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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と水底の祈り
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第三章 第17話 水底の祈りの話 後編 

 ミキと女の子は埠頭を海に沿って歩く。

「まったく。迷子ならはやくそういいなさいな」

 ミキが呆れたようにいうと、女の子は「えへへ」と笑った。

「まあ、ギャン泣きされるよりマシか。おチビちゃん、名前は?」

 ミキが尋ねると、女の子は「えっとね」といいながら係留柱に飛び乗る。

 それを見たミキは慌てて女の子の体を掴もうと腕を伸ばす。

 その様子に驚いた女の子は、ビクッと体を跳ねさせ、そのままバランスを崩す。

「ちょっと!」

 ミキの伸ばした手は、女の子に届かない。

 女の子は海に落ちた。

「ああ、もうっ!」

 ミキはカバンを投げ捨てると、海に飛び込む。

 すぐに女の子の体を抱きかかえると、顔が水面に出るように浮上する。

「イヤっ、イヤっ、イヤっ」

 しかし女の子は暴れ、上手く水面に上がれない。

「落ち着いて。アタシが助けるから。大丈夫だから」

 ミキは微かに顔が出せた瞬間にそういってなだめようとするが、完全にパニックになっている女の子の耳には届かない。

 そのときだ、事態に気が付いた通行人が、非常用に置いてあった浮き輪を投げ込む。

 ミキはなんとか浮き輪の方へ泳ごうとするが、女の子が暴れ、上手くいかない。

 ミキの顔は何度も水中に押し込められる。それでも、女の子の口と鼻が水面に出るように、支え続けた。

 必死に足掻く。

 上手く息ができない。

 肺が苦しい。

 意識が薄れてくる。

 それでも、女の子を助けたい。

 ミキは、ついに浮き輪にたどり着いた。

 浮き輪に捕まらせると、女の子はやや落ち着いたようだ。

「大丈夫。もう大丈夫だからね」

 ミキはそういって、微笑みかける。

「いっぱい生きね」

 そして、そのまま意識を失った。

 ミキの体は水底へと沈んでいった。

「あ、あ、あ」

 女の子は、声にならない声を発することしかできない。ポケットに入れていたキツネのストラップが光を放っていることに気が付かなかった。


 気が付くとイマは、プールにいた。

 どこのプールなのかはわからない。

 夜のプールサイドだった。

 見上げると、大きな三日月がプールの水面を照らしていた。

 イマは、プールサイドに座り、水に足を浸していた。

 服はいつもの長袖のTシャツと長ズボン。塩素の匂いのする水が染みてくる。

「私だった。私が、先輩を殺したんだ……」

 イマはぽつりとつぶやく。

 ミキが助けたあの女の子。それは、幼いイマの姿だった。

「塩素の匂い、アタシは好きよ。イマはどう?」

 すぐ横で、声がした。

 ゆっくりと顔をむけると、横にミキがいた。

 制服姿で、イマと同じように、プールサイドに腰掛けて、スカートからのびた、靴もソックスもない素足を水に浸していた。

 風が吹き、プールに小さな波をおこす。

「でも、塩素の匂いはプールだけじゃなくて、病院も思い出すの。廊下も、病室も、ベットも、消毒液の匂いがしたわ。しょっちゅう、お世話になってたから」

 ミキはそっと、胸をなでる。

「……先輩、私、私……」

 イマは眼いっぱいに涙を溜めて、しゃくりながらいった。

「アタシの記憶、覗いてきたのね。アタシたち昔に一回、会ってるのよ」

「ごめんなさい。ごめんなさい。私が暴れなかったら……ううん。私があんな海ギリギリの場所にいかなかったら……」

 ミキの指先が、イマの涙をぬぐった。

「アンタは悪くないわ。あのときまだ四歳でしょ? あんなもんよ」

 それでもイマは「でも、でも」と繰り返しながら、泣きじゃくる。

 ミキは優しく微笑む。

「アタシはあのまま死んでしまったのだけど、体と魂が分離した瞬間、ストラップの封印機能が誤作動して、アタシは封印された。あとはアンタの知ってる通りよ。でも、これはむしろ幸運だったわ」

「どうして……ですか?」

「だって、イマが生きてくれているところを見られたのだもの」

 ミキは足を動かし、プールの水を跳ねさせる。

 イマはまだ泣き止まない。

「……でも、私、そんな大切なことを忘れてた。全く覚えてなかった。私、ひどいヒトだよ」

 ミキはゆっくりと首を横に振る。

「それも、仕方のないことなのよ。アタシが封印されたとき、イマの魂の一部、イマのあの日の記憶も封印されたの」

「でも、先輩の封印が解けても、私は思い出しませんでした」

「だって、アタシがイマのところに戻らないように隠していたんだもん」

 ミキは、いたずらっぽく笑った。

「封印が解かれて、イマがあの日のことを覚えていないといった途端、アタシはイマの魂の一部が一緒に封印されていたことに気づいたわ。そして、急いでそれをアタシ自身の中に取り込み、イマの元へと戻らないようにしたの。アタシが死んだことで、自分を責めてほしくなかったから」

 ミキは一度、深呼吸をした。

「イマに触れることができた。寝ているときにお互いに相手の記憶に入り込んだのも、アタシの中にイマの魂がある影響よ。アタシの中のイマを通じて、二人の魂につながりができていたのよ」

「先輩の中に、私の一部が……」

 ミキはうなずく。

「名残惜しいけど、そろそろお別れよ。イマ」

「へ?」

「アタシね、さっき、大きなキツネになったでしょ? あれで全部の力を使ったから、もう魂を維持できないの。だから、もう消滅するわ」

「そんな……嫌です。もっと、もっとそばにいてください。先輩」

 ミキはイマの胸に手を当てた。

「でも、最期にやることがあるわ。イマ。アナタの魂の一部、アタシにちょうだい。イマの中にある、あの誘拐事件の記憶、それをアタシが取り込むわ。そうすれば、イマは事件のことを忘れて生きていけるから」

 ミキがイマの胸から手を離すと、そこには青い光球があった。

「イマの記憶を取り込んで、アタシは消えるわ」

 ミキはためらう様子なく、その光球を飲み込む。

「じゃあ、お別れよ。イマ。アタシ、ずっと祈ってる。イマがいっぱい生きて、いっぱい幸せを感じられるようになることを」

 イマの意識が徐々に遠くなる。

「いかないでっ!」

 イマは叫ぼうとするが、声が出ない。

 記憶が、消えていく。


 東京の塾の帰りに誘拐されて、それから鳥取に引っ越して、ミキ先輩に出会った。

 東京の塾の帰りに■■されて、それから■■に引っ越して、ミキ先輩に出会った。

 東京の塾の帰りに■■■■■、それから■■に■■■して、ミキ先輩に■■■た。

 東京の塾の帰りに■■■■■、■■■■■■■■■■■■、ミキ先輩■■■■■。

 東京の塾の帰りに■■■■■、■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■。


 忘れたく、ないのに。

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