもです」

 ミキはうつむいたまま「はい」と小さな声でいった。その頭を少女――トヨウケビメは優しくなでる。

「でも、幾度もその身を呈してヒトを救おうとする姿。神獣として、とても立派です。っ私はあなたに、敬意を表します。よく頑張りましたね」

 ミキの目から、水滴が落ちる。

「先輩……」

 イマが声をかけようとすると、ミキは慌てた様子で目元をぬぐった。

「アタシ、泣いてないから。泣いてなんていないから」

 イマは、そっとうなずいた。

 トヨウケビメは着物の袖口から一枚の紙を取り出した。和紙のようで、墨でびっちりとなにかが書かれている。

「ミキ。神獣は死亡した場合、神の元を離れて他の霊と同じようにヨモツクニへ逝くか、神に仕え続けるか、選ぶことができます。もし、よればこれからも私の使いとしてイマちゃんを支え続けてくれませんか?」

 ミキははっきりとうなずくと、紙に勢いよく手をついた。

 一瞬、紙は光る。

 手をよけると、そこには朱肉を使って押したような、キツネの肉球の痕が残っていた。

「契約成立よ。これからもよろしくね。ミキ」

 トヨウケビメは嬉しそうにいった。


 トヨウケビはそれからしばらくして、空気に溶けるように消えていった。ミキによると、神社に帰ったのだという。

「あ、そうだ」

 イマは部屋を出ると、小走りで台所へむかった。

 そこでは、お母さんが夕食の支度をしていた。

「お母さん」

 イマはお母さんに後ろから抱き着いた。

「全部、全部思い出したの。事件のことも、なんで鳥取に引っ越したかも、それから、先輩のことも」

 イマはゆっくりと、静かにいった。お母さんはコンロの火加減を調節する。

「きっとね、これから何度も痛くなるし、恐くなると思う。だけど、私、いっぱい生きてみようって思う」

 イマがいうと、お母さんはゆっくりとうなずいた。

「忘れないでね、イマ。あなたのことを想うヒトは、いっぱいいるからね。それと、今日は、特に美味しいごはんつくるから、きっと一人分つくりすぎちゃうから、そのときは、部屋に持っていって、夜食に食べるのよ」

 お母さんがいうと、イマは「うんっ!」と返事をした。

 台所の隅で、ミキはひそかにガッツポーズをした。

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