第三章 第19話 無くした一枚のカードの話
夏休みの序盤に記憶を無くし、なに一つ思い出せないまま、終盤に差し掛かった。
この間、時折、来客があった。
クラスメイトだというカノンとセリカ。一つ年下のサナ。幽霊のコン。みんなイマと親交のあったヒトらしいが、イマには皆、初対面に感じられた。
そして今朝、イマのスマートフォンに電話があった。
知らない番号からだったけど、一応出てみた。
相手は女の子のようだった。
『こんにちは。イマさん。少しお話したいことがあるの。駅に来てくださる?』
電話の相手はそれだけいうと、切ってしまった。
相手の声に覚えがない。しかし、イマの名前を呼んでいたから間違い電話ではないらしい。
無くした記憶の中の誰かだろうか?
わからないが、とりあえずいってみることにした。
入道雲。
セミの声。
強い日差しにかすむ景色。
イマは、ゆっくりと駅への道を歩く。
額を汗が流れる。
長袖と長ズボンという格好は暑いし、服のデザイン自体もちょっとセンスを疑うダサさだ。どうも記憶を無くす前のイマは、こんなものを好んで来ていたらしい。
たった半年の間になにがあったのか気になるが、お父さんもお母さんも言葉を濁すばかりで、詳しくなにも教えてくれない。
できるだけ表に出さないように努めているが、正直、自分の記憶が戻らないことに焦りも苛立ちも感じていた。
日光で熱せられたアスファルト。
熱に揺れる景色。
駅にやって来た。
待ち合わせの相手らしきヒトは見当たらない。
イマは駅前のベンチに座った。
横に、人形を座らせる。
セミの声。入道雲。
イマはいつも通り、長袖のTシャツに長ズボンという格好だ。
暑いな。
イマの額を、汗が流れ落ちた。
暑い日差し。
霞む景色。
財布を開けてみる。今月はほとんど家にいたから、けっこう持っている。
イマは駅舎に入った。
決して広いとはいえない若桜駅の駅舎だが、中にはカフェが併設されている。
そこに入った。
冷房の、ひんやりとした風とコーヒー香ばしい香りを感じる。
イマはアイスコーヒーを注文して、席に座った。ちょっとだけ、背伸びをした気分だった。
店内は、イマのほかに客はいない。
ほどなくしてアイスコーヒーが運ばれてきた。
イマはポーションミルクとガムシロップを入れ、よくかき混ぜてから一口飲む。
苦みの中に、微かに甘みを感じる。
そのとき、カラカラとディーゼルエンジンの音を響かせ、列車がやってきた。
その乗客の中に、一人の少女がいた。
年齢は中学生くらいで、和服姿に巾着袋を持っていた。
少女はゆっくりとした気品の漂う仕草で列車を降りる。その様子に思わずイマは見とれていた。
ふと、目が合う。少女はふわりと微笑みかける。
イマは思わず目をそらした。
少女はゆっくりと歩き、カフェに入ってくると、イマの正面に立つ。
「お待たせしました。ここ、よろしいですか?」
イマ場所以外はすべて空席なのに少女はそういった。鈴を転がすような声だった。
「え、あ、はい、どうぞ」
イマはとっさにうなずく。
少女は「では、失礼します」といって、イマとテーブルをはさんで向かいの席に座った。
微かに、お香の匂いをイマは感じた。
「来ていただいてありがとうございます。電話でお呼びしたの、私なんです」
少女はそっと会釈する。
「あの、変なこというみたいですけど、その、私、記憶を無くしていて、あなたのことがわからないんです。ごめんなさい」
イマは気まずそうにいった。
「はい。存じております。だからこそ、私がここに来たのです」
そのとき、少女が注文していたパンケーキと紅茶が運ばれてきた。
「あなたは、私の記憶について知っているのですか?」
「へへ、ひってひはふほ」
少女は口いっぱいにパンケーキを頬張りながら返事をした。
「えっと……」
困惑するイマのことを気にも止めず、少女はパンケーキを一瞬でたいらげ、紅茶を少し飲むと、懐からハンカチを取り出し口元をぬぐう。
「はい。私はあなたのなくした記憶の内容、なぜなくしたのか、よく知っています」
そういいながら、パンケーキの入っていた皿をテーブルの隅に移動させると、そこに巾着袋の中身を出す。
それは、トランプだった。
特に珍しい図柄ではない、どこの玩具店でも売っていそうなものだ。
「イマさん、ゲームがお好きと伺いました。こういうのはいかがですか?」
少女が尋ねると、イマはうなずく。
「はい、好きです」
「では、なにをしましょう。といいたいところなのですが、一つ困ったことがありまして」
「困ったこと?」
「はい。このトランプ、一枚足りないのです。しかも、なにが足りないのかがわからないのです。だから、神経衰弱しましょう。そうすれば、なんのカードが足りないか、わかるでしょ」
少女はそういって、シャッフルしてから、裏向けにトランプを並べる。
「じゃあ、はじめましょうか」
少女がトランプをめくる。スペードの3。
「じゃあ、これにしましょう」
もう一枚めくる。ダイヤの3。
「やった」
少女はペアとなったカードを手元に置く。
「次は、これかしら」
少女は続けてカードをめくる。クローバーの2と、ダイヤの5。
「あら、残念。イマさん、どうぞ」
イマは小さくうなずくと、カードをめくる。クローバーの3とスペードの8。
ゲームは進む。
イマと少女はほぼ互角のようだ。
「ねえ、イマさん。少し、お話よろしいですか?」
イマはカードをめくりながらうなずく。スペードのQとダイヤの4.
「私は、あなたのなくした記憶の内容、そして何故なくしたのかを知っています。でも、それをあなたに伝えるか、あなたに記憶を取り戻してもらうか、とても迷っています」
少女はカードをめくる。クローバーの6とクローバーのQ。
「どうして、迷っているんですか?」
イマはカードをめくる。スペードのQとクローバーのQ.
卓上に残るカードは残り五枚。
「あなたの記憶は、作為的に消されたものだからです。あなたにとって、それは辛すぎる思い出だから」
少女の声を聞きながら、イマは更にカードをめくる。クローバーの4とクローバーの3。
「どういうことですか? 私にとって辛すぎるって」
イマが尋ねる。
少女は一口、紅茶を飲んだ。
「あなたは、ある事件に巻き込まれたのです。そして、その記憶は大きな棘となりあなたの心に刺さり、その痛みはあなたを苦しめていた」
少女はカードをめくる。スペードのAとハートの4。
「でも、ある女の子があなたを救うため、その記憶を抱いて消えてしまったの。私は、その女の子を取り戻したいと思っている。でも、それは同時にあなたを傷つけることになるわ。だから、迷っている」
少女の話を聞いた途端、イマの中に一瞬だけ声が響いた。
「――」
聞き取れないくらい、一瞬で消えてしまった声。
「……先輩、私はそのヒトを先輩と呼んでいた」
イマはつぶやきながら、カードをめくる。
ハートの4とクローバーの4.
残り、三枚。
少女は、そっとうなずく。
「はい、その通りです」
イマはさらにカードをめくる。ダイヤのAとスペードのA。
カードは残り一枚。
少女はゆっくりと口を開く。
「私は、酷いことをしています。なにも知らなければ、あなたは痛みを思い出さないで生きていける。なのに、私はあなたに選択を迫っています。でも、それでも、私はいいます。イマさん、選んでください。痛みを伴う記憶を取り戻すか否か」
イマは、大きく深呼吸をした。
そして、最後のカードをめくった。
クローバーの3.
「ありがとう、イマさん。足りないカードはハートの3ね」
少女は懐から、真っ白ななにも書かれていないカードを取り出す。
「あるものを全て数えれば、欠けた物の形がわかる。イマ、あなたの魂の形から、欠けた部分をつくります」
カードに文字が浮かぶ。それは、ハートの3だった。
その瞬間、イマは意識が遠のいた。




